劇場公開日 2012年11月10日

悪の教典 : インタビュー

2012年11月6日更新
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伊藤英明&三池崇史監督の共犯関係が生み出した新たなピカレスク・ヒーロー

長年にわたって築き上げたイメージを払しょくするのは難しい。それも手の内に入れたキャラクターの印象が残ったまま、次に挑んだ役柄が公開されるとなればなおさらだ。だが、伊藤英明は新たなピカレスク・ヒーローを生み出した。生徒の人気は絶大で校長や同僚からの信頼も厚いカリスマ英語教師だが、サイコパスとしての一面も持つ蓮実聖司だ。“共犯者”は、5年ぶりに対じした三池崇史監督。師弟の会話は脱線と軌道修正を繰り返す。そこから「悪の教典」の魅力をひも解いてみた。(取材・文/鈴木元、写真/堀弥生)

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伊藤はインタビュー中、「裸になって」という表現を4度使った。別にひわいな意味合いではない。身も心も裸になって「悪の教典」に持てるエネルギーを注いだのだ。

「最初はサイコパスだからこう演じなければいけないと、どこかカテゴライズ的なことを頭の中で思っていた。けれど蓮実はどこか純粋で、動物的な本能を持っていると思うんですよね。だから頭で考えるのではなく。三池監督やスタッフの前で心を裸にして、エネルギーをぶつけられたらいいというのがありました」

それを受け止めた三池監督も、蓮実に対する認識は共通している。

「蓮実の二面性は、どちらも学んで身につけた業ではあるけれど自然にこなしている。だから、あまり芝居として意識しすぎない。記号のように演じ分けないというか境目がないわけですよ。ひとつだけ欠けている共感能力も、何の理由もなく欠落して生まれてきので、人に対する恨みとか理由はないんです。だから、共感できる人間ではないけれど、恐怖を感じつつも興味深く見ていくというのが、自分のこの映画に対するスタンスでした」

何事にも完璧な蓮実は、徐々に疑惑の目が向けられていることを敏感に察知し、立ちふさがる障害を排除していく。だが、予想外のアクシデントが重なり計画を変更。担任のクラスの生徒全員を殺害するという凶行に及ぶ。伊藤にとって、2004年から演じ続けてきた「海猿」シリーズの仙崎大輔とは対極にある役どころで、大きな挑戦といえる。

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「まさにチャレンジ。役者って、言葉が当てはまるか分からないけれど自信がないもので、毎回そうじゃなきゃ意味がない。役をいただいたときに、できないかもしれないけれどそれに全力で取り組んでいくことが大事だと思うんです。『BRAVE HEARTS 海猿』が公開された年に全く逆の役をやれる面白さと、恵まれているなという気持ち。加えて、ヒーローをやったからどこかいい人を出さなければいけないという思いがあったら、『海猿』のファンに申し訳ない。もう監督、スタッフ、キャストを信じて、裸になって全力で振り切るしかないという思いでしたね」

その決意はスクリーンに結実している。散弾銃を手に、情け容赦なく教え子を撃ち殺していく蓮実。しかも、ほとんど無表情でときに浮かべる薄ら笑いには寒気すら覚えるほどの狂気が宿っていた。

「常にニュートラルで演じていました。何も考えないというか無心でした、本当に。カテゴライズされたものが頭の中にあって、それが成立した場合にこれからの役者人生が狭くなると思いましたから。それはすごく怖かったし、だから裸になれたというのもある。役者の世界ってベテランからド新人まで同じフィールドで戦うわけじゃないですか? 魂のやり取りみたいなものだから経験も関係ないし、そのときに出たエネルギーだと思うんです」

三池監督とは、「スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ」以来、5年ぶりのタッグ。観客に見てもらうまでが俳優としての責任だという伊藤は、あらためて現場でありったけのエネルギーを放出する大切さを学んだという。

「監督は、時間も予算も役者もスタッフも全部使い切るんです、倒れるまで。それほどのエネルギーを持っているので、本当に童心に帰ってピュアな気持ちで作品に取り組めたことが楽しかったし、必要なことなんだと思いました。本当にクオリティの高いものにしようという熱意のある現場で、ものの捕らえ方や人への対し方は“三池塾”でもう1回ストイックに教え込まれた気がします」

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インタビュー2 ~伊藤英明&三池崇史監督の共犯関係が生み出した新たなピカレスク・ヒーロー(2/2)
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