「”リアル”なファンタジー」チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢 キューブさんの映画レビュー(感想・評価)
”リアル”なファンタジー
監督のマルジャン・サトラピ自身による同名グラフィック・ノベルの実写映画化である。原作がコミックなので、全体的にファンタジックな作りになっている。サトラピがイランに帰国せずフランスに在住しているため、町並みも全てセットで製作された物である。それが逆にストーリーと相まって、見事なほどに調和している。
出演陣も素晴らしい。主演のマチュー・アマルリックは妙にぎょろっとした目で人を見つめ、ナセル・アリの失われた心をそのまま表現している。回想シーンと今現在の様子は見た目がほとんど変わらないのに、彼の目を見るだけでその2つが全く違うことが分かるのだ。
そのナセル・アリは物語のかなり序盤で死ぬ。その死ぬまでの8日間を描いている。はじめは自殺しようとして、いくつか方法を考えるのだがこのシーンが最高にシュールで笑える。そこから1〜3日目ぐらいまでは人の死生観を皮肉ったような描き方をする。極めつけは3日目の時。結局いい死に方が思いつかず、彼はベッドでじっと死を待つことにするのだが、3日目にもなると暇でしょうがなくなるのだ。なんとも滑稽だが、それと同時に妙にぞっとする。このバランスがとにかく絶妙なのだ(6日目はそのピークだろう)。
しかし、ナセル・アリの妻ファランギースのバックグラウンドが明かされると物語のトーンが変わる。彼女は普段の態度と違い、ナセル・アリを愛していた。そしてナセル・アリの愛を欲していた。なぜ愛されないのか理由も分からず、夫は空虚な目をするだけ。それでも彼女は彼を愛し続けた。初めは(その他の登場人物が言うように)ただのムカつく女だと思っていたのに、こんなエピソードを知ってしまったら、感動せざる負えない。この時点でやっとこの物語が「愛と死」の話だと判明するのだ。他に「愛と死」にまつわるエピソードで胸を打つのがナセル・アリとその母親の話。詳しくは言わないが、映画の中でも最も繊細で愛に満ちあふれている。
そして映画はナセル・アリの引き裂かれた恋の話へと向かっていく。バイオリンがいったい彼の何を象徴していたのか、その意味が分かったとき間違いなく涙するだろう。惜しむべきは一つ一つのエピソードが丁寧なせいで、映画全体が少々散漫であること。それでも徐々に一つのストーリーへと収束していく様は見事としか言いようが無い。
この映画の感動を文面で伝えるには限界がある。あなたの目で直接見てほしい。
(2012年12月12日鑑賞)