そして父になるのレビュー・感想・評価
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親子の信頼関係
子育て奮闘中の自分にとって、とても刺激的な映画でした。リリーフランキーの様な父親になりたい!⭐️5です。
特に印象的だったのが、リリーフランキー「どれだけ子供と一緒に時間を過ごせたかだろう」です。
日々、子供と過ごせる時間を大切にしたいと思いました。
やがて親は子に乗り越えられる
人は一度は自分はこの家の子供じゃないのではないかと、思ったことがあるのではないだろうか。98歳で亡くなった私の父は、大学では学生たちから敬愛され、それなり威厳を保っていたが、家では暴君。それでいて小心で気が弱く、亡くなるまで自分が長男なのに、実の母親から愛されず無碍にされていた、と娘の私に「告白」しては、子供のようにグジグジすることがよくあった。そんな大人げない人は 父だけかと思っていたら、親しくなった人の中にも、自分がもらいっ子だと思い込んでいる人が何人かいて驚いたが、再婚したオットまでが、同じようなことを言い出すのには、閉口した。世の中は「心の孤児」、「充分愛されなかった、もらいっ子みたいな子」、「みなし児みたいな寂しい子」で、あふれているのかもしれない。
映画「そして父になる」を観た。英語のタイトルは「LIKE FATHER LIKE SON」
監督:是枝祐和
キャスト
野々宮良多:福山雅治
野々宮慶多:二宮慶多
斉木雄大 :リリー フランキー
斉木琉晴 :黄升呟
第66回カンヌ国際映画祭2013年に出品された時に、上演後10分間のスタンデイングオベーションを受けて話題になった作品。
映画のストーリーは、
病院で赤ちゃんを取り違えられた二組の親たちと子供たちのお話。子供が6歳になり小学校に入学するために受けた血液検査で、一組の親子がじつは親子ではなかったことが分かり、同じ日に生まれた赤ちゃんが、間違って別の親に引き取られて育っていた事実が分かった。自分の子供として6歳になるまで育てて来た子供が、血のつながった子供ではないことがわかった夫婦の苦悩は大きい。二組の夫婦は、病院で引き合わされ、提案に従って血のつながった実の親子に早いうちに戻すことが、子供たちにために良いと言われて、互いに子供たちが実の親に慣れるように、週末は子供を交換したり、一緒にピクニックに行ったりして互いに慣れるように、試してみる。しかし、当の二人の子供たちは、どうして自分が、親許から引きはがされなければならないのか、そして、今まで会ったこともなかった人の家庭に泊まりに行かなければならないのか、理解できない。強引な子供の交換に、二人の子供たちは混乱するばかりだ。二組の夫婦も病院を相手取って訴訟を起こすが、6年間育てて来た子供を失うことによって深く傷つく。というお話。
たった6歳の子供たちが、突然親から引き離されて、孤独の崖っぷちに突き落とされるような経験をさせられる姿が、可哀想で可哀想で、とても感情的につらい映画だ。
福山雅治とリリーフランキーの二人の父親の対比が、興味深い。エリート社員と、しがない自営業者。上向志向の塊のような男と、出世と縁のない田舎の電気屋。勝ち組と、落ちこぼれ組。都会暮らしと、田舎者。個人主義と、大家族。核家族と、祖父まで含めた6人家族。有名私立小学校と、公立。金銭的に余裕のある家庭と、やりくりに苦労する家庭。すべてが正反対の対称をなす二人の父親の違う点は無数にあるが、共通するのは二人とも息子を愛していて、自分が一番良いと思う育て方をしてきたことだ。
