シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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さよなら、すべてのヱヴァンゲリオン
●筆者のエヴァ歴
新劇場版からエヴァをちゃんと見るようになりました。
TVシリーズ、旧劇場版も見たけど、難解さ、鬱展開が苦手でした。
新劇場版でも破から自分が求めていた作品だと思って、意識するようになりました。
●総評
過去シリーズより、ハッキリと主張するようになり理解しやすく、きれいに終わりました。
破壊と再生をテーマに、人の関係は必然でなく運命であること、
各キャラクターの心の成長を丁寧に描いた最高作です。
注目すべきは、シンジくんとゲンドウが対峙し、心情を吐露したところです。
旧劇場版ではシンジくんの内面の変化に重点が置かれ、父親と向き合うことが最後まで着なかったです。
本作では、ゲンドウが一番成長できていないキャラで、最後にシンジの中にユイを見つけ、シンジを認めることが出来たのが良かったと感じています。
エンディングのOne Last Kiss→Beautiful Worldへと音楽が変わり、繰り返しの物語であること、「さようなら」は、「また会うためのおまじない」って劇中の言葉が刺さりました。
エヴァは終劇を迎えますが、またいつか再会しようってメッセージも大変良かったです。
下は気に入ったシーンの感想を書いています。(間違ってたらすいません)
●パリ戦線
エヴァは陸戦がメインになりますが空中戦が描かれています。
放物線的な制約があるのに、すごく自由度高く戦闘シーンが描けていて素晴らしいです。
敵の量が多いのも○○無双的で熱かった。
エッフェル塔って言えば、ナディアなのでつながりを強く感じます。
AAAヴンダー発進のBGMがナディアでしたしb
44aや44bとかデザインがかっこ悪かった。先行者みたいでダサかった><
●第3の村
エヴァでこんなシーンが描かれるとは思わなかったです。
まるで高畑作品のような田園風景の美しさ、
ニアサー後の世界で暮らす一般の人達を描いていました。
懐かしいキャラもたくさん出てきて嬉しかった。
人、動物が子を育んで生命が循環していくことも描いてたことも驚きだった。
黒波が生活に順応していき、成長していくのは可愛かった。
●ヤマト作戦
AAAヴンダーはノアの箱舟。加持さんの意志は全生物を"ツガイ"で保存することでしたね。
ヴンダーが宇宙から大気圏突入するシーンとか胸熱だった。
そして、冬月艦との艦隊戦も面白かった。
ヤマト作戦は、ウルトラマン80が元ネタらしい?
●イマジナリー世界
ガフの扉の向こう側のマイナス宇宙。
多次元宇宙っぽい話かと思ったら、内面世界っぽかった。
ゲンドウとシンジの対決は面白かった。
東映の舞台セットだったのかな?笑
ところで、シンクロ率:0%=無限大ってなんだw
●ミサトさんの特攻
一番泣いたシーン。
ミサトさんが母親として、艦長として希望の槍をシンジくんに届けたのが最高だった。
エヴァでこんなに希望を強く信じていくことあるのかと驚いた。
もう、鬱々しい雰囲気は作品から全く感じなくて、
ミサトさんは亡くなってしまったが、大きな希望が僕らに残されたのが良かった。
●人類補完計画
旧劇場版では人の限界を越えるため、LCL化することで意識を共有できることだったが、
今回は各キャラクターが想う人と一緒に生きることを選んだことでした。
シンジくんがマリを選んだのは納得できなかったが、14歳は巨乳に負けたんだって思うw
●エヴァは何か
エヴァっていうのはファン皆の心にあるイマジナリーエヴァの一つが具現化しただけ。
”夢オチではなく”、深層心理にあるエヴァのイメージのひとつがアニメ、漫画って媒体で表現された。
それが今回終わるけど、エヴァが終わったわけじゃない。いつかまた再会できるってこと。
「さよなら、すべてのヱヴァンゲリオン」の「さよなら」は、「また会うためのおまじない」って劇中の言葉の通りです。
大人になったなと、そう思える作品
シンエヴァンゲリオンは面白かったし、良かったと思っている。
