「リアルでありながらリアルでない空間と時間。」ライク・サムワン・イン・ラブ Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
リアルでありながらリアルでない空間と時間。
キアロスタミはズルい・・・(笑)。
観客に何も情報を与えてくれない。観客どころか演じる役者にさえ、その日撮影分の数行のセリフだけを渡して、その役の過去も数秒先の未来も教えなかったそうだ。だからこそなのか、この“日常風景”がリアルでありながらリアルでなく、日本でありながら日本でないような、摩訶不思議な空間と時間を形成しているのは。
前作『トスカーナの贋作』で、嘘とも真ともつかない男女のラブストーリーを生み出した監督が、今回舞台に選んだのは「日本」。かといって監督は、外国人が観る日本を描きたかったのではなく、ましてや本当にリアルな日本を描きたかったわけでもないのだ。前述のとおり、本作の舞台は日本でありながら日本ではない。むしろアメリカでもフランスでも、もしかしたらイランを舞台にしていても成り立つ(国家情勢でこれはムリだろうが)、ごくごく平凡な男女の平凡な物語なのだ。しかしその「平凡」さは、登場人物の心理なり生い立ちなりの詳細情報があってこそだが、キアロスタミはそれを我々に教えてはくれない。観客は画面を追いながら彼らの過去や心理を必死で推測することになる。
主要な登場人物はわずか3人。80歳を過ぎた権威ある元大学教授。デート嬢のアルバイトをしている女子大生。若くして自動車修理場を経営しているその恋人。あらすじと呼べるものを敢えて書くとしたなら、老教授が自分の妻に似たヒロインを自宅に招き、翌朝彼女を大学まで送っていくと、そこに嫉妬深い恋人が待っていた。3人の2日にも満たない物語だ。しかし、何故老教授は彼女を自宅に招いたのか?肉体関係を前提としていないことは確かなようだ(それすらも明確な答えはない)。老教授の真意も判らなければ、ヒロインが何を考えているのかも解らない。田舎から出てきた祖母を駅に待ちぼうけさせたり(この祖母が何故東京に出てきたのかも分からない)、ストーカーのような行動をとる恋人に対しての気持ち(本当は愛しているのか?ただ恐れているのか?)も解らない。意味ありげな行動をとる老教授と、優柔不断なヒロイン。その中で唯一単純な行動をとるヒロインの恋人。彼は嫉妬深く、怒るとすぐ暴力をふるう。結婚さえすれば彼女と上手くいくと信じている。彼だけが観客に自分のことをアピールして来る。彼の存在だけがやけにリアルだ。彼の行動によって物語が進展しているといっても過言ではないだろう。観客は彼の行動の先を読んで、老教授に起きることを想像する。しかし、キアロスタミは我々の想像を超えた展開を用意していた。それはクライマックスでいきなり物語を終わらせるというもの。唐突に切れられた物語に唖然としながらも、エンディングを聴きながら、我々は高速回転でその後の展開を想像することになる。
しかしその想像に正しい答えはないのだ。1つの展開を想像すると、また次の展開を想像する。頭の中には、最悪の悲劇も、何も起こらない結末も、安易なハッピーエンドも、種々様々に想い描くことができるのだ。
本当にキアロスタミはイジワルだ。イタズラをしかけて喜んでいるに違いない(笑)。罠と解っていながらその魅力に抗えないキアロスタミ・マジックの虜になるファンの何と多いことか(私も含めて)。キアロスタミは、今後もきっと様々な罠を仕掛け、観客を魅了し続けるのだろう。