マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙のレビュー・感想・評価
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メリル・ストリープの女優力
現役時代の貫き通す激しさ、老いて曖昧な世界を漂う心細さと孤独感。
メリル・ストリープの女優力を堪能しました。
実家の追憶は短時間ながら印象的でした。少女が選んだのは、自分の母親をあれほど遠くに感じる、タフで孤独な生き方。
マーガレットの娘時代から初当選までを演じたアレクサンドラ・ローチがよく合っていて、違和感なくメリル・ストリープと行き来できました。初当選頃の活動や、一般女性との距離感なども垣間見られると、もっと彼女に近づけたかもしれません。
当時、あまりに急進的な英国の改革の弊害に、"緩やかな改革"、"ソフトランディング"といった言葉をよく聞きました。だけど今、穏やか過ぎて自分達の違憲状態を正すことすら出来ない国会を持つ国の民としては、彼女のような強いカリスマを待ち望む気分が芽生えはじめてもいます。うすら寒いことです。
アカデミー賞主演女優賞に納得
この作品、一にも二にもメリル・ストリープの怪演。
歯に隙間まで作ったメーキャップは完璧で、仕草や喋りはまるで別人。そこには、メリル・ストリープのかけらも見当たらない。
首相時代と現代の演じ分けも見事。老人がよくやる何かをじっと見つめていたかと思えばあちこち忙しく泳ぐ目線で考え事をし、調度品に手をかけながらゆっくり歩く腰の引けといい、一度、老人を経験したことがあるのではないかというような動きをする。
この演技を観たら、アカデミー賞主演女優賞は納得である。
惜しいのは、事実を映画化した作品の多くに言えることだが、事実を描くことに没頭してしまって娯楽の要素が欠けてしまうこと。
そしてもう一点、その事実が事実となり得た要点が端折られてしまうことだ。欧米では常識的な歴史の1ページかも知れないが、日本人の私にはサッチャーは英国初の女性首相で強気な政治を行う人だというぐらいしか知識がない。どうやって首相にまで上り詰めたのかは知らない。ましてや、周りで動いた人物や政敵など知る由もなく、実名を聞かされても、そのポジションも分からずちんぷんかんぷんなのである。
いきなり大臣になっているは、あっというまに党首に立候補ではあまりに粗すぎる。
マーガレットの夫の名前がデニスということだけは、発声練習のシーンによって、しっかり覚えたが・・・。
何も分からず観る人間もいることに、もう少し気を配った演出がほしいところだ。
とある人物の半生を描いた作品によく見られる過去と現在を行き来する手法が取られているが、この手の手法を取った最近の作品の中では、群を抜いて編集が上手い。変わり目のタイミングがピタリと決まり、観ていて気持ちよく、ダレない。
監督のフィリダ・ロイドは、どちらかというと「マンマ・ミーア」のように女性を陽気に描く作品のほうが合っているようだ。
この作品では、首相時代よりも老年のサッチャーを描く現在の方が事細かい演出で上手い。首相時代の演出にもっと押しの強さがあったらよかった。
この映画を見るかぎりサッチャーは、何でも自分が、自分が・・・というタイプで、人を使う才覚には欠けていたようだ。
役者はすごい
メリルストリープに限らないけれど、役者ってあんなに化けられるんだと改めて驚き、感動しました。
単なる回顧だけでなく、私にはすんなりはいる物語の設定だったと思います。そんなに過去の話ではないので、本物の印象がはっきり残っており、感じるものがありました。
THE IRON LADY
サッチャーの人生と出来事。女として恋をし、すてきなプロポーズを受け結婚し、子どもを授かり、夫を愛し子どもを愛し、年老いた女の人生。公人としては強い政治家をめざし英首相となる。顔はメイク、声は演技。物語的には手広くしたため焦点がボケてしまった。結局、メイクとメリル・ストリープが目立ち、それがオスカー獲得になったと言うのは失礼か。
期待してたのとは…
老いてしまった現在のサッチャーと過去のサッチャーを織り交ぜたストーリー展開はよくあるけど、少し現在が多すぎる感がしました。現在のほうのストーリーのテンポが遅く少しいらいら…
過去のシーンはスピードがあって、面白かったです。
メリル・ストリープの演技は圧巻ですごくかっこよかったです!こんな女性になりたい(*^^)v
「教えて、あなたは幸せだった?」
頭(髪)が大きい、ちょっと怖そうなおばさん。子どもの頃のサッチャー首相の印象は、そんな程度だった。彼女を意識するようになったのは、イギリス映画に開眼してから。ケン・ローチ作品、「ブラス!」「リトル・ダンサー」等に出会うにつれ、必死に働き・生きる人々に忌み嫌われる存在、冷徹な切り捨てを行った首相、という像が脳裏に刻み込まれていく。国民に敵視されつつも、長きにわたり国政のトップに君臨し続けた続けたマーガレット・サッチャー。いったい彼女はどんな人物だったのか?