ただ、釈然としない。
エヴァンゲリオンに出会ったのは中学生の時だった。
当時の自分は大人への階段を上っている途中で、大人に振り回されるシンジと自分に同族意識のようなものを感じていた。
大人でも、子供でもない。ましてやヒーローでもない自分にとって、葛藤し恐怖しながら戦うシンジ君は、なんだか手が届きそうで感情移入しやすかったのだと思う。
破のラスト、ミサトさんがシンジ君を送り出すシーンには幾度となく励まされた。
私は物語として、アイコンとしてエヴァンゲリオンを追うようになった。
すべて過去形だ。
大人になって仕事をして、いつしかミサトさんや加持さんの立場で物語を見る視点を手に入れた。
本当にくだらないような、ともすれば現代社会において”よくある”ような話だ。
Qを見たときは、そんな感想を抱いた。
社会は知ろうとしない限り何も教えてくれないし、知識不足で短慮を起こすことなんかよくあることだ。
そしてその短慮を前提に、手ぐすね引いて待っている人がいることも、よくある。
シンエヴァンゲリオンは大人の話だ。
今まで子供のように今ある世界を否定し続けた人々が、今度は今ある世界の延長線上にある未来を夢見ることになる。
大人になると、自分という人間の個が流動性を失い、今あるものを守ろうと躍起になる。
消耗した人間性を補うように、珍妙な新製品に手を出さなくなり、明日の日常を願うようになる。
それが大人になるというものだと実感している最中だ。
シンエヴァンゲリオンは本当にずるい。
自分はひねくれているので中盤まで”くだらない”物語に落ち着いてしまったのだと落胆していた。
しかし私は涙を流していた。
そのことが自分にとってすごく意外のことだったし、困惑した。
だけど、泣くしかないじゃないか。トウジが、スズハラが、委員長があんな風に穏やかに生活しているなんて。
シンジ君にとっては、彼らがもっと過酷な生活をしていて、恨み言を言われた方が楽だっただろう。
とても酷な仕打ちに思える。
その方が自分にとっても、エヴァンゲリオンというものを”青春”のアンチテーゼとして楽しめただろう。
彼らが”小さな幸せ”を体現している風景なんて、泣くしかないじゃないか。
ニアサードインパクトで友人を殺してしまったシンジ君という彼に対しての同情と、忙しさにかまけて友人を切り捨てた自分がばからしく思える。
本当に良かったと心の底から思える。
シンジ君が自分のようにならなくて。
”子供”だった登場人物たちはいつしか”大人”になり、大人としての責務を果たしていく。
ミサトさんをはじめとしたブンダーの搭乗員たちも。
そして、シンジ君も。
クソみたいな最高な、おとぎ話だ。
本当に良かった。
面白かったといえる。
シンエヴァンゲリオンはそんな作品だった。
ただ私の心の奥底には釈然としない気持ちも残っている。
きっと中学生の私がシンエヴァンゲリオンをみたら、納得しなかったしクソみたいな作品で終わっていただろう。
大人になったなと、実感した。
そんな私のエヴァンゲリオンだった。
今感想を書きながら思い出すと、酒とたばこが止まらない。
感慨深く、釈然としない。
そんな話だった。
酔っていて、感情が制御できないので、この辺で。
さようなら 碇シンジくん
人はなぜ生きるのか。
あの小さな村。破とQの後、同級生たちがどうなったのかという説明以上に、そこには、エヴァ全体に流れる「人はなぜ生きるのか」のテーマに対する、作り手の誠実な総括があった。
破壊された世界でありながら、それでも人は懸命に生きようとする。ささやかな場所で希望をみつけようとする。
戦後のバラック、震災後の仮設住宅のようなあの場所で、クロナミを通して、私たちに生命の正しいあり方を思い出させてくれた。
誰かの命令、支配、依存、大義名分は必要ない。自由で自立した魂が心地良いと感じること。生命への愛(=光)に満たされること。すると、この世はなんと喜びで満ち満ちていることだろう。
クロナミはちゃんと自分の魂(=居場所)を見つけた。
ヴィレも同じだ。ヴンダーはクルーたちにとっての居場所だ。青葉シンジと日向マコトのグータッチはさりげないけど、明確にそのメッセージを感じさせる演出だった。
