シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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所々、泣いた
堂々の終劇です。
長文です。
本当に綺麗に終わりました。
シリーズは全て追っているファンです。
TV版(≒旧劇場版)は終わりに向かって登場人物が壊れていって、「気持ち悪い」をはじめとしたいろいろな?があって鬱なまま終わりました。
それもよかったです。
ただ破で、綾波に「来い」と言ったシンジを見たとき、あぁちゃんとしたエンタメとしてのカッコいいシンジとちゃんと救われるレイアスカが見れるんだなと、鬱な雰囲気が好きとかぬかしてた自分が心躍ったのを覚えています。
ですがQで状況が変わりました。旧劇場版のちょっとあげてどん底まで落とされそのまま気持ち悪いで終了の投げっぱなしの感覚。Qはその絶望を再び感じました。
あぁまたエンタメではなく難解で一部の狂信的ファンがすごいすごい言う作品になるのかと思いました。繰り返しかと。
それからはもう完結しないんじゃあないかだとか、完結してもこんなはちゃめちゃで綺麗に締められるわけがない。だとか不安しかありませんでした。
しかし延期に延期を重ねてついに公開がされました。
めちゃめちゃのぐちゃぐちゃだったシンジはトウジ・ケンスケ・委員長・第三村の人々の登場で光がさして、仮称アヤナミとの交流で丁寧に立て直します。縁がシンジを導いていきます。
そしてきちんと自らケジメをつけるために父ゲンドウに会いに行くことを決めます。
投げっぱなしではなく、あげて落とした後に、きちんとまた立て直してくれました。そして成長しました。大人になってくれました。
繰り返しましたが、今度は前に進みました。
それがどれほど感動的だったでしょうか。
そしてクライマックスはこれからも続いていくであろうシンジの物語は現実と地続きになり、鑑賞している我々も素晴らしい未来の予感を感じるような、そんな最後でした。
予想は見事に裏切られました。
大正解の最後です。
堂々の完結です。
最高のハッピーエンドでした。
さらば、全てのエヴァンゲリオン。
本当に立ち会えて良かった。
これでエヴァの呪縛が解け大人になれます。
階段を駆け上がって、走り出せます。
後味悪くなくて良かったと思います
序から特に深く考察とかせず、ありのまま作品の演出やデザインを楽しんで見てました。
最後まで色んな表現の仕方がされていて飽きずに見れたかなと思います。
特に最後のマリとシンジが走っていき、現実世界になる所が気持ちのよかったです。
「大人になれ。子どもたちを守れ」
まず、アニメーションのクオリティがめちゃくちゃ高くて驚きました。
作画、CG・VFX、演出、音楽、声優などの完成度が高く、こんなん作る労力と時間を考えるとスタッフの皆さんに感謝しかないです…。
エヴァのグロいメカが大好きなのでめちゃくちゃ興奮しました。
ただ、ご都合主義な展開や批判を怖がってるのかな〜?と言う点がちょこちょこあって残念でした。
旧作のメッセージが「現実をみろ」なら、シンは「大人になれ。子どもたちを守れ」かと思いました。
決して、「恋愛、結婚、子育てしよう!普通の人間の生活しよう!」ではなく。
子どもが子どもらしく生きれないと大人になれない。エヴァの世界は大人になれなかった子どもだらけでした。その連鎖を断ち切って、子どもが傷つかなくていい世界を作らなければならないという切実な思いを感じました。
最後のシーンは蛇足かなと感じましたが…
あ〜、もう何回でも観たいな。
壮大な神話の完結
ファンでもなく、最近アニメを一気に見てその流れで新劇場版を見て気になって見ずにはいられなかった今作品。あっぱれでした。
エヴァシリーズは難解な点が多く、複雑な解釈を求められる。そのため理解できていない点や疑問に残る点があるままの鑑賞で、結局分からない部分も数多くあった。てか解説見るまで最後らへんとかは理解出来なかった。
