シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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面白いけど、確実に退屈
ちゃんと本当にエヴァンゲリオンが終わっていて
そこは、よかった。
ただ、エンタメ映画としては全然だった。
そういうアニメじゃないからといえばそれまでだけど
でも、退屈するのは間違いない。
シンジの立ち直りの遅さからの
一瞬での気持ちの切り替え、それに伴う田舎映像がめちゃくちゃ長い。
中盤の碇登場からのバトルがとにかく長い
後半、インパクトからの流れはまあ、エヴァっぽくて良いが
専門用語の応酬であれで会話が成立してるとすれば
登場人物全員、イキり過ぎだと思う。
意識の高いIT関係者の会議風景かと思った。
リリスやアダム、なんちゃらインパクトなど、もっと分かりやすい言葉に言い換えて
会話してほしい。自分たちが特別な人間だと勘違いしないでほしかった。
そして、ラスト。
大変エモく作られていて、全てのエヴァンゲリオンを終わらしにかかっていたが
最後は、恥ずかしがらずに残酷な天使のテーゼを流すべきだと思った。
あれさえ流れれば、、、本当に納得のいくラストになったのに。
そこを避けていることが、逆にカッコ悪かった。
という、良い映画は間違いないが
それは、エヴァンゲリオンなだけであって
あれを新人の新作で作った作品だと、誰も見ないと思う。
完結した!
EVAよ、永遠に・・・
待ちに待ったシリーズ完結編。エヴァンゲリオンの世界観を存分に堪能しました。いざ終劇となると心寂しさで胸が一杯になりました。エヴァンゲリオンの最大の魅力はなんと言ってもキャラクターの描き方が素晴らしく突出していると感じます。
ありがとう、すべてのエヴァンゲリオン。
2021-37
希望が叶った
シンジくんのおかげで現在は使徒もエヴァも無く平和な世の中になったと思います。
やっぱり逃げちゃダメ
もう最後だしループさせたらダメなんだなと思うと最後のカップリングもアリかと
ポスターのキャラの配置に納得しました
ありがとう
そして、おめでとう
ファンなら本当にオススメです
・サービスシーンがめちゃ多い
これだけでもファンなら絶対観て損なし。そこまでコアではない自分でも、素直に感動した。今までのエヴァらしい雰囲気が蘇っていた。精神世界のやり取り、BGM、過去作に似た構図などなど。
・構成
序盤はとにかく綾波が可愛い
中盤以降の見せ方に感服。盛り上がりが凄かった。
※2回目の鑑賞で気づいたが、前半の描写も良い。後半の感動をより引き立てている。
・メッセージがわかりやすい
初見でも結構伝わる様なシナリオになってると思う。良い意味でエヴァらしくなかった。序盤がついていくのしんどいかもだけど。
・エンディング
うまく締めたなあと。長きにわたる因縁にケリをつけたが如く。清々しい気持ちで劇場を去れた。
・その他
前作のQは個人的には駄作だったが、今作で完全に巻き返してくれた。強いて気になる点を挙げるとすれば、バトルシーンがごちゃごちゃしてて見づらかった点と、アスカのバトルシーンをもう少し見たかったくらい。
・さいごに
唯一無二の世界観を生み出してくれた庵野監督、スタッフへの感謝とお疲れ様を込めて、星5を捧げます。
シンジの願いは庵野の悲鳴
この映画で庵野監督はエヴァンゲリオンに決着をつけたが、TV版最終回やAir/まごころを君で描いた世界に決着をつけたわけではない。本当に、ただ単に、エヴァンゲリオンを終わらせただけである。
「ネルフの面々は子供に責任を押し付けてばかり」と批判されたからQで責任を引き受ける大人を描いた。今作では、「結局〇〇ってなんだったの?どういうこと?」と聞かれたからアイデアをふんだんにぶちまけて過剰に説明を行い、TV版で「え?終わり?」と皆を戸惑わせたからハッピーエンド感の強いラストを作った。それだけ。
人類補完計画を進めるNERV、それを止めるWILLE。決戦の舞台ははセカンドインパクトのあった忌まわしき地、南極…にあるよくわからない空間…の向こうにあるさらによくわからない空間。シンジとゲンドウは力ではなく言葉で語り合い、補完を望んだゲンドウをシンジが救済し解放し、責任を引き継いで自分の願いを果たした。その願いとは、エヴァンゲリオンのいない世界。チルドレンが幸せになれる世界だった。
