「本作は、とにかく理屈を超えて美しかったのです。」ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
本作は、とにかく理屈を超えて美しかったのです。
3Dの立体映像にもすっかり慣れてしまい、どんな映画を見ても驚かなくなって入る人でも、この作品には純粋な映像美として感動させられるでしょう。何より彩度が高めの鮮やかさの中に、ハリウッド映画にはないアジアンティストに満ちた豊かな色彩使いに感動してしまうのです。まるで天国や極楽浄土を見ているかのようなオープニングタイトルから、本作の作品世界にクグッと引き込まれてしまいます。3Dだからといって、やたら飛ぴ出すとかか、奥行きがあるとかという映像効果の面ばかりが強調されてきたけれど、本作は、とにかく理屈を超えて美しかったのです。
激しい嵐から一転、鏡面のように一空を映す静かな海面。
夜の海を漂う小船が、まるで星空に浮かぶ宇宙船のように感じられきます。
、カツオに追われたトビウオの乱舞に驚愕し、
音もなく星降る夜に茫然とし、
激しく光る稲妻に夜の妖しさが映えます。
そこには青白くクラゲが光る海が映し出され、
巨大なクジラのジャンプが静寂を打ち砕くのです。
そして何より、本物と見まごうばかりの卜ラの姿。
その美しさに目を奪われ、しばしうっとりされることでしょう。トラを含めて殆どがCGだと後から知って驚きました。実際にトラについては、実際に4頭連れてきて、筋肉や目の動き、ボートが揺れたときに尻尾がどう動くかまで研究したそうです。そのデータを使ってトラを自在に動かしたというけど、最先端のVFX技術は恐れ入るばかりです。
物語は、小説の題材を探しにやってきたライターに、大人になった主人公のパイが、体験を語る形で始まります。その体験とは、インドで動物園を経営していたパイ一家が、閉園して動物を売り、カナダへ移住することに。しかし航行中に、船は難破してしまい、パイは、ひとり救命ボートに乗り移り、一命を繋ぐことができました。ところが、その救命ボートには、輸送中だった獰猛なベンガルトラが潜んでいたのです。
そんなトラと人間が共に227日も漂流するなか、いったいどうやって共存し得たのか、そもそも共存なんてあり得ることなのかというところが惹き付けられる内容です。
本作はそんな途方もない原作物語を、観客に完璧に信じこませる伏線を仕込むことがができたという点で優れた名作と評価します。
それにしても舞台は海上のみ限定されます。場面展開の乏しい、究極に限定された状況でも、少しも観客を飽きさせることがないのは、凄いストーリー性だと思います。
一見あり得ないような奇蹟の物語が、不自然ではないように描かくために、アン・リー監督はいくつかの布石を用意して、主人公のパイが、スーパーマンではないが、どこか「普通ではない」異才の持ち主でもあったことが印象づけられているところが巧みだと思います。
まず本作の大前提として、主人公は泳ぎが得意でなければいけません。その点、パイは父親の親友が水泳好きだったおかげで、名前にパリの水泳プールの名をつけられてしまうほど、幼い時から水泳に親しんでいたのです。
次に困難な状況を卓抜なアイデアで乗り切るための主人公がサバイバルしていける賢さも必要です。
その点も少年時代のパイが、「パイ」として認知して貰えるようにセルフプロモーションに励んだエピソードから、片鱗を伺うことができます。
実は、パリの水泳プールのネーミングは、インドで直訳すると「おしっこ」という意味になり、パイは学校で馬鹿にされ続けてきたのでした。
そこで、パイは一計を案じ、クラスの最初の時間に、自分からあだ名をつけて披露してしまうのです。自ら教壇に立って暗記した円周率を正確に披露するという作戦が功を奏して、晴れた「パイ」が愛称になっていったのでした。
そして、パイが動物園に育ち、幼い頃から動物たちと触れあってた来たこと。動物の扱い方に知識があったことも、大きな要素ということができます。
ただアン・リー監督は、幼い頃のパイに、どんなにこころを開いてフレンドリーに接しようとも、このどう猛なベンガルトラは、絶対に友だちになり得ない現実を突き付けるところが、心憎い伏線だと感じました。
さらにパイが最終的にサバイバルに生き残っていく上で、強い信仰心の持ち主だったことも不可欠でしょう。日本人は、信仰というと御利益しか思いつかない低次元の宗教観の人が多いので、パイの敬虔に真理を求める心境がイマイチ理解できないかもしれません。
パイが求めたものは、特定の宗派を越え、教典を超えて、純粋に神仏の世界の摂理とこの世に生まれてきた自分の生きる目的を問うものでした。ヒンドゥー教の神も、キリスト教の神も、イスラム教の神も、すべてに等しく親愛の念を抱くというパイの超宗派的な信仰は、凄く共感できました。
大海原に放り出されたら、宗派の違いなんて論外です。そして日々がこんな困難な状況に追いやった神仏への、なぜに?という問いかけだったのですね。
そこにはきっと大きな意味があるのだという信念が、簡単に絶望しない精神を生み出すことに繋がっていったのでした。
ついでに言うと、実はラストに、もう一つの物語があったことが、年をとったパイの口から語られます。そのことによって、美しくも奇妙なファンタジーだと思っていたこの話は、まるで遠った愛の物語に転換するわけです。
神仏は、決してパイを見放さず、じっと見守って、試練を乗り越えた後に、甘美な祝福を用意していたわけですね。信仰を持つものなら、とても勇気の奮い立つ終わり方でした。
だからあのリチャードーパーカーとは、一体何の化身なのか? どんな深遠な哲学的意味を持って、顧客に突きつけたのか気になるところ。終盤の彼は、ただうろつくだけでなく、パイの同志としての意志をしっかり感じることができました。
ところで、卜ラが飢えては、自分が餌になるから、自分の食料以外にトラ用も確保しなくてはなりません。
先ずは、ボートの底に敷いてある簀の子でなんとかイカダを作り、船尾にロープでしばりつけて乗り移り、トラとの棲み分けを図かったり、トラのエサとなるための
魚釣りに励んだり…。
そんなパイのトラとの共生のため智慧を目指し涙ぐましく努力するところも見どころです。