それでもこの超大作の最後にふさわしい傑作だったんじゃないかと思う。世界を壊したすべてぎ自分の責任であり殻に閉じこもってるしんじがトウジやケンスケと話すことで立ち直り、自分のケジメをつけるとヴンドーに戻ったこと。ネルフのなかでしか生きれなかった綾波が人間の心に触れて温かい心を持ち始めること。そんな綾波が目の前で消えてしまうこと。あすかのエヴァに対する想い、ゲンドウのユイに対する壮絶な愛。人類全てを消してまでもユイに会いたいという想い。みさとさんがシンジを庇って撃たれること。自分を犠牲にみんなを助けること。まりがシンジをどこまでと探しにいくと言ったこと。最後に救ってくれたのはお母さんユイであったこと。そして、エヴァのいなくなった世界で行こう!と言って走り出したこと。など、名シーンの宝庫。
詳しいこと、細かいことはたくさんあるけど、最後に生きることに気持ちが前向きになってくれたこと、それだけでも心が幸せなのかもしれない。いろんな人の思いを知ってこれから新たな人生が始まるんだと、そう思った。
個人的に第八村で綾波が人間の心に触れて感情を覚えていく場面はとても好き。シンジがトリガーとなって引き起こされたサードインパクトで多くの人がいなくなった一方で、残された人々が協力して自然と共存しながらたくましくいきている。そんな人間味あふれる場所だったからこそ、綾波の心に変化ぎあったのかな。
そしてあすかの使徒解放。左目に封印していた使徒を解放してまでも人類を救いたいという想い。自分が人に戻れなくなってもこいつを倒すんだという強い思いに胸を打たれたよ。
20年の歴史に終止符を打つと同時にこの映画を見るものに安らぎと興奮とじわーっという余韻を深く刻んでいく物語。壮大な神話。
エヴァではじめて楽しめました
自分がリアルタイム世代じゃなかったら楽しめた
TVアニメでリアリティを感じたのは庵野監督の宮村優子への失恋と他者との断絶。
シン・エヴァでリアリティを感じたのは庵野監督の鬱からの再生と安野モヨコとの惚気。
前者は失恋や他者との不理解に共感を感じられたが後者は全く共感要素がなくて困った。
他人の主観的な自己再生恋愛話ほど共感できないものはないが友人なら「良かったね」ですませられる。
しかしこれは作品でキャラクターがいてそれらは監督の生み出したものかもしれないが作品と作者は別物だ。
現実世界で一つの幸せを得た庵野監督が「俺が幸せになったのはこう」という台本をキャラクター達に渡し演じさせた。
そしてそれはキャラクター達の物語ではなかった。
わたしはエヴァンゲリオンの結末を見たのではなく、エヴァンゲリオンを作った庵野監督の区切りを見た。
それはキャラクター達の結末を見に行った私にはお金を払って見る価値のないものだった。
庵野さんの手のひらの上
傑作です。ただし(いつものとおり)一見様お断り。
自分としてエヴァは序・破・Qで見限っていたのですが、
NHK「仕事の流儀」庵野特集で、
・父親が事故で片足をなくし、ずっと世界を恨んでいた
・TVエヴァ終了後のファンからの殺人予告等で、自殺を考えた
・立ち直ったのは周囲の映画仲間や関係者、特に
何より、妻「安野モヨコ」が彼を支えた
・今回の一作で、決着をつける
という姿を見て、劇場に足を運んだ次第です。
こうした前情報があったせいか、徐々にシンジと庵野さんが
オーバーラップしていき、
「どうしてみんな、僕を放っておいてくれないんだ」
「それは、みんなあなたを愛しているから」のセリフや
今までどちらかというとサブキャラだったマリの唐突な
「何処にいても必ず迎えに行くから」のセリフに、
シンジ=庵野、 マリ=モヨコ、 同級生=映画仲間 という
構図があると気づいた次第です。
そうなると、後半にエヴァンゲリオンの映画製作風景が出てくるのは
映画と現実が侵犯しあっているということで納得。
となるとアスカは妹(実際に庵野さんには妹が実在)ということか?
ということでこの映画は、シンジの成長物語? 庵野さんの再生物語?
そしてNHKで庵野さんが語っていた「アングルと編集がすべて。内容は二の次」という
言葉から、結局自分の好きな絵をつくりたかっただけ?というすべてを多義的に
含んだ、実に奥行のある映画となったと思います。
さらに言うならば、庵野さんは、何故「仕事の流儀」に出演することを了解されたのか?
と聞かれた時に、「映画の為(番宣)」とちゃっかり答えておられました。
その手に引っかかって、見に行ったわけですが・・・
つまり全ては庵野さんの手のひらの上ということか。
それはそれでいいんです。
最後のホームの場面で、マリの手を引っ張って階段を
駆け上っていくシンジの姿を1日たった今もじんわりと思い返しています。
。
最初から最後まで難解。そしてやっぱり妄想オチ?
