シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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行こう
はじまった25年前は大学生だった。
今までに観たことないもの観た気がして、まるで自分のことを叫んでいるような気がして、どハマりした。
そして、TVアニメが終わり、旧劇場版を観て、何年かに一回あるエヴァをずっと追いかけてきた。
正直、今回も観に行かないととは思っていたけど、そんなに期待していたわけではなかった。何となく分からんまま終わるんじゃないかと思っていた。
でも、本作は違ってた。シンジの「行こう」には、寂しさを感じたけど、この25年間を走馬灯のように思い出し、自分も改めて大人にならねばと感じさせて貰った。そう、やはりこの物語は、卒業式なのだろう。あのシンジでも大人になるのだ。
ありがとう。さようなら。
とても分かりやすく展開してくれて
とても大切なテーマを明確に表現してくれて
ファン想いの素晴らしい映画を観た。
生きるとは何か、答えをもらった気がしてる。
ありがとう全ての、エヴァンゲリオン。てなってる
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作品鑑賞後、エンドロールで流れた
"Beautiful World (Da Capo Version)"を
聴きながらの追記。
ラストシーン、大人のシンジとマリが手を繋ぎ
実写の街を走るシーンが、曲とともに頭に浮かんだ。
そして、この曲が、
庵野秀明総監督から宇多田ヒカルさんへ
本作のラストソングとして
直々にオファーがあったとされた意味を考えた。
もしかすると
今、私たちが生きる世界こそが
"Beautiful World"と意味で
エヴァンゲリオンの皆が生きる世界から
ガイウスの槍でリピートされた世界が
現実世界ということ?!と、
粋な計らいを想像し、また心が震えた。
きっと作品のことを深く掘り下げるほど、
多くのことを知る長年のファンほど、
ありがとう。。となっているのではと思い
感動がとどまるところを知らない。
ありがとう全てのエヴァンゲリオンに関わる皆さん。
四半世紀の再会と別れ
後述の理由により、レビューというより感想となります。
TV版当時13歳、チェロを弾いていました。宇多田ヒカルや中田敦彦と同年代。シンジたちは1歳上の世代でした。
あれから27年が経過し、学生時代から付き合った妻と結婚し、子供が産まれて、先日妻を病気で亡くし、上の子は13歳になりました。
四半世紀前にシンジの目線で見ていた物語は、ゲンドウの目線の物語になっていました。
心のどこかにずっとエヴァがあり、成長出来ないままだった13歳14歳の自分は、終劇の時には38歳の自分になっていました。上手く言い表せませんが、この四半世紀との別れというか、成長というか、それらを再度なぞったと言うか…。
とにかく、一つの落とし前が付いたような気持ちです。
各ヒロインはヒカリ、ミサトは命を継いでテレビ版からからそれぞれ愛する人の元に。綾波≒ユイはカヲル≒ゲンドウと、アスカは自分に居場所をくれたケンスケと、これも落とし前としてはアリだと思います。ずっとレイ推しでしたが、シンジが独り立ちしたのでレイとは結ばれないのがハッピーエンド。まごころを君にからその考えは変わりません。
漫画版のラストに一番近いエンディングでしたね。
反復記号であり終止線でもあるタイトルが示すとおり、終わりですが想いはまた戻ってくると思います。
そのときまた別な目線になっても、それと過去の目線を肯定する為に。
最後に、ありがとう全てのエヴァンゲリオン。過去の自分。そして、愛する人。インパクトを起こすことはできないし、あなたに感想を伝えられなので、ここに書きます。
25年の重みが込められた、渾身の一撃…! 今はただただ、ありがとう。
エヴァンゲリオンのパイロット・碇シンジの戦いと葛藤を描くSFアクションアニメ『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』の第4作にして、25年以上に渡り紡がれ続けた『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの終着点。
過酷な現実に耐えきれず、心を閉ざしたまま彷徨い続けるシンジ。
その絶望の果てに見つける答えと、ネルフの司令官にして父親、碇ゲンドウとの決着が描かれる。
監督(総監督)/脚本/原作/企画/エグゼクティブプロデューサー/画コンテ/原画は庵野秀明。
○キャスト
加持リョウジ…山寺宏一。
新たなキャラクターとして、葛城ミサトの息子で父と同じ名を持った少年・加持リョウジの声を演じているのは『ハイキュー‼︎』シリーズやテレビアニメ『僕のヒーローアカデミア』シリーズの内山昂輝。
またとある青年の声優に、『千と千尋の神隠し』『君の名は。』の神木隆之介がキャスティングされている。
第45回 日本アカデミー賞において、最優秀アニメーション作品賞を受賞!
遂に…。
遂に……。
遂に………!
終わってしまった〜〜〜〜😭
アニメのみならず、日本のサブカルチャーというものを根底から変革し、25年以上圧倒的な存在感を放ち続けた『エヴァンゲリオン』。
その作品を原作者自らの手で葬り去るという、150分にわたるお葬式。
そもそも、150分のアニメーションなんて洋の東西を問わず聞いたことがない。歴代最長作品なのでは?
鑑賞後、あまりに感情を揺さぶられすぎて気分が悪くなった…🤢
気持ちをどう整理していいのか分からず、エンドロール中ずっと頭を抱えていました…。
なんて言ってますが、自分は漫画版と『新劇場版』シリーズしか観ていない完全なるにわかなんです…。
「邦キチ!映子さん」という邦画プレゼン漫画で、『シン・ゴジラ』しか観ていないにも拘らずゴジラ好きを自称する「映画について語る若人の部」部長の洋一に対し、「特撮作品について熱く語り合う部」部長の御影が「この…ゴジラ泥棒め‼︎」とブチ切れ、「ちゃんとあんまよくないヤツも観ろ‼︎」と説教するという名(迷?)シーンがありますが、自分は完全に「エヴァ泥棒」。
辛いと噂の『旧劇』とかは観てないのです。
そんな「エヴァ泥棒」でも感情ボロボロにされたんですから、リアルタイムで20年以上付き合い続けているコアなファンの方々の気持ちは、察するにあまりあります。
ぶっちゃけ『新劇場版』を観始めたのすら去年という、あまりに浅い観客の自分がこの作品にとやかく言うべきでは無い!…けどちょっとだけ。
正直クライマックスの碇ゲンドウとの対決…というか対話シーンには心が揺さぶられた。
碇ゲンドウは俺だっ…、と思ったのは多分自分だけでは無いはず。
父ゲンドウが自分の弱さを吐露し、息子シンジがそれを受け入れる、というこの一連のシークエンスは、アニメ史上最高の名場面として後年まで語り継がれるのでは無いでしょうか。
本当に心が痛かったし、眩暈がするほど衝撃を受けた。
まぁ冷静に考えると、『アベンジャーズ』シリーズのサノス以上に人々を抹殺したゲンドウに対して優しすぎるだろうとか思うんですけどね😅
そこからの怒涛のキャラクター救済。
アスカ、カヲル、綾波という、25年に渡り戦い苦しみ続けた彼らを救い出す、そのシンジのあまりに成長した姿に大いに感動!🥲✨
シンジ、お前誰よりも大人だよ…。
本当に後半1時間くらいは、体感時間10分でしたね。もうあっと言う間。
本当に150分も上映時間あった?1時間くらいじゃなかった?
