シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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エヴァンゲリオンが1番庵野ワールド全開で最高でした
庵野さんの癖を観ていたような映画
登場人物がそれぞれとても魅力的でアスカさんとマリさんはとても好きでした。コンビでの戦闘もとても良かったです。終わってしまって寂しさがあります。
天才の天才達による凡人の為の作品
アスカさんは本当に天才だなと思いました。
それぞれの最後の時がとても象徴的で様になっていてかっこ良かったです。
こんなご時世だから終わってしまったのかな~。
ラストの宇多田さんの歌はまた最後にエバを強く感じることが出来ました。
エヴァンゲリオン本当にありがとうございました。
いつまでも永遠にファンです!
Ps 年配のお父さんは隣ですやすやと寝ていました。
追記
Paris(エヴァ)と別れることが寂しいことを感じました
エヴァンゲリオンロスになってしまった
これからエバの知識をどんどん補完していって、チャンスがあればまだ劇場でエヴァを観たい😣
パンフレットも買いたい❗
(式波)アスカ・ラングレーをまだまだ追い続けていたい🏃♂️
まだまだエヴァロスになんてなりたくない
勘弁してくれ
レイの様に爆弾持ってでも劇場まで突っ込む感じで観に行きたい
この使徒を殲滅させる
まだ終わっていない
長い旅の終わりかな
終わってしまった……
公開から1週間ちょい行けそうだったのでシンエヴァンゲリオンを見てきました。見に行くまでにTwitterで田植えがどうとか感想でアスカ……みたいなのがありもしかして明日か死ぬのか……?と思いながら見に行きました。
まぁ、映画館はほぼ満席で始まり(ポップコーンかなり落とした)最初の田植えシーンみて黒波の成長を見た後のあの驚き。アスカにタオルをかけるシーンとかでも驚き。
いやー、やばいですね(語彙力)
でもアスカのは前回からかなり時間経ってるしまぁ、わかるかなって。
最後に、とても面白い作品だったと思います。ありがとうございました。あと何回か見に行こうかな……。
一見さんお断り映画
70%の理解でも十分満足
今のアニメーション映画の真骨頂で最高峰
とりあえず皆で行こう!
一時は(ずっと?)どうなる事かと思ったが、無事完結。まずはそこを寿ぎたい(笑)
『Air/まごころを、君に』の経験が生きてるというのが最初の感想。
性急になりすぎず、エンタメとしての爽快感を維持しながらテーマに切り込んでいる感じ。
映像の素晴らしさ、セルフオマージュの巧みさは流石。
大げさでなく、日本アニメ史に残る名作が生まれたという事だろう。
とはいえ、TV放映時から追いかけてきた自分個人としてはモヤる部分があったのも確か。
もちろん、積年の「思い入れ」があるので「何を出されてもモヤる」可能性が高いのは自覚しているが…綾波の扱いはもう少しなんとかならなかったのか。
綾波に関しては『序』『破』の流れとの乖離を感じてしまうなー
あと、「1000人レベルの共同体で農業」って!(笑)
「理想郷」のビジョンがそれなんだーという脱力感はあった。
正直、あの辺の展開は(必要性は理解できるものの)苦痛で、「このまま終わったらどうしよう…」と不安を抱きながら見ていましたよ、もう。
この辺は完全に個人的な趣味問題なので、評価には関係ないと思うけど。
最後に、
一言でいうとマリの映画だった!(笑)
この辺りは庵野監督の誠実さの表れだと思って高く評価してるんだけど、僕は。
既存のキャラだけではエヴァは終われない、似た結果になってしまうから、今までにいなかったタイプの個性を投入するという事でしょう。
実際、コアメンバーであるシンジ、アスカ、ミサトの行動はTV、『Air/まごころを、君に』、あと本作で大筋は変わっていないのだから。これはスゴイことだと思うのですよー
終わってしまったんだなーという虚脱感
ネタバレなしで書くのは難しいんで内容には一切触れませんが、
前作のQに引き続きの難解なストーリーと専門用語の波。
にわかな方なので、ざっくりなストーリーしか把握してないんだと思う。
とりあえず、こういうシリーズ物の感想にはこれから観る人へのアドバイスとして毎回書いてますが、
こないだやってた金曜ロードショーのシン劇場版3部作だけでなく旧劇場版やTVアニメシリーズなど予習できるものは予習して置くと幸せになれると思います。
ただ、序・破・Qについては最初に「これまでのエヴァンゲリヲン」という振り返り映像が流れるので一度観たけど忘れてるなーくらいなら免除可能かも。