LCL化してひとつにならなくたって、それぞれの人がそれぞれの魂(=居場所)を守ればいい。
自己嫌悪というエゴを脱ぎ捨てニュートラルになったシンジは、もう何かと戦うのではなく、キャラクターたちをそれぞれの居場所へと導いた。
庵野監督は、みなしごとして運命づけられたキャラクターたちに、エヴァンゲリオン以外の居場所を与えたのだ。エヴァに依存しなくてもいい世界、自分の居場所がある世界を。
とりわけ、シンジとアスカとの海辺の会話を私は一生忘れない。
勝ちも負けもない。ありのままのアスカが、シンジの言葉にポッとなる表情を見て私は心から安堵した。つらいことばっかりだったアスカ。母目線の私は、アスカのあの顔がほんとに嬉しかった。このシーンがあることで、ケンケンと幸せになれることを確信できた。
ではシンジの居場所はどこか。
人類救済の聖母マリアに対して、マグダラのマリアは、精油を自分に塗ることでキリストに「自分を喜ばす」という尊さを示した。
ユイの一人子シンジに「自分を喜ばす」尊さを与えてくれる存在・キャラクターがどうしても必要だったのだ。誰かの犠牲者ではいけない。それがマリだった。
どんなに緊張する場面でも楽しそうに歌い、決して自分を犠牲にしたりしない。登場初っ端の「楽しいからいい!」ってセリフが腑に落ちる。
イスカリオテのユダではなく、イスカリオテのマリア。時に大人を欺きながら、シンジと、シンジと伴に歩いてきた私たちに、「これからは自分を喜ばせにゃよ」って言ってるみたいだ。
それにしてもミサトの口調と髪型が戻った時は嬉しかったなぁ。
あぁ、キリがない。「さよなら」は元気にまた会うためのおまじないだよね。涙。
最後までエヴァらしく
苦節25年の末のハッピーエンド
碇シンジを主人公とした、碇ゲンドウの物語
これまで様々な出来事があったが、遂に登場人物と作成スタッフがエヴァの呪縛から解き放たれた。これで物語は一旦完結するが、サヨナラではない。サヨナラはまた会うための魔法の言葉なのだから。
エヴァンゲリヲンにみる思春期課題
エヴァンゲリヲンの考察で1番よく目にするのが人類補完計画に関する考察だ。しかし、この作品を考察するにあたって人類補完計画の内容に対する理解は必要ない。なぜならば、人類補完はシンジ(思春期の少年)に対する大人の理解できない事情の押し付けの具体例であり、作成陣も意図して説明していないからである。
この作品の理解にあたって最も重要なことは命題を理解することである。エヴァンゲリヲンの命題は子供たち(シンジ、レイ、アスカ)の思春期課題の描写だ。
シンジは3歳で母親を亡くし、同時に父親にも捨てられる。自尊感情が低く、他人と関わり傷つくことを恐れる。序では父親ゲンドウに愛情を求めるが拒否され、ゲンドウを恐れるようになる。破では同級生たち、親代わりのミサトとの交流で克服しかけたが、失敗(ニアサード)をする事で塞ぎ込んでしまう。Qのシンジは再び自分の殻に籠り、人と目線を合わせずに拒絶することによって自己防衛する。
しかし、シンエヴァンゲリヲンで再び同級生と交流することで立ち直ことでQでは気づかなかったミサトの優しさに気づく。
「何でそんなに優しいんだよ」
そして、恐怖の対象だったゲンドウと対話し、アニメ版、旧劇ではない新たなエヴァの無い世界(現実)を選んだ。
エヴァンゲリヲンの中でシンジは親に対し反抗する子供、レイは自己表現ができない子供、アスカは早く大人になろうとする子供として描写されている。同じように、大人たちもミサトはファザコン、ゲンドウには子供と向き合えなかった弱さなど、主要な登場人物には心理的課題がある。シンエヴァンゲリヲンは漫画から新劇に描いてきた登場人物たちの課題を解決するための映画だと感じた。
まとめるのが難しそうなのでここで終わりますが、追手門学院大学の新世紀エヴァンゲリオンにみる思春期課題と精神障害というレポートに詳しく書いてあったので興味がある方は是非一読。
https://www.otemon.ac.jp/var/rev0/0000/5482/center08_mizobe.pdf
すべてのエヴァンゲリオン終劇!