後半は大好き💕
庵野秀明という、宮崎駿に「いろいろなものを背負って歩いている、ギリギリのところに生きている」と言わせた男が、自分の内面をこれでもかと表現し、そしてそれを救済の物語に仕立て上げたという事実だけで、アニメファンとして心にグッとくるものがあります。
「映画監督とはパンツを下ろす事」と言いますが、今回の映画の庵野秀明のフルちん加減はすごかった。そしてその一物がデカかった!
庵野秀明も大人になったな〜〜〜…って60のお爺に言う事ではないけど💦
本作は完全に私小説。太宰治と並んだといっても過言では無いほどの、見事な私小説でした。
でも、前半はそれほど好きじゃない。
冒頭のパリでのアクションシーン、ここなんか完全に迫力不足だった。アクションとしての面白さが欠けている。
本作ってエヴァの格闘シーンが極めて少ないという『パトレイバー2』(1993)みたいな作品だと思うんだけど、その数少ない格闘シーンが全て面白くなかった。
いや、シンジとゲンドウの親子ゲンカは面白かったな。シリアスな笑いと言いましょうか、あの特撮セットでのバトルという発想には驚かされた。
そこ以外、アスカとマリのバトルシーンがいまいちだった。
というより、これは個人的な感情なんだけど、マリが好きじゃ無いからマリのバトル見ても心が躍らないンスよ💦
本作のバトルは6割方マリのバトルだから、つまらなく感じたのかも。
第3村のあれこれも、実はそんなにノれなかった。
たしかに綾波(仮)は可愛かったし、微笑ましいエピソードだと思う。
東日本大震災後のアンサーとして、こういうシーンを入れたかったという庵野の気持ちもわかる。
でも、こういう『おもひでぽろぽろ』(1991)的な、高畑ジブリ的世界観はエヴァに望んではいなかった。
あのニアサー後の世界を生き延びた人たちのコミュニティを、あたかもユートピアのように描くのはちょっと安直すぎるような気がする。
シンジの背後には守るべき人たちがいる、という説明になっていると思うけど、逆に言えばちょっと説明的になりすぎているところもあるかな。
あとヴィレの作戦が全然わけわからん。
いや、わけわからんのはエヴァなんだから別に良いんだけども、ヴィレのキャラクターに誰1人として魅力が無いのは問題有り。正直ネルフ組以外の名前を全く覚えられなかった😅というより、覚える気も起きないくらいキャラ的につまらない。
最後、『天気の子』(2019)かなと思うような発砲シーンがあったけど、こういうわざとらしい見せ場いらんねん。冷めちゃう。生きるか死ぬかのあの場面であんなに仲間割れするのも良くよく考えると不自然だしね。
一番の問題点は、マリというキャラクター。
個人的に好きになれないのは、やっぱり上手く物語に溶け込めていないからだと思う。
作者の愛が込められている、というのは良くわかる。…が、その愛とマリの魅力とが釣り合っていない。
なんかよくわからんキャラが大活躍して、その結果レイとかアスカの出番が割り食っているような感じがする。
なんやねんイスカリオテのマリアって。ちゃんと説明をしろ説明を。
んで、そのマリとシンジがくっついちゃうんだよなぁ😅
それはまだ許せるけど、アスカがケンスケと…。
…あべしっ!🤯
クライマックスのカップリングは、意図的にファンが望んでいないものにしたのだと思う。
イマジナリーを卒業してリアリティを生きろよお前ら、という『ホーリーマウンテン』(1973)的なメッセージ性が詰まっているのだから、キャラクターを救済しつつエヴァファンを突き放すというやり口としては上々。
でもな〜、やっぱりな〜、このカップリングには納得できね〜😫
クライマックスのイケメンと化したシンジについては、肯定も否定も出来ない。ジョジョ6部みたいだなとは思ったけど。
でも最後の最後、映画が庵野秀明の故郷である宇部の町で幕を閉じたのは感慨深かった。まるで太宰治の「津軽」のような爽やかさというか、郷愁の念を感じた。
ここで、「あぁ終わったなエヴァ…。」というのが実感出来ましたね。完全に庵野秀明の中からエヴァのキャラクターたちが旅立ったというか。
もうオッケーオッケー🙆♂️庵野が良ければそれで良いよ👍
本作は多分に私小説的な側面を持っている以上、エヴァへの想い…というより、庵野秀明への想いの強さによって評価が変化するタイプの映画なのは間違いない。
正直、『新劇場版』だけを観てこれを観ても完全には楽しめないのだろう。
やっぱりTVシリーズも『旧劇』も全部観て、なんなら『トップ』も『ナディア』も『オネアミス』も『シン・ゴジラ』も、庵野の仕事を全部観てから鑑賞するのが正しい見方な気もする。
納得出来る人も出来ない人も、両方いるのは仕方ない。だって変な映画なんだもん。
しかし、日本アニメ史における一つの区切りであり、日本アニメの総力戦のような前衛的で情熱的な作品なのは間違い無い!
アニメファンなら観るしかない!
とにかく、庵野秀明監督お疲れ様でした!