本作で冒頭から見せつけられる、老いた彼女の姿は、痛々しく、悲しい。かつての生き生きとした姿と交互に映し出されるから、なおのこと。ところが、そんな感情に素直に浸ってよいのかと迷いがわき、終始居心地が悪かった。
あの「鉄の女」でなければ…名もなき市井の女性とまでいかなくとも、一代で財を築いた女性実業家くらいであれば、このような思いは生じなかったはずだ。首相であっても、一人の女性。とはいえ、彼女が他者に与えた影響は余りにも大きく、計り知れない。彼女の孤独を見せつけられるたびに、イギリスの人々は、本作で描かれる彼女をどう感じるのだろう、という疑問がふくらんだ。たとえば、「ブラス!」等に登場した石炭まみれの男たちは? 「リトル・ダンサー」で家族と別れゆく少年は? そう思うと、どうにも複雑な気持ちになった。
さらには、「家庭と仕事」という切り口も、観る者を物語に引き込むには十分と言い難い。家庭を顧みず、仕事に邁進する。それは、明らかに一昔前に賞賛されたスタイルであり、彼女の姿には、職場で出会ってきた「強烈・猛烈」な上司が被る。必要に迫られて様々な犠牲を払い、並々ならぬ努力を重ねて道を切り開いてきたことに感服しつつも、「お手本」にしようとは思えない。彼(女)たちの、「がむしゃらに働き、闘う」生き方は、今のスタイルから余りにも離れている。彼らがどんなに「私たちのころはなかった・考えられなかった」と言っても、育児休暇や託児は存在し、仕事が何においても優先されるという考え方は廃れつつある。かつて、「犠牲」となった記憶も手伝ってか、彼らの道をたどろうとは思えないのだ。
とはいえ、次に伝える必要性が失われ、継承が絶たれるのは、そこはかとなく悲しい。伝える側にとっても、伝えられる(はずの)側にとっても。この映画が残すのは、主人公に対する力強い答えではなく、そのような感傷だ。
「教えて、あなたは幸せだった?」繰り返される幻の夫への問いかけは、実は彼女自身への問いかけであるように感じた。−マーガレット、あなたは幸せでしたか?