エヴァンゲリオン、最高でした。Qからどうなるか不安でしたが?
シンジの主人公としての決着点は、最高の選択でした。ゲンドウ…ミサト…アスカ…レイ…など各キャラが、光っている演出に感激です。マリが愛おしいと思えました!シンジとマリに……!
ありがとう、エヴァンゲリオン!!
やっとおわりましたね。よかった。
なんというか、やはりやっとおわりました。ありがとうございました。ご苦労様でした。という感じですかね。
内容は、やはりカオス混沌いろんな道筋がいりみだれ
まずはご自分でしっかりと見ていただいたらよろしいかと、思います。最後までちゃんとあんこの詰まった内容ですし、なんとなく筋はわかりますよ。飽きないし
退屈しないしあまり矛盾もしてないよくよく考えられた
お話です。
私的には前半の村の部分がなぜか好き。理由は
わからないですが、いまやありえない理想の
夢の優しい人間関係のいい感じの村。
ないですねいまは。ないわあ。ありえない。
後半への布石であるとわかりながらもいーなあ
この村、この場所行きたいなと思わせます。
あと、前半の音楽は昔の八つ墓村や
犬神家の一族で使われていたような
クラシックの雰囲気が漂う音楽。
いいですよね。八つ墓村の氏神様に
山道を登り赤ちゃんを抱いてお初参りにいくシーンが大好きで音楽のイメージが似ていてすごく良かった
です。
とりあえず完結しました。
内容はどうあれ(よかったですよ)
やっと最後まで来てちょっとほっと
しています。
で、マリは何歳?なのかしら?
有終の美
やっと、やっと終わった?終わった!
エヴァンゲリオン
まずは制作にあたった全ての人へ賛辞を贈りたい。
本当に素晴らしい作品を、ありがとう。
この映画の感想については、その他の映画と同じ基準で評価を下すことは不可能だと思う。
ただ、庵野総監督によるエヴァンゲリオンの最後として、これ以上のものは無いのではないかと感じる。
一言で言うならば、他人が用意した空想の中にのみ存在する無限の感覚をきっぱり終わらせてくれる作品だ。
別に作者が終わらせる必要は無いんだけど、そこは庵野監督の哲学?優しさ?なのだろう。
メタフィクションに近い演出が見られるが、私が知る限りこれ迄の作品で同様の演出を見た記憶は無い。合理的説明を介して、あくまで作品の世界に留めている点が素晴らしいと思う。
また旧劇と基本的には同じ方向性を持った作品であると思うが、決定的に違うのは作品やキャラクター、ファンに対して愛情があるか否かだろう。
特に今迄のエヴァからは考えられないぐらいキャラクターがはっきりと説明してくれるため、必要な設定は一回ですっきりと理解できる。
だから、ファンは何度も見返す必要もなく、すんなりと終わりに辿り着くことが出来てしまう。
エヴァの呪縛から解放されたキャラクターと我々に残るのは、すっかり大人になった自分の身体と、自分では成長している否か判断がつかない心、そして想像とはかけ離れた現実世界。
そしてそれは、エヴァンゲリオンを知ろうが知るまいが変わらない。
ただこの作品に出会えた我々は、シンジくんと共に、同じスタートラインに立って全く新しい一歩を踏み出すことができる。
その体験は、他の作品では得難いものだ。
…それでも何だか心が苦しいのは、現実世界を生きるのが怖いからではない。
この素晴らしい作品との別れがやっぱり悲しいからだ!
また恋しくなったらレンタルして見返そうかな…。
さよならは別れの言葉じゃないしね!
エヴァンゲリオンは良く知りません
稲垣早希ちゃんの『あんたバカぁ~?』でエヴァンゲリオンを知りました。
人間関係もある程度しか分かりません。
今作が公開延期になり、再上映?してた前作のQを劇場で観たのが初めてのエヴァンゲリオン体験でした。
って事で、本作。
キチンと伏線も回収しつつ、ストーリーも終結したのでなるほどと思いました。
基本的にエロい描写が多めだと感じ、これは男子学生はタマらんやろなと思いました。(笑)
父と息子の戦いの場が日本の日常風景の中に織り込まれており、それは普遍的なテーマなのであるとの作者のメッセージを感じました。
ラストシーンの平和な街並みに、本当の幸せとは何気ない日常なのだと強く思いました。
知らんけど(笑)
終わった!