『シン・ウルトラマン』も楽しみにしています♪
そして、『風の谷のナウシカ2』作って下さい〜🙇♂️
※「シンエヴァの薄い本」入手の為、2度目の鑑賞。『EVANGELION:3.0+1.01』という再編集バージョンでの鑑賞となったが、前バージョンとの違いは全く分からず。
初見の時にはわからなかったアレやコレやを理解することが出来て、2度目の鑑賞でないと味わえない楽しみがあった。
反面、説明台詞の多さやヴィレのメンバーが繰り広げるどうでも良いドラマの退屈さは初見時よりも気になってしまった。
冷静になって考えるとちょっと個人評価が高すぎたような気がするので、少しだけ下方修正。それでも十分に傑作たり得る作品だと思います♪
しかし「エヴァを卒業しろ!」という作品なのに、追加の特典をつけたり庵野秀明展を開いたり…。
一番エヴァを卒業出来ていないのは公式なのでは…😅
全ての終わりに愛があるなら
"ヱヴァンゲリヲン新劇場版" 四部作完結編。
シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバースの一編。
通常スクリーンで鑑賞(3.0+1.0)。
庵野秀明はすごい仕事を成し遂げた…
本作を見終わって、真っ先にそう感じました。
本当に、お疲れ様でした。そして、ありがとう。
「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」と云うキャッチコピーが意味するものは何か?―物語をどのような結末へと導くのか?―まさかここまでのものが用意されていたとは。
これほどまでに完璧な完結…。ストーリー自体の完結だけでなく、庵野監督自身の長い長い仕事にケリをつけると同時に、ファンの存在に感謝を込めつつ、エヴァから卒業させようとするなんて…。なんと壮大な卒業式だろうか。
先行公開されていたアバンタイトル+数10秒の先には予想もしていなかった世界が広がっており、「Q」以降気になっていたことが明かされて安堵すると共に、劇中で経過した時間と人間関係の変化に改めて気づかされることに…
前作では周囲から終始突き放されていた感のあったシンジですが、本作では一転、一部を除いて、殆どのキャラが彼の心を回復させようとする優しさを見せてくれました。ある人物に至っては、前作での言動に「実はこう云う想いがあったんだよ」と云う説明が成され、めちゃくちゃ安堵しました。
そして、物語はいよいよヴィレとネルフの最終決戦へ…。両者の願いが交錯し、激烈の総力戦が展開されました。前半少々ダレ気味だっただけに、バトルシーンは胸アツの極みでした。ゲンドウの目的、ミサトの想い、シンジの願いの行方と、これまでの「エヴァンゲリオン」を総括し昇華させようとする庵野秀明の試みに目を見張り、心奪われました。
クライマックスにおいて、キャラクターたちが救済され、その役割から解放され、ステージから退場しました。否応無しに気づかされました。エヴァの呪縛とは、ストーリーにおける設定と云うだけでなく、「エヴァンゲリオン」を求め続けたファンによる呪縛でもあったんだな、と…
今回の四部作において、時間軸がループしているのではないかと云う説がありました。「ひぐらしのなく頃に」みたいに、最良の結末を得られるまで、ひたすら同じ時間を繰り返していく。これは即ち、ファンがテレビシリーズ第壱話から順番に観始めて第弐拾五話まで見終わると、また第壱話から観始める行為を表していたんじゃないかな、と…。今回、物語はこれまででいちばん良い結末を迎えました。ループはもう終わりにしようと、庵野秀明が言っているように思えました。
つまりファンもシンジやアスカみたいにエヴァの呪縛に囚われていて、庵野はそこからファンを救済しようとしたのかもしれないな、と…。エヴァばかりじゃなくて、他のことにも目を向けよう。同じものばかり見るんじゃなくて、新しい道に踏み出そう。そう云うメッセージを送りたかったのではないかなと思いました。時間が進み、声変わりして大人になったシンジくんが、レイでもアスカでもなく、マリとの恋に進んだように。手を繋いで階段を駆け上がり、まるで何かから解放されたかのように駅の出口から飛び出したみたいに。
前を向いて、進んで行こう。
なんてポジティブなメッセージでしょうか。
どちらかと言うと、「エヴァンゲリオン」にはネガティブな雰囲気が付き纏っているイメージでしたが、本作ではそれが一転し、めちゃくちゃ前向きな方向性を示していました。
これまでの伏線を回収して、謎に丁寧な解を与えてくれただけでなく、「Q」で奈落の底へ突き落とされたシンジを優しく包み込んで成長を促し、父親との最終決戦へ赴かせました。
全てに等しく赦しと救いをもたらす…。つまり愛のなせる業以外の何物でも無いなと思いました。
新たな日々が始まる。
それは「エヴァンゲリオン」の無い世界。
いい意味で、「エヴァンゲリオン」がいらない世界。
最後に。
本当にありがとう。そして、さよなら。
※以降の鑑賞記録
2021/08/14:Amazon Prime Video(3.0+1.01)
壮大なる失敗終劇。ラストの世界観はあの歌のパクリでは?
庵野さんが全く成長してないのを見せられただけな気がします。
シンジの母親へ死ぬまで執着し、結局のところ、人類補完計画だの何だの一見大義があるかのように聞こえるが、あれも一体何だったのか?
ただ私欲でユイのクローンを創り続け、何度壊れても壊れてもまだ固執し続ける。
無責任に途中で子を放り投げてまた勝手に居なくなる。
本来親殺しされても仕方ないようなヒト。
ゲンドウの「子供が嫌いだ」ではなく、子供の心理を理解できない、寄り添えない子人(ことな)。
黒幕なのに精神年齢は残念ながらシンジよりずっと低い。
そしてラスト1時間、歌が流れた辺りからは、はあ??の連続。
庵野氏(ゲンドウ)の「私は‥だった。私は‥だった。」の繰り返し。
メタファーでも何でもないトラウマストーリー、必要ですか?
この映画は一体、何映画なんだろう?
私たちは自分の不幸自慢を聞きに来たんじゃないよ。
映画を観に来てるんだよ。
父子対決も退屈で緊張感なく欠伸が出た。作画も所々エヴァだけ動いてるが、背景はベタだったり、序章の30分のクオリティの高さに比べかなり雑な作りが散見。
音楽(BGM)も蛍の光などを軸にして組み換えしたり。
しかもラストは、ユーミンのソングライティングした「さよならジュピター」の世界観の壮大なパクリではないでしょうか?
エヴァは稚拙な子供のためのファンタジー映画となってしまいました。
とさ。
ハッキリ言っていいですか?
この映画を絶賛してる人は、
童貞のアニヲタさん、独身者、既婚子無しではないでしょうか?