上記のように理解していない部分は多々あると思いますが、
理解したのは、本当にエヴァは終わってしまったんだなーという虚脱感。
Qでは語られなかった他の登場人物のその後も語られます。
そういう意味ではスッキリして、そういう意味ではモヤモヤする作品でした。
現実世界の中だけの話にして欲しい・・・・・
あわい(春)
日本アニメ界に燦然と輝く彗星のしっぽに危うくくっついた、2020年からのファンです。
エヴァンゲリオン観てみよう。と、新劇場版:序を再生して本当に数分で、優しい瞳の少年に心奪われてしまった。
延期につぐ延期で、旧劇・TVアニメ版・漫画とナディアまで観る時間ができたのは初心者には嬉しい誤算だった。
それらの作品に触れるのは初めてだったけど、がっつり同時代は生きているのであの頃はどんなだったかなぁと思い出しながらの鑑賞だった。
周りにいる人は変わり、居る場所も変わった。
でも不意に出会う絵空事に心を揺さぶられ、メソメソとティッシュで片目ずつ押さえている自分は全く変わっていないのだとエヴァの25年を追体験して気付いた。そしてどうやらこのまま歳をとっていきそうだということも。
それは幸福なことだ。
本作を観たのは小学生の息子と。鑑賞後、ほんの少しだけ彼が遠くに離れたなと感じた。そしてどうやら本人もそう感じているとなぜか分かるんだ。相変わらずアホなことをやっているけど。時間は有限なのだなと思った。
本作に青春の終わりをみたひともいるし、ここからはじまる青春もあるらしい。
6月でも1月でもなく、3月に。
何年生でも何学生でもない、ほんの僅かなあわいの日々が身に染みついている春の日に、本作が上映されて本当に良かった。
観たあとの帰り道、1年でいちばん優しい風に触れながら歩けるんですよ。
偶然とはいえ何という幸運。
もう、どうぞ映画館へ!
マイナス0.5は、最後に聞きたかったのは緒方さんの声だったからです。迷ったけどすみません…
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7月21日、終映後 ★5に修正
日本語字幕版、4dxも含め10回観ることができました。
最後ドルビーシネマで締めました。
自然に沸き起こった拍手に心底震えました。
スクリーンに映されたすべて
耳に届く音、楽曲、セリフすべて
希少品と呼べるかもしれない。
舞台挨拶での緒方さんのお話を聞いて、涙が出てしまった。エヴァはどこまでも優しかった。ありがとう!!
エヴァを観ている、見終わったという充実感
やはり世界の中心で愛を叫んだケモノ
長く感じるほど中身の濃い、濃すぎる映画でした。
フィナーレに相応しく、大人になったという言葉が、
角が取れて丸くなった姿という意味で言うならば、
庵野秀明総監督が「大人になった」とも言うべきことなのかと。
なぜなら、ストレートに伝わるメッセージがあったから
ただ言葉にせずとも、絵で伝える
表現者たる自覚は忘れずに、ただわかりやすく
暖かく伝えていた。
リピートという意味に見出されること、
本当に生涯の作品なんだろうなと。
Redo. という表現も過去ありましたが、
全ては作品を咀嚼する側へのメッセージか。
やはり作品を複雑にする用語は照れ隠しにしか見えず、
本心はやはり愛を叫んでいるとしか僕には受け取れない。
ただ、今回は大きく違ったのは、愛の見方が変わっているということ。
どこかにcodaがあり、一曲が終わった感じ。
その曲のタイトルは「エヴァンゲリオン」
A面B面があるカセットが象徴的に使われるのもそれが故のことか。
自分はラフマニノフのピアノ協奏曲が大好きで、何度もリピートしますが、没入していると、そこに広がるのは「想像の」世界。どこかしら似ている気もする。
長調では花畑と木漏れ日を想像し、短調では凍てついた大地を想像する。
そこに入り込み、想像を重ねると行き着く世界は二次元と頭の知識(言葉)か。
今回の映画は目も頭も疲れますが、どこか愛という温かみを感じ、エヴァにしてはなかった何かがある気がします。
これまで見てきた人は是非に。
さようなら全てのエヴァンゲリオン。
これなんの感情
鑑賞に支障がない程度にネタバレ有り
エンドロールが流れてきた時、自然と涙が零れ落ちた。
コレは何の涙?泣いてるのは私・・・
しかし感動という部類の涙ではなかった。
ああそうか!これは寂しいから泣いてるのだ。
リアルタイムで観て来て、ずっとエヴァの呪縛に憑りつかれた人だったので、
そう、もうエヴァが終わってしまった寂しさで泣いてるのだった。
それくらいもう綺麗さっぱりと「これで終わりですよ。」と言われてしまった。
正直、内容には言いた事が沢山あります。
