「ディズニーもワンパターンではだめだと思ったのかな。」マレフィセント rockoさんの映画レビュー(感想・評価)
ディズニーもワンパターンではだめだと思ったのかな。
アンジェリーナ・ジョリーだからできた映画です。お姫様が王子様に助けられていつまでも幸せに暮らしました、という定番の御伽噺のラストに現代的な、新たな提案がされています。というかなーんかフェミニスト的なにおいがぷんぷんするんですが。
西洋文化圏に住んでみると、とにかくディズニーがすべての子供たちの教育のベーシックになっています。「女は女らしく、かわいくしてればそのうち王子様が永遠の愛を誓ってくれるわ、ふふふ。」と心から思っている女性が大半です。それゆえ大抵の女性は成人以降、現実と理想の男性とのギャップに苦しみます。王子様のような男性なんて基本的に存在しませんので。キリスト教圏では基本的に離婚は罰で、死後地獄に落ちることになるので、多くの主婦は結婚後に現実に直面しても、結局はそれを受け入れるしかなく、その代償行為として恋愛テレビドラマのなかで夢を見たり、反動でフェミニストになったり、一生現実を受け入れられないまま心を病んでしまったりと、実はかなり根の深いところで社会に影響を与えています。
御伽噺は人間がシンプルに生きていた過去の時代には役に立ったんでしょうけど、現代ではなんともリアリティがなさ過ぎます。近年マンネリ化していたディズニーも重々分かっていたこと出だとは思います。
で、この映画はそういう、「結局は御伽噺なんて現実にはないのよ!王子様なんていないのよ!」と卑屈になっている西洋文化圏の女性たちに、一段掘り下げた夢を与える、といった意図で作られたんじゃないかと勘ぐっています。ですのでこれは本当のフェミニスト映画じゃなくて、フェミニスト「的」視点を加えた、今までのディズニーの甘すぎる価値観にアレルギーのある人たちのために作られた映画じゃないかなとおもいます。あくまでそれは「的」であって本当のフェミニストとは違いますし、あくまで表向きのこと。だから母であり美しく、また自立した強い女性というイメージの強いアンジェリーナ・ジョリーが主役に選ばれたのもわかるし、むしろ彼女以外では考えられない。
でも最終的にはオーロラに対するジョリーの行動や与えるものはやはりディズニーの伝統的な価値観なんですよね。「女は強くなる必要ないのよ、女は女らしく、馬鹿でもいいから、男に愛されるようにかわいくありなさい、一生夢の中で生きなさい。」位の勢いでやっているので、結局はディズニーはディズニーなんですよね。
アイスマンというサイコパス殺し屋の映画がありました。彼は外では人を山ほど殺し、家では妻と娘を大事にして、王女様、お姫様的な世界を与えていました。家庭を現実世界から隔離して、自分の理想の楽園、もしくは箱庭としてみていたのかもしれません。そういうゆがんだ発想は実は西洋文化圏で起こりやすいことだと思います。この映画でジョーリーが最後に取った行動は、なんだかそのようにも見えなくもないですよね。とにかくお姫様がへらへら笑うだけで頭の中がお花畑状態でまったくの役立たずなのに、その辺をなんとも思わず楽園に住まわせるジョリーの今までの人生の出の学びは一体どこに生かされるんだ、と突っ込みを入れたくなります。
ちょっと拡大解釈かもしれませんが、そんなことを思いました。