「ギャグ巨人日和」進撃の巨人 ATTACK ON TITAN SP_Hitoshiさんの映画レビュー(感想・評価)
ギャグ巨人日和
…あれ? これはもしかしてギャグなのかな…? と思うと、いろいろ許せるというか、これはもう積極的に「ギャグなんだ!」と開き直って、友達とわいわい突っ込みながら観るのが正しい見方の気がする。
真面目に脚本に文句をつけると、キャラ達が馬鹿すぎて窮地に陥るのだけはやめて欲しかった。
原作の「進撃」はいつ誰が死んでもおかしくない、極限状態の緊張感と、その絶望的状況でも立ち上がる人間の意思の素晴らしさがキモなんだと思うけど、キャラが馬鹿過ぎたらなにもかもぶち壊し。
エレンは不発弾にケリ入れるお馬鹿キャラというところですごく、ものすご〜く不安になったんだけど、その後見たらもうこんなのどうでもよくなるくらい。
エレンだけじゃなくてこの映画に出てくるやつは誰も彼もがお馬鹿のオンパレードなのか、ともう笑うしかない。
壁外では死んでも声を出すな、と釘をさされたはずなのに、なんだかよくわからんが、普通に大声で話し合ってたり、作戦続行中なのに大ゲンカはじめたり、ピアノひいちゃったり、彼女とられた悔しさで絶叫しちゃったり、あげくのはてにいちゃいちゃしちゃったり、もうなんなのこの世界観…。
2年間放置された壁外に赤ん坊がいるはずないのに、声が聞こえたと探しに行っちゃって、時間が勝負の作戦のはずなのに、その単独行動が止められもしないし、そんな勝手な行動とったやつらを律儀に待ってたり。
その他にもたった1人を救うために全員が窮地に陥るような作戦を何度もやってたり、もうわけがわからない。
戦場では非情な決断でも涙をのんでしなければならないときがある、という原作の雰囲気がまるでない。
シキシマというのはオリキャラなのかな? でも彼が一番マンガみたいだった。あまりにスカし過ぎてて、中二病みたいで面白い。
ハンジがこの映画の中では一番良かった。他のはあまり印象に残らない。エレンとアルミンは見分けがつかなくて、いちいち「これどっちなんだろ?」って思ってた。
「英霊」という言葉が使われてるのがちょっと気になった。原作でもこの言葉出てくるのかな? 原作で出てこないんだったら、どんな意図でこの言葉を使ったんだろう。
CGや映像はけっこう良かった。原作の世界観は実写化するのがかなり難しいと思ったのだけど、かなり再現できてるのではないか。
ただ、やっぱり普段ハリウッドのクオリティの映像に慣れてしまってるので、まるで実写とアニメが合成されてるみたいな、変なチープ感は出てしまう。
立体軌道装置の飛び方も、アニメなら気にならないけど、実写であの動きだとあからさまに現実の物理法則に従ってない動きで、ギャグっぽい。
「300」みたいにフルCGにしちゃえば、ギャグっぽさはなくなると思う。
追記
この映画の脚本ってあの町山さんだったなんて…(今知った)。映画の評論だとあんなに面白くて的確な意見を言うのに、本当に意外。政治評論家が政治家になったらだめになっちゃうみたいな話なのかな。
たまむすびの書き起こしを読んだ感想。
ドイツ人名をどうするか、っていうのはどうでもいい。というか、そんなのがどうでもよくなるくらいこの映画の脚本はひどかった。
エレンのキャラ設定変更に関しては、諫山さんの出した要望は正しかったのに、演出で失敗したという感じ。
エレンは、ミカサのピンチのとき、恐怖で動けなかった、というようにしなければならなかった。そうでないと後の話がつながらない。
映画だと、その辺があいまいになってて、エレンは建物から出られなかったから仕方なくミカサを助けにいけなかった、ともとれるようになってる。
んで、ミカサもエレンを見限るためには、エレンが恐怖のために自分を見捨てた、ということを理解してないといけない。