慶多の父親は有名大学を出て一流会社に勤めていて自分が子供のときに、親に遊んでもらった記憶がない。自分の子供にも、ひとりで何でもできるように厳しくしつけて来た。自分がそのようにして育てられ、それが一番良かったと思っているから、自分が育ったように息子を育てているが、息子は人が良くて競争心に欠けるところに、苛立ちを感じる。だから、琉晴の父親に、「子供と遊んでやってくださいね。」と言われて戸惑う。6歳の男の子にとって、野外で思いきり体を使って遊ぶ時期に、遊びのルールやほかの子供と遊ぶ社会性を培う基本を父親から教わることができない子供は不孝かもしれない。しかし、だからといって子供と一緒に泥だらけにならない父親が悪い父親だとは思わない。
私自身、親に遊んでもらったことなどないし、七五三も、ひな祭りも、子供の日も、成人式も、誕生日でさえ、親に祝ってもらったことなど一度もない。学校で他の子供の話を聞いたりして、自分の親はよその家とは違った変な家なのだと自覚したが、よその子供を特にうらやましいと思うこともなかった。
慶多は仕事が忙しくて自分をかまってくれない父親をみて、いつもいつも寂しかった。それがいつも子供と遊んでくれるお父さんが本当のお父さんだと言われて、父親が迎えに来たときに「パパなんかおとうさんじゃない。」と言い放ち抵抗する。しかし、慶多がもう少し大きくなったら、一緒に泥だらけになって遊んでくれる父親よりも、知識が豊富で聞いたことに何でも答えられる知識人の父親や、難解な数学を教えてくれる父親の方が頼もしいと思うようになるだろう。頼りがいのある親もそうでない親も、出来の悪い親も、優秀な親も、子供はそれを自分の親として、じきに認識するようになる。そして、いずれはどんなに優秀な親も そうでない親も、子供から否定される時が来る。親は否定され、子に乗り越えられていくものだ。
一方、父親の側から考えると、子供に何を期待しても期待通りには子供は育たない。子供の性質は変えられない。子は自分の性質を持って生まれてくる。おっとり型マイペースで、他の子供との競合を嫌う子供もいれば、競争が楽しくて仕方がない積極的な子もいて、それらの特質を兼ね備えて子供は生まれてくる。親は子供のそういった特質をよく見て、良い点が伸びるような環境を整えてやることができるだけだ。
慶多はピアノが好きではないが、自分が練習するとピアノを心得ている父親が喜ぶので、練習を続けている。しかし慶多はそんな環境が合わずピアノをじきに止めるだろう。親がピアノを買い、小さなときから先生のところに通い叱咤激励してきた親の期待は無駄になる。
一方、琉晴は田舎の大家族で、家計のやりくりに苦労する家庭で3人兄弟の長男として育ってきたから、慶多のようにおっとりはしていられない。本当の父親の負けず嫌いや競争心の強い気質を受け継いでたくましい子供になっていくだろう。やがて知識欲を充分満たしてくれない心優しい父親を疎ましく思い、自立心の旺盛な子供になるだろう。そのようにして、父親は子供に乗り越えられていく。
親は子供が成長するごとに何度も何度も自分の期待を裏切られ、そのことによってありのままの子供を愛し、見守っていくことになる。
この映画では6年間、育てて来た子供が自分の子供ではないことが分かり、子供を本来の親のところに交換したあと、もう互いに会わないようにしようと 親同士で約束するが、子供たちは育ての親のところに帰りたがる。親たちは、どちらの子供を育てていくのか、結論を出すことができない、というところで終わる。親には、結論など出せない。決めるのは子供たちだ。子供が親を親と認識するまでは、決定することなどできない。映画の中で、病院で起きたことのために「私たち家族は一生苦しむことになる。」という台詞が繰り返して言われる。
そうだろうか。
子供の成長は早い。いずれ子供は親を乗り越えていく。いずれ子供は親を必要としなくなる。親は、子供のことを心配するより自分の心配をした方が良い。自分が老いて子供にめんどうをかけずに済むように、子供の世話にならずに上手に老いていけるように準備することだ。
