「タランティーノ監督はアカデミー賞を狙わなくて良いのでは。」ジャンゴ 繋がれざる者 kobayandayoさんの映画レビュー(感想・評価)
タランティーノ監督はアカデミー賞を狙わなくて良いのでは。
2013年3月、TOHOシネマズ六本木ヒルズのスクリーン1にてオールナイトの最終回で鑑賞。
監督作でも、プロデュース作でも常に話題となるB級映画の鬼才クエンティン・タランティーノ。近々、最新作『ヘイトフル・エイト』が公開となり、それに合わせて、その前の監督作である『ジャンゴ-繋がれざる者-』のレビューを投稿しようと思います。
時は南北戦争の直前。黒人奴隷のジャンゴ(ジェイミー・フォックス)はある夜、雪道を移動中にドイツから現れた歯科医にして賞金稼ぎのキング・シュルツ(クリストフ・ヴァルツ)に助けられ、一緒に行動を共にしながら、賞金稼ぎのイロハを学び、領主のキャンディ(レオナルド・ディカプリオ)の奴隷となった妻ブルームヒルダ(ケリー・ワシントン)を助けに向かう(粗筋は以上)。
タランティーノ監督の過去作でゲスト監督を務めた『シン・シティ』以前の『キル・ビル』まではVHSかDVDでしか観た事が無く、本格的な監督作を劇場で観たのは『デス・プルーフ』からで、これが三本目の鑑賞作となり、『デス・プルーフ』と前作『イングロリアス・バスターズ』が素晴らしかったので、本作への期待度は高い方でした。しかし、この作品は過去作と比べても、比べなくてもつまらないと思います。
タラ監督はデビューした頃から、賞レースに絡み、受賞は逃しても、アカデミー賞やゴールデングローブ賞に必ずノミネートされ、高く評価されていますが、文芸作品や伝記映画、壮大で美しいエンターテインメントを追求した作品でなければ、受賞できず、何度もノミネートされては、ただ、そこに並べられるだけの存在に過ぎなかったタラ監督は本作で歴史批判やジェイミー・フォックス、クリストフ・ヴァルツの既に一度、オスカーに輝いている俳優やノミネートされても、未だに無冠な状態のディカプリオを起用して、「俺のようなムーブメントを起こせる奴が取りに行かないと、B級映画は永遠にアカデミー賞を取ることは出来なくなる」と言わんばかりの感じの作風を目指しているのは伝わってきますが、それを優先して、タラ監督が得意とする長い会話のなかにあるユーモアや予想もしないド級の展開などが少なく、アカデミー会員に気を使って、残酷描写も生温く、緊迫感に欠け、全体的に盛り上がりが少ない形で始まって、終わるので、何だか勿体無いとしか思えない印象を持ちました。
タラ監督は自身のファンの想いに応え、「俺のファンが観たがっているモノは、俺が観たいモノなんだ」という信念で力作を作り、近作のみで語るのは間違っていますが、『デス・プルーフ』ではCGを駆使したカー・アクション映画に渇を入れるかの如く、スタントと本物の車を使って撮影したカー・アクションで観客を魅了し、『イングロリアス・バスターズ』では第二次大戦を題材とした戦争映画に挑戦しても、娯楽のエンタメ作を維持し、カメラワークや長い会話、普通では思い付かない話と全てにおいてクセ者なキャラクターを多数登場させ、それを豪華な出演者を起用して、見事に描いてみせたので、本作にも、そういう“タラ監督にしか出来ない”作品を期待していたところがありますが、正直、説教臭さに溢れていて、「タランティーノ監督の新作を観に来た」というよりは作品そのものはフィクションで、マカロニ・ウェスタンの現代的な再現なのに「黒人奴隷に関する歴史の授業を受けている」という気分となり、映画を観ているという気持ちになれなかった所があり、何を描きたかったのかが伝わってこなかったので、これはダメだなと思うことしか出来ません。
この作品ではクリストフ・ヴァルツが二度目の助演男優賞に輝き、タラ監督も二度目の脚本賞を受賞しただけで終わり、本気でアカデミー賞を取りに行っても、いつもの通りの結果(彼は一部の映画人の娯楽に過ぎないオスカーを目指すよりもカンヌやヴェネチア等の世界中の映画人が評価する映画祭を目指して作品を作った方が良いのではないでしょうか)となり、本作の最も面白いシーンはタラ監督の登場シーンと回想シーンでの色褪せた感じの映像表現という点のみで、そこは本作が目指したブラックスプロイテーション映画のオマージュに納得がいき、“グラインドハウスの精神を甦らせる”という『デス・プルーフ』の頃から掲げていた目標をタラ監督が持っているというのを分からせてくれたので、良い点も僅かにありますが、個人的にはタランティーノ作品のなかで最も面白くなく、彼の作品だとは思いたくありません。今度の『ヘイトフル・エイト』では、今回のような印象を持たずに楽しめたら良いなと思いながら、期待したい(予告の印象ではキャスティング、話の双方でオスカーを狙っていないように見えます)です。