シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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それぞれの贖罪。それぞれの落とし前。
何もかもが圧倒的すぎて抜け殻状態。
「とりあえず観た」という感想しか残らない。
まずは自分のエヴァンゲリオン歴について語らせてもらおう。
私がエヴァンゲリオンと出会ったのは25年前、と言いたいところだけど2020年5月なのでたかが10ヶ月前。
初めてのエヴァンゲリオンは『新劇場版:序』
はっきり言って「単調でサービスシーン多すぎでシラけた」というのが第一印象。
次に観たのは『新劇場版:破』
これも前半は退屈だったけど「今日の日はさようなら」引用シーンから作風がガラッと変わり一気に引き込まれた。
そして『新劇場版:Q』
世界観がわけわかんないのは序からなので、むしろ世界観をリセットしてくれたおかげでかなり作品に乗り込むことができた。当然意味不明なわけですが、CGIをフル活用した未知なる映像体験に酔い痺れた。
新劇場版の次に観たのは2021年1月に劇場公開された『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air /まごころを、君に』です。
TVシリーズの総集編的作品と聞いていたので「初心者にもってこいかな」と思い観たわけですが、これが初心者殺しのトンデモない映画だった。
またもや意味不明だし、脳みそをいじられるような感覚だったけど、とことん狂いに狂った「気持ち悪い」映像の虜になってしまった。旧劇は大好きです。
そして今作の公開前にやっと原点であるTVシリーズを鑑賞。観たからって何か分かったわけでもなく頭のモヤモヤは止まらないけれど、「エヴァ」という作品に馴染めたし愛情が出てきた気がする。
そして鑑賞前日に改めて新劇場版を見返した。
『序』は初見と対して印象は変わらなかったけど、『破』と『Q』が何故だか抜群にクソ素晴らしい映画に思えた。
と長々とエヴァ歴を失礼しました。
そんなわけで遂に完結編を観たのです。
どうせ理解できない事は目に見えているので「混乱するならとことん混乱してやるっ!」との思いで、日本で唯一、ユナイテッド・シネマ豊橋18にしかない4DX MAXシートで鑑賞することに。MAXシートは簡単に言えば、めっちゃ揺れる4DXって感じです。
「泣ける」とか「人生変わる」とか色々すごい噂は聞いていたからドキドキワクワクですよ!
はぁ…ここまではすらすら書けるんだ。
問題はこれから。
ネタバレしたく無いから多くは語れない、というのは口実で単純に理性が追いつかず語彙力喪失。
唯一ハッキリ言えるのは「スゲェもん観ちまった…」と「綾波はかわいい」ということだけ。
でもラスト「終劇」とでたとき「本当に終わっちゃうのか」と声が聞こえてきたし、隣のおじさんは無言で涙を流していたし、後ろの兄ちゃんは「やっば、サイコー!」と退場時話してたし、やっぱり完璧なピリオドなのかもしれないな。
自分に残ったのはとにかくヤバいもん観たという実感と、謎の罪悪感、敗北感。
一応、エヴァンゲリオンは一通り観たはずなんだけど今でも「エヴァ好き」とか名乗れないし「エヴァ初心者」である気しかしない。
音響効果が抜群なのは分かったので、また落ち着いたらIMAXとかで観ると思うので、その時に感想は書けたら書くつもりです。
ただいくつか気になるとこはあったのでそれは残しておこうと思う。
まず、CGIについて。
個人的にはTVシリーズや旧劇のどこか病的な画がとても好きだったんだけど、今回は複雑なビジュアルとかはほとんどCGIで表現していて、ポリゴンピクチュアズの作品を観ているようだった。平たく言えばめっちゃヌルヌルしてる。ヌルヌルはそれだけ滑らかだし表現の幅が広がるのでとてもいいことなんだけど、「なんかエヴァらしくない」と違和感を感じてしまう。
エヴァ素人に言われたく無いだろうけど、やはり背景とか戦闘シーンとかがヌルヌルし過ぎて浮いて観えてしまう。そこが少し残念かな、と。
あとラストシーン。