メリル・ストリープのサッチャーは、必見。
『鉄の女』の異名をとった、第71代英国首相マーガレット・サッチャーを映画いた作品。本作品では、2012年アカデミー賞においてメリル・ストリープが主演女優賞を受賞した他、メイクアップ賞も受賞しています。
サッチャーの半生を描いているのは間違いないんですが、過去から歴史を辿ると言う形式ではなく、認知症を患っていると言われる現在において過去を振り返っているサッチャーと言う形の描き方をしています。若干、予想と違っていました。でも、そういう意味では、今のサッチャー像がどの位実際の姿に近いのかが不明ではありますが、認知症と伝えられている今のサッチャー像を垣間見ることが出来て、非常に興味深い内容になっています。良いです。
2012年のアカデミー賞でメイクアップ賞を受賞していますが、それも納得です。いやぁ、メリル・ストリープがマーガレット・サッチャーになっていますよ。加えて、メリル・ストリープはアメリカ人なのですが、少なくとも私が聞く限りは、ちゃんとイギリス英語で演じていました。「そうそう、そう言う感じだったよね。」と思うほど、ちゃんとサッチャーになっています。
その他、イギリス政治史上の人物が数々出てきます。すぐ分かったのは、ジョン・メージャー元首相ですかね。特徴的なメガネなので、多分、あの人がそうだと思います。それ以外にも、フォークランド紛争の件では、当時のアメリカの国務長官のアレクサンダー・ヘイグが登場するシーンがあるんですが、パッと見似た感じの人物を配しています。もっと言うと、最後に、レーガン元大統領とダンスをするシーンがあるんですが、レーガン元大統領もそっくりさん?を配していました。
その、フォークランド紛争のシーンですが、『首相の決断』を垣間見るシーンがあります。“Sink it”と言うセリフです。たった二言ですが、重いです。
この作品を見ると、サッチャーが、旦那さんのデニスを愛していたというのがわかりますね。認知症の症状と言う設定で、亡くなったはずのデニスと常に会話しているんですが、それが、夫を思う妻という感じなんですよね。なんか、最後のシーンは、なんか泣かせます。
メリルストリープはさすが、でも作品は期待はずれ。
ブログに書いた内容を書きます。
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メリル・ストリープがアカデミー主演女優賞を取った
『マーガレット・サッチャー~鉄の女の涙』を見てきました。
メリル・ストリープの演技はさすがですね。
きれいな英語、サッチャーの人物表現、老いと格闘する姿
ご主人役も、若き日の彼女を演じた女優もよかったですね。
でも作品は期待はずれ、ごめんね。
とにかく、盛り上がりに欠ける。
老いへの葛藤とから全体を見せるという視点がまちがいの元とちがう?
それで、焦点がぼやけてしまい、欲張りすぎで消化不良だ。
肝心の、彼女の人生と業績
生い立ち、バックグラウンド、若き日、
女性政治家のパイオニアの苦悩、首相としての厳しい日々の判断と理由など
一つひとつのエピソードが表面をなぞるだけで、深まらないのです。
だから、共感や感動が私の中に生まれてこないのです。
105分という長さでは、それらを表現しきるのは、ちとむずかしいかもね。
断片的には人をムーブさせる場面はもちろんありますよ。
たとえば、若き日のエピソードの数々
父親への敬慕、オクスフォード入学、ご主人との出会い、プロポーズ
ご主人と子供たちとの浜辺のたまさかの幸福な思い出
首相の任期晩年の孤独と苦悩など・・・
でもそれらが全体としての旋律に織り込まれ、統合されていかないんですよ。
残念だなあ。
作家の主張は、音楽としては
・ロジャーズとハマーシュタインのミュージカル 『王様と私』、
・ベッリー二のオペラ 『ノルマ』
(どっちも私は大好きなのだ)
としてシンボライズして使っているのはGOOD!
このふたつを、ご主人との人生、政治家としてささげた人生、
横糸と縦糸のテーマとして表していて・・・
辞任して官邸を去る日に、バックに流れる曲は、
ノルマの第一幕、『清き女神』 ぴったりというべきだろう。
(事実 ノルマは、フランスの神に仕える神子であった)
首相官邸に肖像画が飾られたのは
ロイド・ジョージとウィンストン・チャーチルに続いて
20世紀の首相としては歴代3人目の彼女
そうしたところをフィナーレとしてほしかったな。
サッチャーの時代は、私の30才台から40才代
レーガン、中曽根と小さな政府をめざした時代
マネタリストの経済政策、
ドラッカーの民営化を推進していった
私にとって思い出深い時代だった。
それだけに、期待が大きかった分、残念だった。
生意気ですみません。
※追記、題名がバツ、『The Iron Lady』なのだから涙はいらんやろ。
つまらなかった~!
メリル・ストリープ 主演だからハズレは無いと思い、見に行ったのですが・・。
もちろんメリル・ストリープは、”さすが”・・この一言に尽きました。
メイクの技術も高い!
でも映画は、つまらなかったです!
最初の方は、わけがわからず疲れたし、結局最後まで引き込まれる感覚を味わえず終了;;
途中で帰られた方も2名ほど・・まぁ私も含め、好みの映画では無かったということかもね!!