ちょうど映画を観た後、アメリカの実際の赤ちゃん取り違いを追ったドキュメンタリーフィルムを観る機会があった。病院の手違いで小学校低学年の女の子が、血の繋がっていない親に育てられていた。同じ日に生まれた二人の女の子は、同じ小学校に通っていた。親たち、4人が顔を合わせて深刻な話し合いを続けた結論は、4人の親で2人の娘たちを 同じように可愛がって育てようということになった。子供同士も親友になった。二人して、双子のように今日はこっちの家、来週はあっちの家というふうに学校から帰ってくる。「私たちにはパパが二人いて、ママが二人もいるの。」と嬉しそうに笑顔で言う女の子たちの姿は感動的だった。
子にとって親(親代わり)は多いほど良い。親にとっても子供が多い方が良いだろう。小さな土地で核家族では息が詰まる。親と子は、互いにもっとクールに生きていけたら良い。
映画では子供たちの演技が自然でとても良かった。監督の前作「誰も知らない」も、印象的な心に残る作品だった。この監督の次の作品が楽しみだ。
家族の対比がフェアじゃないが
二組の家族だが、リリー・フランキー側の家族に欠点や短所がまったくなく、ほとんどパーフェクトな家庭のため、福山側の短所ばかりが目立つ構成はちょっとフェアじゃないと思う。
福山も初期状態でさえ相当頑張ってるし公正な父親なんだが、対比される相手側があんな理想的な家庭だなんてちょっと可愛そうになってしまう。そりゃ負けますわ。
リリー側の家庭にもう少し顕著な短所を出していたら、もう少し考えさせられる映画にできたと思う。
福山の意識を変えるきっかけは、例の看護師に「誠意」を返しに行ったとき、旦那の連れ子が必死でカーチャン守るためにメンチ切ってるシーンが最も大きな山場だよね。なんでもないシーンだけど、その後の連れ子に対する福山のリアクションを含め、僕はあそこが一番感動した。
思ってたより。。。σ^_^;
始め野々宮夫妻は役者が2人とも独身のせいか親には見れなかった。ストーリー的に父はわかるがママも?なんかぎこちなさを感じさせる。
始めのクールな父親キャラも、子供を交換した時、自分の生い立ちも義理の母に育てられたのに何故にそんな接し方???と、共感は全く出来ない。別々に暮らすことにしたシーンや、思い出すシーンは泣けるけど、結局どうするかわからず終わる。ストーリーは取り違えの原因以外はまんまだったし、最後の方に急ぎ足で良いパパになってきて、、、うーん。ちょっと長くて飽きちゃった。なげっぱなしで観る側に考えさせたいならこんな長くなくても。。。子供とちゃんと向き合って無い人ほど身につまされるかも。私にはアカデミー作品ってほどじゃなかったかな。
スパイダーマンって、クモだって知ってた?
映画「そして父になる」(是枝裕和監督)から。
子どもの取り違え事故をテーマにしながらも、
どこにでもいる「父・子」のコミュニケーション、
その難しさを感じながら、メモを振り返った。
物語の前半とラスト、2度に渡って登場したフレーズ、
「スパイダーマンって、クモだって知ってた?」
息子の知らないことを教えてあげるのも、父親の役割。
さらに、息子が自慢げに話すことに、へぇ~と
驚いてあげることも、父親の役割、と教えてもらった。
「もちろん知ってたよ」と大人の会話をするのではなく、
「ううん・・初めて知った」と答えてあげることが、
子どもの好奇心をくすぐることになるし、
パパの知らなかったことを、自分が教えてあげたという
ちょっとした自慢から、子どもは自信がついていく。
だが、子どもとの時間を最優先する父親は羨ましいけれど、
実際は、仕事を最優先しなければならないのも現実。
だからこそ、些細な会話で子どもとの関係を保つ努力は、
こういった何気ない気遣いが必要になるのだろうな。
もっと早く知りたかったなぁ、こういうことって。(汗)
P.S.