子供を一人でも育てる経験をしてれば、この作品を評価する気にはとてもなれない。
そうきたか
エヴァを理解するのはそもそも無理なことだと思っているので、分からない…という感想は割合。
レイに色々な感情を学ばせてから退場させたり、過去の名言、シーンを出すのが好きなんだなぁ…と見てて出た感想。
そもそも私はシンジくんに感情移入ができない。
作中前半もずーーーっとなよなよウジウジとしていて(言い方)アスカが激怒した時は「いやほんとそれな!?」となった。
でも後半では色々乗り越えて、初号機と13号機のようにゲンドウと対の存在になる。ここがなんとも強引だけどなんか良かった←
なんか、ゲンドウはユイの死を乗り越えられず世界を作りかえようとするけど、シンジくんはそれを乗り越えた上で世界を作りかえるんです。
だからラストはあえてミサトさんもアスカも出さなかったんだろうな…と思った。あれ、でもアスカは生きてるのか。
あと死んだキャラが出てくるので嬉しい反面、いやあえて出さないで欲しくもあったなと微妙な気持ちに。加地さん…いや、嬉しいけど……。
ミサトさんの死に方も(ミサトさんはなんとなく最初から死ぬとは思ってた)某宇宙のヤ〇トみたいで個人的に「ここもオマージュですか」となった。いやでもこの演出はしょうがないよな、うん。冬月が1番可哀想だった。
そもそも、ユイが死ななければこんな大事にはなってないかもしれないんだよな…と考えるとゲンドウの愛の重さって凄いんだなと思った。あと、みんな当たり前のように「これはまさに、〇〇インパクト(ちょっと忘れた←)なのね」と新しい言語を生み出すので(多分私の認知不足もある)ちょっとふふふっとなった。なんか面白かった。
人に勧めることが出来るかと聞かれたら多分おすすめはできないけれど、好きか嫌いかと問われたら好きと答えるようなそんな作品。
ラストは漫画版と同じような感じだったので、このレビューにあるように「そうきたか!」となった。成長してるけど、やはりどっちつかずな感じはシンジくんらしいな…(レイなのかアスカなのか)って感じで私は良かった。だってどっちも選べない。そしてそもそもこれはそういう系の話ではないと思ってる。
私は好きだった。
私はこの映画の公開日が決まった時、友人が観に行こうと言うので急いでTVシリーズから追い始めたようなまだまだ浅い奴です。
解説を探す暇もなかったので、自分の中で内容に置いていかれ過ぎた箇所だけ解説に頼っていたため基本的には自分の中の解釈だけでエヴァを観てきましたし、終劇となった今回もそう。
だからか分かりませんが、私は単純にあれだけ膨らんだ内容にちゃんと終わりがあった事に感動しました。正直、私の中のエヴァはシンジの気持ちが行ったり来たりで本当に終わるのかよという感じでしたから。
観終わって、この映画のレビューをいくつか拝見したけど、賛否両論あるのはわかり切った話。どうでも良過ぎた。自分の中の考えを大事に観れば良いと思う。考える事が多すぎて楽しい。
私はカヲル君が好きで、エヴァの戦闘シーンが好きで、作画が好きで、BGMが好き。そして、地球や宇宙を用いた壮大なストーリーが好き。すっごい浅いけど、それでもこれだけこの作品を好きになれたのは、何か良いおまじないを掛けられたからかもしれない!
やっと終わったんだな、と感じました
エヴァンゲリオンに関しては、TVシリーズ、旧劇場版、新劇場版を見てきました。漫画版は未読です。
今作を見るにあたって、再度、新劇場版の3作を見て映画館に行きました。
見終わった後、率直に言うと消化不良感がありました。
自分の解釈が正しければ、今作は人類補完計画を阻止し、あの世界の人物みんなが笑顔であるハッピーエンドになったのだと思います。
レイが第三村で普通のヒトの生活を体験する、であったり、シンジが立ち直り、父であるゲンドウとしっかりと話し、しかもゲンドウが自身の気持ちを吐露する。(この辺りはシンジ君がまっとうな主人公をしているな、と感じました。)
こういった比較的ポジティブなシーンが描かれ、最後のシーンでは、エヴァらしく実写で終了する。
(この終わり方は、あくまでアニメなんだよ、というメッセージを再度示されたんだろうな、と思いました。)
旧劇場版の時のような気持ち悪さもなく、意味が分からない終わり方ではない。キャラクターたちが前を向き、成長した彼らが描かれ実写で終了する。
結局、自分が感じた消化不良感を考えると、旧劇場版を見た際に感じた、人が持つ気持ち悪さ(シンジのウジウジ感とか結構好きなんです(笑))、絶望感だったり、バッドエンドを今回のエヴァンゲリオンには感じなかった、ということなんだろう、と思いました。
また「シンジがそんな簡単に立ち直るはずがない」という固定観念がどうしても払拭できませんでした。(旧劇場版を見ていなければ、もっと違ったのかもしれません。)
このような理由から、点数を4点にさせていただきました。
また何回か見直すと評価が変わってくるのかもしれません。
庵野監督はもうエヴァを作る気ないんだろうな、と見終わった後自分はなんとなく感じ、エヴァがとうとう終わったな、と感じました。
このラストシークエンスに感謝します
はじめは星3で投稿しましたが星5に近い星4にします。
クライマックスの展開が無理でかつ凡庸と思ったのですが、時間が経つと私は最初から最後まで退屈せず、次は何が観れるのかとスクリーンに食い入っていた事に気がつきました。全編、構図やタッチや動きが素晴らしかったからです。素晴らしい上に驚きがいくつも有りました。もう一度大画面で見たくなりました。
私が評価しないった点は、クライマックスでのロボットアニメ然とした展開や見せ方です。正に、これこそ監督が描こうとされたことではないですか?正面から若い世代に向けてロボットアニメの4話目、完結編を作られたと思い感動しました。目の前に提示された構図や動きや物自体を、監督は創りたいのだと思います。
決戦から解決までは、特撮愛あふれる画面の大量提示が続きスクリーンを堪能しました。
最終話ありがとうございます。Qで崩れたのでどの様に終わらせるのか心配でしたが、綺麗に結末を迎えて安堵しました。アバンの後に庵野さんのクレジットが表示された所も、力の入れ方と責任の所在が示されて好感を持ちました。
このシリーズは可愛い女の子がロボットを操縦するのと、デストピアでのヘタレ男子の救われないハーレムがテーマと思っているのですが、そう言った観点でも楽しいです。
私は新劇場版のみ観ているのですが、パイロットのキャラクターに思い入れがある(皆んな酷い目にあって可哀想。酷い目にあっているヒロイン達が浮かばれない。ヒーロも可愛いそうだけど男の子だから乗り越えてね。)ので、この終わり方にして頂き感謝しています。ラストシークエンスでアスカとレイの何方かが泣く事にならなかったので安堵しました。
Qから感じていた「ゲンドウが人ならざるものであったとしても、ネルフは二人でどうやって活動しているのだ?」という違和感はさらに増大しました。(笑)
出来の悪いと評価していたQですが、無駄と考えていたシークエンスには狙いが有ったのだと気が付きました。有難うございました。
こんなにベタでスタイリッシュで素晴らしい体験をしたのは初めてです。
面白かった?絶賛ほどでは無いかもしれないけど満たされる!