イギリスが嫌いになること請け合いの映画。
個人的に印象に残っているのは、フォークランド紛争に積極的に介入していく過程です。アルゼンチンと戦火を交えてはならない、と説得しにわざわざ訪英したアメリカの国務長官に対して、サッチャーは「1941年に真珠湾が攻撃されたとき、アメリカは日本(東條英機)と話し合いをするどころか、すぐさま反撃したではないか、だから、我々はアルゼンチンに攻撃を加えるのだ」と反論していました。1980年代になっても、いまだに帝国主義気分が抜けていない彼の国に対して、言いようのない不気味さを感じました。いまだにジブラルタル海峡やフォークランド諸島はこの島国の領土です。それにカナダ、ニュージーランド、オーストラリア、インド、マレーシア、など52か国とイギリス連邦などという気味の悪い集合体を作っています。そうではありながら、英語が国際語としての地歩を確固たるものにしている事実を考えたとき、私は大きな疲労感に捉われます。
話を映画に戻すと、晩年、認知症に罹り、狂気と戦うサッチャーを演じたメリル・ストリープを見るだけでも、1800円を払う価値はありそうです。メリル・ストリープは丁寧なイギリス英語を話していました。退陣間際、人頭税の導入を巡って、殆どの閣僚の反感を買い、国民からは実力行使の猛反発を招き、一人、孤立を深めていくサッチャー。その描写は水際立っていました。衰退していく20世紀後半のイギリスにあって、19世紀の大英帝国の栄光を取り戻そうと孤軍奮闘した、時代遅れの宰相、それがマーガレット・サッチャーなのです。
尚、邦題は冗長すぎます。「鉄の女の涙」とありますが、劇中で、この題名に相応しい「涙」を流す場面は皆無なのですから。「The Iron Lady」 を直訳して、「鉄の女」で十分でしょう。
サッチャー版「王様と私」
単なる伝記映画ではない。
ある意味、極力ドラマ性を排除した物語、といってもいい。
何故なら、ストリープのメイクばかりが注目されているけれど、実はこの作品、サッチャー版「王様と私」だから。信念を貫き通すことに凝り固まっている英国首相とその気持ちを何とか揉み解そうとする夫。
劇中で「シャル・ウィ・ダンス?」が引用されていることでもわかるとおり、監督のフィリダ・ロイドは前作「マンマ・ミーア」で起用したストリープをまた主役にして「王様と私」を現代に再現しようとした。ただし、全く歌無しの、実在した政治家の物語として。
だからこの映画にドラマ性を求めてもあまり意味はない、歌なしのミュージカルは、サッチャーの亡夫が幻影として現れる段階でファンタジーとなっているのだから。
何しろ老人性認知症が進んだサッチャーが、すでにいない亡父の幻覚に悩まされながら、政治家人生を振り返るのだ。時に幻が老いた彼女を茶化し、時に彼女を労わるのだ。これだけで、単なる伝記映画でないことはわかるし、これではまだ存命のサッチャーの家族や関係者が、この作品に苛立ちを隠せないのもむりはない。
でもこの構成は、公私を問わずサッチャー自身が歩んできたを巧く捉えている。特に幻影となって現れる亡夫デニスは、「鉄の女」として知られている妻の心の弱点を、死してなおついてくる。勿論それは英国特有のアイロニカルでコミカルな側面を持っていて、それはピエロのような存在だけれども、表舞台では窺い知れなかったサッチャーの弱点を曝け出している。
勿論、彼女が女性政治家として困難な道を歩いてきたことに対する敬意は、歴史的背景をきちんと示す事で、ちゃんと描かれている。ただし「英国王のスピーチ」と違うのは、政治家というものが政策的な成功を勝ち得ても、常に孤独であり、自己の信念を貫くことで、周囲から孤立し老いていくもの、ということが描かれているところ。例えば、政権末期の閣議で閣僚を罵倒する場面。政治家としての生命がもうすぐ終わることを感じつつ、キリキリとした焦燥感が観ている方にまで、痛いほど伝わってくる。
個人的には、彼女が敵対するものや時に側近の者にさえ信念を曲げない、心を許さず、彼女があれ程強硬だったのは、具体的にいえば、自身が二度に渡りテロにあったということが、大きいように思う。幼い頃の教育や父親の影響もあるかもしれないけれど、そこで養われた意思の強さに加えて、自分に敵対する人物、組織、国、時に身近な人間に対する懐疑心、恐怖心が、人生の重荷にとなって、彼女を強くそしてより頑固にしたのだ、とも思う。
