「今までで、もっとも醜悪なシャーリーズ・セロン。」ヤング≒アダルト さぽしゃさんの映画レビュー(感想・評価)
今までで、もっとも醜悪なシャーリーズ・セロン。
ゴミが散乱した部屋、マスカラと口紅はどのくらい前からこびりついているのだろう?くすんだ肌、ひび割れそうな唇、悲鳴を上げながらヌーブラを引き剥がし、うるさい小型犬(ドルチェ)をベランダに追い出して、立ったまま食事をする。
届いたメールをプリントしようとするも、インク切れ。メイビスはインクに唾を落として、掠れたプリントを眺めて考える。冒頭、この一連の流れだけで、メイビスがどれだけ荒んだ生活をしているかが分かります。かなり痛々しい。しかも、「そんな私って、まだまだ素敵」と思っているから、質が悪い。正直、「モンスター」のシャーリーズ・セロンより醜いです。
でも、こういうメイビス的な女性って大勢いると思う。
高校・大学時代は美人で人気者で、社会に出てから「ちょいと私って、キャリアウーマン(死語?)」って思える場面があるけど、その後ぱっとせず。
都心のマンションに一人で住んで、小型犬か猫を飼って。
でも未だに、美しさの欠片が残っている(つもり)から、そこそこモテて。
でも行きずりの男と関係を持つけど、恋人にはなれなくて。
寂しいけど、満たされないけど、何が必要なのか分からない。つか、分かりたくない。分かったら、自分のアイデンティティが揺らぐ!
で、うっかり田舎に戻ると、同年代の友達は結婚してて子供が2~4(!)人いて。
太っておオバさん体型になって、日々の生活に追われて、お化粧もお洒落もしていなくて、自分より確実に10歳は老けて見える。
けど、何故だか、何故だか、何故だか、彼等が自分より幸せそうで、満ち足りているように思える。
ちょ、ちょっと待って!私の生き方は、間違っていた?自分の価値観が大きく揺らぐけど、田舎の人達のようには、絶対になりたくない!みたいな、そんな女性。
って、ここまで書いて来て、私じゃん!?と思って愕然。メイビスの生活環境や生い立ち(勿論容姿も!)は、違うけど、田舎→都会→田舎の私と、ほぼ、ほぼ、思考回路は同じだと思います。
メイビスの価値観は、田舎で揺らぎます。なので無理矢理、自分が間違ってなかったと証明したくなる。それが、高校時代の元彼とヨリを戻すというもの。
元彼は奥さんとラブラブで、子供も可愛がってるのに、何故か「元彼は不幸、田舎から逃げ出したがっている!」と思い込む。
エステに通いドレスアップして、元彼を振り向かせようと必死になる。
両親や高校の同級生にも、そう吹聴して回る。どう見ても、病んでるんです。あまりに痛々しすぎて、観るに耐えません。
メイビスの思考回路は、自分が書いてるYA小説そのままなんです。高校時代の、輝いていた頃の自分のまま。大人になれない、女。
でも、なんか、そんなメイビスの中にも、私を見たような気がする。YA小説、書いてないけど。
そんなメイビスの前に、高校時代の同級生:マット(パットン・オズワルト)が現れます。マットは高校時代にゲイと間違われ、集団リンチを受けました。その為、下半身に障害を持っている。メイビスは、マットの冷静で捻くれた分析を拒否し続けます。けど、決定的な事件が起こる。
本作を好きだと思ったのは、メイビスの生き方を否定してないからです。
今までの喪失→再生系映画だと、自分を理解してくれたマットと結ばれて、強引に幸せみーつけた!的な着地となる筈なんです。
本作はそうじゃない。一瞬、メイビスのアイデンティティは揺らぎますが、マットの妹=田舎に住む者の鬱憤代表に説かれて(励まされて)、また元の都会に戻って行きます。
一夜を共にして心を通わせた、マットも捨てます!励ましてくれた鬱憤代表には、「あんたには、都会は似合わない」と突き放します。流石、メイビス!田舎なんかきらーい!私は綺麗!私は格好良い!才能がある!だから、田舎は似合わない!
例え、メイビスが虚飾を好んで、生活が荒んで、痛かろうと、醜かろうと、でも、それがメイビスなんもん。このまま、行けばいいんじゃね?だって、幸せって人それぞれじゃん。
みたいな。
見ている間中、ずっと苦笑いが止まりませんでした。だって、メイビスの中には、私がいるんですもの。私はメイビスほど自己暗示能力がないので、田舎の幸せ者の笑顔にたじろぎますが……。
シャーリーズ・セロンは、ほんとボロボロなんですが、その汚い普段着でさえ格好良く、ドレスアップしたら、当然美しく。女性の多面性を、見せられたような気がしました。
YA小説のゴーストライター(厳密にいうと、ゴーストではないけど。原案者が有名なので、実質的にはそうと言える)とか。YAは日本でいうと、「TL(ティーンズ・ラブ)」でしょうか。