というシンジの願いは、庵野監督の願いだったんでしょう?TV版をハッピーエンドで〆た、Air/まごころを君にで丁寧に人類補完計画を描いた。これでもみんな文句ばかり言うものだから、邦画でよく見る『何も解決してないけど解決した雰囲気を出した見てくれだけのハッピーエンド』を作って、エヴァンゲリオンもすべて消去して終えた。
シンジとゲンドウの戦いで書き割りが出てきたのはこの映画がただの虚構であることを示すため。ゲンドウにアスカ、カヲルがこれまでにないほど客観的に自身の心情を饒舌に語るのも、外側の視点を作中に導入した結果。エヴァンゲリオンはフィクションであり、それを構成しているのは私の趣味か意識である、と庵野監督は主張しているのだ。
とにかくエヴァンゲリオンにけりをつけたくて、エヴァンゲリオンを終わらせたくて、申し訳程度に人類補完計画やらなんとかインパクトを盛り盛りに描いて、最後はよくある展開を模倣しつつ物語を着陸させた。「なんやかんやあってみんな幸せになって暮らしましたとさ。おしまい」を地で行った作品。
ただ二人だけ、シンジとマリだけはエヴァンゲリオンの外に飛び出した。シンジがアスカともレイでもなく、破で突然登場したポッと出の女と結ばれたのは、庵野監督がエヴァンゲリオンの外側から来たる救いを求めていたから。アスカとレイがシンジに抱く偽りの愛(=fanaticの愛)ではなく真実の愛がほしかったから。
エヴァンゲリオンの中にいたのでは幸せになれない。外にいる誰かが助けてくれない限りは。庵野監督は誰かに助けてもらったことにしてエヴァンゲリオンから抜け出した。抜け出す際に大人を大人として描き、悲劇のチルドレンに幸せを与えたのは、シンジと同様に庵野監督も責任を果たしたかったのだろう。終わらせなければ終わらないのだから。
つまるところ、庵野監督はこの映画を通して「私は好きにした。君らはもう大人になれよ」とファンに伝えているのである。シン・エヴァンゲリオン・ユアストーリー。
正直、今ほど熱心なエヴァファンでなくてよかったと思ったことはない。神話ベースのSFは物語の本筋にはなく、マクガフィンどころかすべてノイズ。青春映画でいったら海に向かって石を投げるレベルの閑話。なくてもよいがあるとキリっとする程度の要素。TV版や旧劇場版を批判してSFの完結を待ち望んだファンはこれからもエヴァの呪縛に苦しむことになるだろう。
そして、シンジたちチルドレンに自己を投影していたファンは一人エヴァンゲリオンから脱出した庵野監督を見てどう思うのか。彼らに運よくマリが現れることがあるのだろうか。もしかしたら補完されたかったのではないだろうか。ならばエヴァの最終回としてふさわしいのはAir/まごころを君になのだが…。
さよならというおまじない
涙が止まらなかった。
帰りにスーパーで平然と買い物をしたが、ほんとは今すぐうずくまって泣き叫びたかった。
最初にエヴァンゲリオンを見たのは中学生の時だった。
私の地域では夕方6時頃に放送されていて、自分の部屋にテレビは無かったのであんなシーンもこんなシーンも食事の支度をしている茶の間のテレビで夢中で見た。
最初の映画は高校生の頃。
読む用と保存用にパンフを2部買ったのに、帰り道にチャリで転けてどっちもボロボロになってしまった。
新劇場版:Qを見て、もう私のエヴァじゃなくなったと思った。
私も大人になり、長い時間が経ち、もうエヴァへの思い入れもほとんどないと思っていた。
それでも涙が止まらなかった。
シンジ君が大人になったことに、こんなにショックを受けるなんて。
「こんなアニメに、これ以上人生を費やすな」
「人類補完計画より大事なことがあるだろう」
「真面目に生きろ」
「大人になれ」
「働け」
「目の前にいる人を大切にして、真っ当な人生を歩め」
「できる限り、ちゃんと全部終わらせるから」
庵野秀明が、そう言ってるように感じた。
優しいな。
帰り道で「One Last Kiss」を聴いたら、こらえ切れず泣いてしまった。
もう一度見たい気持ちもあるけど、もう見ないことにする。
HDDの序も破もQもぜんぶ消す。
パンフは買ったけど。
退化している
シンジに必要なのは母親なのだから、母親みたいな年齢の包容力のある巨乳女を見付けましょ~
アスカに必要なのも父親なのだから、加持やケンスケみたいな父性を持った男を見付けましょ~
くそくらえですね
なんですか?