あちらこちらに謎をふりまいて、少年少女の心をかきみだし性癖を捻じ曲げた長い長い物語がこんなに美しく終わるのか。
見にいっといてなんだけど、正直、「こんだけ広げられた風呂敷を畳むのはいくらなんでも無理だろ~www一応終わりっていうんだったら見ないと気持ち悪いしな~…」という気持ちだけで劇場に足を運んだので、驚くほどに折り目美しくきっちりと畳まれて面食らいました。
きれいに畳まれ過ぎて、後半は特に答え合わせのような部分も多かったかなとは思いますが、それもまたすがすがしい気持ちで「エヴァ、終わったな~~~!!!!!」と思えてよかった。
とにかくQまでの「なんでそ~なってるの???」という部分をだいぶ腑に落ちさせてくれるのはありがたかったです。
Qでのミサトの塩対応、もうちょっと説明してあげてよォ~~と思ってましたが、説明しちゃうとシンジ君がまた荷を背負っちゃうからなんとか自分の責任の範疇で、人間たちの力で成し遂げるべくやった親心だったんだろうなとか。
加持の情報も、今回いろいろと明かされましたがなるほど感があって嬉しかった。
カヲルくんがあんなにシンジに好意を寄せる理由も謎でしたが、人と使徒、その渚にいるものとして二つを見続け、生まれ続ける運命である意味を求める自分と、世界を変える決断をすることに迷い続けるシンジくんに近いものを感じて好ましく見ていたんじゃないかな、とか。
シンジくんほっとけない同盟のこの2人が繋がってたのもなんか面白かったです。
それにしても、ド級コミュ障こじらせおじさんであるゲンドウがその心のうち(これ自体はほんとうにしょうもない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!)を明かす時がくるとも思っていませんでした。
シンジがゲンドウにやっと向き合えたから、ゲンドウが唯一素直になれる存在であり焦がれに焦がれたユイをシンジの内に見出せたからこそできたことですが、親子がそれぞれを恐れずに向き合って話す、たったこれだけのことに25年。いや~~~ほんとに長かったな~~~お前………。ほんま………。
EDテーマが「One Last Kiss」から「Beautiful World」に移り変わったのもめちゃくちゃ良かった。序の公開時に「シンジくんのことを歌ったにしてはきれいごと過ぎるけど一体誰のことを歌った歌なんだろう」と思っていたけのですが、ゲンドウからユイへ、ユイからゲンドウへ、ゲンドウからシンジへ。また、シンジへ寄せられていたけど見えていなかったいくつもの温かいまなざしの歌だったのかなと思えて。
上映時間は長いけど一瞬たりとも退屈するときはありません。
とにかくいろんなものが良く動くし、動かなくても画面や間が美しい。
シンゴジラでは電車をどっかんどっかんやっておりましたが、今回はお船たちが働いているのもオッ!と思いました。おいその使い捨てたイージス艦建造費5000億円やぞ!
動くと言えば、とにかく女の子たちがみんな良かった。綾波のかわいさはいわずもがな、ミサトリツコはじめとするヴンダーの面々もマリも村のおばあ達もガッツにあふれて素晴らしかったし、なによりアスカが元気だとわたしは嬉しいよ。幸せになってくれよな……。
いろいろ書きたいことは尽きませんが、「おれたちをぐちゃぐちゃにしといてなにポカポカきれいに終わらせようとしてんだよ!!」という気持ちもないわけではないものの、とにかく25年、どっぷり好きだったときはなくてもなんだかんだで翻弄されるのは面白かった。
上澄みしか理解していないぐらいのテンションで追っていたわたしにとっては、とにかく気持ちよく終わらせてくれてよかったなあ!という気持ちです。
突然の宇部とシンクロ率∞というフレーズのバカさは笑いました。なんなん??
