籠の中の乙女のレビュー・感想・評価
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好きか嫌いかと聞かれたら
喰い気味に嫌いと答えるな、きっと。
世間から隔絶されて育った長男、長女、次女の三人の子供とその両親の物語。子供と言ってもそこそこいい年齢で、長男は20代前後まで成長している。
意味が分からないように、言葉と意味をリンクさせずにでたらめな言葉の意味を教える両親。テレビやラジオはもちろん、本さえも与えず極端に情報が限られた世界の中で暮らしている子供たちには親から与えられる情報が全て。それ以外の情報ソースを持たないため盲目的に信じるしかない。
しかし、長男ももういい歳に成長してきて性欲を持て余しつつあることを懸念して、父親の会社の女性クリスティーヌを性欲処理にあてがう。すると、家族以外で子供たちが唯一接することのできるクリスティーヌから漏れてくる情報が、子供たちが盲目的に信じていた今の世界に影響を与え始める。
この映画はあれだね、考えるな!感じろ、的な、ブルース・リーの名言を地でいく感じの映画やね。全部が不穏、全部が狂ってる。でも、その世界に滑稽さとか淫靡さとかが感じられず、また絵面もなんとも地味で娘二人は絶妙な感じで可愛いと綺麗の間を取って十で割ったぐらいのお顔立ちだし、息子も全く不細工ではないけど、華のなさったら。
映画の序盤からもうボカシの連発で、クリスティーヌがお兄ちゃんの部屋に入るや否やボカシスタート、更にデカくなるボカシ。しまいにはオヤジ脱いでボカシ(いらんわい!)かあちゃん脱いでボカシ(ぐぬぬ~)と映画の30%はどこかしら誰かしら裸。でも許しがたいのは、全く、まーーーったくエロさが無い。こんなにやらしーって思わない裸あるんかな、と思うぐらい。
もう、タブーってなんですか?って展開も色々ありでしんどい上に背景も設定も何もかも全て感じろ、というスタンス。オチはもちろん言えないけど私的には無しですね。
じゃあ今までのは何だったのか、この映画をずっと観ていたのはなんだったのか、そこを放棄されるとじゃあこの映画って何なのよ、と小一時間問い詰めたくなる。
なんじゃこりゃは数々あったけど、時間返してって言いたくなるタイプの映画を観たのは久しぶり。
塀の内で飼われる犬…籠の中の家族?
外の世界を知らない子供たち兄妹と妻
家のなかで遊び外は走りまわり
大きなプールで遊ぶ
時々、空を見上げる
そこに飛行機が飛んでいる
印象的なシーン
兄妹でおもちゃの
飛行機を取り合う場面も
これは
空は…広い世界
飛行機は…自由の象徴かと
中盤で犬の調教する場面が出でくる
…犬の躾?
ここでなぜ。と思ったが
ラストで意味がわかった
犬はご主人様の命令には忠実に
…敬い従う
目隠しして遊ぶシーンがあるが
政治の都合の悪いところは
隠しているということ?
人を犬に例えている
政治批判映画のように感じる
力のある者が支配する
・・世界
怖い世界です
猫は本来自由な生き物なので
ここでは邪悪なものとしている。
…ところで
長女はどうなったのだろう
犬歯が生え替わったら家から
出ていいと言われて無理やり抜いて
家を出たけど。
彼女は助かるのだろうか
・・心配
ク◯ジジイの妄想的地雷映画。
同じ歯が抜けるお話でも『ヘビートゥース』の方が遥かに理解できる。
『DOCTOOTH』と言うなら、生殖行為もアニマルスタイルにすべきだったと思う。
犬は近親相◯はしない。猫はあるからあ~言った場面があったのか?旧国営放送では放送出来ないね。
内側からトランクは開かないと思うが。
シュールと言うよりも出鱈目。
台本が壊れているし、ト書きにはなんて書いてあるのか見てみたい。演じた役者は理解して演技しているのか?