詳しいことは書かないけど「えーなんでそうなっちゃうのー!」と思ってしまった。
個人的にはTVシリーズ最終話にあった綾波が超陽キャの世界線で幕を閉じて欲しかった感はある。
そういうのも踏まえると初見の現時点では⭐︎4が妥当かな。
まあただの綾波推しの言うことなんで気にせんでください。
とりあえずまぁ、終わったと。別に大した思いいれないのに喪失感が半端ねぇ…
ちなみに題名にある「:Il」は音楽記号の反復という意味で、観れば分かるけど最初に戻るというコンセプトは実に庵野秀明らしい。序・破・Q(急)と筝(そう)の演奏形式だったからやはり音楽も大切なキーワードとなるのか。
3/23 ミッドランドスクエアシネマ2 スクリーン9 日本語字幕付き上映で鑑賞。
1回目のリピート(:||)なので2番ということで。
2回目ということもあり、冷静に観ることが出来た。字幕付きだったので状況や心理描写もすんなり理解。
シンジとゲンドウの対峙と辿り着く景色には感動すら覚えた。
真っ先に思い浮かんだ言葉は「カルタシス」
長年のエヴァファンが「人生変わる!」「泣ける!」と言う気持ちがよく分かる。対してエヴァに思い入れが無い自分でも「おぉ…終わった(´;ω;`)」となりました。
✩4から✩4.5に上げときます。
シンジとゲンドウのバトルからラストへの追い込みがすんごいのよ!
テレビシリーズから旧劇、新劇場版の伏線をひとつずつ回収していって1人ずつキャラを救済していく。
シンジの贖罪と落とし前をする物語でありながら、庵野秀明のエヴァファンに対する「贖罪」と、独り歩きし伝説と化した「エヴァンゲリオン」というコンテンツに対する創造主としての落とし前でもある作品だなと。
そう考えると初見に感じたCGIの違和感も納得がいく。すなわち「これは作り物なんだよ」というメッセージ。ラストの空撮も見た感じ3DCGだったし、「お前らもシンジみたいに前を向いて成長しろよ!」という庵野流のメッセージなんじゃないか。「世界はこんなにも美しいんだよ(beautiful world)」という。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』とは創造主からファンに対しての『One last kiss』だ。
そして見後に落とし前をした庵野秀明は自画自賛する。「beautiful boy」と。(総監督 庵野秀明 とクレジットがでたときの曲が『beautiful world』の「beautiful boy」というフレーズ)
とりあえず庵野さん。お疲れ様でした!
あなたは真のプロフェッショナルです!
追記
宇多田ヒカルの『one last kiss』を0.75倍速にするとヤシマ作戦で流れる「デン・デン・デン・デン・デンデン」と同じリズムになるらしい?
こんにちは。ありがとう。
考察は書かない。
この何十年間、すべての物語にありがとうと言いたい。
すべての人間の抱える、青年期から大人になる過程で
抱える悩みを、素晴らしいエンタメで、楽しませてくれた。
シンジの物語でもあり、ゲンドウの物語でもあり、
自分でもあり、アスカでもあり。
人類がつづく限り、繰り返される物語。
この作品と共に歩んだ、年月はかけがえの無いもの。
監督も、作品も悩み、それをリアルタイムで見られた。
同じ時代を同じ流れで過ごすことの出来た、
奇跡的な年代だと感じる。
庵野作品。
長嶋も見た。王も見た。尾崎、青木、イチロー、野茂、大谷
羽生、羽生、藤井、Qちゃん、手塚治虫、
そして、宮崎駿、等々、、、。
その時代だからこそ感じられる現実感。
今の若者に、長嶋、王、の時代の熱狂は皮膚感覚として伝わらない。
それと同じで、庵野の熱狂も、同じ時代を生きたからこそ
わかるものが確実にある。
しかし、この感想もエゴだと感じる。
ゴジラも、ウルトラマンも、より進化して蘇り、
より素晴らしい作品となり、繰り返される。
多分、エヴァも、そうなる。
ああ、もう、エヴァはエヴァ後の作品で多大な影響を
すでに与えてるか。
ただ、アスカファンからすると、アスカの幸せな大人姿を
見たかったな。
惣流・アスカ・ラングレーの。
やはり世界観を残したかあ、、、という点はさすが!!
