「シェイクスピアと迷彩服とマスコミと」英雄の証明(2011) cmaさんの映画レビュー(感想・評価)
シェイクスピアと迷彩服とマスコミと
「英雄」で「証明」?! さっさとソフト化されるB級ハリウッド・アクションみたいな邦題だけなら、危うくスルーしていたかもしれない。名優レイフ・ファインズ初監督作品、そしてシェイクスピアの翻案、という前情報だけで観た本作。これが久しぶりの大収穫、得難い拾い物!だった。これだから、つくづく映画はやめられない。
正直、シェイクスピア翻案というだけなら、さほど食指は動かなかった。はるか昔にシェイクスピアが生み出した物語は、幾多の時を越え今もなお息づいている…という点に異論はない。けれども、なぜか翻案ものの多くは、「置き換え」の技巧が先立ち、生き生きと躍動するはずの物語はどこか硬直する。あえて視覚的・物理的な置き換えなくても、受け手が頭の中で日々の出来事を重ね、想像をふくらませれば十分…という気がしてしまうのだ。
それが、どうだろう。本作は、シェイクスピア翻案の私的ベストワン!と言いたい。ニュース映像をふんだんに取り交ぜ映し出される、とある国の紛争と政治。直情的な大衆と日和る政治家、もてはやしとバッシング。流麗な台詞回しがなければシェイクスピア劇だということを忘れてしまいそうな、「どこかで、幾度となく見た風景」が繰り広げられるのだ。
物語に引き込まれるうち、いつの間にか、迷彩服でマシンガンを乱射する兵士たちに、一枚布を纏い盾に剣、弓矢を手に戦う姿が被る。シュプレヒコールを上げ、デモンストレーションに没頭する群衆も同様。(ある意味、風呂に集う「テルマエ・ロマエ」の人々よりリアルに…。)マスコミ(テレビ番組)を利用した陽動作戦さえ、すでにローマの時代から使われていたテクニックであることを実感させられる。
絶望した男を救うのは男気溢れる敵にして同士…と思いきや。アジア圏の任侠ものやマフィアもののような男たちのドラマは脇に置かれ、無限に根を広げ絡み付くような血族(特に母子)劇が戦場で展開する。子に対峙し揺らがぬ軍母を演じたバネッサ・レッドグレーブが圧巻。最近では「ジュリエットからの手紙」など、思慮深く、心やさしくチャーミング、という役柄の彼女ばかりを観てきたので特に新鮮だった。軍服を着こなすその気迫ときたら! 男たちがかすむほどだ。
独裁政治が否定され、社会主義が崩れ、消去法的に民主政治(時として衆愚政治)が選択されている現代。例えば裁判員制度に時として見られ得るように、一握りの賢者の判断より、凡人の集まりである大衆の声が優先される。たとえ口先だけの政治家や愚かな大衆が闊歩しているとしても、味わいある台詞回しのわずかな片鱗を、時には耳にしたいものだ。