2021年映画館鑑賞30作品目
3月29日(月)イオンシネマ石巻
テレビアニメも劇場版も全て観た
前作の映画から久々のエヴァンゲリオン
鬼滅の刃と違いコナンくん同様これまでのあらすじを紹介する気配り
けれどもコナンくんと違い少々ちんぷんかんぷん
テレビアニメの終盤からずっとこの調子だった
庵野秀明監督自身もわけわからない状態なのだろう
周りは成長したけどシンジだけは成長しない
シャアより赤い世界
とはいえシャアは赤というよりピンクだけど
改めて見るとシンジってアムロ・レイより厄介
結局のところ母の死から引き篭もる少年が引きこもりを卒業し大人になる物語なのか
コミック版のラストとたいして変わらん
アスカのヌードあり
っていうか露出狂
こんなキャラだった?
綾波レイのそっくりさんが溶けて消えちゃうのは悲しい
写実化された巨大な綾波レイは圧巻
CGが良い
終盤はともかく全体的にテンポが悪い
難解な言葉が飛び交いこれは子供向けではない
解釈をめぐってオタクがネットで激しい議論するんだろう
自分と解釈が違うとブチギレる大人気ない人々
考えても無駄無駄
理屈じゃない
感じろ
これは芸術映画
なぜか宇部新川駅
なぜか山口県宇部市
これで本当に終わりだよね?
終劇!傑作!
キューブリックが2001年宇宙の旅のラストシーンで本当に表現したかったイメージが、エヴァンゲリオンでは実現されていているような気がする。膨大な映像情報で彩られたポップアートであり、音楽も良い。
さて、肝心のドラマは?というと、これまた良い。
日常生活の展開も良いなぁ。相変わらず凄い世界観だ。
大団円になってるし、謎も結構解かれ、アスカは叫びすぎ?とか思ってたけどラストは可愛いし、
シンジもマリもあれで良かったです。
アニメの歴史を変え、25年の永きに渡りテンションを保ち、この最終回を仕上げた監督スタッフに脱帽。
相変わらず異様な傑作でした。
どっこい、肩の力を抜いて楽しめる、大衆芸術でもありますし、一人でも多くの方々にオススメ。
タイトルの楽譜記号は 反復 なので‥ちょっとモヤッ
はっきりは分からない結末だけれど、完結して良かったです。カヲルくんが上官みたいなシーンは、未来なのかな。
最後はアニメから実物の映像に変わって、エヴァンゲリオンが存在していた世界から脱出したってことを表しているのかな。
タイトルの楽譜の記号としては反復だから、父が母を生き返らせるためだけに、何度も反復して世界を作り替えようとしたことが明らかになるって意味だったのかな。
何となくモヤモヤしますが、エンドロールで宇多田の歌を二曲聞けたのは良かったです。
エヴァの終わりとしては申し分なし!
愛されてますね
それぞれの贖罪。それぞれの落とし前。
何もかもが圧倒的すぎて抜け殻状態。
「とりあえず観た」という感想しか残らない。
まずは自分のエヴァンゲリオン歴について語らせてもらおう。
私がエヴァンゲリオンと出会ったのは25年前、と言いたいところだけど2020年5月なのでたかが10ヶ月前。
初めてのエヴァンゲリオンは『新劇場版:序』
はっきり言って「単調でサービスシーン多すぎでシラけた」というのが第一印象。
次に観たのは『新劇場版:破』
これも前半は退屈だったけど「今日の日はさようなら」引用シーンから作風がガラッと変わり一気に引き込まれた。
そして『新劇場版:Q』
世界観がわけわかんないのは序からなので、むしろ世界観をリセットしてくれたおかげでかなり作品に乗り込むことができた。当然意味不明なわけですが、CGIをフル活用した未知なる映像体験に酔い痺れた。
新劇場版の次に観たのは2021年1月に劇場公開された『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 DEATH(TRUE)2/Air /まごころを、君に』です。
TVシリーズの総集編的作品と聞いていたので「初心者にもってこいかな」と思い観たわけですが、これが初心者殺しのトンデモない映画だった。
またもや意味不明だし、脳みそをいじられるような感覚だったけど、とことん狂いに狂った「気持ち悪い」映像の虜になってしまった。旧劇は大好きです。
そして今作の公開前にやっと原点であるTVシリーズを鑑賞。観たからって何か分かったわけでもなく頭のモヤモヤは止まらないけれど、「エヴァ」という作品に馴染めたし愛情が出てきた気がする。
そして鑑賞前日に改めて新劇場版を見返した。
『序』は初見と対して印象は変わらなかったけど、『破』と『Q』が何故だか抜群にクソ素晴らしい映画に思えた。
と長々とエヴァ歴を失礼しました。
そんなわけで遂に完結編を観たのです。
どうせ理解できない事は目に見えているので「混乱するならとことん混乱してやるっ!」との思いで、日本で唯一、ユナイテッド・シネマ豊橋18にしかない4DX MAXシートで鑑賞することに。MAXシートは簡単に言えば、めっちゃ揺れる4DXって感じです。
「泣ける」とか「人生変わる」とか色々すごい噂は聞いていたからドキドキワクワクですよ!
