マレフィセントのレビュー・感想・評価
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マレフィセントの映画じゃなくて、
マレフィセントの映画じゃなくて、完全に、アンジェリーナ・ジョリーの映画になっていました。ディズニー感がまったくではないですがなく、きれいな映像感でしたが、かなり退屈でした。ひきこまれる感は一切ありません。
個人的には受け入れがたい
まずそもそも、『眠れる森の美女』のあの状況で「一方マレフィセントはこの時〜」みたいな作品かと思っておりました。違いました。
ステファン王を悪役とし、フィリップは活躍する機会がないし、個人的には男性を卑下している様な感じがしました。
確かに女性側も、三妖精があれじゃDQNだわという感じでしたが、オーロラ姫は純粋無垢でマレフィセントも本当は悪くないと、良い印象ばかりの強調みたいでした。
確かにステファンは悪い。しかしだからって、その子供に呪いをかけるのも悪い。子供は何も悪くない。解こうと努力したのも理由は、結局は自分の感情からでしかありませんでした。自分が彼女に愛情を持ったから解く。身勝手だなあ…。
フィリップ王子のキスで解けないでマレフィセントのキスで解けるというのも、ホラ男は頼りにならない!と男卑的に言っている様に感じてしまいました。確かに、生まれた時のお祝いで会う事も夢で会う事もなく、そりゃあ愛は育まれないでしょうが、そこは制作さんが愛の育まれるシーンや展開を作れば良かっただけです。
『アナと雪の女王』では、凍てついたアナを溶かしたのはエルサの愛情でした。でも恋愛は否定しておらず、アナはクリストフとキャッキャウフフしてます。しかしこちらでは、とにかく(元々人間の)男は良い印象がない。『眠れる森の美女』でも有能に働いていたあの烏が頑張ってはいましたが、だって彼は部下だもん。
オーロラ姫の吹き替えが上戸彩という事を知った時点でアカンとは思っていました。やっぱり姫らしい気品などは感じられず、ただの女の子な感じの声や喋りになってました。だから、話題作りの芸能人はやめてってば。
ステファン王を悪役にするにしてもあまりにベタでパンチが弱く、やるならもっとやって下さい。貧しくて出世の為に悪くなるとはベタ過ぎます。
ムビチケ買ってまでの期待だったので、ショックです。西洋では女性がプリンセスの話を鵜呑みにして現実とのギャップから逆恨みしてるとか聞いた事ありますが、もしこれで満足ならただの男卑女尊です。男の尊厳を無くして是とは言えません。
男も女も関係なく活躍!というのも描けたりしている点等々、アナ雪は凄かったなあ…。
ザ・アンジー!
アンジェーリーナ・ジョリー全開です。
少女時代も娘時代のマレフィセントもとても可愛く強く美しく、イメージする妖精とは若干違っていました。
が、それを補って余りあるマレフィセントの魅力的なキャラクター。後にも先にもアンジー以外は受け付けないかも知れません。それほどに完成され、洗練されています。
ふと寄せた眉、厳しい表情でも優しい瞳、陰ながらオーロラを気遣い労る行動の数々。マレフィセントから目が離せなくなり、完全に心情は妖精サイド。娘を守ろうとマレフィセントに敵対するオーロラの父王の言動に、違和感を覚えるほどです。
よく知るあの話とは違うオチですが、アクションも多少あり、大人の鑑賞に耐えうる物語に仕上がっています。
あと、フィリップ王子のズッコケ感は見物です。一目惚れした割に全く役に立っていません(笑)
ファンタジー全開バリバリでおもしろかった。
イチオシ作品!!