長年待ってようやくの公開。4Dで鑑賞した。
戦闘シーンでは座席が激しく動くので、楽しい😊
本作はQの続きからだ。誰かの予想では、空白の14年間が描かれると聞いたけど、それは外れた。
Qの最後でカヲルが死んだ。シンジはショックで落ち込んでいる。落ち込み具合は半端ない笑。愚図そのものだ。
冒頭のシーンはYouTubeで公開されている通り、ミサト達ヴィレがフランスの浄化を行うところから始まる。この戦いでヴィレは物資を補給した。
シンジ、アスカ、レイは村で生活する。なんと人類は滅んでいなかったΣ(゚д゚;)
その村は1000人規模で、他にも村は沢山あるみたいだ。ミサト達のおかげで人間が住める環境が点々と残されているようだ。
村にはトウジと委員長がいて、二人の間には赤ちゃんがいる。そう言えばそんな関係性だったな。すっかり忘れてたからだからトウジが嫁をシンジに合わそうとしてる時には気付かなかった。
村でのシーンが暫く続く。建物はボロく日本家屋で障子や畳がある和式中心。レイは言葉や感情がわからないから、おやすみって何?とかおはようって何?って逐一聞く。委員長はおまじないって答える。
シンジは腐りまくってる。動こうともしない。唯一反応を見せるのがアスカのDSチョーカー。DSチョーカーを見ると嘔吐した。まぁ、至近距離で人(カヲル)が死ぬのを目撃すれば、こうなってしまいそうなのも分からなくもない。
シンジは食事を含めた全てを拒否していたが、結局泣きながらレイからの差し入れを食べた。きっと自暴自棄になったが空腹になったものの、そのまま飢えて死ぬことが出来ない自分に泣いたのかなぁと思った。
村にはケンスケがいて、シンジは彼の仕事を手伝う事にした。平和な日々が続く。
ある日レイは自身の体が持たないことを悟る。レイは定期的にメンテナンスしないと体を維持出来ないようだ。シンジの目前でレイは弾けてLCL溶液に還元した。
ミサト達ヴィレのヴンダーが村にやってくる。最後の戦いが近いことを示している。シンジはヴィレと共に戦うことを誓う。
碇司令と冬月は黒き月を南極に移動させた。NERV本体が空中に浮かんでて、黒き月を引っ張って持っていた笑。富士山を引きずってるように見えたんだけどどうだろう!
南極では4THインパクトに向けて準備中だ。
ヴンダー内でアスカはシンジになぜQの時にガラスを殴ったかを聞く(Qでシンジが目覚めた時にアスカがやって来て、シンジとの間にあるガラスを殴ったシーン)。
なぜ殴ったのか分からなかったんだけど、答えは、エヴァ破でエヴァ3号機に搭乗したアスカを、シンジが救おうとも殺そうとも出来ずに行動を放棄したことだった。どうしたら良いか?と人に頼るシンジの弱さが気に入らなかったのかな?
アスカとシンジは14年経って、お互いを想う感情は消えてしまった。元々人類補完計画後にシンジとアスカが残る話は本作では実現しないことになった。
南極にてヴィレは4thインパクトを阻止しようとするが冬月が乗る戦艦(ヴンダーみたいな)が現れてミサト達は戦うことになる。
何故かお互いの攻撃が的中してるのにも関わらず無事。多分ATフィールド的なものが本体を守ってるんでしょう笑
冬月との戦闘から今度はNERV本部のエヴァ13号機の起動停止のため、ヴンダーからアスカとマリの乗ったエヴァが投下される。NERV本部からアスカとマリに向かってエヴァもどきが大量に放たれる。これ、びっくりするくらい多量でNERV本部に格納できないだろ?って位の数だ。
最終的にアスカとマリは多量のエヴァもどきをまとめて倒してしまう。
本部に付くと起動中のエヴァ13号機のコア目掛けてアスカが停止装置?みたいなものを振り下ろすが、自身のエヴァ2号機のATフィールドで刺せない。
アスカは左目の眼帯を外すと左目から浄化装置?が出てきた。浄化装置ってアンチLシステムで合ってるのかな?
アスカの2号機は暴走した。が、これが碇司令の狙いだったようだ。前フリでマリが何かか狙いがあるような話をしてた。
13号機は2号機からコアを奪う(奪ったハズ)。多分13号機はダブルエントリーシステムで碇司令ともう1人必要だったんだろう。あと、アスカもレイと同じで作り物だったみたいだ。
13号機が稼働した。ここから裏宇宙への門(地獄の門って言ってたかな)が開く。本当の神に会いに行く。
NERV本部の上で、ミサト達は作戦を練る。シンジはエヴァに乗ると言う。ニアサードインパクトで家族を失ったと言う北上ミドリは銃を構えて反発した。だが発砲出来そうにない。その時鈴原サクラが発砲した。1発はシンジの足元に着弾したが、2発目はシンジに向かった。ミサトがシンジを庇い、ミサトが被弾した。
ここでミサトのサングラスが外れた。Qの時の冷酷さはなく、かつてのミサトの表情だった。ミサトは加持リョウジと結ばれ二人の間に子供がいた。加持リョウジは既に死んでいる。ミサトはニアサードインパクトでシンジに負担を抱えさせたことに後悔しているようで、それで冷たく接していたようだ。
シンジが裏宇宙に向かう前、マリは冬月と会話した。冬月はLCL溶液に還元した。
シンジはエヴァに搭乗して裏宇宙に向かう。エヴァには長髪のレイがいた。破で救ったレイだ。アスカが成長が止まったが髪が伸びる、の話の通り、レイの髪も伸びていた。
裏宇宙に行き、シンジと碇司令は戦う。エヴァ初号機と13号機の戦いはあちこちと色んな場所で戦う。それこそ学校の教室とか。
戦うことでは解決しない。碇司令とシンジは戦闘をやめ会話することになる。
碇司令の話だと、使徒に滅ぼされるか、1つになるかの2択しかなく後者を選んだ。
碇司令はガリ勉タイプで、周りの人と関わることを拒絶するような子供だった。孤独に生きてきた中でユイに救われた。そんなユイを失った事の深い悲しみから、ユイと再会することを願っている。
そんな話を電車内でする。多分終着点までは一本道だから電車なのかな。碇司令は途中下車しシンジが残る。
シンジの初号機の中にユイが現れる。かつて碇司令がサルベージしようとして上手くいかなかったのは、ユイがこの日のために初号機に残ったと推察。
時系列はもはやもう分からないが、ユイは碇司令を後ろから抱くようにして胸に槍を刺した。槍は全てのエヴァンゲリオンを貫いた。これで終わりってことだろう。
そう言えば地獄の門から黒リリスが白リリスになって出てくる笑。頭だけ。そして首なしの体だけも現れて4thインパクトが起きる。
セカンドインパクトで海を浄化し、サードインパクトで陸を浄化したので4THインパクトで魂を浄化するわけだ。
で、ミサトはヴンダーに残る。仲間たちには帰還カプセルに乗せて退避させた。その前にヴンダーに脊髄があってそれから槍を作れとリツコに指示してたけど、それは完成した。(*゚0゚*)スッゴッイ!
