11・25自決の日 三島由紀夫と若者たちのレビュー・感想・評価
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『怒りは愚かさの中に消えてしまうのか?』 本当に三島由紀夫先生の言葉か??
『怒りは愚かさの中に消えてしまうのか?』
そんな事を三島由紀夫先生は言ったのだろうか?
『益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜』
この映画の三島由紀夫先生は若松孝二監督の解釈だと思っている。
『自衛隊は憲法を守る軍隊になった。』
三島由紀夫先生は何に国を憂いたのか?この言葉に答えはあるのだと思うが。
行動自体は実にアナクロで、
醜い行動であるはずなのに、この映画では、間違ったイデオロギーを鑑賞者に刷り込んでしまって、異様な行動ばかりが目立ってしまっている。では、一体何を理由に、三島由紀夫先生は自決したか?
『豊饒の海』を読むべきである。私は私なりに結論を得る事ができたが、この映画での表現は若松孝二監督が語る『憂国』ではないと知る事ができる。だから、この映画には共感出来ない。少なくとも、観念的過ぎる。
さて
今日は京都アニメ事件の四回忌。ご迷惑を祈ります。
2023年7月18日
京都九条にて。
観ておいてよかったと思える映画だった
私の三島由紀夫のイメージが井浦さんとは違っていて、その違和感はどうしても最後までぬくえずにいた。
また、ところどころ、思わせぶりな映し方だけれど実はたいした意味はないようだ、と感じるシーンがいくつかあったので、そういうのはちょっとしたストレスだった。
でも、この映画で、自害までの一連の流れや必然性は理解でき、具体的イメージもつかみやすくなった。三島由紀夫について詳しくなかったわたしには、観ておいてよかったと思える映画だった。
最後のシーンまで観て感じ取れるのは、「無念」とか、「悔しかっただろう」ということ。
でもこれは、結局は個人の生き方の問題で、あくまで本人がどう生きたかったのかということなのだと、夫人のつぶやきからも考えさせられる。
三島由紀夫=クーデターの真実
2011年(日本)若松孝二監督作品。119分。
三島由紀夫の名前を知らない人も多いでしょう。
私も「市ヶ谷クーデター事件」の詳しい内容は、この映画で知りました。
それは用意周到に計画された。
「三島事件」は1970年11月25日、防衛庁の市ヶ谷駐屯地の益田総督の部屋からはじまった。
三島は4年前から自衛隊体験入隊を繰り返していた。
私設民兵組織「楯の会」を創立。
彼らも自衛隊の訓練を何度も受けている。
その日、三島と楯の会の森田ら5人は、益田総督への面会のアポイントを取ってあった。
だから易々と総督室に入れた。それまでの実績とコネクションが役立った。
関孫六を総督に見せて歓談。
隙を見て森田らが羽交い締めにして縛り、猿ぐつわを噛ませた。
そして総督室にバリケードを築き、入れないようにする。
そして要求書を差し出した。
「自衛官をグラウンドに至急集める事」
そこで「三島の話がある」
三島ら5人はバルコニーに上がり、急遽集められた自衛官は800名から1000名。
三船の演説の趣旨は、
「腐ったアメリカ属国の日本の憲法を改正して、自衛隊を軍隊とするため、
諸君は私と共に決起しないか!」
マイク無しに拘った三島の演説は自衛官たちのヤジ、
「バカやろー」「うるさい」「引っ込め」などにかき消されて、
三島はわずか15分で演説を中止に追い込まれる。
警察の機動隊やマスコミの中継者が現れ、三島は時間が残り少ない事を知る。
総監室に戻った三島は、正座して制服の上着ボタンを外し、ズボンを下ろした。
下は真っ白い褌だった。
腹の位置を定めると一気に真横に小刀で切り裂いた。
楯の会No.1の森田必勝は関孫六で首を切り介錯するが、更に小賀正義が手伝う。
そして二番手は森田必勝で、彼も切腹を果たす。
これが、三島クーデターの全容である。
出立の朝。
車に乗り市ヶ谷に向かう5人が歌ったのは、高倉健の「唐獅子牡丹」
演歌それも任侠映画の主題歌だ。
三船は『三島由紀夫vs東大全共闘』の対話集会でこう述べている。
「私が学習院高等部を首席で卒業した日に、昭和天皇は会の3時間、全くの身じろぎもしなかった。そして記念に時計を頂戴した。思い出深い日だった」
三島の天皇崇拝主義は昭和天皇を崇拝するものではなく、
天皇とは絶対権力の象徴であり無意識的エネルギーの象徴である。
また、東大でこうも言っている。
「革命で人を殺して、おまわりに追いかけられたら、私は自害しますよ」
笑いながら冗談めかして言っている。
楯の会と三島の5人で武器も日本刀だけで、一体本気でクーデターが出来ると思っていたのか?
