推理作家ポー 最期の5日間 : 映画評論・批評
2012年10月2日更新
2012年10月12日より丸の内ルーブルほかにてロードショー
死体への変態的な敬意がみごとなまでにないミステリーサスペンス
エドガー・アラン・ポーが亡くなったのは1849年、彼が40歳の時だが、その年齢までに書いた詩、短編群が世界にもたらした影響力は計り知れない。たとえば「モルグ街の殺人」、新聞を賑わした現実の事件、美女の水死体に推理のメスを入れる「マリー・ロジェの謎」(「ツイン・ピークス」的)に登場の高踏派推理マニア=オーギュスト・デュパンと書き手<私>の関係は、そのままコナン・ドイルのシャーロック・ホームズとワトソンの関係の原型となる。編集を含め、生計の主戦場は雑誌、新聞であり、ポーは読者へのウケを計算高く論理的に突き詰め、それがスキャンダラスで冷ややかな耽美にいたる眼高手高の天才であった。
ポーの死はいまだに謎をはらんでいて解明されていない。そこを突いての、こちらは眼高手低気味ながら興味深いフィクション上の解明が「推理作家エドガー・アラン・ポー、最期の5日間」である。「モルグ街の殺人」から、「アモンティリアードの樽」まで何篇かのポーの殺人小説になぞったかのような事件が相次ぎ、ポーを悩ませる。ポー(の小説)が作り出した模倣殺人犯との対決、というサスペンスを監督ジェームズ・マクティーグ(「Vフォー・ヴェンデッタ」)は彼の飲んだくれの最期の日々に組み込むのだ。「落とし穴と振り子」も模倣され、これがもっとも残酷な描写か。こうした試みは面白い。ただ、この模倣犯には殺人、そして死体への変態的な敬意がみごとなまでにない。模倣犯にないのではなく、監督にないのである。
(滝本誠)