子どもが弾くピアノ曲「チューリップ」がキーワード。
「どの花みてもきれいだな」が、子育ての基本だものなぁ。
家族の映画として、イチオシです。
6歳になった子どもが、実は取り違えられた子だと知ったら。そんな事件を通して、子どもの愛し方を見つめ直す父親の話。
最近父親になった僕としては、とても入り込める作品で、久しぶりに家族を考えるいい映画に出会ったなあという感想です。これは子どもがいない人にはつまらないかもしれませんね。感情移入して、淡々と進む中で自分自身でも葛藤して見ると、すごく良い映画だって思えます。
わかりやすさのために大袈裟な対比になってますし、俳優の割り当ても対比が明確で、より入り込みやすい作りになっています。真木よう子は福山側かなあ…とも思いましたが、わざとですかね。どちらもお母さんは素晴らしいと思います。でも結果的に交換してしまうことになるのは、ダメですね。身を張って防がないと。
最終的に、どうなったんでしょうね。私としては元のままに戻る推しでしたが、一回交換して暮らしてしまってるから、正直ベースで両方の親を続ける、但し血のつながる親元で暮らす、という感じなんですかね。
福山も、けして初めから父になれてなかったわけではなくて、終始一貫して、子どもを愛しているのは感じました。カメラを見たときの涙が証明しています。だからこそ、慶太くんもいい子で頑張ってるんだって。そこが救いですね、それすらない父親も世の中にはいて、片方がそうだときっとまた全然違う話になりますね。ビジネスライクをやめる、ってのが福山の成長ですかね。
後は、まさかの故意の交換でしたが、あの助産師には罰を受けてほしい。夫の連れ子がお母さんを守るシーンも印象的でしたが、その身勝手さと与える影響の大きさに対して、何らかの罰を与えたいと思いました。
見終わってスヤスヤ眠る子の顔を見て、明日からも愛していこうと誓うのでした、いい映画だった!
父より母と子の問題
暗い話になりそうだと少し敬遠してたけど、重た過ぎず、だからと言ってリアリティがないわけでもなく僕的には良いバランスだった。取り違えが発覚した時の冷静さだけは「?」だったけど、あとはタランティーノの真逆で是枝監督は重要なカットしか撮ってないように思え引き込まれて泣けた。音楽も意図して抑えてあると思うんだけど単純な僕は壮大な音楽でも流れてたら一生分の涙が出たと思う。是枝作品の子どもの演技はズバ抜けている。
本当の意味で父になるということ
ひどく簡単に言うとイケメンで大手の建設会社の社員でホテルみたいな家に住んでいる完全な勝ち組の良多が子供のとり違いという突然の不幸により,今までの自分が自信を持って信じてきた父権主義的な子育て観を打ち砕かれ父親として成長するという話。
キャスティングが神的に素晴らしかった。
とり違い相手の斉木家の親のリリーフランキーと真木ようこは良多と対極的な個人営業の小さな電気やでカカア殿下だけど夫もしっかりしてて締める時は締めるっていう良多とは違うすごくかっこいい父親だし,すごく温かみのある家庭はみていてほっこりしたし,良多が全く違う価値観の家族を自分の思う通りにはできなくて挫折を味わうところなどはイケメン・金持ち・勝ち組とかいけ好かないわーと感じている自分には気持ちよかった。
演出も過剰ではなくむしろ抑え目だがしっかり伝わるように作られているし,心理的な面で人の子育てはやはり親の影響をすごく受けてるんだなあとか親の養育態度による子供の影響とかいろいろ考えさせられた。
子役も役というより本当の子供にあっている感覚にとらわれた。DVDでたら絶対また観る。
良かった言葉
似てるとか似てないとか、そんなことにこだわっているのは、子どもとつながってるって実感のない男だけよ
子どもは時間だよ
もうミッションはおしまいだ
観後感が良い