三島が益田総督らとコネクションを築いたおかげで、割腹自殺に介錯と言う、
古式に乗っ取った型の切腹は成功した。
クーデターを起こし、結果切腹して自害する・・・
それが最終シナリオだったと、思えるのだ。
「俺は骨の髄まで日本人。誇りを持って叫んだ」
天皇陛下万歳、天皇陛下万歳、天皇陛下万歳と、三唱した。
遺稿『豊饒の海』の第四巻の最終稿はその日入稿された。
あまりにも用意周到だ。
戦争に魅せられた悲しき男たち
まず一言、退屈。才能のある文豪を、時代が潰した。奥さんが途中全く出て来ないのが不自然。というか気の毒。三島由紀夫の思想をどう思うかとかではなく、こういう時代があった、こういう人がいた、という歴史的視点で見ると良い。
七生報國の呪縛と幕引き
内容。三島由紀夫という作家の11.25事件の前後5年の話を分かりやすく纏めた作品。印象に残ったのは、寺島しのぶの結局三島の身体を残して、貴方に何が残ったの?という生き残りの楯の会員に向かって問いかける言葉。全体の流れが早すぎて深く物語が入ってこない。キャストの選択もしっくりこず主役級以外演技が下手すぎて笑える。しかし!くまさんの演技は人懐っこく大好きだ。やはり映像として残っている三島由紀夫が凄すぎて廉価版のまとめとしてならいい作品だと感じた。印象としては若者たちの1960年代の情熱に呪われてしまい動けなくなり作家として生きて自分で幕引きした稀有な作家で強くも弱い当時の時代性を驚きを持って感じた。全体的に分かりやすすぎた印象。
若松孝二監督の作品は、
お馬鹿映画ばかりの邦画の中で知能指数が少し上がるので観ていて最後まで面白い。三島由紀夫。主張はいっぱいあったのに、どれも実現せず、部下からもせっつかれて、ついに自衛隊に決起を促して自決するしかないとなった。しかし、その行動さえも実際にはヘリコプターとヤジの声にかき消されて、集まった自衛官たちには何を言ってるか聞こえなかったらしい。悲しく壮大な上滑り。しかし痛い思いをして腹を切った気合いは事実。追い詰められていって狂気じみていく感じや、右翼独特の妙な爽やかさと、ホモ感も含め、井浦新と満島真之介の演技は抜群に素晴らしかった!
若松監督の三島評価を明確にして欲しかった
昨年は三島由紀夫没50年ということもあり、たくさんのドキュメント番組があったり、
また、学生時代に「楯の会」の流れを引く
会のある学生寮にいた縁もあり鑑賞。
しかし、上っ面を撫でただけに見えたり、
表現が直接過ぎて、主役2人の内面に
迫れていたとの印象は受けなかった。
また、井浦新は力演しているのかも知れない
が、顔が三島由紀夫らしくないのと
肉体的な対応も不足していて、
臨場感を持って三島の世界とその時代には
浸ることが出来なかった。
実際、若松監督は三島の思想を
どう受け止めていたのだろうか。
三島には、天皇を頂点とする理想の国家像と
現実の天皇像に
相当のギャップを感じていたはずだ。
だから、本当のことか判らないが、
吉田喜重の映画「戒厳令」での、
死刑執行直前に「天皇万歳と唱えないのか」と問われた際の北一輝の
「私は死ぬ前に冗談は言わないことに
しているのです」との最期の台詞のように、
若松監督には、御自身の三島への評価を
インパクトのある形で表現して欲しかった。
こんな時代だったのか、という思い
1970年、わずか50年ほど前に起きた出来事とは思えない。
日本人が物事をまじめに、違った見方でいうと深刻に考えていたのかもしれない。
三島由紀夫の行動を肯定も否定もしないが、現実に起きた報道映像を交えての映画は、史実を忠実に描いているのだろう。
あの時代に一歩間違えていたら、日本はどうなっていたんだろうという思いはある。
ベランダ演説の画角と姿勢。だけ。
つまらなかった。
スター作家自ら選んだ末路がこんなに空疎で内輪受けだったとは。
それを語りたかったなら喜劇にすべきか。
武のフライデー襲撃事件の方が撮るに値するか。
井浦新のベランダ演説の画角と姿勢がニュース映像に忠実なのは楽しんだ、だけ。
腑に落ちない、
賛否いろいろあろうけど、このテの言動は、熱い信念があっても「そこでハラを切ってどうなる?」という感も正直ある。
その思想や言動が正しいかどうか、当時の時代背景もありつつ、命をかけてそこまでやったことで、「それで結局どーなった?」とむなしくもなってしまう。
1125
奇しくも命日に鑑賞。
そのせいなのか、小さな劇場に集ったおじいちゃんたちが、俺は三島を知ってる、必勝にあったことがある、古賀を知ってる、あんたは知らんだろう、と(巻き込まれ笑)アットホーム?な雰囲気の上映会に。
わたしは以前から60〜70年代をどうしても理解したくて、映画をみたり本を読んだりしているのですが、掴めそうで掴めないその頃の価値観、確かな熱気と冷めていく時代の温度差…この映画でもそれで終わってしまった。
でももしかしたらその矛盾が答えなのかも、と薄々思っています。
東大の討論も、自決直前の聞こえない演説も、はっきりいってハァ?て思ってしまうし、なんなら緊張感を高める効果の筈のピアノもおちょくってるように聴こえてきてしまう。
満島くんの狂信的な瞳も玉の汗も、真剣であればある程、滑稽に見えてしまう。
これは若松監督が意図しているのかな?ただ自分が天邪鬼なだけなのか?