そして物語は再びファンタジーに戻って行く。このラストでサッチャー首相、いや一人の女性、マーガレット・サッチャーは、その人生の重荷を降ろすことが出来たのか?多分出来たと思う。老いて死が目の前にやって来ようとしている時、頼れるのは、自分の信念ではなく、日となり陰となって自分を支えてくれた、夫だと自覚するしたからだ。その時、やっとデニスの幻影は消える。おそらくふたりは、二人っきりで幸せな生活を送ることが出来るだろう。
シャル ウィ ダンス
比較的早くに、当選するところから始まるので、
はじめから 終わりまで、同じテンションで見られる作品です☆=
政治のシーンは、もちろん手に汗握ります。
あの細い肩に、どれほどの重圧がのしかかっていたのか。。。
彼女ほど聡明でも、やはり政治の非情さには割り切れないものを
感じていたのか。。なんて驚きもありました。
みなさま書いてらっしゃいますが、メリルの演技は正に完璧です(笑)
個人的によかったのは、旦那様のキャラです。
ああいった女性を生涯愛し、ときに道化になれるステキすぎる旦那様♪
ある意味ストーリーは予測のつく作品だけれど、
見て絶対 損はしないと思います ^-^
おススメです!! m--m
メリルのみが見どころ。
戦い続けた首相時代の回想と,
亡き夫に惑わされる現在の交互展開は,
ドラマ性に欠けて,やや退屈。
結局,切ない!としか言えない中身に不満。
しかし,メリル・ストリープはやっぱり見事だった。
パワフルと繊細を自在に操って
強さと弱さを併せ持つ女性を体現。
貫禄の存在感で画面を独占していた。
それこそ,そこのみが今作最大の見所。
メリル・ストリープのチカラ
アカデミー賞主演女優賞がメリル・ストリープに決まったと聞いて、本人も仰っていたけれど、≪また あなたなの!?≫と思った方もたくさんいらっしゃったことでしょう。
かく言う私もその一人。
でも、この作品を見て、それも納得。
サッチャー首相のことは、あまり知らないけれど(当たり前か)、メリルはマーガレットにしか見えない。
背中の伸ばし方、曲げ方、歩き方、喋り方、立ち居振る舞い・・・などが、なんとも完璧。
メイク賞も納得。
皺のより具合、老け具合もとても自然。
サッチャー首相に見えるもん。
彼女の一生って、政治に捧げた一生だったのね。
男の中に混じり、皮肉や嫌がらせに立ち向かい、また、英国の階級社会の中で、中流階級出身の女性でありながら、大英帝国のトップとして、勇敢に闘ったと思う。
それも、激動の11年だったんだ。
国内のストライキ、冷戦の終結、フォークランド紛争、ユーロ圏への加盟の如何、などなど。
国のリーダーになるということは、ある種の独断も必要なのか。
鉄の女でないと、できないよね。
どこかの国の首相も、鉄の男になって欲しいものだ。
政党政治とはいえ、政治家とは、政党によって作られるもので良いのかしら。
考えが言葉に、言葉が・・・のセリフは、肝に銘じたいと思った。
女の強さを感じられる映画
とても、素晴らしい映画でした。
マーガレットの女としての考え、行動にとても大きな感動を感じました。
--党を変えたいなら、党を率いなければならない
--国を変えたいなら、国を率いなければならない
この言葉は、恐らく私の人生の中でとても大事な言葉の1つになったと思います。
仕事が忙しいため、家族とともにいられる時間が減り、
子供たちや夫に悲しい思いをさせてしまう反面、
国を少しでも良くしなければという板挟みの状態でなお、自分の芯の考えを貫き通すマーガレットには、
男性に負けない、世界に負けない、女ならではのとても大きな強さと考えがありました。
いつでも一人で生きていける強さを持っていたマーガレットですが、自分の愛した夫を亡くした後は、
その存在の大きさに、はじめて気づいた、そんな少しのしおらしさも感じられ、共感できる場面も多々ありました。
とてもオススメの映画です。
P.s
観に行く場合は、ハンカチを忘れずに。
おかげで袖がびしょ濡れです。。✿
今一番日本の政治に足りないものが、この映画にある
しょぼくれた老婆が牛乳を買う所から話は始まる。
いくらサッチャーの映画と知っていたって
「えっ?これはないっしょ?」ってびっくりする。
これはいつ?何が?どうなって?