上映最初に「これまでのエヴァンゲリオン」のダイジェストがあるが、
これを観ただけでは、初見の人には到底理解できる訳もなく、
単体の映画としては成立していない。良くも悪くも続編。
マリがいつものように昭和歌謡を唄っている違和感。
そして昭和歌謡をBGMとして使用している違和感。
またシンジがいじけてウジウジしている時間が長くてイライラ。
最早、綾波でもないレイ(なので愛着が湧かない)が、
感情を覚えていく過程描写の幼稚さ。ベタさ。気持ち悪さ。
作風を変えたのか?と、思った。
カップルになった組み合わせの不自然さ。なんで!?って感じ。
(何故惹かれ合ったのか描写がないから余計に)
ミサトさんの子供の存在意味。←全く物語に絡んでこない。
ミサトと加持が結ばれたという証でしかない。いなくてもよくない??
加持がほぼ出てこない。これなら台詞の中にだけ出てくれば用は足りる。
終盤の「さらば宇宙戦艦ヤマト」的な展開
(Qで戦艦が出てきた時点で、
「あ、この人、やっぱりヤマトがやりたかったんだな」と、思ってた。)
一番盛り上がるべきエヴァ同士の親子喧嘩が一番チャチ。
一番のハイライトが一番最初の戦いという・・・しかも此処だけ公開済みだし。
また精神世界の繰り返し。結局、最後は旧劇場版と言ってる事も同じ。
違うのは分かりやすく全てを言葉で説明し、ゲンドウはユイへの執着を語っただけ。
冬月先生に関しては全く旧劇場版と同じ末路。
等々・・・
観ていて引っかかっていたけど、観ていて単純に
エンターティーメントとして楽しめました。
エヴァにしては分かりやすい点が逆にエヴァらしくないけど(苦笑)
これ観て評価低い人って、ただ単純にファンと公言している
「なんちゃってファン」なんだと思います。
俺のように憑りつかれてまではいない(苦笑)
ここまではっきり「さよなら」と言いきられてしまうと
憑りつかれていた俺でも、エヴァの呪縛が解かれました。
ありがとう!すべてのエヴァンゲリオン!
さようなら!すべてのエヴァンゲリオン!
スタッフ・キャストの皆さん、ありがとうございました。そして、お疲れさまでした。
今作を見る前に、『序』・『破』・『:Q』・『Air/まごころを君に』、を改めて映画館で鑑賞したうえで初日に4DXで観に行きました。最初観終わったとき、「庵野監督はやっぱりすごいなぁ。でもうーん、よくわからんかった。」という感じで、別の日にもう一回見に行きました。
二回目はIMAXで鑑賞しました。一連の流れはわかっていたので余裕をもって鑑賞しました。それでもよくわからなかった。そして14日に再びIMAXで鑑賞してきました。三回目はパンフレットを読んだうえで鑑賞しました。パンフに書いてあるところを注意して観てみるとアニメーションの迫力や声優さんの演技が一段と熱が伝わりました。
結論として、やっぱり庵野監督はすごい人だなぁと改めて実感できました。前半は日本の原風景中心で田植えや銭湯といった、第三村の生活環境が詳しく描かれており、今までのエヴァとは雰囲気がガラッと変化していました。農作業しているレイや成長したケンスケとほぼ全裸のアスカが同居していて、新鮮な気持ちで観ることができました。
個人的にお気に入りのシーンはシンジくんがルアーのリールを巻いているカットが好きです。ルアーのハンドルが回転している描写がものすごく滑らかに表現されています。必要のないカットだと思ったけど、総監督のこだわりが伝わってきました。
後半は庵野ワールド全開、といった感じではないでしょうか。戦艦同士の砲撃戦や特撮がふんだんに盛り込まれており、総監督の趣向がエヴァの世界観とうまく調和していました。個人的にはミサトさんの部屋でエヴァ同士の戦闘がかなりツボにはまりました。
この後に起こる最後のインパクトに私は最初ポカーンといった感じで呆然し、最後にはシンジくんが線画になったときは頭が混乱しました。三回目観たときはシンジ君はあの時、自分の存在が消えると分かったうえでの行動だったと考えました。
そして、最後にシンジ君は「他者を信じる」ことができ、成長した姿を見られてホッとしました。
正直エヴァを全く知らない人がこの作品をみてもよくわからないと思います。でも25年の歴史が詰まった映画なので、初見の人でも一度は見てほしい作品です。
つい最近Dolby Cinema版を観てきました。正直IMAXを超えています。線の一本一本が鮮明で色鮮やかなアニメーションでビックリしました。ケンスケのメガネが意外と分厚かったり、作中の文字がクッキリと見えて観やすい!!サウンドも申し分なし、シン・エヴァでDolby Cinemaのすごさがわかりました。ありがとう、エヴァンゲリオン!!