この理想論は?
シンジとアスカが安っぽい理想ではなく、現実を見据えて傷つけ合いながらも生きていく選択をした旧劇の方が遥かに崇高でした
新劇はまとめて茶番でしたね
よくわからないけど面白い
終劇:Ⅱ
まず第一印象は、綺麗に終わりましたね。
まだ整理しきれてないところもありますが、印象としては大団円。過去作からすると、作り手の物語を見る眼差しの優しいことが、なんといってもホッとさせられます。逆に見れば尖った所が少なくなったとも言えるので、少し複雑なところもあるのだけど、トータルとしては良かった。
映像は美麗で凄いだけでなく、作り手側の楽しんでる感が出てて、観ている側も楽しくなって来る。特にラストは、実写? どこまでアニメなのかよくわからない景色で、非常に印象的だった。
人類を巻き込んだ、はた迷惑なある家族の問題って要約すると身も蓋もないの。だけど、スターウォーズと同じ父親への葛藤がベースライン。息子が父を超えていくというのが王道だけど、本作はそれだけではなく、父親側の視点もあって、少し捻ったところが面白い。それにしても、シンジくんの急成長は、地味ながら過去からのモヤモヤを一気に吹き飛ばす破壊力があった。人類補完計画なんかの壮大な謎なんか、もうどうでもいいや、というくらいの爽快感。今までウジウジした彼をイライラしながら見てきたのは、このためだったのか!? (なんてね)
マニアでは無いので、過去作の伏線回収がどこまで出来ているのか定かではないが、兎にも角にも終劇に満足できた。また最初から観てみよう。
やっと成仏した
ワケわからなくていい
今一度、エヴァを描いてみよう
ということなら、
描きたい主題は何ら変わらないはずで、
どう描いたか、、、、、
長い年月、エヴァには振り回されてきましたが、
やはり着地点はそこですか、、、、
別にシンジがマリと駅から駆け出すのは
個人的には誰とでもよかったのでそうショッキングでもなく
黒波レイが諸々学習していったのにも関わらず
カヲル君バシャーッ!よろしく力尽きたのがビックリしましたね、、、
ケンスケとアスカが出来上がってるようには見えなかったなあ
アタシが鈍いんかな
アスカの中に使徒の要素があるのを知っているから
別に裸で過ごされても動じないように見えちゃったんだけど🤣
「Air / まごころを、君に」のようにまとまっていくのは想像していましたが、
だからこそ自分は
そうだよね、そうだよね、うん、いいよラストはマリでも
なぜマリかは何回も観て考えるよ
と着地したのでした
😌
土の匂い、というのが割とショックなポイントでした。
機械的なイメージが強そうなストーリーに、
これまたインパクトでかい、そこを大きく描きますか
というショック
ネブカドネザルの鍵の効用(?)がわかってスッキリ。
そうかあヒトを捨てられるのかあ〜
🤣
ヴィレにスタッフが沢山いるのはわかるけど、
ネルフにスタッフなんていなくないですか?
