「つまんね~ぇ!!!」ザ・マスター alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
つまんね~ぇ!!!
こういう真面目な話も結構好きなんですが、何だろうなぁ…いらん間を取りすぎというか…どうでも良いシーンに尺を使いすぎな気がしました。
内容としては淡々としているというほどでもないのに、ダラダラと退屈に感じ、20分くらいを過ぎたところで既に「勘弁してくれ!」って感じになってました。何とか最後まで見終えたものの、何も心に残らなかった…最悪です。
あらすじ:
第二次世界大戦を終え、アル中になっていたフレディは仕事を転々としながら、恋人の元へ帰ることもできず、最後の仕事では同僚に毒を飲ませた疑いを掛けられ、新興宗教の教祖ランカスターの船に忍び込む。フレディの造る酒(シンナー等が入ったとても酒とは呼べないもの)を気に入ったランカスターはフレディを傍に置き、フレディもまた、ランカスターの教えに興味を持ち、徐々に2人は依存関係になっていく。
設定だけ見ると面白そうな話なんですが、どうにもこうにも。タイトルが「マスター」なだけあり、テーマは「主従関係」だと思うのですが、非常にアメリカ的思考だなと感じたのが、中盤のランカスターの妻ペギーの台詞「身を守るには攻撃しかない。でないとすべての戦いに負ける。もし攻撃しなければ望むように支配できなくなる」。
自然相手ですらすぐに「支配するんだ!人間様が上に立つんだ!」のアメリカらしいなぁと感じました。
要するに、普通の(少なくとも日本の)人が見ても、「こいつら支配することしか頭にねーなー対等で良いじゃん仲良くやれよ」としか思えない。
パッケージを見ると、フレディを中心に、彼の後ろにランカスターが、ランカスターの後ろにペギーがいます。話の中でもこのまま支配権があり、フレディを支配するのがランカスター、ランカスターを支配するのがペギーです。
この宗教では、「何を言われても反応しないこと」を求めながら、懐疑派から「おかしいのでは」と言われて教祖であるランカスターがマジギレしたり、「自由になること」を教えながら教祖を「マスター(飼い主)」と呼ばせたり、矛盾だらけ。
実際ランカスターの息子も全く信じておらず、「本気で信じているのか?」と言われたフレディはマジギレ。でも、マジギレするということは、内心疑いがあるということなんでしょう。本気で信じてる人って、「何言ってんだこいつ?」って感じで怒るとか不快に感じるとか、そういう反応じゃありませんしね。
上に、少なくとも日本の普通の人が見ても理解しがたいと書きましたが、正直外国人の話を聞いてると、何事も上下、優劣、善悪など、はっきり2つに分けたがるというか、全てにおいて「どちらが支配する側か」みたいな考え方を無意識にしている人が多い気がします。
日本人でももちろんそういう人はいますが、概ね良くも悪くも「どっちでも良い」「どうでも良い」という人が外国より多い。
「皆が良ければ、それで」。この考え方は、外国では「主体性がない」と取られることがほとんどで、グローバル化した近年では日本でも悪く受け取られるようになってきました。が、個人的にはこの考え方で良い時も、少なからずある気がするのです。
日本で宗教が大して根付かない理由も、少し日本のことを知っている外国人は「日本人は不可知論者が多いからだ」と言うのですが(全然知らないと日本の国教が仏教だと思ってたりする)、日本人の考え方が不可知論?と個人的には疑問に感じるわけです。
「いるかもしれないし、いないかもしれない」ではなく、正確には「いてもいなくても、どーでもいい」じゃないか?と。しかも、日本は世界的に見ても最低限の教育は行き届いている。そういう人達に、何かを妄信させろというのが難しい話で、国内で発生した新興宗教はそういう日本人向けに最初から作っているからともかく、少なくとも外国から入ってきた宗教がパッと流行って浸透するということは考えにくい。
こうやって余所の国から入ってくる映画も、宗教的な内容だと日本で流行らないのは、「その宗教の人間じゃないから理解できない」のではなく「宗教の価値を説明されてもその必要性が理解できない」からで、信仰者からすると何故こんなに素晴らしい内容の教えなのに「必要性が理解できない」のかが理解できない。平行線です。
この映画では、信仰者達はランカスターの「教え」に深く共感してはいるが、ランカスター自身を見てはいない。ランカスターという人間の悩みなんて知ろうとも思っていないし、当然共感もしない。あくまで尊敬すべきマスターとして、そこに集っている。
フレディは、ランカスターの「教え」はよく理解できずとも、ランカスター自身の悩みに気付き、共感し、寄り添おうとした。だからランカスターもフレディを悩みから解放するため「教え」をより強く施し、フレディを救おうとした。
でも、2人の間にあるのは友情ではなく、共依存と支配し合う関係でしかなかった。
ランカスターはあくまでフレディを支配しようとし、フレディは支配から一旦は逃れたものの、結局逃れきれず(ランカスターに戻ってきてほしいと言われる夢を見るほど)ランカスターの元へ戻ってくる。最終的に、肉体はランカスターから逃れたものの、フレディの精神はランカスターの支配から逃れられないまま、彼の真似事をして物語は終わる。
結局、人間は「何に支配されているか」が変わるだけで、常に何かに支配されている。「何者にも支配されない」などということはどんな人間にも、決してありえないのだ、という結末でしょうか。
言いたいことはわかっても、やっぱり「重要なこと以外はフワフワしてても一向に気にならない」「どーでもいいから仲良くやろうや」の純日本人気質の自分には、特別思い入れることのない作品でした。
海がめちゃくちゃ綺麗だったことと、下品なシーンが多かったことしか印象に残ってません。とにかく支配支配。そんだけの話です。「対等」っていう言葉が微塵も頭にない人達の話。
誰かに支配されてるかって?
どーでもい~~~!