君の名は。を認めているというメッセージが含まれているのでは?
面白かった、いや面白かったと言わざるを得ないだろう。100点満点で採点すると、86点となった。これは自分基準で★4.5(★5が最高)となる。
感想に入る前に、目次と自分のエヴァ視聴歴および『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』(以下、『シン・エヴァ』)について参照した情報を書いておきたいと思う。
まず自分のエヴァ視聴歴であるが、「旧エヴァTV版」はなぜか最終話だけリアルタイムで見て、20年後に9話くらいまで(シンジとアスカが初めて共闘し、息を合わせて使徒を倒すところあたり)見た。「新劇場版」の『序』は半年前の2020年夏ごろ、『破』・『Q』は公開直前である2021年3月6・7日に視聴。そのため「旧劇場版」は未視聴であるし、漫画版も未読である。
次に参照した情報について書くと、映画本編以外ではパンフレットだけである。
では目次を以下に記す。なおこの感想は、全体で5000文字ほどである。
1.採点と内訳
2.『新世紀エヴァンゲリオン』として伝えたいこと
3.役割的な意味での「マリを追加した理由」
4.旧エヴァからのファンへの真なる感謝(≠ファンサービス)
5.もし次に庵野秀明に語ってほしいテーマがあるとすれば、それは「認め合う事」
6.『君の名は。』を、つまり新海誠を認めているというメッセージ
かなりの文章量であるため自分として重要な段落を書くなら、「1、3、6」となる。
1.採点と内訳
最初に書いた86/100点の内訳を記す。なおこの配点は自分が映像作品を採点するときに用いているものだ。(ちなみにこの配点での最高点 = 自分が一番好きな映画 = 『君の名は。』は95点である。)
■『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』86点
物語:14/20
人物:19/20
音楽:15/20
演技: 5/ 5
哲学: 5/ 5
主題: 5/ 5
映像: 5/ 5
総合:18/20
▼物語基礎点:15(かなり良い)
全体としてわかりやすく作られていたと思った。自分がエヴァに抱いていた印象は「宗教的な用語を多用するがその意味は明かさないなどの、投げっぱなし系」であったが、『シン・エヴァ』ではテーマをしっかり説明し、理解しやすくしている印象を持った。おかげで新劇だけ見たような自分であっても理解できたと考えている。
以下、基礎点からの加点減点。
-2:第3村での展開が冗長に感じた。いや、アヤナミレイ(仮称)(以下、別レイ)が居場所を見つけたりシンジが回復するための時間であることは理解できるが、それでも長く感じた。
+1:第3村の展開は別レイの喪失を印象付けるためだけの演出と思っていたが、鑑賞後にここでの展開が「社会」の必要性を描いているのだと思ったこと。
▼人物基礎点:20(最高)
どのキャラクターも魅力的であり、かつ心情を吐露してくれる場面もあったため理解しやすかった。とりわけゲンドウとアスカの心情描写がわかりやすくて良く、完結編に相応しい描き方であったと思う。
以下、基礎点からの減点。
-1:ミドリ(ピンク髪かつ厚ぼったい唇の、軽いキャラした女隊員)が少し不快なキャラクターであるため
▼総合基礎点:15(かなり良い)
物語と人物部分で書いたように、完結編として申し分ない作品だと思う。しかしながら個人的には、鑑賞後の心地よさ(≒カタルシス)がそこまであるわけではなかった。わかりやすく作ってくれた分、疑問点や不明点、謎に思う部分もあまりないため再度観ようという気にはなっていない。そのため基礎点は15点とした。
【印象的なシーン】
その1.別レイが活動限界を迎えて液化する場面。それまでの牧歌的な雰囲気が一変して一気に引き込まれた。
