容疑者、ホアキン・フェニックスのレビュー・感想・評価
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ホアキンのキャリアで最も長く、徹底された役作り
つくづく奇妙で奇天烈な俳優だ。我々が想像していた通りの、いやそれ以上に問題の多い俳優であることが、このドキュメンタリー風の映像から痛いほど伝わってくる。がしかし、結論から言うと、ホアキンの「俳優やめます」宣言から続く空白の2年間を追った本作は、どうやら全てフェイクらしいのだった。俳優をやめ、下手くそなラッパーになるため関係者を頼ったり、プロや客に才能をけなされ、それでもめげずに夢を追いかけようとする彼。フェイクといえばそれまでだが、しかし人前で歌う姿は実際に撮影したものだし、変人ぶりのままTV番組に出演し、マスコミの取材を受けたのもまた事実。次第に我々にはその境界線がわからなくなり、彼の生々しい台詞にはいくらか「本音」も含まれているように思えてくる。これぞ「事実」と「虚構」の絶妙な溝。これは怪優ホアキンのキャリア中、最も長期にわたる役作りを映し取った劇映画として、今後さらに見る価値を増し続けることになりそうだ。
フェイクドキュメンタリーってことで、 フェイクなのを知りながら楽し...
フェイクドキュメンタリーってことで、 フェイクなのを知りながら楽しむものと思っていたが、 映画が始まってだんだんとというか、 かなり初期の方で見るのに飽きた。 たぶん、 当時のアメリカの芸能ニュースで、 ホアキンが俳優やめてラッパーになるというニュースを 生で見て知っている人は楽しめたかもしれないが、 自分はホアキンの芸能ニュース詳しくないので、 そこまで楽しめなかった。 とはいえ、 よくこのようなドキュメンタリーを作り切った労力すごいと思う。 ライブで観客と喧嘩になるのはやらせなのか本気なのか。 もしかしたら、 フェイクドキュメンタリーというのがフェイクで、 ほんとは本気でラッパにーなるドキュメンタリーだったのではないかと 思えてしまうくらい、 しっかりラッパー志願の役者になり切っていて、 プロの作品だなと感じた。
非支持
オチが予告編でしか分からないなんて。 彼に全米が激怒したなんて知らぬし。 予告でオチをバラされ、如何に本編でオトすか、をこそ期待しつつ観て、肩透かし。 スター凋落実験だが、実は我が国では彼のスター度は低いし。 非支持。
芸術としてのレベルが高い
徹底的に馬鹿馬鹿しいこと、無意味なこと、見ていて気持ちの悪いこと、最低をとことんやってみせる、世間をすべて騙して、反応を見て、そこから人間世界を暴き出そうとした野心作。見てられないほどひどい、そしてレベルが高い。こんなの邦画では作れないだろう。
タイトルなし
俳優引退宣言から2年かけ 義弟ケイシーアフレックと撮った フェイクドキュメンタリー映画 自ら仕掛けたドッキリ!!!! . ホアキン史上最狂の名演!? (最狂はJoker or …) ホアキンフェニックスの怪演!? ホアキンフェニックスは怪人!? どこまでがジョークなのか本気なのか 真意が測りかねる . TVリアリティ番組や ドキュメンタリー番組を真に受ける (最近は見抜く視聴者も多いけど) 視聴者への皮肉たっぷり💦 . この作品のあと 大変だったらしい😅 Joker以降に見直された作品 おもしろかった
なに?
