エドワード・ヤンの恋愛時代のレビュー・感想・評価
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都市を描く映画の名作
エドワード・ヤン監督の一番の代表作は『クーリンチェ少年殺人事件』だというのが定着している。しかし、キャリア後期には『クーリンチェ』のイメージとは異なる、軽やかな作品を作るようになったのだけど、これはその走りとなった作品だ。この映画は、確か『クーリンチェ』から3年後に発表された作品だと思うが、前作とは全く異なる作風になっていて驚く。個人的には後期の軽やかなタイプの作品のが好きだ。
とにかくこの映画は、台北という街が魅力的に見える。観光的な魅力ではない。きれいな風景がいっぱいでてきたり、遊びに行く場所がたくさん映っているとかそういう意味ではなく、都市とそこに生きる人の息づかいがすごく伝わってきて、「ここで暮らしてみたいな」という気にさせるのだ。軽薄なようで何か切実なようで、人はこの都市で何を求めて生きているのか、都市に生きる生態系みたいなものが、軽やかだけど克明に刻まれている感じがする。都市を描く映画として映画史の中でも特筆すべき一本だと思う。
エドワード・ヤンの近代都市を捉える眼差しはこの後の作品でも存分に発揮され、『カップルズ』に『ヤンヤン 夏の想い出』へと結実する。軽やかだけど人間を見つめる眼差しは鋭い。この肩の力の抜けた余裕に痺れる。
【1990年代前半の台北を舞台にした同級生、恋人、姉妹、同僚などメンドクサイ男女8人の恋物語。それでも彼らは前を向いて生きて行こうとし、お互いの関係性も続けようとしているのである。】
■急速な西洋化と経済発展を遂げる1990年代前半の台北。
若き女社長モーリー(ニー・シューチュン)が経営する会社の状況は良くなく、婚約者・アキン(ワン・ポーセン)との仲もうまくいっていない。
チチ(チェン・シャンチー)は親友・モーリーの会社で働いているが、彼女に振り回され、恋人・ミン(ワン・ウェイミン)との関係も雲行きが怪しくなる。
◆感想
・正直に記載するが、実は今作が”4Kリマスター版”として、昨年8月に上映された時には
『牯嶺街少年殺人事件』の名匠、エドワード・ヤン監督の作品と言う事もあり、期待をして足を運んだ。
だが、『牯嶺街少年殺人事件』の面影は無く、私の苦手な(と言うか一切見ない)トレンディドラマの様な展開と、登場人物の多さに、しっかりと理解できなかった作品である。
・で、悔しいので、一年振りに鑑賞をした訳であるが、流石に二回目となると人物相関図も頭の中に出来上がり、ナカナカに面白かった作品であり、日本のバブルの時代の若き働き手男女もこんな感じだったのかな、と思いながら鑑賞した。
<これは、私の勝手な感想だが、登場する男女たちは色々と面倒くさい状況の中でも対人折衝を諦める事無く、時には”生きて居る事は素晴らしい。”などと話し乍ら、前を向いて生きて行こうとしているし、お互いの関係性も続けようとしている。
それこそが、故エドワード・ヤン監督が描きたかったことなのかな、と勝手に推測した作品である。>
台北にて‼️
エドワード・ヤン監督の味わい深い秀作‼️二人の女性を軸に、それぞれの婚約者や恋人、同級生、同僚、義兄など、10人の男女の恋愛模様、人生模様を魅力的で美しい台北の街を舞台に描いてます‼️まるで日本のトレンディ・ドラマを誠実にしたような作風で、都会に生きる現代人の姿がホントにリアルだし、誰もが共感できる物語だと思います‼️
人はパンのみにて生きるにあらず
物質的な豊かさだけで心は満たされない。
そんな心の空洞を埋めるものを見つけたいともがく人たちへの、慈愛の眼差しが、ロウソクの灯りのように温かい。
暗転して切り替わる場面が、独立していて、それらが一つの物語を紡いでいる、新鮮!