はぁ…ここまではすらすら書けるんだ。
問題はこれから。
ネタバレしたく無いから多くは語れない、というのは口実で単純に理性が追いつかず語彙力喪失。
唯一ハッキリ言えるのは「スゲェもん観ちまった…」と「綾波はかわいい」ということだけ。
でもラスト「終劇」とでたとき「本当に終わっちゃうのか」と声が聞こえてきたし、隣のおじさんは無言で涙を流していたし、後ろの兄ちゃんは「やっば、サイコー!」と退場時話してたし、やっぱり完璧なピリオドなのかもしれないな。
自分に残ったのはとにかくヤバいもん観たという実感と、謎の罪悪感、敗北感。
一応、エヴァンゲリオンは一通り観たはずなんだけど今でも「エヴァ好き」とか名乗れないし「エヴァ初心者」である気しかしない。
音響効果が抜群なのは分かったので、また落ち着いたらIMAXとかで観ると思うので、その時に感想は書けたら書くつもりです。
ただいくつか気になるとこはあったのでそれは残しておこうと思う。
まず、CGIについて。
個人的にはTVシリーズや旧劇のどこか病的な画がとても好きだったんだけど、今回は複雑なビジュアルとかはほとんどCGIで表現していて、ポリゴンピクチュアズの作品を観ているようだった。平たく言えばめっちゃヌルヌルしてる。ヌルヌルはそれだけ滑らかだし表現の幅が広がるのでとてもいいことなんだけど、「なんかエヴァらしくない」と違和感を感じてしまう。
エヴァ素人に言われたく無いだろうけど、やはり背景とか戦闘シーンとかがヌルヌルし過ぎて浮いて観えてしまう。そこが少し残念かな、と。
あとラストシーン。
詳しいことは書かないけど「えーなんでそうなっちゃうのー!」と思ってしまった。
個人的にはTVシリーズ最終話にあった綾波が超陽キャの世界線で幕を閉じて欲しかった感はある。
そういうのも踏まえると初見の現時点では⭐︎4が妥当かな。
まあただの綾波推しの言うことなんで気にせんでください。
とりあえずまぁ、終わったと。別に大した思いいれないのに喪失感が半端ねぇ…
ちなみに題名にある「:Il」は音楽記号の反復という意味で、観れば分かるけど最初に戻るというコンセプトは実に庵野秀明らしい。序・破・Q(急)と筝(そう)の演奏形式だったからやはり音楽も大切なキーワードとなるのか。
3/23 ミッドランドスクエアシネマ2 スクリーン9 日本語字幕付き上映で鑑賞。
1回目のリピート(:||)なので2番ということで。
2回目ということもあり、冷静に観ることが出来た。字幕付きだったので状況や心理描写もすんなり理解。
シンジとゲンドウの対峙と辿り着く景色には感動すら覚えた。
真っ先に思い浮かんだ言葉は「カルタシス」
長年のエヴァファンが「人生変わる!」「泣ける!」と言う気持ちがよく分かる。対してエヴァに思い入れが無い自分でも「おぉ…終わった(´;ω;`)」となりました。
✩4から✩4.5に上げときます。
シンジとゲンドウのバトルからラストへの追い込みがすんごいのよ!
テレビシリーズから旧劇、新劇場版の伏線をひとつずつ回収していって1人ずつキャラを救済していく。
シンジの贖罪と落とし前をする物語でありながら、庵野秀明のエヴァファンに対する「贖罪」と、独り歩きし伝説と化した「エヴァンゲリオン」というコンテンツに対する創造主としての落とし前でもある作品だなと。
そう考えると初見に感じたCGIの違和感も納得がいく。すなわち「これは作り物なんだよ」というメッセージ。ラストの空撮も見た感じ3DCGだったし、「お前らもシンジみたいに前を向いて成長しろよ!」という庵野流のメッセージなんじゃないか。「世界はこんなにも美しいんだよ(beautiful world)」という。
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』とは創造主からファンに対しての『One last kiss』だ。
そして見後に落とし前をした庵野秀明は自画自賛する。「beautiful boy」と。(総監督 庵野秀明 とクレジットがでたときの曲が『beautiful world』の「beautiful boy」というフレーズ)
とりあえず庵野さん。お疲れ様でした!
あなたは真のプロフェッショナルです!
追記
宇多田ヒカルの『one last kiss』を0.75倍速にするとヤシマ作戦で流れる「デン・デン・デン・デン・デンデン」と同じリズムになるらしい?
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