どちらとも取れる、危険な映画なのかも。
三島作品を読んでも、ナルシストだなぁ…と、川端作品もなんだか生理的に合わなくて、太宰のほうがクスクス笑いながら読める自分にはそもそも合わないのかな。
余談ですが、小栗旬の太宰治の映画で出てきた高良くん演じる三島由紀夫、やっぱり真面目で硬くていちゃもんつけにくるシーンでしたが、その時も太宰と一緒にハァ?てなったのを思い出しました。すごく絶妙なキャスティングでした。
ただ、右も左もそのズレも滑稽さも、全て含めて今の時代があるわけで、今が正しいわけでもないだろうし、考えることをやめてはいけないんだ、と思いました。
ん?どういうこと?と文献のなかで右往左往する自分も随分滑稽ながら、分からない映画を見ていこうと思います。
歴史の記録として
三島由紀夫vs東大全共闘、に続けて鑑賞。
当たり前だけど、東大900番教室での討論会のくだりは、うまく再現はされているが実録の比ではない。
自決までの出来ごと、昭和に起こった史実として、記録に残り続けて欲しいという印象はあります。
美しい夢
個人評価:4.0
身を斬る様な熱く壮絶な物語。あの三島由紀夫の自決に至るまでを見事に描いていると感じる。
日本の最後のサムライ。それは例えではなく、身も心も大和の侍そのものであったと感じる。
最後のシーンは憲法第九条の改正はもとより、日本人の失われた誇りや武士道を三島由紀夫の死に様よって呼び起こすには充分すぎる行為であり、頭の芯を殴られた衝撃があった。
純粋すぎる美しい夢。桜の様に散る美しくさがそこにはあった。
底無しの憧れの果て
三島由紀夫本人の思想より、戦後生まれの若者たちがどのように彼の思想に傾倒していったかを描くことで、彼の一見異常に見える理想主義のある種の普遍性を炙り出している。
流れる汗、鍛え抜かれた体、仲間への思いやり、一途な思い、、、これらは、人間にとって普遍的な憧れであり、その意味では共産主義とも共鳴するものがある。現代の目から見ると、赤軍派のやっていることも十分異常で、三島と似たもの同士にも見える。三島は怒るかもしれないが、この時代の人々は、共通のものに熱狂し、闘争に明け暮れること自体に憧れを見いだしていたように見える。自己陶酔の果てに命を落とした三島を、政治闘争の一幕と捉えられた当時の雰囲気、熱気こそ、この監督が伝えたかったことではないか?
そして、現代人も、表に見せる機会は無いものの、これに似た陶酔を持っている。潮目が来ていないというだけの話だ。
憂国烈志とは…
泣いたねぇ。沢山泣いた。
現代はこうした人々によって作られてきている。
ただ、単に右翼的なこと感動しているわけではなく、国を思うという気持ち。次世代に繋ぐ思いみたいなものに感動した。
三島由紀夫氏が失望し、残念に思う気持ちも解らなくないが、あまりに短絡的過ぎる。時代がそうしたのだろう…。
人は思慮深くなくてはならない。
短絡的発想では、感情が支配し、取り返しのつかない事になりかねない。それを教えてくれる映画でもある。
現代に三島由紀夫氏が生きていたら、本人にも理解出来ない行動等が沢山あると思う。残念で仕方ない。
理想は打ち砕かれ
題名にもある自決の日、ならば"三島事件"を中心に時間を割いた作品に、演説のシーンは聴衆としての自衛隊を描写することもなく、切腹までの間には鬼気迫る押し問答?がある筈で、都合良く端折っているような。
東大全共闘との再現もスカスカな雰囲気で、小劇場の演劇を観ているようで迫力に欠ける。
若松孝二は"連合赤軍"に力を入れ過ぎた結果の本作かと、良し悪しのバランスに乱れが??
大々的に三島を主役にしてしまうより、ARATAは残念ながら三島には見えず、満島真之介が演じる森田必勝を中心に、楯の会メンバーから見た三島由紀夫を描いていたら。
本作の為にARATAから本名の井浦新に、、エンドロールで流れる出演者の名前、なのに音楽は洋楽?カブれな歌ってな違和感?
井浦新を察してあげない、若松孝二!?
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