この作品を観るにあたり、AMAZONで前3作品を観て、映画に望みました。
映画ではTV版の様にエヴァ独特の世界観、精神世界を盛り込んだ世界観がこれまでにない世界を出していましたが、今回の映画はやはりそこに終着点を持ってきたかという点はやはりエヴァですね。この少し現実的に割り切って、やれ誰が死んだ、壊れたといったすっきり感とは違う、いろいろ想像ができる世界観で終わらせたのは庵野さんのこだわりなのかなって感じました。
ストーリーも面白いですね。
Qがん??と思った部分はありましたが、今回の序編と考えると納得がいきます。
これまでの答え合わせが出来ます。そこは楽しかったですね。
いきなり観てもいいですが、出来れば新シリーズを観てから行っていただきたいですね。
これは鬼滅の刃もバイオレットエヴァーガーデンもそうですが、今までのを予習していくと
倍楽しめます(私は前記2本はそのまま行き、後でシリーズをみて後悔しました)。
これでいいのだ
ずっといつ終わるねん!って言ってたけどスグにエヴァロスww
これ以上はない最後のエヴァ作品。多くの伏線を回収し大風呂敷を広げた最高の作品もこれでしっかり終わってしまった。シンエヴァンゲリオン=新約聖書・マリ=マリアなのか色んな考察ともとれるが「エヴァンゲリオンはこれで御仕舞いです!」と言われた感じがして寂しくもあり感謝もありなんとも言えない気持ちになります。兎に角、監督お疲れ様でした♪永遠と語り継ぐ作品を残してくれて感謝です!またシンウルトラマンで逢いましょう♪
普通がイチバン!
物語の主要部分とは関係ない第3の村のエピソードが長いのだが、これは平凡な日常への憧れが強くあることを打ち出しているのだろう。なにしろ高度成長前の田植えまで戻ってしまうのである。
世界が破滅した後の状態から見慣れた日常に戻るというアクロバットをやり遂げているが(テレビ版最終話での失敗を挽回しようとしている)、この映画は非日常から日常へという「形式」が重要であって、ロンギヌスの槍とか神とかいった「内容」は瑣末なものである。それがキリスト教の用語でなくても仏教的な用語で語られていても違いはない。神秘的な場面の連続なので、そのイメージをどう解釈させるかは言葉の問題である。言葉で、これがこうなると言えばそう解釈するしかないのである。「インターステラー」の超科学的なご都合主義を思い出させる。
ゲンドウがシンジと同型に造形されていたのは、ちょっとベタな展開で驚いた。セカイ系の面目躍如であるが、25年かけてこれかよ、と。
よかった点は、わかりやすく作られていたこと。内容と形式の分離が進み、内容はどうでもよく、形式を語っているのだということがよくわかった。内容(キリスト教的な世界観の引用)はセリフによる説明で済まされ、これがお好きな人はどうぞご自由に解釈してくださいというシニカルさがあった。
ロボットものの見せ場はロボットプロレスだが、エヴァ初号機どうしの戦いは、戦い自体にもはや作り手の関心はないということを示すかのように茶化されていた。作品を賦活するためか『Q』で戦艦が出てきた時に、エヴァは一気に古びてしまった。作品のロボットもののテイストが薄くなってしまった。
何にせよ、これが最後なので、最後から理解できるということがわかりやすさになっている。最後なので今まで伏線とは思われなかった部分が伏線として立ち上がり、設定の裏の裏まで明らかにされた(ゲンドウ問題、ユイ問題、複数の大災害の意味とか)。もちろん後付けなんだろうけど。
