劇場公開日 2012年11月17日

「ほとばしる狂気」その夜の侍 キューブさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5ほとばしる狂気

2012年12月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

悲しい

 この映画は堺雅人と山田孝之の二人で成り立っていると言っても過言ではない。他の出演者が悪いのではなく(むしろ良い)、彼らの作り込みがすごすぎるのだ。

 堺雅人は復讐に燃える冴えない男を静かに演じている。搔き込むようにプリンを食べて、ほとんどのシーンで一言も口をきかない。ものすごく不気味だが、所々で人間的な脆さを見せるからそのコントラストがより際立つ。その最たるものは彼が妻の留守電を聞くシーン。何度も何度も再生し、妻の下着を抱きかかえる。滑稽なのに、たまらなく悲しい場面だ。

 それに対し、山田孝之演じる木島は対照的な男だ。中村が残り3日で人生を揺るがす決断をしようとしているのに、こちらはさほど気にしていない。いや一応何らかの対処はしているが、それらはすべて彼の人生の1エピソードにすぎない。「何となく生きている」のだ。この「何となく生きている」男を山田孝之は全力で演じきった。急に怒ったかと思えば、「飽きた」と火の消えたようにつぶやく。ともすれば非現実的になりうるこの役に生命を吹き込んでいるのは、彼によるものだろう。

 しかし最終的にどうであったかと聞かれると、心から好きにはなれない。その理由として挙げられるのは個々のキャラクターのバックグラウンドが描かれていない点だろう。なぜ中村が異常なほどの狂気に陥ったのか、どうして木島がここまで無気力なのか。空白の5年間そして事件前がほとんど描かれないため、その理由は分からない。少しずつその過程を描いていったのであれば観客も感情移入できる。

 でもいきなり登場するのは常にナイフを携行した冴えないおっさんと、キレたら何をしでかすか分からないヒゲの青年だ。監督はそれを埋め合わせるために、中村の方はうまく処理している。彼は一人で無言でいるシーンが多いから、じっくりと内面が描ける。とはいえ、幾度となく同じような手法を使うといくら何でもくどい。監督は「ここはこうすればいい」というのが分かっているのだろうが、少々技法に頼りすぎたきらいがある。

 木島に至っては結末まで見てしまうと、本当に理解できなくなる。「中村と木島」という種類は違う2人の狂人を対比させることで、”平凡”でなくなった人間の苦しみを描き出したかったのではないのか。これでは木島が誰にも共感できない人物になってしまう。だからこそ警備員の女の子の心情にも、木島の唯一の友人である小林の気持ちも理解できない。木島には人を引きつける魅力は皆無だからだ。なぜ彼をただの「人間のクズ」にしたのだろうか。

 もう一つは会話シーンがクサいこと。ほとんどの人物が「ここは名言が飛び出る」という場面で、いかにもそれっぽく説教臭く語るのだ。これは本当にいただけない。この点に関しては空虚な発言が多い木島に分があった。しかし中村も別段悪い訳ではなく、見るに耐えないのは脇役が語るとき。スレスレでリアリティを保っていた映画がここで一気に作り物になる。原作は戯曲らしいが、”これ”は映画だ。戯曲ではない。後半の方になればなるほど、いかにも戯曲的なショットになるのも気になった。

 出演陣も実力派ぞろいで、全体のトーンは本当に好きなのに、色々惜しい作品であった。監督の次回作に期待する。
(2012年12月13日鑑賞)

キューブ