「PTA監督の新たな金字塔」ザ・マスター キューブさんの映画レビュー(感想・評価)
PTA監督の新たな金字塔
ポール・トーマス・アンダーソンの作品にはいつも驚かされる。その中でも「ザ・マスター」は最も静かでありながら、同時に最も力強い作品でもある。見終わった後は衝撃のあまり、我を忘れた。
ストーリーにおいて動的な展開を迎えることはない。おかしな男が、やはりおかしな別の男と出会い、そして決別に至る話だ。大筋だけを捉えるとこれだけシンプルなのに、それを構成する一つ一つのシーンは忘れがたい。
その第一の要因として考えられるのは、出演者たちの筆舌に尽くしがたいほど素晴らしい演技だ。多くの作品では、登場人物のうち誰か1人だけが突出している。大抵は主人公だが、時には脇役が主人公を食うこともある。それがこの映画には当てはまらない。誰もが隙のない演技を見せ、決して無意味な存在となっていないのだ。(実際、多くの映画祭では俳優が特に評価された)
だがメインの2人、特にホアキン・フェニックスに敵うものはいない。あらゆる俳優たちを考慮したとしても、ここ数年で最高の演技を披露する。
彼が演じるフレディは明らかに精神を病んでいる。全身に怒りをみなぎらせ、瞳の中には希望の色などない。些細なことで暴力を振るうフレディを人が気に入るはずもなく、孤立していくしかない。いわゆる“はみだし者”である。こういったキャラクターはあまりにも突飛すぎて、魅力的にはなり得るが共感を呼ぶ存在ではないことが多い。だがフレディは違う。元々兆候があったとはいえ、絶対に人と馴染むことのできない彼を作り出したそのバックグラウンドは丁寧に描かれ、奇怪な行動からも人間味が感じられる。何より演じたフェニックスがフレディを単調に演じることがない
。彼の行動はすべて、複雑な感情から沸き起こったものであり、その根底には口で説明されることのない哀しみが漂っている。
そして「ザ・コーズ」を率いるランカスター・ドッドに扮するは、アンダーソン作品でおなじみのフィリップ・シーモア・ホフマンである。彼の演技はフェニックスのそれとは正反対だ。溢れ出る感情を抑えようとしない(または抑えられない)フレディと違い、ドッドは自分を嘘で塗り固め本性を出すことはない。というより、彼自身が自分のつく嘘を信じ込んでいるのだ。
多くのカルト宗教の教祖にありがちな性質だが、ホフマンにこの役はぴったりだ。自尊心過大で、自分がしているのは善行だと信じて疑わない。見ている私たちですら、口八丁手八丁で人を丸め込もうとする彼の魅力に取り付かれそうだ。基本的には善人であるからこそ、それにすがる人々を否定する気にもなれない。
正反対の性格である2人が出会って上手く行くはずがない。それなのに2人は惹かれ合い、互いを必要とする。
なぜならフレディは自分に真の情を向けてくれる人間を、ドッドは「ザ・マスター」としてではなく自分と接する人間を求めていたからだ。
多くの回想シーンで、フレディは昔結婚すると誓った女の子に対しある一種のトラウマを抱えている。彼女が自分を必要としなくなったことに気づいてはいるが、頭では理解しようとしない。唯一愛情を向けてくれた彼女を忘れられないのだ。だから代わりに“形骸化した愛情”としてのセックスを求める。その執着心は異常だが(このフレディのヴィジョンも見事に映像化されている)、あまりにも救われないその心は同情すら誘う。
そんな中出会ったのがドッドだったのだ。彼の組織「ザ・コーズ」はフレディにとって家族にも等しいものだ。誰もが優しく、フレディを治療することに献身的にもなる。まさに彼の理想像なのである。
そんなフレディをドッドは初め、信者としては迎え入れない。フレディが密造する酒を手に入れたかったから、仲間に率いれた。ここに教祖と信者という関係とは別のものが出来上がる。奇妙だが、対等な友情だ。さらにドッドはフレディを治療することに自らのアイデンティティを感じ始める。「非科学的でカルトのよう」な自分の理論を証明する最高のきっかけになり得るからだ。
でもそれは間違いなく上手くいかない。フレディは熱心な信者ではなく、ドッドの“友人”だからだ。彼を否定する者が現れるとフレディが怒り狂うのは、教義を侮辱されたからではなく、ドッドを自分なりの方法で助けるためだ。つまり、(「ザ・コーズ」風に言うと)1950年代の姿としての彼らは表面的な部分で決定的な違いがある。絶対に相容れることのない水と油なのだ。
だからこそ、どうでも良いような会話の場面ですらも重要となる。登場人物たちの微妙な感情の変化を見事に捉えているから、一瞬たりとも見逃すことができない。
特に最後の場面でのフレディとドッドの会話は印象的だ。歌を口ずさむドッドと笑いながら涙を流すフレディ。この映画の特徴である「不気味だが、思わず笑い出しそうになる。それでいて心を揺さぶる」シーンそのものだ。
まだまだ言いたいことはたくさんあるが、自分の中でも整理がついていない。だが一つだけはっきり言えることがある。「ザ・マスター」は紛れもない傑作だ。
(13年4月1日鑑賞)