また、最後だけにテレビ版最終話他すでに語られたエピソードへの仄めかし的な言及もあり、通底したものがあるかのようにまとめている。だがそれらに多少なりとも辻褄合わせやコジツケ感があることで、本作も多々あるエヴァ解釈の一つになってしまうのである。
それにしても、テレビ版の失敗がここまで作品を作り続けさせる意欲を持続させることになるとは! うまく締めくくれないとトラウマになるという奇妙な作例として後世に残るだろう。
鑑賞前には「NHKプロ〜」要視聴
「NHKプロフェッショナル」効果で混み合うかと覚悟してたが、上映回数が多いせいか、場内半分くらいの客入りでした。
TV放送から25年続いたエヴァも今作でようやくの終劇が出来ましたね。
内容結末には賛否両論あるかと思いますが、ちゃんと終わらせる事が出来た事に自分は満足しています。
「NHKプロフェッショナル 庵野秀明スペシャル」内で庵野氏からの禅問答かの様な無茶振りとも言える制作指示や絵コンテの無い新しい試みによりスタッフが翻弄される苦労がやっと実ったんだと思うと〜そりゃ試写で泣けてきますよね…
そして変人と言われる庵野秀明の生い立ち、特に父親の存在が今日の彼を形成した事を知った上で今作を考えてみると、「エヴァンゲリオン」とは庵野自身そのものなんだと思いました。
これでエヴァの登場人物はそれぞれの着地をする事が出来ました。
そしてなにより「エヴァの呪縛」から解放されたのは、エヴァを生み出した事により2回も自殺を考えた庵野自身なんだと。わ
2度目の鑑賞で評価UP
新劇場版がやっと完結で伏線回収
友人からの誘いで急に観にいくことになり、前作のQからだいぶ空いてしまっていたのと、おさらいをしないで観に行ってしまった為話が全く入らないまま序盤スタート。
何となくこんなんだったなとか思い出しながらスロースタートという感じで話が進む。
今回は前作よりもわりと話が分かりやすいかなと思ったのは伏線を回収するように話が進んでいたからかな?
ただ、正直普通レベルで映画鑑賞していた人にとっては話が難しすぎて一回観ただけでは全くついていけず終始置いてけぼりのまま終盤へ。
最後のシーンはヲタク、一般人共にとても分かりやすく良かったと思う。
これで終わり!という庵野さんの言葉がこもったラストだったと思います。
最後に、YouTubeなどで解説を閲覧したら更にもう一度観に行きたくなりましたね。
何故か文系なエヴァ。さらば全ての、、、
僕は新劇版は好きになれなかった。TVシリーズのOPの映像に象徴されるような、世界の裏側や人の歴史を暴くかの様な神秘的なSF観が全くないからだ。それにリビルドであった序はともかく、その後新キャラを導入したりアスカの名前を変えたりして世界の輪廻を露骨にアピールして、全鑑賞者の悲劇とも言える旧劇を茶番化しようとしたため、新劇まで死後の世界の様な集中出来ない作品にしてしまった。レイだけが記憶を移植されなかったことで、かえって旧作の世界観を引き受けてくれた。ところが、そのレイを今作ではレイではなくしてしまう。かなり面食らった。これでは全然何の作品か分からない。だが長い尺のおかげか、後半はそれで良かったと思わされる。
マリは相変わらず出てくる。それもヒロインかの様に。このマリが今作品をフィナーレへと誘う。これはこれで良かった気がするから不思議だ。
アスカはまぁ。。。
庵野氏の特撮シフトがなんだか白白しいが、ゲンドウやシンジに彼の姿を重ねたことが彼の精一杯のサービスであったかも知れない。
カヲルはコロナ禍で大変な人へのサービス?