数日前に凶悪を見たので、リリーフランキーの振れ幅にゾッとするが、この父親役もとてもよかった。
福山雅治は、嫌な奴だが、最後はこちらも泣いてしまった。
是枝作品の子どもの描写はやはりとても好き。
まさかこんな話だとは、
子供を取り違えて育てた二つの家族の映画、という知識しかなくて鑑賞。
びっくりした。
福山雅治さん演じるお父さんが、まー嫌な役。どうしても妻の立場から観てしまうため、ムカつくくらい嫌なお父さんなわけで、えっ⁈こんな感じの映画なの?と思ってしまいました。
話としては面白いと思うけど、努力していって本当の子供と遊ぶようになるお父さんは、結局自分の本当の子供とは住めなかったことがどうも後味が悪い。それなら育てた子と遊ぶシーンが欲しかった。そして、私はどうしても子供の相手をしてあげなかった父親を変わったとはいえ受け入れて観てあげられなかった。
しかし、リリーフランキーさん演じる相手家族のシーンはとても子供達が楽しそうですごく良かった。
そして父になりたい
独身です。
期待せずに観に行きました。
難しいテーマです。
とても現実的な内容です。
明解な結末はありません。
ただ2カ所、心にくる場面がありました。
詳細は省きますが父親同士のセリフの中で
「時間。時間だろ。」
血よりも子供と一緒に過ごす時間が大切ということ。
もう1カ所は、寂しそうに玄関の前で座り込んでいる子供を
なだめた後に何も言わず抱きしめる実の母親。
なにか大切なことを気付かされました。
是枝監督らしい
「そして父になる」を鑑賞。
この監督作品は未見だったので、この本作を見る前にDVDで2作品を観ました。
「誰もしらない」と「歩いても歩いても」。
日常の何気ない一遍を切り取って映像に組み込む手法と、「歩いても歩いても」に至っては、事件らしい事件が起こらずに最後まで見せるストーリー展開が凄いなぁと思いました。
そして両作品とも子役が本当に活き活きとしているのがとても印象的でした。
6年も過ごした自分の子供が実は他人の子だったら?
映画「誰も知らない」は実話をベースにしていたが、この映画も実際に起こった話を元にしている。
本当の子供を選ぶのか、一緒に過ごしてきた子を選ぶのか?
どちらも選べない、選べるはずもない。
ハリウッドでもリメイクが決定しているようですが、日本人的なわびさび演出が顕著な是枝版「そして父になる」に対して、ハリウッド版はストレートに感情にうったえてくる作品になるんでしょうね。
何であれ、こう言うテーマとして難しい作品を提供し続けられる是枝監督は現代において貴重で、後々語られていく監督になるんだろうなと思いました。
他の作品も觀てみよう(^^)
父親像とは何か
出産後に入れ替わった我が子。
その事実を突然知った2つの家族。
都会の高層マンションで暮らす一人息子の慶多と郊外で町の電気屋を営む3人兄妹の長男琉晴。
エリート思考が強い慶多の父は、琉晴の家族を見下していた。
病院側から子供達を早く入れ替えた方が良いと言われそれぞれの家に引き取るのだが…
慶多同様に育てようとする良多に反発する琉晴。
とうとう琉晴が姿を消した。
電気屋の家に帰っていたのだ。
慌てて連れ戻しに行く良多だったが、玄関先で聞こえる良多の声に会いに来てくれたのだと思った慶多はショックを受ける。
対照的な2人の父親。
子供と共に遊び、風呂に入り、子供の言葉に耳を傾けスキンシップをとる父親と、教育重視でおとなしく躾けるエリート思考な父親。
良多の父親像はおそらく自分の父親だったのかもしれない。
職場の上司に「今は時代が違う」と言われハッとする。
カメラに残された慶多が撮った写真を見つめ慶多への愛しさを実感する。
慶多に会いたい。謝りたい。許してもらえるだろうか。
ようやく父になれた良多はこの先どのような決断を選んだのか?
価値観の違い、を描いてる?