途中で何を見せられているんだろう💦 と思ったけど最後まで視聴。 これはホワキンの長編PVですね(*^^*) チラっとでもジャック・ニコルソン観れたから✨ ※ジャック・ニコルソンって記載されてたから見た💧 み、短い(>_<) エドワード・J・オルモスのくだりは演出? リアル? 水滴の話良かったなぁ。
【ラッパーになった髭面ホアキンが”「ハングオーバー」のザック・カリフィアナキス”にしか見えなかった作品。けれど、彼の秘めたる”クレバーな狂気性”を感じることが出来た作品でもある。】
ー2年間もの間、フェイク・ドキュメンタリーを、義弟ケイシー・アフレックと作って演技の練習になったのかな?- ・確かにこの作品後の、彼の俳優としての躍進は素晴らしい。 オスカーも見事に獲ったしなあ・・。 ・が、劇中でも本人が認めているように”ラッパー”としての資質はないな・・。 ・あと、ヤッパリ”目的がある”とはいえ、友人知人を騙すのは良くないなあ。皆困惑していたじゃない・・。人の良いベン・ステイラーなど、心配して俳優復帰を促すため、わざわざ足を運んでくれているし・・。 <遣りたいことをやって、自分が世間からどう見られているか確認できたのだから、更に俳優道に精進して頂きたい。美しきパートナーも大切にね。 だが、ライブでの怒りのダイブシーンやその後の嘔吐する姿を見ると、山田孝之が持つ”クレバーな狂気性”をホアキン・フェニックスも有している事が分かり、更に親近感を抱いたことも事実である。>
『ジョーカー』を観た後だと、なるほどと感ずる
簡潔に言えば、金をかけたドッキリ番組を映画化したもの。フェイクなのは俳優を辞めると宣言したことだけで、その役作りや大物俳優の対応が面白いだけのもの。もしかしたら、この段階から『ジョーカー』の役作りをしていたんじゃないかと思えるくらいで、ジャック・ニコルソンが登場したり、TV放映されていたアカデミー賞授賞式のプレゼンターがバットマンだったりと、それを匂わす映像がいくつかあるのです。 それでも俳優業を実際にやめていた期間があったはずで、私財を投入せざるを得なかったこともわかる。その点では壮大なるドッキリ映画。ただし、つまらない部分もいっぱいあって、奇行としか思えない演技も目をそむけたくなる。しかし、その奇行がすべてジョーカー役に繋がってると思えば納得のひとこと。 作りとしてもドキュメンタリーの形をとっているし、子供時代の滝の上ジャンプも用いたりしていいエンディングだったと思う。フェイクといえば、本人の演技だけだろう。リアルタイムで鑑賞したかったとも思うけど、当時に観ていたら評価は下がったと思います。
フェイクだけどフェイクじゃない
このドキュメンタリー制作のために、私財のみならず、その先の仕事を大きく失ったホアキン。この実験にどれだけの思いを掛けたのだろうか。 ヒップホップアーティストになろうとする事は置いておいて、その根元にある感情は自身の在り方を心から問う所からはじまっているのだろう。 近年、やはり質の高い演技力から、注目作品に出演し復活兆しを見せていた所に、ジョーカーという更に心を削るような作品で怪演し、一躍スターダムに返り咲いた彼。それでも、各所で見せるコメントなんかを聴いていると、いい意味でも悪い意味でも、色々内に秘めてんなって、誰もが思う感じ。その全てが、本気なんだろうなと思わせる姿を、この作品観て納得させられた。
ホアキン好き、集まれーッ!