モヤモヤが止まらない
ハッピーエンド。終劇。
多くの方はエヴァンゲリオンをどのように観ていたのかな?いつもそう思います。
元々テレビシリーズが始まった時、シンジ君と同じ年で人とのコミュニケーションに苦しんでいた孤独な僕は、シンジ君に強く共感していました。その先にある『僕はここにいて良いんだ』と言う結論に凄く納得出来て、僕のエヴァは終わりました。逆に『air/まごころを、君に』を観たとき、何故良い終わりをしたテレビシリーズの続編としてこのような締めくくりをしたのか?僕は、よくわかりませんでした。
それからシン劇場版を観劇し、やはり『Q』で、エヴァの世界に存在する日常、守りたい日常が失われた世界を目の当たりにして『やはり庵野さんはこの大切な美しい日常を壊してしまうのか』と絶望しました。しかし、今回の『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』では、その日常が戻ってきました。人と人との繋がりがもつ美しさ。そして、それを恐れ、拒絶する父、ゲンドウ。ゲンドウは唯一ユイとだけ繋がれていた。いや、甘えられる存在がユイ一人だけだった。そのユイが失われ、自分を受け入れてくれるのはユイだけだと決めつけ逆に他者との繋がりをまた拒絶する。シンジはそれに気付いたとき、人との繋がりの中に存在する愛に気付き成長してきた。さて、長々と話しましたが、僕らは見終わった後、劇中と同様に現実に戻っていきます。いつまでもエヴァの世界にある日常に捕らわれず現実の世界で繋がり会うことの大切さ。それを教えてくれたと思います。その点では、テレビシリーズ以上に、より良いスケールの大きなエンディングになったと思います🎵
もう、悔いはない。
考察は、出来ない!(笑)
アニメは、好きなので(ガンダム世代)で良く見ます。
社会現象時代は実家(田舎)でTV放送すらさせず、(雑誌でよく取り上げられてて、「ふーん」くらい。)上京してからパチンコの映像で興味を持ち、TV版をDVDで鑑賞。で、新劇場版4作を観るに至った訳ですが
まあ、欠片も理解出来ん!
という前提の話を(苦笑)
まあ、何となくはね?思春期の複雑な感情からのすれ違いや葛藤。また、大人であっても上手く行かない人間模様。複雑に絡み合ったストーリーにロボット?アクション、人類滅亡(補完?)まで振り切った壮大な話な訳で、謎が謎を読んで色々と考えたくなるし、キャラも魅力的。人気があるのも分かります。嫌いではないです。が!
先ず、作品として掴みのアクションから前作「Q」の続きからスタート、被害から逃れた第三村にたどり着き、ヴンダーから迎えを待つ3人(一人はウジウジ)。
避難民との生活に人間らしさが出てきた綾波と思ってたら爆死!シンジ君何やら決心。このあたりまでは良かったんですよ。
ヴンダーに戻ったらいきなり決戦で、その後がひたすら戦闘が続いて、裏宇宙?に入ってカオスな状態に突入。親子の会話から
なんか皆が救われて。少し成長したシンジ君とマリでラスト。
映像とアクションは凄いです。
しかし、やはりと言うか、エヴァンゲリオン特有の断片的な映像(心理描写)の切り替えの中での会話劇が馴染めないかなと。
ゆっくりならまだ良いのですが今回は展開が速い気がして。
また、シンジ君もウジウジから立ち直ってからが、全てを悟ったかと言うような振る舞いで拳銃向けられてもピクリともしない。(笑)ゲンドウとの親子の会話?と言うかゲンドウが勝手に喋って勝手に悟ったように感じしました。
新劇場版は、序、破、Q迄はしっかりアニメしてて良かったんですよ。で、今回の「シン」でやっぱり現実とのクロスオーバーみたいな実写シーン入れてきて、で、ガクンと。
ファンは、それでも良いのでしょうが。
ひと言「アニメ観に来てんだから実写入れんな!」
映画館で見ておかなと後悔するよ!
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