別離(2011) : インタビュー
イラン映画史上初の快挙 A・ファルハディ監督に聞く
イラン映画として史上初めてアカデミー賞の外国語映画賞に輝いたアスガー・ファルハディ監督の「別離」。アッバス・キアロスタミのイラン映画が早くから配給されてきた日本から見れば、「ようやく認知されたか」という感がなきにしもあらずだが、監督自身はもとより、イラン映画界にとっても大きな励みとなったのは言うまでもない。「別離」は、アルツハイマーの父親の看病と娘の教育をめぐって対立する夫婦の物語。そこに家政婦として雇われた貧しい階級の女性とその夫のドラマが絡む。階級差、イスラム教の影響、家族問題など、さまざまな要素が交差し、解こうとすればするほどもつれる糸のように事態は深刻化していく。自ら脚本も書いたファルハディ監督に、本作の狙いと、イラン映画界の現状について聞いた。(取材・文/佐藤久理子)
——男性も女性も、各キャラクターがとてもリアルで、それぞれの価値観を持っていますね。どのようにしてこれほど階級も考え方も異なる登場人物を作りあげたのですか。
「それぞれのキャラクターをゼロからどのように作り上げるかを語るのはとても難しいですね。わたしは自分自身の経験やバック・グラウンドをもとにしてキャラクターを作り上げました。そしてここに出て来るそれぞれのキャラクターのパースペクティブは、みんな何かしらわたし自身のそれを反映しているのだと思います。キャラクターの性別や、若いとか老いているといったことは関係ありません。観客にとって、すべての登場人物がなぜこの場面でこのように振る舞うのかが理解できなくてはいけないし、また今回はそれができたのではないかと思います」
——複雑に構成された素晴らしい脚本ですが、書いているときに心掛けたのはどんなことでしたか。
「まさに今申し上げたように、それぞれのキャラクターに説得力をもたせることでした。わたしは作り手として彼らについて何も言いませんし、裁いたりするつもりもありません。ただそれを観客に見せるだけ。キャラクターのことを考えるとき、彼らをジャッジしないように気を付けることはとても大切です。わたしは観客の理解力を信じています。わたしの映画は言ってみれば地図を渡して目的地を示すようなもの。どのようにたどり着くかは観客の想像力に委ねたいのです」
——イランの観客にとってこの物語はとても身近に感じられるものなのでしょうか。イランでも離婚は深刻な問題なのですか。
「はい、近年離婚するカップルはとても増えています。おそらく西洋の国に比べても多いのではないでしょうか。この映画は、彼らの日常の生活にとても近いと思います。映画を見たイランの観客から、受け入れ難いとか現実離れしているといった意見をもらったことはありません。わたしにとって観客、とくにイランの人々にリアルだと感じてもらうことはとても重要なことです」
——ということは男性の観客も、ここに出て来るような自分の主張を持った強い女性たちを見るのに慣れているということですね。
「そうですね。海外から見るとイランの女性は被りものをして、家に縛り付けられていて、とても抑圧されているように見えるかもしれません。もちろんそういう面はあるにしても、積極的に外に出て社会活動をしている女性たちも少なくないのです」
——イラン映画といえば、最近ではジャファル・パナヒ監督が政府に拘束されるという事件がありました。イランで自由に映画を作ることに、あなたは困難を覚えますか。
「政治的な内容の映画を作ろうとするなら、とても難しいものがあります。でも政治的でない映画の場合、状況は異なります。また映画をいつ公開するかというタイミングの問題も重要です。というのも、イランの状況はつねに政治に左右されますし、それによって観客の反応もまた微妙に異なってくるからです。特別なテーマを描く時期によって、受け手の受け取り方も異なってくる可能性がある。それでも自分なりのやり方で描きたいことを描く方法はあると思います」