もっと言えば、巨人来襲の前に、エレンとミカサは普通に恋人どうしで、しかもエレンがミカサに俺様風に、「巨人が来てもぜってー守ってやんよ」とか言ってたらなおストーリーが明確になって良かった。
エレンがミカサを見捨てた、というシークエンスがあってはじめて、エレンがその後「死に急ぎ野郎」になり、再会したミカサに軽べつされる、という理由がつながる。
更に言えば、エレンの「巨人を駆逐してやる」という強い動機にもなりうる(ミカサが無事だと分かってからもそれを思うのはちょっと意味が分からんが、ミカサに嫌われたことの逆恨みとして)。
なんでわざわざ分かりにくい演出にしたんだろう? わけわからん。
追記2
ヒアナの設定になんか既視感を感じる。主人公が本ヒロインにふられてボロボロになって、そのとき声をかけてくる母性のある準ヒロインとやっちゃう、ってストーリー。
GANTZにもそんな話があった気がするけど、わりと定番のパターンなのかも。
これをやりたかったんだったら、エレンはもっとミカサにボロボロにされなきゃいけなかったはずだし、そのあとエレンはヒアナの愛に溺れなきゃいけなかった。それでこそ、巨人の胃袋の中では溶けたヒアナを発見して、「駆逐してやる…!」となったはずなのに。子供向け映画ではそこまでやれなかったんだろうなあ。
追記3
この映画があまりに酷評されているということで、炎上騒ぎになっていることを知った。正確に言えば炎上の直接の原因は、酷評に反発したプロデューサーや監督なんかのツイートが発端らしいが…。
僕も、この映画が最低評価ほどの映画だとは思わない。クソだのカスだのデビルマンだのと言われれば、「そこまでじゃねー だろ!」と言いたくなる気持ちは分かる。
でも、低予算だからとか、原作と違うから、ということが酷評されてる理由の本質ではないはずだ。
ただただ、「つまらないから」。理由はシンプルにそれだけだろう。面白かったら、原作と同じだろうが、違っていようが、ここまで酷評されなかったはずだ(もちろん、面白かった、という感想の人を否定するわけではない)。
だったら、辛いことだけども、だまって、「つまらなかった」という評価を受け入れるしかない。
大人気漫画が原作の実写映画化なのだから、ファンからの酷評は想定内だったはず。
なぜ原作があると酷評されやすいのか? 当たり前だけど、原作の面白さと比べられるからだ。映画は、原作の面白さとの勝負を余儀なくされる。これはいわば負け戦だけど、それを覚悟して映画を作っていたはずだ。
でも、原作があるのが不利なばかりでもない。今の時代、何がヒットするかわからない時代だ。こんな混沌とした中、「進撃」は異例のヒット作品になった。そして、「進撃」のファンは、なぜこの作品がこんなにもヒットして、こんなにも愛されているのか、よく理解している。
だから、見方を変えれば、「これが受ける!」というのが初めから分かっている圧倒的有利な状態ともいえる。
それなのに、原作の面白さや良さをつぶすような話にしてしまったら、ファンならそりゃ怒るだろう、と思う。
冷静に考えて、この映画のストーリーが原作の漫画で展開されたら、それは面白いといえるのか? 世界観がブレてる、主人公の動機や感情がよくわからない、素人目に目立つ矛盾がいくつもある。10週打ち切り必至だろう。
なぜ、普通だったら到底通らないはずの脚本が通ってしまうのか。たぶん単に脚本家の能力の問題だけではない、構造的な問題があるんだろう。例えば、多数の関係者や出資者の意向にさからえないとか。
日本は名作漫画の宝の山なのだから、この資源をうまく活用できるようになれればいいなあ、と思う。
漫画が原作だとやっぱだめだよね、ということが当たり前の世の中であってほしくない。