生殖行為や子供の養育が全て男目線なお話で、第2成長期の青少年少女の何も分かっていない。早い話が『月経』を全く描いていない。
つまり、ク◯ジジイの妄想的地雷映画。
スーパーシュール。毒親家庭
いやいやいや、気持ち悪いが褒め言葉になりそうな映画だな。この監督日常の広げちゃいけないほつれと言うか、見るべきでない嫌悪感の穴に焦点を当てる天才なのでは。
全体の感情が抑えられてる事で見る側の内面にある感情を見ざるをえなくなるというか、味気ない無機質な絵に自分の中にある生の感情がソースになって乗ってしまい、嫌〜な味わいのパンを食べてるみたいな気持ちになりますね。
他人の家にある自分と相入れないルールや独特の常識みたいなものを見た瞬間のえっそんな感じなんだをよくもこんなに広げに広げたなみたいな。ヘンテコすぎる!このヘンテコさはコメディ枠におさめるしかないのかな。
世の中でいう汚れやタブーを無いものとして頭っから持ち込まないで作った世界ってこちら側から覗いたらタブーしかない。出だしが単語の意味を曲げて教育しているシーンなのからして通常の価値観で動いていない空気感全開で始まり、自分の当たり前との齟齬から妙な居心地の悪さが付き纏う。この家の両親基準で選別した混ぜ物のない世界が完成しているが、装わないピュアってとても生々しい。
タイトル通り😎
リアル『トゥルーマン・ショー』
これ要するに「自力で『トゥルーマン・ショー』やってみた」の映画…という理解です。
箱庭環境での子供の養育、イカれた父親の偏愛、子供の自立・親離れなど、『トゥルーマン・ショー』(1998)との共通点が多かった。
そもそも『トゥルーマン・ショー』だってかなりショッキングな作品です。しかしそれをここまでショッキングにやりますか!更にシュール・ギャグを散りばめますか!
あまりに生々しいバイオレンス描写の一方、躊躇や恥じらいや色気のない性行為の描写は、何というか非常に「乾いて」います…。うーん…この監督、真性の変態でしょ。
でもその変態性を絶妙な味わいへと昇華できるのは凄いことだと思います。
それから、冒頭に言葉遊び(?)が描かれ、その後もしばしば言葉の意味置き換えを明示するシーンがあるので、もう全体的に登場人物たちのセリフに信頼が置けなくなります。
これきっと監督さんが「言語」というものを信頼していないんでしょうね。
さらに、身体はすでに充分大人になっているのに内面は子供のままな登場人物…これも監督さんの自己アピールというか自己投影ではなかろうか。
残虐性、冷静な性コミュニケーション、非論理性、アブノーマル、幼児性…つまりこの監督、本物の天才ですわ。(もしくは天才の紙一重)
監督さんみたいな天才にとっては、自分自身が日々生活しているリアルなこの世界、おそらく非常に不条理でシュールに感じられることでしょう。逆に凡人には、監督が作り出した映画の中の世界こそ不条理でシュールに感じられるという仕組みですね?
この映画、天才の頭の中の世界を覗く映画でした。いや凄いものを見てしまった…。
この家族、おかしい
序盤はクリスティーナという息子の相手として家に招き入れた女性とS⭕Xをするところから始まると、やがてクリスティーナが持ち込んだ外界のアイテムたるものが有害と見なされると、やがてクリスティーナは家の出入りが禁止され、クリスティーナの代わりに新たな女性二人が息子の相手になるためにやってくる。
健全な家庭に、狂気は宿る。
そりゃあ狂気も宿るでしょう💦
エンドに至るまでがホラーというよりも、異常さだけが目立つ形となり、怖さよ絶句するしかない。言葉が何も出てこなくなった。
あれだけ社会と隔離された生活を送っていれば気が変になりますよ。最終的には力付くで犬歯を取り父親の車のトランクへ乗り込むとそのまま出てくることはなかった。せっかく外界へ出れたというのに、それすら罰してしまう父親の強い執着心が垣間見れた。
籠の鳥
プール付きの庭がある豪邸に住む家族。子供たちはその家に隔離されて育てられている。父親からは外の世界は危険だと教えられており、それを信じているさまはシュールであり、滑稽でもある。
父親は大切な子供たちを危険な外の世界から守りたいという思いからの行動なのか、あるいは子供たちをずっと手元に置いておきたいという支配欲からの行動なのであろうか。
この家の支配者は間違いなく家長である父親であり、そんな父親に妻も子供たちも逆らうことはなく父親の言うことを信じきっている。外の世界は危険なのだと。
しかし、長男の性処理のために雇った外部の女性から外の世界の情報を知った長女は父親に対して疑問を抱く。そして彼女はこの牢獄からの脱出を試みるのだった。
家父長制、そしてその背後にある全体主義を皮肉った作品なのであろうか。あるいは単純に親のエゴを描いたシュールな作品と解釈するべきか。極力説明が排されているため観る者の想像力を搔き立てる。