ヴンダーはリリスに突入する。リリスの手が侵入を防ぐが、ヴンダーが槍になって貫通しレイの姿をしたリリスの左目に突き刺さる。ヴンダーは大破しミサトは命を落とす。
ヴンダーから作られた槍がシンジの手に届く。書きながら気づいたけど、三本目の槍ということは、3つ目の選択肢って事なのかな。
つまり、使徒に滅ぼされる、一つになる、の二択と言っていた碇司令の話に、新たな選択肢が加わった。
新たな選択肢が今まで通りの世界。シンジは一つになることを希望しなかったので、バラバラになる。インフィニティ達は人間の姿に戻っていく。
シンジは大人になっていた。電車のホームに座っているとマリが現れた。
さよなら 全てのエヴァンゲリオン
終劇までにこんなに時間を要するとは、10年程前初めて劇場版を観た時は思いもしませんでした。
丁寧に繊細に描かれた作品で、たくさんの思いがよぎり何度か涙が出ました。
印象に残ったのは数多くありますが、例を挙げるとすれば、ゲンドウとシンジの親子喧嘩も見られたし、ゲンドウがシンジを抱き締めた場面では涙がブワッと溢れました。
意外とあっさりとシンジがゲンドウを説得出来たのは、シンジが昔のように取り乱したりせず、大人になり、寄り添い歩み寄ったからゲンドウもすんなりと受け入れられたのだと思います。
そして、それほどゲンドウはユイを愛していたのだと思うと、胸が動かされました。
そして、シンジがエヴァや過去ではなく、エヴァがいなくても生きていける未来を選択したのがシンジ君大人になったね、と思う場面でした。今までのシンジならばきっとどちらも選択出来なかったのでは?と思うからです。
最初の方の展開の生き残りを集めた村の生活で、レイ(そっくりさん)が言葉と感情を覚え、その心でシンジの傷付き凍てついた心を溶かしていった。それから他の村人や馴染みのキャラとのふれあい。
こんなに穏やかな気持ちでエヴァを観られたのは初めてです。
まだたくさん話したいことがありますが、言葉足らずの私の表現力では言い表しきれないので、何度でも映画館へ足へ運びたくなる作品だったと伝えたいです。
前向きな終わりに胸がスッとしました。
さよなら 全てのエヴァンゲリオン。
そして、ありがとう。
感動と驚きまくり………
もう展開がすごくてすごくて……。
アスカの名前がマンガと違う理由がようやく伏線回収で分かり、それでエヴァンゲリオン破の時は加持さんに反応してなかったのか……等々理解しました。
かつての同級生達の今の生活姿やミサトの子どもなど、色々なところがちゃんと伏線含めてきれいにまとめてあるので納得のいく結末でした。
最後もようやく笑顔で終わってホッとしています。
エヴァンゲリオン大好きです❤️
100点ではない
ネタバレも含みます。
エヴァ全作を観続けてきて、まぁ及第点って率直に感じました。
文才がなく箇条書きで挙げてみます。
かなり方向性を変えて振り切りましたね。そして内容が全部盛り?詰め込み過ぎ?。謎や伏線は放置してでも、もう少しシンプルに雰囲気を大事に制作して欲しかったかな。まぁ情報過多…それが庵野作品ですが。。。
アスカの助演降格、マリの主演昇格、なんか違和感。
話題になっているカップリング問題。
アスカとシンジは破局?していてなんか寂しい気がしましたね。超雑魚サブキャラだったケンスケが、えらく達観したキャラになりアスカとできてるなんて…。そして委員長とトウジ、シンジとマリ、カヲルとレイ…なんだか最近流行りの恋愛ドキュメンタリーみたい。
シンジが活躍するのがクライマックスの少しだけ、あとはいつものグダグダ。
戦闘シーン(特にシンジとゲンドウのバトル)は何か単調で物足りなく感じた。過去シリーズや、破、Qの戦闘シーンの方が躍動感があって見応えがあった。ノアの方舟の役目のヴンダーの戦闘シーンも自分には何か物足りなかったなぁ。
そっくりさんの人の感情学習…ちょっとしつこい。ヴァイオレットエヴァーガーデンに少し被る感じがしました。田植え、風呂、子育て、食事…伝えたい事は何となく分かるが少し長く感じ、間延びした感じがしました。作者は震災や復興の要素を盛込みたかったのかもしれませんが、この部分だけエヴァと言う作品から、かなり浮いた印象でした。
使徒と人類の戦いではなく、結局、ゲンドウのユイに対するわがままな思いで世界を巻き込んで、シンジと親子喧嘩って事かな。
今作のエヴァと敵キャラデザインは、なんかしつこい感じで胸焼けする感じがしました。昔のシンプルでインパクトある個性的な、どこか愛着が湧くようなキャラデザインが良かったなぁ。
冬月、リツコもなんか中途半端は役所でしたね。
高雄コウジ の声優、大塚明夫さんは、やっぱりいい声ですね。スネーク、バトー懐かしい。
たらこくちびるの北方ミドリも好きになれないキャラ。
クライマックスの巨体綾波レイは肌の質感までリアルでクオリティには驚かされました。
エンディングの宇部駅…。強羅駅とかの方が良かったんじゃないかな。
観終えて、いい余韻に浸ると言う感じではなく、モヤっとした気持ちになりました。
まぁ結局、なんだかんだ言ってこんだけ感想が書けるって事は、それだけエヴァが好きだって事ですが、何か?(笑)
ありがとう∞さようなら
私はこの作品を、新劇場版のみならず、告知の「さらば、全てのエヴァンゲリオン」の通り今までのエヴァンゲリオン作品全てを終わらせる作品だと見て取れた。ゆえに序破Qで用いられた「ヱヴァンゲリヲン」ではなく「エヴァンゲリオン」なのだろうと。
ここからは登場人物ごとに順を追って述べていきたい。なお筆者はエヴァの世界観(〇〇結界やら虚数空間やら)に関してはかなり無頓着であるので、キャラクターの心理描写についてのみ、備忘録兼ねて焦点を当てたい。
まずマヤ。テレビ版や旧劇場版(以降旧劇と称する)では純真無垢で博士であるリツコを崇拝しつつも、どこか自分を曲げない頑固な部分やいざとなったときでも人を殺すことを恐れる、エヴァの世界観としては弱い部分を持つ助手として描かれている。しかしQ以降描かれる14年後の世界では一変。「弱音を吐くな!」「これだから若い男は」と常々漏らす強気な女性へと進化しているのだ。ユーロネルフの功績を称え惜しみつつ、弱音を吐く男性部下を叱咤しつつ、ひたすらキーボードを叩き続けるマヤ。無事に作戦が終了するとリツコから「タッチの差ね」とのお褒めの言葉を受け笑顔を見せる。テレビ版「使徒、侵入」を彷彿とさせるこの場面は映画開始10分そこらであるが、既に涙を零してしまった。
続いてアヤナミレイ(仮称)。レイはQでアスカに「あんたはどうしたいの!」と喝を入れられ若干目が覚める。それが今作では顕著。第三村での交流を通して彼女は言葉や世界を知る。ヒカリの「さようならはまた会うためのおまじない」「これ(握手)は仲良くなるためのおまじない」をはじめ、動物、子供、農作業を通し様々な自然を知る。個人的にはレイが田園の中で足を滑らせ転倒し、空を望む場面が印象的。これまでネルフの中で密やかに暮らしていたレイは、空が青いことさえも知らなかったであろう。だからこそ、彼女の紅い瞳が青い空を望む。絵にも私の心にも鮮やかであった。