そうだ!このスピード感👍青春時代の毎日
目まぐるしく展開する周囲
あっちでも、こっちでも
いつも、誰かが、波風立てる。
そして、深く悩み、語り合う。
青春時代は、まさに。
前半は、アメリカ映画のようでもあり
現代の韓国TVドラマのようでもある。
言葉が飛び交い
イケイケの場面が、どんどん変わる。
そして、後半
日本映画のような、暗く、重い
シーンで、綴られていく。
なんとも、憎い、構成。
で、ラストは、どうなるの?
と、気になってしょうがない。
この展開で
どう終わらせるの?
でラストカット
まいった😂
これぞ、青春映画!
👏👏👏
ショット、色彩が美しい
ショット、色彩が美しい(ラストの早朝のオフィスのシーンは本当に素晴らしい)。ただ、やや「演出過多」な感じがしないでもない。「演出がでしゃばっている」と言っては言い過ぎになるだろうか。また、幕間の「語り手の視点からのコメント」みたいなのが出てくるが、本当に必要かどうか疑問。
誰が誰の親族なのか、人間関係を把握するのも困難だった。登場人物が終始大声で言い争うのも、やや辟易させられる。鑑賞後の印象は、「混沌・混乱(自分の頭の中も含めて)」だが、英語タイトルにもそうあるのだから、「それでいいのだ」と決め込んで映画館を後にした。
観てよかった!
繁栄への道を辿る90年代前半の台北を舞台として、年代の近い4組のカップルを中心にした、わずか2日半の群像劇。はじめ、人物が多すぎて混乱しそうだったが、まだ登場していない人の名前が飛び交っていると分かって少し我慢して見ていたら、やがてストーリーは飲み込めた。
一見すると、題名「恋愛時代」から連想される、当時の日本でたくさん流れていたトレンディードラマ。実際には、原題「獨立時代」や英語題名(A Confucian Confusion)「儒教者の混乱」に近い内容だと知れた。中国―台湾の基層にある孔子由来の儒教社会(年寄りを敬い、序列を重んじる)に、戦後個人の独立を重視する西洋社会の影響が急速に流れ込んだための混乱。親に決められたり、そういうものだと思ったりして付き合い始めたものの、実際に付き合ってみたら、全く予想と違っていたりする。しかし、二つの考え方は、お互いに響き合っていて、それが日本との違い。それ故、普遍性を持ち、4Kレストア版となって公開されることの幸運。
そう言えば、台湾の街を歩いていると、日本の昭和を思わせるような古い街並みと、全く新しい新興の町が混在していて、しかもそれぞれに繁栄しているらしいことが不思議だったことを思い出す。
台湾あるいは中国の都市部は、日本以上に都市文化が発達していて、それが映画の内容に反映されている。食事は基本的に外食。しかもそのほぼ全てがビジネスに結びつく。家事や育児はメイドさんの仕事らしく、映画の中で出てくることは、原則ない。全員が男女を問わず、先端の仕事(経営、メディア、出版、創作、演出などの文化活動)に手を染めていて、しかも時として複数の仕事をこなす。すでに国際的(大陸との交流が出てくる)ではあるが、工業などの(日本の得意な)産業は出てこない。移動には(公共交通機関ではなく)自分の車やタクシーが使われる。富裕層と言ってしまえば、それまでだが、親の資産も豊かに違いない。
複数の早い流れを129分にまとめて見せたエドワード・ヤンの手腕は見事。少なくとも、二つの工夫があった。一つは、特に儒教の知識が、縦書きのト書になって出てきて、場の転換に使われる。主な部分は車の中での(多分に演劇的な)会話が占める。そこで情報の交換が行われるが、エレベーターが、しばしば巧妙に使われる。特に主人公の広告会社の経営者、モーリーの親友で、会社でのアシスタント(CMタレントでもある)チチが、恋人の元公務員、ミンと和解する場面が素晴らしい。