話題作ということで鑑賞。はじめからさほど期待はしていなかった。共感もできず、ただ、ただ、主人公の言動について「違和感」と「不快感」をずっと感じながら鑑賞した。
互いの家族が、対比される光景。
これは、「取り違え」事件を題材にしつつ、その「事件性」には大きく触れず、あえて、そうしないことで「時代」「父という存在価値」のズレや、正しさなどわりと「私小説的視点」を観客に与える作品なのではなかろうか、と感じた。主人公が唯一、主人公ではない、という描き方。
その意味では一定の評価はできる。
大衆的で、素直な作品だと感じる。
しかしながら、ヒューマンストーリーとみるにはドライすぎる展開だと個人的には思う。
複雑な気分に苛まれながら劇場を出た。
劇中に数度、連呼されるごとくはなたれる「田舎ものは」というセリフ、ことば、これも確信的なのだろうか。時代錯誤性をあえて表象させる装置と考えても、あまりにも浅はかすぎると思った。
やがて親になる。
実際に起こった取り違え事件を原案に描かれた物語である。
「血の繋がり」か「過ごした時間」かという普遍的なテーマを
メインにしているが、これはなかなか選べるものではない。
大方は必然と(将来を考えて)血の繋がりを選ぶそうだが、
離れ離れになった他人の子を我が子と重ねて苦しまないか。
親なら何度考えても、相応しい答えが見つからない。
6年も(しかも生まれてからの)過ごせば愛情は計りしれない。
そして貴方の実子だと言われればもちろん愛情が湧いてくる。
元々選びようのない残酷な仕打ちを迫られる物語だ。
物語は淡々と展開する。ある日突然、取り違えを宣告された
夫婦二組は、事あるごとに場を設けては親子同士で対面をする。
いかにもエリート家の息子・慶多と、電気屋で育った息子・琉晴。
主人公の良多は自分と似ていない優しい性格の慶多が歯がゆい。
わんぱくで元気一杯の琉晴には手を焼いて逃げられてしまう。
子供が自分の思い通りに成長するなんてそんなことあるかよ、と
つい笑ってしまうのだが、母親同士のみどりとゆかりは納得の
いかない取り違えに憤慨しつつも、子供に精一杯の愛情を尽くす。
「愛せますよ、もちろん。」というゆかりの言葉に嘘はない。
母親は(というか女は)強いな、やっぱり!と思わずにいられない。
あたりまえじゃない、どっちも自分の可愛い子供なんだから。
(リリーが慶多の入学式をわざわざビデオ撮りするのも納得)
監督は独身の二人を父親に据えて、じっくりと彼らを追っている。
福山雅治はエリートというより神経過敏で小煩い父親という感じ。
彼の実際の性格がそうらしいので(爆)上手く出ていたなぁと思う。
片やリリーにはいかにもいい加減が似合う。子供相手にずいぶんと
振り回されて遊ばれたそうだ。金をケチっても時間はケチらない。
子供にとって居心地のいい家って、あんなタイプの家だったなーと、
今でも思うのだ。まず良多のような家に子供は遊びにいかない。
どちらの家にもリアルに良いところと悪いところがある。
子供にとってどちらがいいかなど、今の時点で言えるものではない。
結局15年以上(森林が育つのにも人格が育つのにも)かかることだ。
カンヌで審査員賞を受賞したとあって劇場は超満員。
ハンカチを持ったオバ様方がしかし、「泣けなかったわねぇ~!」と
文句を言いながら出ていく姿が、妙に気の毒で笑ってしまった。
是枝作品を観慣れていると今回のも観易いが、感動号泣を期待して
観てしまうと、エ?これで終わり?と肩透かしを食らうのかも。
しかし監督は、随所で非常に上手い演出をしている。
子供の自然な演技。いかにも良い子の慶多と、腕白坊主の琉晴。
どんなに可愛がられても「早くお家に帰りたい。」と訴える琉晴と、
良多から「これはミッションだ。」と告げられ、我儘を言わない慶多。
良多が、家出をした琉晴に昔自分も同じ様に家出したことを重ね、
慶多が残したカメラに「大好きなパパ」が映されているのに泣く場面。
ストローを噛み潰す行為を、同じようにリリーと琉晴が行うシーン。
実父が「血が大事だ」と言ったそのままを良多も拘ってしまうシーン。
親子だから似てしまう部分があり、親子でもまったく違う部分がある。
シーン毎の何気ない挿入の繰り返しが「絆」を多角度から描いている。
そして素の演技を醸す息子たちから、大人の俳優たちが自らの表情を
