「野暮だとわかってはいるが」ロボコップ ko_itiさんの映画レビュー(感想・評価)
野暮だとわかってはいるが
野暮なのは承知なのだが、どうしても旧作『ロボコップ』と比べてしまう。旧作はレーガン政権後の新自由主義を茶化した内容だったが新作は「監視社会とロボット兵器が融合したらどうなるか?」+「人間への回帰」だ。監視社会は実現しているしロボット兵器は実現しつつある。だから作り手がこれを主題にするのは当然なのだろう。冒頭の中東とノートンが初めて登場する(両腕を無くしたギター奏者に弾き方教えるところ。ここはクライマックスの伏線にもなっている)シーンがそれを物語っている。やりようでは面白くなる映画だ。
だけど、うまくいってはいない。大きな理由は三つある。旧作と比べながらで言うと。
一つ目は人物の描き方が標準的なこと。
旧作ではオムニ社の人物を徹底的に醜悪に描き他の人間を悪人も含めて普通に描いていてその落差がメリハリになってテンポある展開を生み出せていたのに新作はそれをしていないため平坦な展開になっていること。
二つ目は新作はマーフィの自我を初盤から目覚めさせていること。
旧作では中盤で悪党が自分を殺したのを知るとロボコップからマーフィへの自我が目覚める展開で、悪党&黒幕への襲撃は殺されたマーフィの怒りが爆発する要のところだが、新作はマーフィの自我は途中で無くなるために要が弱く成っていること。
三つ目はマーフィ演じるジョエル・キナマンの目力が弱いこと。
ロボコップの演技は寝たきりの演技と同じなので、目の印象は大事な要素になる。旧作のマーフィを演じたピーター・ウェラーは目力があったからロボコップのキャラが立っていたが新作では目力が弱いためロボコップの印象がイマイチなこと。
マイケル・キートン演じるセラーズはジョブズやベゾスを思わせるようなキャラで現在ならではの成功者だし、ゲイリー・オルードマン、サミュエル・L・ジャクソンの演技も良い、旧作を観ている者ならニヤリとするシーンもあるのだけど……