エヴァファンのための完結作品
アニメ版・旧劇場版・新劇場版とエヴァンゲリオンを観てきた私にとってはとても面白い作品でした。
ただし、これまでのエヴァの背景を知らないと意味不明なので、1本の映画としては採点4点にしました。
「これまでのエヴァの背景を知らないと意味不明」と書きましたが、正確には背景を知っていると内容を理解できるわけでなく、「これまでエヴァを長く観てきていると意味不明なシーンに耐性がついている」と言った方が正しいかもしれません。
アニメ版からエヴァを観てきた人にとっては、”Q”からのミサトさんの見た目は違和感がありますが、本作品の終盤シーンで見慣れたミサトさんの髪型になりました。これはファンにとっては嬉しいシーンであったと思いますが、このように監督がファンサービスをするあたり、本当にエヴァンゲリオンが完結するんだなぁと感じました。
ただ、敬意と感謝を捧げます。
エヴァ初心者です。
それなのに、親子の相剋に象徴されるものや人間世界の解決できない普遍的で困難な問題への対処方法やそれを巡る決定的な選択という壮大なテーマがなぜかストンと腑に落ちたような感覚になります。
と言っても、何も知らない癖に知ったかぶって偉そうに語れるほど単純なものなど無いし、局所的なことに限定したとしても軽々に言葉にすることも私には出来ません。
ただ、なぜだか全身で分かったような気にさせられるほど、胸の奥に突き刺さってくる〝とても大事な何か〟が描かれているということだけは確実に伝わってきました。
たぶん、時間が経ち、実社会での経験や見聞を積んでいく中でやっと自分の血肉になっていくような何かなのだと思います。
これだけのものを創り上げるために一体どれだけのアイデアを絞り出し、取捨選択したのか。
それぞれの持ち場で一体どれだけのハードワークがあったのか。
創り続ける間の時間、世に送り出すまでの時間、創作のために削ったであろう家族と過ごす時間、一体どれだけの我慢と根気と理解と感謝があったのだろう。
そういうことを想像するだけで、全身が震えるほど感動しました。
作品の好き嫌いや萌えポイントは人それぞれだと思いますが、こんな体験をさせてくれたということだけで、文句無く敬意と感謝を込めて満点を捧げさせていただきます。
以上。
(追記)
映画の内容とは関係ないのですが、スズハラトウジという名前。
私の大好きな村上龍さんの小説『愛と幻想のファシズム』の主人公と同じなのです。
小説では、鈴原冬ニというカリスマ性のあるハンターと相棒的な存在ゼロによる日本統治までの過程などが描かれていきます。
監督のアイデアに少しでも影響があったのなら、それもまた嬉しいな、とひとりで喜んでます。
そういえば、ゼロの名前も相田剣介(アイダケンスケ)。
エヴァの登場人物の中にいたような…
どうやら一定のリスペクトを感じます。
今度、小説も読み直してみよう❗️
(追追記)
この作品、なんだか派生的に色んなことを考えさせられます。
厳しい父とその息子の葛藤と成長の物語。
十戒における厳しい神とモーゼの関係もひとつの象徴だと思うし、星一徹と飛雄馬なんかもそうでした。そして、いつでも周囲を巻き込んだ壮大なドラマになります。
もしかしたら、ウジウジした感情やトラウマもドラマにして浄化してしまえ❗️という男の悪あがきなのかもしれないですね🤗だとしたら、この悪あがきの創造パワーもなかなか侮れない。
最近は、どちらかというと優しいお父さんのほうが多いので、碇親子の関係性からはなんだかレトロな温もりを覚えました。
それに比べると、母と娘という関係は、周囲を巻き込んだ大騒ぎ⁈には至らず、割りと身近な世界の人間ドラマやコメディで描かれることが多いのではないでしょうか。
母と娘が世界を巻き込んで大喧嘩❗️なんて映画は意外と新分野になるかもしれません。
面白かった、が…
漫画版を子供の頃に見て、三年くらい前に新劇場版を見てハマり、テレビ版、旧劇場版という順番で見てシン・エヴァを鑑賞しに行ったオタク。
率直にいうと面白かったがモヤモヤが残ってしまうという非常に悔しい結果だった。多分僕は庵野秀明が好きだったわけでは無くて、エヴァンゲリオン新劇場版という“新シリーズ”が好きだったんだと思う。だからこそ作品後半の序破急とは一線を画すような彼のエッセイじみた作風を素直に受け入れることができなくて(「まごころを君に」が刺さらなかった自分としては)、心の中では本予告で醸し出されていたシリアスな雰囲気を求めてしまっていたのも大きな要因なのだろう。もちろん本予告のシンジ君のセリフや、“3.0+1.0”というようなナンバリングからシン・エヴァンゲリオンがこれまでのエヴァンゲリオンの集大成とも言える作品となることは想像ができたのだが、それでも自分の理想としていたシン・エヴァと実際に映画館で観たシン・エヴァが乖離してしまっていた事実を、映画を観た当日には受け入れることが出来なかった。