個人的には本作を観て星新一の短編、「月の光」を思い出した。赤ん坊のころに引き取った少女を育てる金持ちの男は少女を溺愛して、部屋に閉じ込め、言葉も教えず、食事も自分からしか与えなかった。少女もそれに満足している様子だった。しかしある時、男は事故で死んでしまい、男の執事が代わりに少女に食事を与えるが男以外からの食事を食べようとはせず衰弱して死んでしまう。
太陽の光を失えば月は輝くことはできない。愛する少女を自分の手で守りたいという男の思いが結局は少女を不幸にしてしまう。強すぎる依存関係は時として共倒れを生むのだ。
父親の言うことを信じきっている長男はもし父親が死ねば生きていけない。それでも一生をあの家で暮らしていくのだろう。籠の鳥が空に飛び立つことなくその一生を籠の中で終えるように。
頑張れ長女
大人なのに、
子どものようにはしゃぎ回る
長男と長女と次女。
ご褒美シールを数え、
マウスウォッシュのお仕置きに
必死に耐える。
家族のしきたりというか
ルールというか、
そういのってあるけど
ものすごく違和感、理解不能、
でもその分想像力を掻き立てられて
だけど、その想像を静かに絶する展開。
長女のフラッシュダンスに魂感じた。
長女がいなくなった後の
次女に女の顔を見た。
長男は…やっぱり男は
素直で幼く本能のままになのかな。
最後は、多分いろんな意味を含めて、
もう二度と戻れないやつ、だと思う。
せつない、つらいなあ。
全くエロくはないけど、
モザイクがいっぱい。
【ヨルゴス・ランティモス監督作品の中でも、最も不条理でブラックシュールな作品。親の妄念で子供を外界から隔絶された”籠の中”に閉じ込めて置くと、子供はオカシクなり、家族はいつか破綻します・・。】
■ギリシャ郊外の裕福な家庭。
一見普通に見えるこの家だが、外の世界の汚らわしい影響から守るため、両親は子供たちを家の中だけで育てていた。
そんなある日、父親が長男のために外の世界からある女性、クリスティーナを連れて来たことで、子供たちの心に変化が起き始める。
◆感想
・劇中、長男と姉妹の名前は一切出ない。もしかして、名前が無いのかもしれない。
・劇中、クリスティーナと長男のSEXを始めとして、矢鱈に無表情なSEXシーンが多い。
・両親は子供達にテープを通して、嘘ばかりを教える。
・子供たちは、遊びをするが普通の遊びではない。
・長男は、平気で猫を惨殺する。
・長女は外界から来た、クリスティーナの持っていたテープを手に入れ、外界に興味を示し出す。
そして、自ら犬歯を叩き割る。(当然、痛そうである。)そして、父親の車のトランクに入り、外界へ・・。
ー 今作の英語の題名は”Dogtooth"である。-
・家を支配する父親は、クリスティーナの家を訪ね、彼女をビデオデッキで殴りつけ、罵りながら部屋を出て、新たな息子の相手の女を2名連れてくる・・。
・ラストは父親の車のトランクがアップになって終わり・・。
<ヨルゴス・ランティモス監督作品の中でも、最も不条理でブラックシュールな作品。
家族の絆を誰にも壊されたくない父親の妄執と、それに振り回されて育ったどこかがオカシイ子供たちの姿を独創的な視点で描き出す。
外界から、遮断された家庭の中に渦巻く不条理と狂気が不気味な作品である。>
最後まで観るのが苦痛
カオス
犬歯が抜けたら…
ロブスター、聖なる鹿殺しなどのヨルゴス・ランティモス監督のサスペンス映画。
最狂の奇行映画でした。
やることなすことみんなおかしい。
一見普通の家族に見えます……か?見えないですよ。
厳格な父親は家族を外の世界へ一歩も出させようとしない。
子供たちは生まれた時からそうなのでしょう。
全く抵抗することなく信じきっている。
ヒヨコが産まれてすぐ見たものを親と思い込む現象と同じですね。
名目上は、外の危ない汚いものに触れさせない的なことですが、完全に洗脳。
堅い床材は遠足、塩は電話、女性の陰部はキーボード、黄色い小花はゾンビ。
「犬は粘土です」は?何言ってんの?
こんな感じの「は?」というルールや奇行がずっと続いていき、特にストーリー的に何かあるわけでもないまま終わる、と言った感じ。
ただ、これが嫌なわけではなく、むしろ次のルールや奇行を期待しちゃうくらい。
シュールすぎて笑える所も結構あって、徐々に自分の中で楽しい映画になっていく。
変態ですね、映画も私も。
家族で四つん這いになって犬の鳴き真似をするのと、目隠しして何分でゴールできるかゲーム、結婚記念日謎の踊りは特にお気に入り。
目を離すとすぐ脱ぎ始めます。
どこがヤバいシーンかというと全てがヤバいシーンなので、とにかく観てみてください。
変態のあなたならきっと受け付けると思います(ただ、猫ちゃん惨殺シーンは無理かも)。
ラストは判断を委ねられる系かな。
無音のクレジットも独特でした。
私的には聖なる鹿殺しよりもこちらが好き。
聖なる鹿殺しと違って全体的に絵が明るいので、これはこれで不気味さや狂気が映える。
わけわからないので、合う合わないははっきり分かれると思いますが、おすすめです!
犬歯
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