「×エヴァだからすごい ○すごい映画だからすごい」シン・エヴァンゲリオン劇場版 映画読みさんの映画レビュー(感想・評価)
×エヴァだからすごい ○すごい映画だからすごい
エヴァと言えば難解なことをこねくりまわして言わねば……というような流れが年月を経てユーザーの間で勝手にできてしまっていたが、本作はその必要が全然ない。かといって全編が説明的であるかというとそうではなく、
・難解な内容を説明しきった作品、ではない
・そもそも描かれていることがシンプルな作品、である
そして
・そのシンプルさは、人間の根底に響くどこまでも深い「王道」の良さである
という完成を果たしている。
シンジという1人で世界の命運を背負わされた少年に、シンジになれなかったただの大人達になった元少年少女たちが温かく接して、シンジは少年から青年へと成長し、成長を止めてしまった父と父の用意したエヴァを超えて、自分の世界の一歩を踏み出す。
遠い過去にエヴァンゲリオンを視聴し、シンジ=世界の命運を握る力を与えられ、悩むことを許された中学生に憧れた少年少女であった私たちは、彼のような世界の中心にいる存在にはなれないまま、その後の混沌とした十数年・二十年をなんだかんだ生き延びて、すっかりおっさんおばさんになってしまった。というか、もがいていたら、なれた。いろいろあったけど、本質はほぼ変わらないまま、ちゃんと生きてる。その凡なる私たち(はっきり言ってケンスケ)が、特殊な力など持たずともシンジを助けて結末を見届ける構図は、「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」にあまりにもふさわしい筋立てだ。
かつて「特別な少年」で、憧れや嫉妬の象徴であったシンジが、今や応援の対象になっている。
そしてエヴァは性能的には盛りに盛って凶悪化しているのに、画面の隅で子供のケンカのような戦いをしている程度に封じ込められていく。書き割り、撮影現場。「作られたもの」だった。憧れ求めていた力がちっぽけだったと私たちが俯瞰したそのとき、シンジもまたエヴァの力ではなく自身の言葉で父を理解して、父とは違う一歩を踏み出す。倒す、というよりは独立する。
言ってしまえば「少年少女の独り立ち」という実にジブリ的な脚本なのだが、冒頭の引きや演出などエンタメ的な配慮、最新技術も駆使してどこまでも貪欲に追求された映像表現など、
・「非常によくある強い脚本を」
・「今の人間の限界でつきつめてみたらどんな作品になるか」
・「それも、エヴァの終わりということで」
という、天才たちの挑戦ここに極まれりという内容になっている。
3時間という尺があるが、夢中になっているうちにあっという間に終わってしまった。エヴァQは個人的に「最低」とすら思える出来だったが、エヴァQが前編でシンエヴァが後編として一気見すれば、普通に良作以上に思えてしまいそう。
ここまでシンプルな「映画力」で勝負してくる、最高点を打ち出すとは全く思っていなかったので、大満足な結果となった。「エヴァだからすごい」ではなくて「すごい映画だからすごい」。王道脚本の手堅さは当然として、それを他を突き放すレベルの映像で表現しきっているのだから、進歩を止めず一段階も二段階も上を達成した製作チームに拍手を送りたい。声優たちも歴戦となったプロ中のプロばかりで、一切の妥協無し。プロフェッショナルたちが挑む世界観を完璧に表現してくれている。
「手堅い脚本」「声は話題性起用」「いつもの絵」で「これがアニメ映画だよ」としていた人たちが、一番焦っているように思う。とくに声優たちの一切の妥協がない(ゆえに話題性もない)座組については、作り手として格の違いを見せつけられたと言われても仕方がない。完全に軸をかぶらせて前ではなく上に行ったので、これはこれでシンジのゲンドウに対する決別というか独立なのか。まあそんなことはさておき、この映画は面白く、素晴らしかった。
新劇場版は、4作を通して大傑作となった。