「時代遅れのステレオタイプに見えたが、音楽は良かったね!」ライク・サムワン・イン・ラブ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
時代遅れのステレオタイプに見えたが、音楽は良かったね!
映画は本編を最後まで自分の目で確かめて観てみる事が大切だし、好きとか、嫌いとか、観終わった印象とか、感想だけでは、映画の良し悪しは決して判断出来ない事を再認識させられた作品だった。
本作を個人的な感想で、好きか嫌いかと言えば、この映画は私には向いていないと答えるか、好きになれずに面白くなかった作品と言う映画の部類に入るのだが、この映画が終わった瞬間劇場の中の誰かが、「あー面白かった!すごく良かったね!」と一緒に観に来ていただろう友人に同意を求めている若い人の声が聞こえたのだ。
映画とは誠に不思議な生き物である。野球などのスポーツと違って、決まったルールが無いために、芸術と呼ばれる文学や映画や音楽、絵画というおよそ、アート作品の類いの物は、観る人、個人個人の感性にピタリと合うか、合わないかで、その作品の評価が大きく分かれるところが有るのである。
そして、私も学生時代には、映画が終了した時に、「あれ?この映画何が言いたかったの?」と観ている間に自分で予想していた結末と違う終わり方にぶつかったりすると、じっくりと考える時間が必要になって、「これは、現在学生の自分には決して理解出来ないけれど、何時か大人になった自分が見直したら解る映画かも知れない」と判断する事も決して少なくは無かったし、そう言う映画を自分は、‘宿題映画’と名付けていたものだ。しかし段々と長生きをしてくると、何となく自分では理解出来る様な気になってしまう映画も増えて来て、今現在観る殆とんどの作品で頭を抱え込んで悩んでしまう作品に出会う事が激減したが、それとは裏腹に、中学生や、高校生の心理を描き出す様な作品は、「え~そぅなの~今の若い人の気持って自分達の学生の頃と違うのかな?」と最近はまた別の意味で、宿題作品が出て来るようにもなっている。
この作品も、あの「友だちのうちはどこ?」キアロスタミ監督作品で、期待が大きかったのかも知れないが、「これって、ちょい違うかな?世界中の人間の共通した普遍的な感情を描いた作品か?」と頭を捻りたくなる作品だったと思うし、しかもこれって今の日本人の感覚では決して無い気がした。大体、今時、街中で公衆電話ボックス見かけないし、「デリヘル嬢」のチラシが公衆電話ボックスに貼って有った時代は20年位前だし、今時の若い女子は、援助交際何てバカな事していないと思うし、もっと贅沢な物欲しいと言う物欲一点張りから、倹約縮小型のエコ生活派の、現実主義の学生へと時代は変化したと思うのだけれども、その分夢の少なくなったと言えるところも有るけれど、より身の丈を考えて生活する、草食系男子とでも楽しんで付き合える、JKが普通なのではないだろうか?
そして実力主義型の中卒男子は車の整備工場経営者であるけれど、自己の感情を抑えられずに、女子供に迄暴力を振るう野蛮人、一方援助交際で、女子高生や女子大生をお買い上げになるのは、高学歴の元大学教授だとは、こんなステレオタイプのキャラクター設定こそ、時代錯誤もいいところだ!しかも、東京を舞台にしてこれを普遍的な人の悲哀を謳い上げている世界観と呼ぶのだろうか?死を間近に感じ取る孤独な男ヤモメの淋しい、かりそめの恋への渇望と言うには、余りにも、日本人の意識を低く見下げていないだろうか?
311を経験しても、今直、へこたれずに、前向きにひたすら、日々頑張って生きている日本人の事を彼は本当に見てくれているのだろうか?残念でならない!
ところで、他の方も、レビューでも指摘が有った、この映画の東京の何処かの駅だと言う駅前ロータリー広場の、古めかしい武将の彫像がある駅は絶対都内23区の駅前には存在はしない。きっと金沢辺りの規模の地方都市の大きな駅前広場の様に感じるのだが、きっと城下町など、城の残っている地方都市の駅前広場ではなかろうか?
本当にロケ現場が気になるね!
教授の家は横浜の外れ辺りかな?
物語の基本の起承転結と言う流れで観てもこの作品、起起起承転・作者自身も解らなくなってしまった感じの無理矢理感満点の強制終了と言った感じのエンドマークになった気がしたのだが?この映画他に観た人の感想が是非聞きたいものである!