その2.ミサトが銃弾からシンジをかばって被弾するものの、「シンジくんの全責任は艦長の名において私がすべて負う」のように宣言したところ。ミサトのシンジに対する信頼(≒愛情)が表れていて、軽く涙ぐんだ。
その3.ラストカットにて主題歌『One Last Kiss』の歌いだしが流れてきた瞬間。
以下、基礎点からの加点。
+1:ラストシーンの心地よさとハッピーエンド感
+1:圧倒的な映像美
+1:神木隆之介の起用理由と推測しているコト(これについては段落6.にて触れる)
2.『新世紀エヴァンゲリオン』として伝えたいこと
『シン・エヴァ』いや『新世紀エヴァンゲリオン』として庵野秀明が伝えたかったことはたった1つであるように思う。それは「自分の殻に逃げ込むな。傷つくのを覚悟の上で他者に近づけ。人との繋がりが一番大事なのだから」だ。これはシンジの言動、情動および行動と、ゲンドウの過去およびそこから発生した動機から読み取った。
人は一人では生きられない。正確に言うなら、他者と関わって社会を形成してこそ人間として生きられる。だからニアサードインパクト後のセカイにおいても、そんな状況下で形成されたシャカイ(=第3村)を描いていたのではないかと思う。そしてこれは、ヒトが生きていくには社会が必要ということを示しているのではないか。ひいては社会を無視している「セカイ系」への間接的な反論ではないだろうか。そう自分は感じた。
3.役割的な意味での「マリを追加した理由」
新劇の特徴としてマリの追加がある。ではなぜ追加したのか?と考えてみた時、次の2点の役割を持たせたかったからでは、と考えた。
3-1.戦闘的な役割
戦闘的な役割としては、アスカを戦線離脱させても問題ないようにする、ということだと思う。『シン・エヴァ』では開幕からタイトルコールまではマリひとりで戦っているが、これだってマリがいなければ描けない戦闘だ。この戦闘そのものにはあまり意味がないと思うが、マヤとその部下たちとの関係性を描くためには必要なシーンだ。またアスカはこの時、シンジ達とともに放浪したのちに第3村に滞在する必要があるのだから、その意味でもマリがいた方が良い。
そして戦闘的にもっとも重要なのはシキナミタイプの生アスカにアスカが取り込まれたあとで、すなわちここでアスカを戦線離脱させてもエヴァパイロットが存在している状態で物語を紡ぐことができる。そのためのマリなのだと思う。
3-2.物語的な役割
物語的な役割としては、シンジとアスカを「くっつけないため」と考える。ここで重要なのは、シンジとマリがくっつくことではない。それは後付けというか消去法的に決まることであって、一番の役割はシンジとアスカをくっつけないことだ。
『シン・エヴァ』クライマックスでのアスカ回想シーンで描かれる通り、アスカが求めているのは恋人というより父親に近い存在である。これは、シンジが成長する前に求めていたのが恋人ではなく母親であることと対比されている。だから新劇においてシンジとアスカがくっつくことはないのである。しかしシンジとレイが結ばれることもまたない。レイは母親であるところのユイとニアリーイコール、または妹になるかもしれなかった存在であるため、結ばれることは禁忌である。
だがそうするとヒロイン2人ともが主人公と結ばれないこととなり、世界は救われてもシンジが救われた気がしない。そのためのマリなのである。
はっきり言ってしまうがアスカまたはレイに比べると、マリとシンジが共有した時間は薄く短い。またマリはゲンドウとユイと同級生であることから、生きてきた年数がかけ離れているとも思う。しかし肉体年齢的には、エヴァの呪縛から同時に解放されたシンジとマリはほとんど同じであるし、精神年齢的には成長後シンジはゲンドウを超えているだろう。もちろんマリの精神年齢も成熟しているため、その意味ではベストカップルと言える。
以上が、自分が考える「マリを追加した理由」である。
4.旧エヴァからのファンへの真なる感謝(≠ファンサービス)