彼女は何も知らないからこそ強い、と「:序」でも述べたがそれは今作にも通ずる。毎日シンジのいる湖へ向かい食糧を渡し話しかける。「なんでそんなに皆僕に優しいんだよ」と怒鳴るシンジに対しても「碇くんが好きだから」と実直に伝え、「仲良くなるためのおまじない」と手を差し出す。またあれだけ想っていたアヤナミ(=綾波)に対して怒鳴る辺りにも、シンジがレイに如何に追い詰められていて、でもレイによって和らいでいく、彼の想いの強さが垣間見えた。個人的には、素直になれずシンジにばれないよう見守り、シンジが戻った後も「初期ロットのおかげ?」と聞き同意されるというどこまでも「セカンド」なアスカが不憫でならないが。
そして個人的に思い入れが強いアスカ。不眠症気味であること、パペットに「あいつらとは違う」「一人で頑張るしかない」と声かけるなどテレビ版の彼女とは異なる点が複数見つかったが、今回その謎が解けた。彼女もアヤナミシリーズ同様、シキナミシリーズとして複製されていたのだ。シンジが食糧を摂らない場面でアスカが上に乗った状態で無理矢理食べさせる場面があるが、何とも切ない。旧劇でシンジがアスカの首を絞めた場面、それから貞エヴァ(漫画)で精神汚染されたアスカがシンジの首を絞める場面と体勢が全く同じだからだ。シンジはまだリリンもどきで、アスカはもう使徒融合体かつ複製コピー。第三村の状態で、ヒトとして食糧を食べられること、それに感謝すべきだと訴えるアスカが見ていて胸が苦しかった。
二次創作でよく言われる「LAS(Love Asuka Shinji)」であるが、今作はその派閥が大荒れする事態が起こった。ケンスケとの関係、そしてシンジとの関係である。アスカはケンスケの言うことには割と従う、否、アスカなりに信頼しているような姿勢を見せる。最後シンジが皆を救いたいという思いから始まる各々の場面で明かされる幼少期のアスカとその頭を撫でるアスカのパペットに扮したケンスケ。アスカが求めているのは彼女自身がシンジに言った「あいつに必要なのは恋人じゃない、母親よ」の通り、父性だったように思えた。実際彼女のオリジナルであろう惣流・アスカ・ラングレーは彼女の上司であり彼女と近しい存在にある年上の男性に夢中である。その部分がケンスケへ投影されたように感じた。互いが母性若しくは父性を求めていて、互いを破滅しあう関係になりうるアスカとシンジは恋人にはなれないのだろうと思えた。ゆえに最後の旧劇ラストシーンから続く場面で、シンジはエヴァの呪縛が解けてプライドだったインターフェースも外し28歳の身体を得たアスカに自らの好意を伝えたのち「ケンスケによろしく」と別れを告げたのかもしれない。シンジもわかっていたのだ。
彼女はテレビ版からいくら努力しても報われない。シンジへの好意も「ファースト」のレイには及ばず「セカンド」であるし、旧劇では量産型に串刺しにされてしまう。今後の彼女の人生が幸せなものになるよう、またその幸せを恐れないよう、私は祈ってやまない。宇部新川駅で一人だったことは何を示すのか。あれで彼女が幸せであればいいのだが。
Qで賛否両論あったミサト。今作での彼女は、それを「贖罪」する、彼女がテレビ版で述べた金言「奇跡を待つより捨て身の努力」をヴィレの艦長として動く。さらに彼女は加持との間にできた子供であるリョウジを守り、かつて自らと重ねていたシンジを救う母として動く。そして人生で重要なパートナーとなった加持リョウジを想う一人の女性として動く。まるでMAGIシステムのようだ。個人的にはふたつ。Qで涙も枯れ果て強く見えたミサトは、どこまでいっても「ミサトさん」であること。冬月も彼女の作戦を知っては「相変わらず無茶をしよる」と苦笑い。しかしふたつ、異なることがある。ひとつはシンジとのやりとり。テレビ版や貞エヴァではシンジの前で決して加持を想う発言をしなかった。しかし今回「加持の受け売りだけど」と表情を綻ばせる場面がある。他人に、かつ守るべきものに対しても自らの核となるものを見せられる強い女性になっていることが垣間見えた。ふたつめは最期の場面。テレビ版や貞エヴァでは「加持くん、私、これで良かったわよね」と言って息を引き取る。どこまでも女性である。しかし今回は息子であるリョウジを想っている。彼女が女性である自分よりも、母親である自分に重きを置いて生きていることが伝わる場面であろう。(個人的には息子に加持と同じ名前を付けた辺りやはり女だなとも思ったが)
女と言えば出てくる人物がリツコであろう。彼女は全作品でゲンドウの愛人としてネルフで働いている。しかしQからはゲンドウとは袂を分かち、ミサトと共にヴィレを仕切っている。元来、リツコの頭脳であれば一人でも十分に組織を作り上げられるはずである。しかしそこでゲンドウやミサト、MAGIシステムを作った自らの母ナオコを頼る辺りに彼女の弱さが垣間見え、筆者はその部分に強かさを覚えていた。しかし今回は違う。ゲンドウを銃で撃つのだ。完全にリツコが強くなった証拠であると痛感した。
そしてシンジとゲンドウ。シンジは序盤、QでカヲルがDSSチョーカーによって爆死したことを受け失語症となる。しかし皆々の優しさに触れ、自分が他人から愛されていることを痛感する。旧劇であれほど他人を憎み、それでもと愛憎入り混じり「I love you」ではなく「I need you」として他人の存在を欲するシンジとは違っていた。ミサトから「父親に息子ができることは二つ。肩を叩くことと殺すことよ」と言われ初号機に乗る。そこで彼が選んだのはどちらでもない「対話すること」だ。父が行っていることは難しい、しかしその核になることをシンジは尋ねた。ゲンドウは答える「ユイにもう一度会うこと」そして彼の回想、つまり電車の場面になる。イヤホンで耳を塞げば世間を遮られること、他人が怖かったこと、知識を得ることと調律されたピアノだけは信じられること、そして大学でユイに出会い全てが変わったことを話す。話していくうちに、シンジとの距離の取り方、全てを察したのか、泣き疲れて呆然としている幼いシンジを抱きしめる。その場面で、幼少期から他人と接する際の自分と、本を読んでいる自分の乖離を感じていた自分は胸が苦しくなった。自分が何をどうしたいのか、全てを把握しての行動として、ゲンドウの、否、碇親子や碇夫妻のあるべき姿ではないかと思えた。シンジがマリと駆けて行くラストに関しては、大人で包容力のある自称「いい女」のマリとシンジは最適解ではなかろうか。
今作全体を通して庵野監督は、エヴァにはまり、のめり込んだ全ての人へ別れを、そして現実へと戻るように促したのではないか。その表現を、アニメという範疇を超えて実写を用いる。その技術に圧倒された。良い意味で「エヴァらしくない」終わり方を遂げたエヴァンゲリオン、私は大いに心動かされ、未来の自分に繋げられたらと思えたが、旧劇のそれを良しとする方もおられるだろう。それもまた素敵に思える。25年に渡り、多くの人間に多様な考え方を展開させ、それを肯定してきたエヴァンゲリオン、本当にありがとう。
追記
アスカとマリの戦闘シーンで、プリキュアを彷彿とさせるものがあったのは私だけであろうか。
完結篇としては◎
Qからどうやって完結にもっていくか気になってたがうまくまとめたと思う!