いわば日本を抜いてしまった(家電産業の救済や、半導体など)台湾の繁栄の秘密がここにあったような気がしてならない。そう言えば、日本の影響はタクシーのほとんどが(実用的な)日本車であったこと、寝室によく障子が使われていたことと、和食が会食の場として話題に上ったくらいか。
この映画が国際的に認知されている理由も、よく理解できた。
とても面白い
公開時以来何十年ぶりに見たが、セリフの抑揚とか動作とか、かなり細かいディテールまで記憶していて、見た瞬間一気に蘇ってきた。今まで脳裏の奥底に焼き付いていたということか。
ダサい邦題は当時の日本の世相の反映、という感じ。「獨立時代」、漢字の国でしか表現できない素晴らしいタイトルだなと思う。
メリハリあるキャラ設定で、行ったり来たりのテンポが速い人間関係コメディ。すごくよくできているので超ハイレベルなサッカーの試合を見ているような高揚感がある。
後半にかけての盛り上がりも素晴らしく、再見で筋書きが分かっていてもグッときてしまう。
情
友情、愛情、人情。もつれ合い、すれ違い、移ろいゆく私たちの感情。映画の中の数日の間でも変化していく関係性。エレベーターのように上がったり、下がったり。暗闇と暗闇の中に照らされる表情。留めておくことはできない。私たちの感情が照らされるのは一瞬。
東アジア的な「情」。私たちはやはり「契約」になじめない。経済発展からも取り残されつつある日本で、新しいつながりをみつけられるだろうか。
「タクシー運転手(孔子)」ってクレジットされていた。
2人の会話劇で紡ぎ出される展開が心地よい
タイトルは恋愛時代だが、恋愛だけでなく、友情と成長とが巧みに描かれている。
会話はおもに二人で行われるシーンが大半で、一見すると飽きがちだが、カメラワークが巧みで淡々と話しているだけでも引き込まれる。
今回は4Kレストア版ではあったが、35mmフィルムでみたほうが味が出る感覚もある。
『クーリンチェ』が長くて観られていないが、好きな作風なので、観てみたい。
2023年劇場鑑賞84本目
ずっと観たかった!
ずっと観たかったエドワードヤン監督作品!しかし4Kレストアで感無量です。綺麗!面白い会話中心のウッディアレン的展開ながら、アジア的価値観が見え隠れして、ちょっと共感してしまいました。ストーリーについては、90年代のヤン監督のインタビューを読んで納得しました。
手強い監督
エドワード・ヤン監督は個人的にリアルタイムで乗り遅れたので、本作で3本目の鑑賞となりますが、まだこの監督の作風的概要が掴めないままで、本作を見て益々分からなくなった気がします。
鑑賞した3作品共に傑作だと客観的には認められるのですが、テーマ性だとか作家性などの部分でまだ捉え切れない感じがしています。
特に本作を見ていて、「なんかウディ・アレンの作品みたいだな」と思って見ていたのですが、後でYOU TUBEの関連解説動画を見たら、本当に監督自身が「次は、ウディ・アレンの様な作品を作るぞ!」と言って出来上がったのがこの作品だったようです。なので、他に見た『クーリンチェ~』や『ヤンヤン~』などとあまりにも作風が違っていたので、益々エドワード・ヤンの謎が深まりました。
しかし、本作のあの膨大な情報量の台詞などをとっても、今回は意味があるのかないのか分からない様な、それこそウディ・アレンやエリック・ローメルや多くのイタリア映画などの様に、台詞量だけに圧倒されてしまうのだが、もし台詞が聞こえなくても絵だけで物語が成立するという映画作りの巧みさなどを見ると、やはり凄いと思わせる監督であることは間違いなく、至る所に人間洞察の深さ、作劇の凄さを感じてしまいました。
もう少し時間をおいてからまた見たい作品です。
幸せって何だっけ?ポン酢しょうゆのあるうちさ。