結局自分は王道でありながらも心を抉られるようなストーリー展開、複雑な設定、奇抜な世界観を持つエヴァンゲリオンが好きな浅いオタクだったのかもしれない。もちろん、作品自体は十分に楽しむことができた。特に第3村のシークエンスはQの絶望的な状況とは一転して、まるでこれまでのシリーズに出てきた中学生パートのような穏やかな生活を見ることができて救われたし、ヴンダーの本来の運用方法やゲンドウの目指す新劇場版での補完計画の内容(ヘヴンズフィールかな?)が明らかになった所などは本当男の子心をくすぐられた。マリendのラストに関しても個人的には納得がいった。“新”劇場版である以上は、今までのシリーズには登場しなかったヒロインがシンジを救って恋仲になるという展開はありえたとは思うし、とりあえずはシンジ君が誰とも結ばれないエンドにはならなくて良かったんじゃないかな(ヒロインを絞め殺そうとしなくて本当に良かった…)。ただ、やっぱり本予告を見てすごく期待していた初号機と十三号機のバトルが半ばお笑いのような形で進行していたのが個人的には残念だった(まあこれが認められないのは結局は自分のエゴのせいなんだけど)し、登場人物がこれまでの名台詞を次々と言っていくのは正直あざとく感じて苦手だった(ポカ波、「ゲンドウ君の狙いはこれか!」「始めよう冬月」等々)。後は首無しエヴァが綾波の体に変わっていったり、ゲンドウがテレポート遊びをしたりするシーンは本当に笑いを堪える程面白かったけど、僕の求めていたエヴァはこれじゃなかったんだよね…。ラスアス2とかトイストーリー4を批判的に見てる人は物語を多面的に見れてないんじゃないかって思ってた。でも僕もその中の一人だったようだ。「さよならはまた会うためのおまじない」と作中では言ってたけど、多分もう庵野監督の新作エヴァを見るのは難しいだろうから本当に悲しい。そして、制作陣には「これまでエヴァンゲリオンという作品を作ってくれてありがとう。」と感謝の意を伝えたい。自分のエゴのせいで評価を3.5にしてしまったが、「虚構と現実」という全ての作品が必ず有するテーマについてここまで深く取り組んだシン・エヴァンゲリオンは本当にすごい作品だと思うし、二回目も絶対見に行くだろう。ありがとう庵野監督。
後、僕は三人の中では綾波派で、一番好きなのは鈴原サクラです。
さらば、全てのエヴァンゲリオン
「さらば、全てのエヴァンゲリオン」このキャッチコピーがこの作品の全てを表していると思いました。
ここでいうエヴァンゲリオンが、エヴァをこれまで見てきた視聴者を指しているというのは明らかだと思います。つまりこの作品はエヴァと共に成長してきた視聴者(ならびに関係者)に向けられた、庵野監督やカラースタッフが別れを告げるための(そしてまた会いましょうという意味も込められた)作品だなと感じました。
そのためこの作品には現実の視聴者へ向けられたメッセージを多分に含んでおり、メタ的な要素が多いです。
作品への没入感を期待して見ると肩透かしをくらいます。私がそうでした。
まず前半部分で綾波の名言である「ぽかぽかする」がギャグ的に使われるシーンがあります。そんな使い方するのか笑 と思い、このときから制作者側からのメタ的に見てほしいという意図を感じ、少し引いた目線で見てしまうようになりました。
かと言って、つまらなかったわけではないですし、これまでの謎も色々解けたし、作品の集大成として良かったと思うのですが、、、
以下、私が気になった点を紹介します。
前半の田舎街で生活するパートは敵側の重要人物である綾波を放置しておく理由やアスカが滞在し続ける理由が不明で、もやもやしました。(シンジの監視・保護ならエヴァのパイロットという超重要人物のアスカじゃなくても出来る)
専門用語が多く分かりにくかったです。
しかもQのシンジは周りのことをまったく理解していなかったのに、今回はピンチのときに急に出てきて、全て理解してるぜ俺は!みたいな感じの悟りきった顔をしていましたが、いつどうやって状況を理解したのか不明。
あとシンジの人格変わりすぎです。もはや、別人。
綾波も今までは感情の欠落した少女だったのに、今回は何も知らないただの純心無垢な女の子のような性格で、これは綾波じゃない感がありました。これは個体差かもしれないですが。
もうちょっとあった気がするのですが、思い出せない笑
(u_u)終わりましたョ。
なんて上品で大人しい終わり方だったんでしょうか、、、。
綾波を救おうとする後先考えないシンジくんの愛情を描いた破!