パンフにある通り、旧エヴァから25年の月日が経った。旧エヴァ放送当時に思春期であった人は今、アラフォーになっているということだ。そして旧劇を含む旧エヴァは、いわばバッドエンドであると周りから聞いている。世の多くの人はバッドエンドよりハッピーエンドを望むだろう。その意味で旧エヴァファンはやるせなかったことと推察する。代わりの物語を求めた人もいただろう。しかし新劇の所信表明にて庵野秀明が断言した通り、"この12年間エヴァより新しいアニメはありませんでした。"という状況だったのだ。つまり、旧エヴァファンは「エヴァの呪縛」によって時間を止められていたのだ。
そんな中で始まった新劇。『序』『破』での盛り上がりとは裏腹に『Q』では鬱々とした展開になり、また空白の時間が8年以上続いたため旧エヴァファンは不安だったのではないだろうか。しかし公開された『シン・エヴァ』は、ご存知の通りきれいにまとめたハッピーエンドであった。旧TV版の各回タイトルを高速で流した場面などは、旧エヴァファンにはたまらないものだったのではないだろうか。
自分がはっきりとわかったシーンはこのTVタイトル部分だけであったが、それらを盛り込んだのは「ファンサービス」などという軽いモノではないと考える。ではなにか。それは旧エヴァからのファンへの「真なる感謝」なのではないだろうか。そして『シン・エヴァ』によって、旧エヴァからのファンは「エヴァの呪縛」から解放されたことだろう。彼らの時間はようやく動き出したのだ。
5.もし次に庵野秀明に語ってほしいテーマがあるとすれば、それは「認め合う事」
『新世紀エヴァンゲリオン』として伝えたいことは段落2.にて書いた通りだが、これは中高生に向けたメッセージであり現代で生きるための第一歩と言えるだろう。では第二歩はなんであろうか。
それは「認め合う事」と考える。「認め合う事」はLGBTQに代表される性的マイノリティに対してもそうであるし、世代ごとの人数差から生じる世代間理解においても大事なことなのではないだろうか。
庵野秀明が次に何を語るのかは存じ上げないが、もし「認め合う事」を語ってくれるなら期待して待ちたいと思う。
6.『君の名は。』を、つまり新海誠を認めているというメッセージ
『シン・エヴァ』を観ていて、自分はなぜだか『君の名は。』を想起していた。覚えている限りで挙げると以下の4点となる。
6-1.別レイに対するシンジのセリフ「君の名前は?」
6-2.エヴァが先にやっていた「音楽を流しながら日常を切り抜きで描く」見せ方の使用
6-3.第3村という農村で繰り広げられる「エヴァっぽくなさ」
6-4.ラストシーンの社会人シンジの声を神木隆之介(=『君の名は。』の主人公である立花瀧役)に任せたこと
ここからは完全な推測となるが、庵野秀明は『君の名は。』を、つまり新海誠を認めているのではないだろうか。
段落4.にて引用した言からもわかる通り、庵野秀明は新しいアニメを求めていたが1995年~2006年までの12年間では現れていなかった。しかしついに現れたのが『君の名は。』(2016年公開)だったのではないだろうか。
上で挙げた4点のうち、客観的に見て明らかなのは「6-4.ラストシーンの社会人シンジの声を神木隆之介に任せたこと」だ。緒方恵美が社会人シンジの声を出せないとは思えない。ではなぜこんな大役を神木隆之介に任せたのだろうか。客寄せパンダ?いや違うだろう。むしろ旧エヴァファンからは反感を買うはずだ。もちろんそんなことを庵野秀明が想像できないとは到底思えない。ではなぜか?
そう考えた時に自分が結論したのが、庵野秀明は『君の名は。』を、つまり新海誠を次世代のアニメ監督として認めているということだ。そして新海誠にバトンを渡すことを示すために、批判を承知で神木隆之介を起用したのではないか。ちょうど宮崎駿が『風立ちぬ』で庵野秀明を主演に起用したように。
自分は、そう考えている。
全1014件中、421~440件目を表示