劇場公開日 2013年12月21日

「ライアン二等兵は宮部久蔵の夢を見るか?」永遠の0 蒔島 継語さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0ライアン二等兵は宮部久蔵の夢を見るか?

2014年1月17日
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鑑賞方法:映画館

泣ける

興奮

かつてスピルバーグは「プライベート•ライアン」で、物語の敗北を描いた。劇中、その象徴として、色褪せた星条旗を掲げてみせた。冒頭のオマハビーチで、ナチスドイツのMGがアメリカ軍の兵士をバタバタと薙ぎ倒すさまを執拗に描くところから、ひとりひとりに宿る人生や意思といった「物語」を徹底的に破壊していった。あの映画の中で唯一物語が語り得られたのは、エンディングのわずか数分間であり、そのちっぽけな物語ですら、あの色褪せた星条旗にあっという間に回収されて行った。

スピルバーグは、戦争という情け容赦ない状況の中にあって、物語というものがいかにひ弱でもろく頼りない物であるかを語った。

では、「永遠の0」はどうだろう。

ヒューマンドラマである。ガチで。原作がブ厚いのを2時間かそこらにするんだから、枝葉は綺麗に取り去っている。新聞社が製作にまわっているから、メディア批判のくだりはバッサリカット(笑)。駆け足であの太平洋戦争を追いかけながら、描かれるのは宮部という男の生き方である。

「戦争と個人を描く」という点で、プライベート•ライアンと永遠の0は同じ地点から出発する。が展開は真逆を征く。

戦争観の違いもあるだろう。個人的には、戦争という状況、事実に触れる時には、情は排するべきだと考えているので(祖父が帝国陸軍中尉だった)、いち個人の足跡を辿りながら戦争の姿に迫るという手法には「危うさ」を感じるし、悲惨な状況の前でいかに物語が無力であるかは知り得ていたから、原作も注意を払って読んだ。

永遠の0の原作の価値は、いま一度かつての戦争への興味を読者に持ってもらうことに尽きると思う。なにしろ主人公とその物語が膨大な取材に基づく「フィクション」なんだから。その上で、映画はその原作の精神をなるべく忠実に再現するよう努力しているようにも思う。

劇中でも、主人公の祖父が「物語」に言及する場面がある。そこから駆け上って行くクライマックスには•••正直、肩すかしを食らった。山崎監督のチカラはこんなものなのかと失望すら感じた(ヤマトという前科もあったので•••)。やはり物語は敗北したのか。

その直後、この映画で最も観たかったシーンがスクリーンにぶちまけられた。原作でありありと浮かび上がったあのわずか数分間の出来事が、スクリーンいっぱいに迫る。息をするヒマもなかった。

あなたの中で、ひとりの生き方は、人生という物語は勝利するだろうか。

蒔島 継語