ゲンドウと冬月の2人だけでヴンダーの同型機なんて建造できないよなあ
🤣
まあ、楽しみました
😺
アレはどうなんだ、どうなったからどうなんだ
そんなの辻褄合わせるのが困難なのは
ずーっとエヴァを追いかけてきた皆さんお分かりではないですか
さらば、全てのエヴァンゲリオン
そこに立ち会えて良かったですよ
満点にしていないのは、
まだまだ考察の余地ありだから
🤣
気持ち悪いです
全部人の気持ちを悪くするための作品です。
二十年前の古い劇場版もそうでした。
現在は庵野秀明も聖人となり、現在の若者を教育しています。
しかし、この監督は分かりません。
当時の若者はすでに成長し、社会から不満を受けていました。
架空の幸福を求めながらも、容赦なく取り除かれた。
なぜ明日香はシンジと一緒にいないですか?なぜですか?完璧な劇場版をください。
武器として使われるだけです。もう若者ではない中年の人の思想を壊しました。
自分が求めている男女の主人公と一緒にいるのは間違いですか?
この劇場版は最初から最後まで使われるギャグです。周辺のシンジと明日香をこの輪から退出してください。
キャラクターを利用しないでください。
あなたの庵野秀明は役の後ろに隠れて彼らを楽しんでいます幸福。
この野郎
エヴァンゲリオン完結
あの時の僕を迎えに行く
何年前か正確に思い出せない位の昔、小学生だった自分は映画館で流れるアニメの総集編みたいな前半が終わり休憩時間が開けた後半のその音楽と映像がトラウマになった、いや囚われたという表現のが近いのかもしれない。あの時のあの時点にエヴァが好きだった自分を置いてきたのだと思う。
学校で見た子なんて学年に片手もいなかったし、なによりお互いにあの作品を言語化が出来なかったから見終わった後の整理も出来なかった。
それから数年後、中学生になるとあのエヴァが流行りだした、やれ哲学だとかなんだとこねくりまわす友達やあれはこうだと考察する同級生をみて、彼らはあれを言語化出来るほどに分かったのかという衝撃と共に、ふと自分は碇シンジの年齢になったんだな~と痛感した。
高校の時か大学の時か、エヴァがリメイクされるらしいなんて話が出た、沸き立つ友人達とは対照的に醒めきった自分がいた。今さら何をするんだろうと、自分の中でのエヴァンゲリオンはあの時のあの映画館のあのスクリーンで終わっていたのだから。
始まった新劇場版シリーズ
見に行く気にもならず行かなかったが、見に行った友達から良かったという話を聞き、彼らの中では終わっていないエヴァが終わりに向かい走り出したという期待感や高揚感を感じた、ならば上映が終わる前にと足を運んだ。
始まりから終わりまで絶え間無い後悔しかなかった。これはエヴァじゃない、こんなのはエヴァじゃない。こんな大衆化した作品じゃない、自分が映画館で『気持ち悪い』とすら思ったエヴァンゲリオンはこんなロボットアニメでもない、庵野秀明はこんな作品が作りたかったのか。
序、破、Qの終わらない連鎖に、これは一体なんなんだとすら思った、映像は綺麗だし、ロボットアニメとしては面白くても、これが求められているエヴァンゲリオンなのかという疑問と裏切られたという一方的な悲しみだけが残った。
そして最後のエヴァンゲリオンが訪れた。
冒頭から1時間強、自分の中でのエヴァは別の意味で終わったんだなと思った。思い出の中のあの10歳にも満たない自分、あの時に全てを置いてこようと思った。
このままこんな感じで終わりに近づいていくんだろうなと思ったその時、アスカの口からシンジへのあの時の想いが語られた…その瞬間、自分の中で何かがはまった感覚があった、そこから最後まで自分が何を理解し何を受けとったのか全く解らないが、気づいたらあの時のあの映画館のあの思い出の中の自分と歳をとり青年ですらなくなった自分が重なっていた。
あぁ、これだったんだ。
あの時のあの自分を美化して、大人になれないまま無駄なプライドやエゴだけで新劇場版と向き合っていたんだ。作品とその歴史と向き合ってこなかったのは自分だったんだと。
あの時、あの映画館の自分をようやく迎えにいけた気がした。
ありがとうエヴァンゲリオン、ありがとう庵野秀明
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