軽く混乱を覚える。
場面は次に夫であるデニスとの朝食シーンにつながる。
夫卵料理をふるまうシーンで、
「意図的なワンショット」が入り
ああ。「今」のサッチャーなんだとわかり愕然とする。
(ここは丁寧にみてね)
そして話の中で往年のサッチャーと
今のサッチャーの悲しき交錯が始まっていく…。
サッチャーと聞いてすぐ「鉄の女」「冷戦時代」を
思いつく人には非常に懐かしくて、
そして非常に物悲しさを誘う。
この映画の評価の分かれ目は40代以降か否か…かもしれない。
なぜなら「彼女の圧倒的強さ」を生で見てきた人にとって
この映画は「懐かしさ」であり、
そして自分にも迫り来る、老いという
「しのびよる脅威への警告」でもあろう。
もちろん20代、30代は面白くないとは言わない。
ひとつの英国史を築いたひとつの伝記であり、記録として
ここまで「強くて賢い女」の生涯は映画の中からだけでも
十分うかがい知れることはできるだろう。
しかし、もしこの映画をみて日本の甘たれ女性議員が
「私にも通じるわ」みたいな自分に重ねあわせることを言ったら
それは勘違いもはなはだしい。(絶対いるだろうけど)
彼女たちは
足元をすくわれないだけの圧倒的知識も
男性と渡り合って論理的な思考で論破できる答弁力も
国の生死を分かつような決断力も
自分が火達磨になって改革を推し進める覚悟も
持ち合わせておらず
或いはバターの最安値を知ることもないかもしれない。
国民を決して甘やかさない「鉄の意志」を政界に持ち込んだ
往年の彼女が今、日本にいてくれたら。。と切に思う。
「最近の政治家は【何をすべきか】ではなく
【どう見られるか】ばかり考えすぎる。
という劇中のサッチャーの言葉に心から共感する。
日本人は例え領土内に外国船が入ってきたとして
「遺憾に【思う】」ことはあっても絶対的な対抗手段を【考える】ことをしない。
ふらふら、のらりくらり「いい人」を演じてきた結果が
今の借金まみれ大国、なめられまくり大国というトホホな結果。
そしてそれは議員がいつだって「良く見られたい」と思っていたからかもしれない。
今自分が憎まれたって、私たちの次の世代、次の次の世代に必ず良いこと。
そんな風に自分を盾に出来るのは、憎まれても正しさを押し通そうとするのは
実に「わが子を守ろうとする感覚」であって
国を愛する心と我が子を愛する心は似てるのかも知れないって思った。
最後に、この映画を見て感じたこと。
この映画を見るなら断然、字幕!と改めて思った。
近い将来地上波でも放映されるかもだけど
日本人の女優が吹き替えでもしてしまったら
この映画の魅力は半減するだろう。
メリル・ストリープの圧倒的・女優魂が
見る者の心を、作品にのめりこませる。
この映画で第84回米アカデミー賞の主演女優賞を取ったのも納得。
首相になっていく過程で彼女の声質が変わる。
甲高い声はヒステリックな印象を持つと周囲からアドヴァイスを受け
「知的な声」を、サッチャー自身が作り上げていく。
だから、まずは前半彼女のキンキン声をきちんと堪能しよう。
そして後半の変貌ぶりを見た時、彼女の演技力のすさまじさを思う。
老婆の歩き方、小刻みな手の振るわせ方、唇の動き
足元から爪の先までが「サッチャー」そんな印象を持った。
個人的に好きだったシーンはダンナサンのプロポーズのシーンかな
「(君と結婚することで)僕は幸福になれる」
そんな謙虚なプロポーズが出来る男性は中々いないよね、胸にしみた。
そして、この言葉は後になって
ずっとずっと彼女を苦しめていたかもしれないなって思う。
強く正しくあることは
決して「人を幸福にする」こととイコールではないから。
心にしみた。
できればもう一度見たい作品。
ふんふん、そうなんだぁ~