老いや貧困、差別、或いは企業ドラマみたいな昨今のトレンドとは無縁の映画。ちょっと一昔前のトレンディドラマっぽいかな。映画を観ながら青春群像劇として当時人気があった「愛と言うの名のもとに」を思い出してしまいました。(ちなみに件のドラマは調べたら、なんと20年前の放送だそうで。歳とるわけやな…)
満たされた世界で孤独を感じる人々。人はどの立場にあっても常に悩みから逃れられない生き物なんだなとつくづく思いました。映画が古臭くならないのは現在でも、いやむしろ現在の方が、多様な価値観に翻弄されて幸せを感じにくくなってるからなのかも知れません。あと恋愛時代とタイトルは付いていますが、言うほど恋愛で苦悩してるかぁ?とも思いました。恋愛ってか、欲しがってるのはそもそも愛だしね。
繋がった関係性
最初から登場人物が入り乱れて相関図がゴチャゴチャに纏まらなくて戸惑いながらこのまま把握出来ずに観終わってしまう恐れを感じながら、何となくタクシーでの口論から其々の繋がりも理解しながらエドワード・ヤンの自由な映画作りがぶっ飛んでいる感覚ヲ。
重苦しくて暗い雰囲気の群像劇に確かな主人公が存在する作品を何本か、本作に限っては明るくも深刻でありながらコミカルな描写が印象的で複雑に絡み合う人間関係が狭い世界観で繰り広げられているようで、学生時代の関係性が映像で描かれない分、過去も想像しながら登場人物に共感するより傍観しながらラストは清々しくも複雑な関係性を残しながら。
解決される物語があるよりも一歩だけ先に進める人生が訪れる展開に終わらない物語としての醍醐味が!?
エドワード・ヤンの群像劇
まあまあ、が基本ずーっと続きます(笑)
評価が高いみたいだから観たんだけど、なんかガッカリ(笑)
登場人物が多くて名前と顔を覚えるのが大変で、こんがらがるし(笑)
90年代の台湾が舞台ですが、90年代の日本と似た感じもあって、なつかしい。
なんか、当時のトレンディドラマっぽいタッチかも?
僕は、同じ群像劇で、同じアジア圏の、ウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』の方が好きです。
『欲望の翼』は哀愁を帯びててノワールっぽくて、
この映画はコメディ色ありながら綺麗っぽくて、
そんな感じかな。
一国二制度の生み出した奇跡
最初の方は正直退屈で失敗したかと思った。4組8人の男女の恋愛模様というかすれ違いや新たな結び付きが描かれる。登場人物が出揃ってそれぞれの事情が明らかになってきたあたりからは俄然面白くなる。
年代からいって日本のトレンディドラマの影響は見受けられるが何というかあれをもっと昇華させたイメージ。生活感がないのは同じだが日本のトレンディドラマが描ききれませんでした、気配りが足りませんでした、といった言い訳満載なのに対し、恋愛事情に関係ないのでバッサリ切りました、といった潔さが感じられる。カッコいいレストランやカフェも出てくるが書き割りみたい。
つまり極めて演劇的なのである。肉体性も薄く(ベッドシーンも一箇所だけ)ドロドロした部分はなく何か形而上的に全員が恋愛の成就をトロフィーとして競っているようにすらみえる。
だからシェークスピアの喜劇「から騒ぎ」「ウインザーの陽気な女房たち」なんかに近い作劇センスを感じた。バーディーとかモーリーとか英米名でファーストネームを呼び合ってるとこからの連想もあるけど。監督もエドワードだしね。
1994年というと一国二制度が奇跡的なバランスを保っていた時代。政治の安定と経済の発展は個人の希望と野心を生み出し文化の成熟につながる。この時代の台北ではこんな知的な恋愛喜劇がつくれたんだなとしみじみ思う。
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