深い物語に仕上がってます
ディズニーもワンパターンではだめだと思ったのかな。
アンジェリーナ・ジョリーだからできた映画です。お姫様が王子様に助けられていつまでも幸せに暮らしました、という定番の御伽噺のラストに現代的な、新たな提案がされています。というかなーんかフェミニスト的なにおいがぷんぷんするんですが。
西洋文化圏に住んでみると、とにかくディズニーがすべての子供たちの教育のベーシックになっています。「女は女らしく、かわいくしてればそのうち王子様が永遠の愛を誓ってくれるわ、ふふふ。」と心から思っている女性が大半です。それゆえ大抵の女性は成人以降、現実と理想の男性とのギャップに苦しみます。王子様のような男性なんて基本的に存在しませんので。キリスト教圏では基本的に離婚は罰で、死後地獄に落ちることになるので、多くの主婦は結婚後に現実に直面しても、結局はそれを受け入れるしかなく、その代償行為として恋愛テレビドラマのなかで夢を見たり、反動でフェミニストになったり、一生現実を受け入れられないまま心を病んでしまったりと、実はかなり根の深いところで社会に影響を与えています。
御伽噺は人間がシンプルに生きていた過去の時代には役に立ったんでしょうけど、現代ではなんともリアリティがなさ過ぎます。近年マンネリ化していたディズニーも重々分かっていたこと出だとは思います。
で、この映画はそういう、「結局は御伽噺なんて現実にはないのよ!王子様なんていないのよ!」と卑屈になっている西洋文化圏の女性たちに、一段掘り下げた夢を与える、といった意図で作られたんじゃないかと勘ぐっています。ですのでこれは本当のフェミニスト映画じゃなくて、フェミニスト「的」視点を加えた、今までのディズニーの甘すぎる価値観にアレルギーのある人たちのために作られた映画じゃないかなとおもいます。あくまでそれは「的」であって本当のフェミニストとは違いますし、あくまで表向きのこと。だから母であり美しく、また自立した強い女性というイメージの強いアンジェリーナ・ジョリーが主役に選ばれたのもわかるし、むしろ彼女以外では考えられない。
でも最終的にはオーロラに対するジョリーの行動や与えるものはやはりディズニーの伝統的な価値観なんですよね。「女は強くなる必要ないのよ、女は女らしく、馬鹿でもいいから、男に愛されるようにかわいくありなさい、一生夢の中で生きなさい。」位の勢いでやっているので、結局はディズニーはディズニーなんですよね。
アイスマンというサイコパス殺し屋の映画がありました。彼は外では人を山ほど殺し、家では妻と娘を大事にして、王女様、お姫様的な世界を与えていました。家庭を現実世界から隔離して、自分の理想の楽園、もしくは箱庭としてみていたのかもしれません。そういうゆがんだ発想は実は西洋文化圏で起こりやすいことだと思います。この映画でジョーリーが最後に取った行動は、なんだかそのようにも見えなくもないですよね。とにかくお姫様がへらへら笑うだけで頭の中がお花畑状態でまったくの役立たずなのに、その辺をなんとも思わず楽園に住まわせるジョリーの今までの人生の出の学びは一体どこに生かされるんだ、と突っ込みを入れたくなります。
ちょっと拡大解釈かもしれませんが、そんなことを思いました。
「魔法にかけられて」「アナと雪の女王」に続くディズニーへのアンチテーゼ
「魔法にかけられて」「アナと雪の女王」と、「ひと目で恋に落ちる真実の愛」というディズニークラシックの純愛の世界へのアンチテーゼを描いてきたディズニー。
今回もやってくれました!
物語はマレフィセントの視点から描かれ、「眠れる森の美女」以前の、まだマレフィセントが少女だった頃からストーリーは始まります。
ひとつ心配だったのが、これを見てしまうと本家「眠れる森の美女」を観るときに穿った見方をしてしまうようになるのではないかということでしたが、その心配はいりませんでした。
物語の途中から「眠れる森の美女」とかぶり始めますが、
本家では、
①オーロラは生まれた時にすでにフィリップ王子と出会っている。
②二人は生まれた時から許嫁だった。
③マレフィセントの呪いの後に三人目の妖精が祝福を与える。
④マレフィセントがオーロラの居場所をつかむのは、16歳の誕生日の日に妖精たちがそれまで封印していた魔法を使ってしまったため。
⑤森でフィリップ王子に出会ったオーロラはフィリップから逃げようとする。
⑥眠りに落ちたオーロラ姫が眠りから覚めるまで、三人の妖精は城全体を眠らせる。
⑦城に向かう王子の行く手を阻むためマレフィセントが城をイバラで囲う。
⑧マレフィセントが龍に姿を変えフィリップの行く手を遮る。
等となっていますが、本作では細かいところがかなりの部分で変えられているので、本家「眠れる森の美女」をよく知る人でも別のストーリーとして楽しめます。
また、オーロラ役のエル・ファニングは少女的な可愛らしさ満点で、本家の面長の美女のオーロラとはイメージが全く異なります。
本家は元々の眠れる美女のストーリーにさらに納得いく合理性を与えてアニメーション化したということですが、本作ではマレフィセントがなぜオーロラに呪いをかけたか等、本家でも理不尽だった部分にうまく説明づけがされています。
ただ、最後の決着のつけ方だけは従来のディズニープリンセスもののヴィランズと同じ扱いだったのが残念でした・・・。
「魔法にかけられて」「アナと雪の女王」「マレフィセント」とディズニー映画のお約束を破ってきたディズニーが次にすべきなのは劇中のヴィランズの扱いなのではと思います。
とにかく、マレフィセントを少女時代から描くことによって観る者達をマレフィセントに感情移入させ、また、マレフィセントの心の変化をアンジェリーナ・ジョリーが絶妙な演技で表現しているため、こちらの心をじくじくさせます。
アンジー、すごいです・・・。
私の隣に座っていたおばさま三人衆も終始感嘆の声をあげてらっしゃいました。
と、特に期待はしていませんでしたがこれがなかなかの良作であり、ディズニーが新しいディズニーへと生まれ変わった意欲作であることを実感させられる作品でした。
ボシ癒着型睡眠不足
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