マーガレット・サッチャー元英国首相。在任期間は1979~90年だから、当時を記憶しているのは私を含めて40代後半以上だろうか。
米国ではレーガン、日本では中曽根ががんばっていたあの時代。
それはよく再現されている、さすがに…。
さて、サッチャー氏は現在86歳で存命ながら、認知症でおそらくご本人は夢うつつの中を生きている。
それを映画は、彼女の20代、宰相時代、そして現在とオーバーラップしながらひとつの時代を描く。
それはそれはうまくまとまっているし、イギリス英語を話すストリープのまさに熱演で訴えかけてくるのは、よくできた映画だ。
しかし、全体に、サッチャーその人自身の内面が描けているようで、描けていない。
男女の双子の母親でもあった彼女だが、なんとなく子供に苦労させられたというのは伝わるが、その点はほとんど描いていない。
首相、政治家として生きた部分がメーンになるのは当然だが、どうにも存命中の大物に監督(マンマミーアを撮った女性監督)は遠慮してるんじゃないか、と感じた次第。
もっともっっと、過剰に生々しく描かないとドラマとしてはガクガクブルブルさせるものは伝わってこないのだ。
ストリープの名演は、オスカー最有力とも言われているが、同じ彼女の主演作でいえば、2009年公開の「ジュリー&ジュリア」のほうが、おもしろいと思う。こちらもストリープは実在の人物を演じていたが、のびのび演じていたしね。
役者メリルストリープの脱帽
映画「THE IRON LADY」邦題「マーガレット サッチャー鉄の女の涙」を観た。
鉄の女と呼ばれた元英国首相マーガレット サッチャーをメリル ストリープが演じた。声、発音、イントネーション、スピーチ、顔つき、歩き方やしぐさまで、全くそっくりで本人と見分けがつかない。これで、今年のアカデミー主演女優賞は決まりだ。ストリープが受賞するに違いない。
ストリープは、サッチャーが保守党党首に立候補するころの若い頃から 現在86歳のアルツハイマーを発病して足元がおぼつかない姿まで、本当に迫力のある演技を見せた。顔の大写しが多いが、しわだらけの化粧の技術も巧みだが、年寄り独特の不随意に動く口元や 震える手など本当に本物の年寄りとしか思えない。ストリープはすごい。怪物だ。女版、ロバート デ ニーロと言われている。役を引き受ける前に、役について徹底的にリサーチして完全に役柄になりきることに努力を惜しまない。アカデミー女優賞のノミネート16回と女優では最多。ゴールデングローブも 26回ノミネイトされ、6回受賞している。
1985年「愛と哀しみの果てに」(原題アウト オブ アフリカ)では、デンマーク人のアクセントで デニッシュイングリシュを駆使してロバートレッド フォードの相手役を演じた。2005年「マデイソン郡の橋」では、イタリア語なまりの英語でクイント イーストウッドの相手をしていたし、2008年には、59歳で、「マンマミーア」で、アバのまねをして10センチも高いヒールで飛んだり跳ねたり歌って踊ってみせた。
でも私が一番好きなストリープの作品は、1982年の「ソフィーの選択」だ。原作ウィリアム スタイロンの小説も良かったが、映画も素晴らしかった。 この映画で彼女はポーランド語を習得して、ポーリッシュなまりの英語に徹し、ナチズムに翻弄される女を演じてアカデミー主演女優賞を受賞した。映画で、ナチスに5歳の息子か3歳の娘か どちらかを渡すように命令されて、殺されるとわかっていて娘を渡した。その罪悪感と後悔に責め立てられて、共に死んでくれる相手を求めていた恋人と自滅していくしかなかった哀れな母親の役で、心理俳優として、名実共に認められた。
