「ラストのチルトアップ」桐島、部活やめるってよ よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
ラストのチルトアップ
幅広い観客層がいろいろな楽しみ方のできる良い映画だと思う。
各登場人物のそれぞれの視点から物語を読み解いていくことができるし、謎解きやお気に入りの俳優への憧憬、そして映画としての語りの味わいといった、多様な観客の見方を受け入れてくれる作品だ。
桐島という男子が突然部活を辞めて、級友たちの前から姿を消す。理由にも、彼の現状にも映画は一切触れることはない。物語の中心となるのはこの桐島の「親友」であり、勉強も部活も恋愛も全てが周囲の羨望の的である桐島を、自分に投影する菊池という男子である。
彼の視点から見る周囲の人物は、みな桐島に比べるとさえなく見える。バレー部で桐島の代わりを務める子は、もちろん桐島ほど上手くボールを拾えないし、そのせいで試合にも負けてしまう。いくら努力しても、本人がチームメイトに「この程度」と卑下するレベルから上達はしない。
菊池の所属しているはずの野球部のキャプテンは、物静かな性格でチームのレベルアップのためにいろいろ考えている。練習に全く来ない菊池を見かけても咎めることはなく、応援だけでもいいから来てほしいと控えめな言葉をかけるだけある。しかも、三年の夏休みを過ぎても引退しない理由が「ドラフトを待っている」という、思わず吹き出してしまうほど傑作なものだったりする。
そして、同級生で映画部の前田は背も低く、運動音痴で、口が重いネクラである。放課後には学校の片隅で映画部の連中と訳の分からない撮影に興じているが、部外者の共感を得ることはない。
このような周囲の、今風に言えば「イケてない」子たちは、一様に、周囲の共感を得ることなく、また報われることがないと分かっていることに、ひたむきに取り組んでいるのだ。これは、ちょっと古い言い方をすれば「ダサい」ことであり、菊池にとってみれば、彼らを馬鹿にすることはあっても、関心を持つことなどありえない。彼の視野には全く入ってこない人々なのである。
しかし、いま、自分の価値観を体現していたはずの桐島は、自分には何も告げずに、目の前から消えたのだ。
この事態を通じて、菊池の世界観は変容しはじめ、今まで視界に入ってこなかった人々が、彼の心の中に生き生きと現れてくる。
前田にカメラを向けられた菊池。菊池の足元からのチルトアップのショットが切ない。涙なくしては観られないショットである。
他人の目など気にならないほどに、好きなものを持っていない自分。青春の時間を浪費し続けたかもしれない、その空っぽの自分自身を、前田の握るカメラを通して見つめなければならないという残酷さ。青春時代に起きた価値観の転倒を、このワンショットは見事に映し出している。