後先考えないシンジくんがまたやらかしてしまうQ!
コレは面白かったし、共感も持てたし、すぐに手を差し伸べる人間でありたいと常に思っている小生にとっては前作は納得いくものでした。
人類が作ったビレの槍とシンジくんの活躍でなんとか人類はパラレルワールド的なシンジくんの世界で救われます。
ネルフは人類補完計画を前提とするリセットで人類を完璧な世界に導こうとしますがビレは人類をコンティニューの形で正しい方に導こうとします。結末はどうであったか?人類補完計画に行かないまでも何となくリセットに近いような形のような?小生としては傷ついた人類がクローン人間を含め少しづつでも再生するのを期待してましたが。
どのアニメもそうですがリセット物って、死んでも次があると言った甘えのようなものを感じてしまい、あまりいい感じはしません。
しかしながら伏線回収と落とし所はこの辺しかなかったんでしょうね。
アスカ 綾波 マリ 登場人物の描写は良かった、特にマリがキーマンで何かをしでかします。彼女ら推しのファンにはたまらないでしょうね!お色気シーン含めて、、。
突然ですが国会議員の方にお願いしたいのですが〝日本映画法〟の発布お願いします。〝次回作は2年以内〟と!!
レビュー見ているとエバ最終回でずいぶん救われた人がいるようです。
全ては宇部から始まった
仕事で3年半宇部に住んでいた。
同僚がやたらとエヴァが凄い観てほしい!と云うので付いていった。
宇部の寂れたアーケード街の片隅にこれまた昭和レトロの小さな映画館で『シト新生』を観賞。
TV版も観ていなかったけれどカットアップの斬新な編集や明朝体のタイポグラフィでたちまち虜になった。
次の週末地元福岡に帰り、全て録画しているという友人宅に押し掛け24話ほぼノンストップで観賞。
そして宇部へとんぼ返り。
それからずっとエヴァを追い続けてきた。
その間、躁鬱病にかかり、自死も考えるほど酷い状態に陥ってきたがエヴァを観ることで精神の安定を何とか保つことができた。
エヴァを知る前はアニメをどこか馬鹿にしていたからアニメ好きになって良かった。
安野モヨコの絵本を幼児が綾波に差し出したあたりから涙が止まらず大変だった。マスクしているから眼鏡が曇って見ずらいし。
しかしマスクがあって良かったのはほぼ嗚咽していたから表情を見られずに済んだ。
洞木ひかりが安野モヨコで綾波は庵野監督との子どもを意味していると思う。
大人になっていくシンジは今の庵野監督でゲンドウは過去の庵野監督を感じる。
おそらくそうした私生活があからさまな点が鼻につく人は厳しい評価になるのだろう。
私はこの作品&庵野監督との内面とシンクロ率が高いので一アニメ好きとして評価できているのか自分でも怪しい。
どんなラストでも受け入れたかもしれない。
ただ観た人なら気づいたと思うが「おとしまえをつける」という台詞が4、5回出てきて、見事に綺麗な形で終劇の白コマまで見せて(魅せて)くれてとても感謝している。
久しぶりに宇部を訪れてみるか。
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