「マーガレット、、」では サッチャーが下院議員選挙に初めて立候補して落選する25歳のころから 結婚し、保守党党首となり 辞職して現在に至るまでの日々が描かれる。はじめは、女性の社会進出を願い、尊敬する父親や理解ある夫の強力を得て、弁護士から下院議員になる。そうしているうちに、次々と与えられる課題に突き当たって やがて11年間もの間 首相を務めることになる女性の意志の強さに圧倒される。そんな鉄の女が、家庭思いの夫を心のよりどころにする 普通の女で、年をとってもハイヒールを履いてきちんと化粧をする。外出時にはきちんと帽子を被る、そんな頑固な女性の意地の強さも立派だ。立派に彼女なりのスジを通したが、首相としては庶民にとって、決して良い首相ではなかった。
経済自由主義の信奉者だったサッチャーは、電話、ガス、空港、航空、水道などの国有企業を規制緩和し、民営化し、労働組合を潰し、法人税を値下げし、消費税を8%から15%に引き上げた。インフレを抑制するためにイングランド銀行に大幅な利上げをした。教育法を改革し、学校の独自性を認めず全国共通の教育システムを強制、教科書も一本化しテキストから「自虐的」人種差別や、植民地支配の歴史を抹消、改正した。医療制度を改革し、健保受給者を減らし 病人、身障者を切り捨てた。失業者を増大させ、貧富差を広げ、社会不安に陥らせた。
彼女ほど保守派政治家が政権を取ると、いかに権力者、資本家、経営者が肥え太り、庶民が窮民に陥るかを 絵に描いたように明確に見せてくれた首相は他に居ない。また、確たる理由もないのにアルゼンチンと戦争を初めて国民の愛国心を煽り、扇動することで首相の支持率を過去最高の73%にまであげるという実験をしてくれた。1982年南太平洋フォークランドでアルゼンチン軍攻撃の件だ。このことで、国内の失業者上昇、IRAとの摩擦、貧富差の拡大などの問題から国民の目をそらすことに成功した。
1980年代は、サッチャーの信奉する新自由主義という妖怪が 世界で跋扈した。自由な市場に任せておけば すべての経済活動は解決するとし、「生産性に応じて報酬がもたらされる。」と考える新自由主義は、2008年リーマンブラザーズの経営破綻が金融システム全体を崩壊させたように、理論的にも現実的にも破綻している。
資源に限りがある以上、経済成長をし続けなければならない自由主義経済を維持することは不可能だ。そのような中で 政府に求められるのは雇用を管理し、金融の安定を維持することだ。市場経済を金融企業に自由に増長させるのではなく、市場経済を管理しなければならない。
現在のギリシャに始まりイタリアやその他の国に飛び火しているユーロ危機は、ユーロのそれぞれの国の租税システムや内政に干渉できない結束では、結束そのものに限界がある。強いドルに対抗してユーロが出来ても 参加国が増えすぎて、いったん問題が噴出すると、借金を借金で返済していくしかない現在の解決方法では、ドイツやフランスに債務危機を解決できるとは思えない。
また、米国など、消費支出の37%が上位5%の高額所得者によって占められているが、このような貧富格差社会では、今後失業者が減り、景気が好転するとは思えない。
八方塞りの経済情勢のなかで、いまになって、やっぱりマーガレット サッチャーが良かったみたいな 彼女のような強い指導力が再評価される流れが出てくるとしたら、それは間違いだ。彼女の時代を懐かしがるのは、余裕のある金融企業家や資本家だけで良い。
女性の地位向上に貢献したことでサッチャーを評価するが、その経済政策が、たくさんの失業者をどん底に突き落とし、無数の自殺者を出したことを忘れてはならない。
映画は、映画として、とても良くできている。
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