どんどん引き出されているのだ。これは観ていてとても面白かった。
ハリウッドでリメイクも決定したそうだが、どう作るのか楽しみだ。
(何はどうあれ子供の幸せを考える親と、親から学びとっていく子供)
これさん
もう、ほろっといってしまいました。
もし自分がお父さんだったら、号泣していたでしょう。笑
父親としての在り方はその家族でさまざまかもしれません。斎木雄大と野々村良多、両極端のお父さん。しかし、どんなお父さん、というのは問題でなく、子どもへの愛情はどんなお父さんでもかわらないよ。というのが、ラストにかけてわかってきます。野々村良多が息子の慶多が撮ってくれていた家族の写真を見返すシーン、泣けました。
話はかわって、オススメの見所は‥‥
真木ようこのウインクシーン。
僕にしてくれたウインクです。
さいこー
男って不器用だな
タイトルに”父”と書いてあるので男(父親)目線で描かれていますが、
女性(母親)目線のセリフも出てはきます。
割合にして6:4くらい。けどやっぱ男性描写が多かったかなあ子どもも男の子だったし。。
福山演じるエリートサラリーマンである野々宮良多は、子どもといるときは笑顔を見せて接しているが子どもがいなくなると仕事に没頭し
家庭はみどりに任せきりという典型的な父親像。
高級マンション(スカイツリーは見えるが一番上の部屋ではなかった(笑))や高級車を乗り回していてお金には困らず、
「(事が起こっても)自分でなんとかする」と言うが、子ども二人とも引き取ると目論んでいたが思うようにいかなくなり、
その時みどりにみごと言い詰められる。「あなた、なんとかするって言ったよね」。
「(事態を知って)やっぱりって、あたしそのことずっと忘れないから」みたいなことを言われる。
けど最後には良多の方から反省し、慶多を抱き寄せてやり直そうとする(ぎこちない抱擁ではあったが、、)
どなたかも書かれていました、いきなりの裁判シーン。そしていきなりの看護師からの告白。
「自分が離婚して悩んでいる時に他の家庭がうらやましかった」という動機。
それを聞いた2組の夫婦は(特にリリーさんは)もう少しで声を張り上げそうになるはど目を見張り驚く表情はしていましたが、
とにかく突然の話の展開でしたね。そんな動機でという。
参考文献でもあるそうなので実際でもそうゆうことって起こっているんですかね。
父親母親について描かれた作品なのではあるのですが一方では格差のことも表現しているとも思いました。
エリートと平凡な家庭の対比という。
平凡な田舎の小さな電気屋を営んでいて子供に対しては一緒になって遊んでいるが奥さんには頭が上がらないという役どころの
リリーさん。慰謝料を存分に食い物にして買ったものをすべて病院名義の領収書で切るという。
金持ちか、心を持っている人なのか。どちらが重要なのだろうか・・
父性母性というが、”母になる”ではなくて”父になる”としたのは、女性はすんなり母親になれるんだろうけど、
男はもしかしたらずっと不器用で子どものままなのかもしれないし、気付かされなければ変わらないのかもしれない。
慶多にカメラを上げるよとぶっきらぼうに言うが断られるシーンだったり(これは嫌われているのか?と思ったが実は後での伏線につながる)、
看護師に手紙を引き返すが子どもが出てきて何も言い返せなかったり、ルールを作って押し付けたり琉晴のピアノがうるさい!と怒鳴ったり。
子の心親知らずとも言いますね。
そうした中で最後のところで、
カメラで撮った写真を見ているうちに実は慶多は良多の写真を何枚も何枚も撮っていたことに気付く。
そこで、すんなりと涙が出て来ていましたねー福山、鑑賞者共に!?
(あの写真は本番まで福山に見せてなかったのかなあ?と思ったり)
父性だけでもだめだろうし母性も無くてはならないんだろうなとつくづく思ったりしている今日この頃。。
「家庭」という組織ではあるのですが、どんな「組織」についても当てはまるんじゃないかなあ?
あとそういえば母性と言えば、真木さんのウィンクもかわいかったです!(それも2回もやってくれて!惚れてまうやろー!(笑))
これ男の子が取り違えられたわけだったんですが、
もし女の子だったらどうだろうと思ったり。
もしくは母親(女性)目線とか?
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