綺麗にまとめあげてエヴァンゲリオンのない世界へ、で完結は綺麗だと思った!
シンジくん立ち直ってくれてありがとう!!
ありがとうエヴァンゲリオン
うーん
映画シリーズのみ視聴した者の感想。
物語については、専門用語が多いのでついていくのに必死だったが、なんやかんやあって、みんながエヴァのない平和な世界に行き着いたことは理解した。
途中の槍のくだりなんかは、新しい槍を作れば希望があるみたいなこと言ってたけど、復習していないためよく理解できず。
エヴァの古参ファンでないと理解するのは難しいのでは?
映像については、全体的に綺麗だったし良かったが、所々、違和感ありまくりのCGが気になって戦闘シーンが陳腐に見えた。
挿入歌や宇多田ヒカルの主題歌は雰囲気に合っていて良かった。
2時間50分と長いため、お尻がかなり痛くて辛かった。内容が面白ければお尻が痛くならないはずだが、結構退屈なシーンが多いためお尻の痛さに耐えるので必死だった。
何で高評価が多いのか?
単純に 内容に関しては別に余り不平不満はないのだけど みんな絵コンテが出て来たコトに関しては何も思わないのが意外。 前の劇場版もそうだったけどコスプレした綾波の実写版とか 完全にアニメから現実の世界へと引きずり出されて 心が離れてしまう。これから感動のフィナーレに向けて進むって時に あんな演出って必要? 絶対要らんだろ!!こうやってエヴァ作ったんだよ❤️……蛇足でしかないわ!!綾波のバックに劇場版のタイトルが出て来た時点で嫌な予感はしたけどね。 あれなければ 個人的評価はもっと高いかな。
残念の一言
期待しすぎましたね。Tvシリーズ中期くらいまではとても面白そうな話だったのにな。その後苦しんで苦しんで、時間をかけて丁寧に物語を造り込んでいくのかと思っていましたが……結局ただの盛大に世界を巻き込んだ親子の拗らせ話で終わり。残念の一言。
こんなのがやりたかったのか…。
登場人物ほぼ全員、動機がつまらな過ぎる。幼な過ぎる。まともだったのはトウジケンスケ達村人達くらい…加地もかな(?)だったという。
あとは成熟した大人が誰もいないし。
ゲンドウと冬月くらいはもっと狡猾に描いて欲しかったよ。動機目的手段全てにおいて唸らせて欲しかったよ。世界を欺き暗躍する(ハズの)ゼーレの面々もね。権力だけのちょいとズル賢いが精神年齢は低いそこらのオッサンやん。
登場人物達に共感出来ないから話に入り込めない……というよりそこらのつまらん退屈な人間として共感は出来ても、壮大な(ですよね?)物語の主人公達として、世界を動かす勝ち抜き選ばれた人物達の描写としては陳腐過ぎて全く心が動かされない。
話の造りとしては複雑難解で先の予想も難しく、パズルとして妄想を膨らませるのは楽しいと思う。
自分なりの予想や考察動画など観るのは楽しかった。でも物語としては……残念でした。
使徒やら槍やらインパクトやらは説明不十分な、話の作り手に都合のよい唐突に現れたただの道具に過ぎなかったし。
年齢的に大人で社会的立場は上も上の方々の、酸いも甘いも嚙み分けたはずの者たちのそれを超えた熱いやりとりも全く無かった。
何もかもが上っ面ばかりで安っぽい。
非凡なテクニカルさはあったし凄く妄想も掻き立てられたが、それ故に期待値が上がり過ぎて内容の陳腐さが際立ってしまった作品。
残念。
面白かった。。。。。
達成感とともに喪失感。
でも、よかったです。
私はほんとに、にわかファンです。
こんな歳になってこんなにハマってしまうとは思いませんでした。
そもそもエヴァが始まったときにはいい大人になっていたものですから、ふんふんくらいで流行ってるにも関わらずなんとなく見過ごしていたのが間違いだったと気づいたのはそう、金曜ロードショーの序を見た夜。
頭を何かで殴られたような驚きでした。
もともと庵野監督は大好きで、県美術館であった庵野秀明展では大興奮して巨神兵の短編を何度も何度も見てしまった私です。
全てが繋がるのはこのタイミングだったんだと。
長い道のりでしたが、まだ見ていないテレビ版を一つずつ見ていきます。老後の楽しみになりますかね。
さて映画ですが、瞬きするのも惜しいくらい美しくて全ての場面で声が漏れそうでした。
5人のパイロットの生い立ちには涙が出てきます。
宇多田ヒカルさんの歌には心が躍ります。
いつの間にか狭い人間関係の戦いになってしまったこの対戦はどう終末を迎えるのか前作Qから心配だったし、その興奮が落ち着いた今、達成感とともに喪失感に浸っています。
久しぶりに登場人物に恋をして、若さを取り戻したような数ヶ月でした。
ありがとうと言いたいです。
素晴らしい映画でした。
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