今やオスカー俳優でもあり親戚同士な二人が結託して、一体全体何の為に?サッパリ意味が分からん!? 公開当時はホアキンに然程の興味も無かったが、今観るとデニス・ホッパーの「アメリカン・ドリーマー」な如き、TVショーに出演したホアキンは「ジョーカー」でのデ・ニーロをぶっ放す場面を思い出す。 ホアキンが演じる下品で最低なホアキン・フェニックスが情けなくてフザけ過ぎて、ホアキン好きなら楽しめること間違いなし。
別に面白くはない
ただの迷惑行為にしか思えない。 いい歳した、力のある人間のかまってちゃん行為を 大人たちが見て楽しいわけがない。 痛いこぎたないおっさんの訳の分からないホームビデオ。 まず、この映画自体はオチがない。 だからこそ、ストーリー解説にしっかりと ドッキリと表記されている。 客を楽しませたいのであれば オチまで描くべきだと感じる。 ただ、クソつまらないわけではなく クソすぎる行為自体は面白くはある。 とにかく平和な映画
ラップへの本気度が不明なためカタルシスは得ず
・俳優を引退してラッパーを目指す様子を追ったフェイクドキュメンタリー ・髭ロン毛デブにすっかり様変わりして下手くそなラップをするホアキン ・コールガールと乱痴気騒ぎ、クスリやり放題とダメ人間が次第に明らかになる ・世間的には本当に引退したことになってるので、報道各社や素人があげたディスり動画などのホンモノが存在するのが不思議な感じ ・仲間割れの末寝てるホアキンの顔に糞をするのはさすがに笑ってしまった ・ナイトクラブ で客に殴りかかり嘔吐したあげく地元に帰るラスト、池に沈んでいって幕
期待値を上げたのが間違い
俳優ホアキン・フェニックスが自身のキャリアを捨て、ラッパーに転身するドキュメンタリー。 赤裸々にダメな私生活、イケてないラップに苦悩しながら挑むさまなどはソコソコのリアリティーショーなのだが、盛り上がりに欠ける
単なる思いつきを越えたすばらしい映画
ネタと知って見る映画だが、それだけでは済まされぬ本人の悲しみややるせなさや怒り焦燥感、様々な感情が錯綜し画から溢れ出している。 純粋にヒップホップをやりたいという設定は、その境界を越えて本来あった切望にすり変っていくような、そんな輝きを感じる。 魂が浮遊し迷走する様は、弱い人間を描いているようで、ある強かさを浮き彫りにする。 きれいな映画ではないかもしれないが、なにか意図を越えた感動があるように思う。 終わり方はシンプルで美しい。
ホアキン正気か?大丈夫か?
「俺、明日からラッパーになる」
2008年にそんな宣言を突然して周囲&ファンを驚かせたホアキン。
それまで培ってきた演技派俳優としてのキャリアを投げ打っての宣言。
容貌もかなり変化し、デップリと太り髪もボサボサでまるでホームレス。
その風体で、もの凄く変なラップを歌う。
ホアキン正気か?大丈夫か?な状態である。
2010年、ラッパーを目指すホアキンを追ったドキュメンタリーとして本作を発表。
が、その直後、「ラッパー宣言はウソでした」と宣言。
ウソをついたら皆がどういう反応するか見るためのフェイクドキュメンタリーでしたというオチ。
本作のフェイクドキュメンタリーとしての出来だが、
何のために作ったんだ?どうしたかったんだ?なんで2年も費やしたんだ?と問いただしたくなる内容で…。
当時の批評家・観客も、フェイクだろうが何だろうが、どーでもいいよ、もう。的な反応。
どちらにしても「ホアキン正気か?大丈夫か?」な状態である。
これはもう、皆から「正気か?」と嘲笑われる状態に、身を置きたかったとしか考えられない。
そう思わせてしまう事自体、(しつこいが)「ホアキン大丈夫か?」である。
ラスト近くで
「俺はここにいるよー」と歌うホアキン。
自分が何処にいるのか自分で判っているのか?
笑いを通り越してちょっと悲痛だった。
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兄の死などでゴシップの的になってきたホアキン。
この映画、ゴシップニュースを信じて分かったような気になっている人々へ、お前達が見ているのは虚像なんだっていう痛烈な批判も含んでいたと思う。だからこそのフェイクだったのだと思う。
だが、ホアキンの演技が上手過ぎて
全編に漂う情けなさが、真なのかフェイクなのか、分からなくなってしまっている。
演じているはずの「途轍もなく情けないホアキン」は虚なのか実なのか。
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このフェイクドキュメンタリーから、落語『粗忽長屋』を連想してしまった。
「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺はいったい誰だろう?」
そんなサゲを思い出す映画だった。
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