「続編が出る事によって再評価される作り」009 RE:CYBORG IWCドッペルさんの映画レビュー(感想・評価)
続編が出る事によって再評価される作り
個人的にはイマイチな部分もありましたが、総論としてはメチャメチャ楽しめました!
全体の構成は説明が少なく、見る側に考えさせ、判断が求められる展開。つまり、見る側にとって内容の受取り方が異なる構図にあえてしている感があります。
しかも、宗教・自然摂理・脳科学・外宇宙を織り交ぜた壮大な内容を詰め込んでいるので人によってはパッパラパーかも。
よって賛否両論の差が激しく、賛と酷にはっきり分かれそうです。
要は、見方によっては面白くもつまらなくもなると言う事です。
物議が激しい?ラストのみ焦点を当てて個人的な思いを書きます。
邪推も入っていますが・・・
ラストの反転世界と思われるシーンは妄想や目が覚めたら夢だった?みたいな浅はかな表現ではないと思います。
旧約聖書に基づいたジョーをキリスト教的救世主としての称号にしたシーンではないでしょうか?
・成層圏での核爆発の光が十字架
・死後に復活
・水の上を歩く
・方舟のオブジェ
・パンとワイン
本当の神的存在?が作った世界であり、ジョーを救世主として位置付けにした表れのシーンだと捉えました。
○彼の声とは?
物語終盤間際まで、彼の声は各々の脳内の潜在意識、そう思わせておいてラストにドンデンがありましたね。
それはラストの地球外惑星の化石です。説明はありませんでしたが、あれは月では無いでしょう。
月は地球から36万キロ離れ質量は地球の1/4。
アポロが撮影した月から見た地球の写真が有名ですが、地球から見る月の大きさより少し大きい程度です。
つまりラストの惑星は極めて小さな天体であり、化石が表面にあることから、神もしくは知的生命体の宇宙船を意味するものではないでしょうか。
要は、人類の宗教観に潜む潜在意識を上手く利用し、脳を操り人類を滅ぼそうとする敵の「本体」です。
その化身が金髪の少女と、もう1人…恐らくジョーの彼女の女子高生も。
女子高生はヒルズでジョーがジェロニモに襲われた時に忽然と姿を消し、ドバイでの核爆発の後に再び現れます。
要はジョーの脳に直接働きかけ、自爆テロを誘導させた元凶の存在です。
脳内の存在の為、ヒルズでの惨事の後にジョーが彼女への意識が無かったもその為でしょう。
○なぜ化身はメンバーの前に現れたのか?
敵は化石を見ていないサイボーグを意図的に操り、テロ犯罪の矛先をメンバーにする事でカモフラージュを図ったのかと。
メンバーを物理的手段で襲った敵集団も人間で無い事を意味しています。
○本当の神的存在?
完全な推測ですが、外宇宙からの攻撃に対抗すべく、ジョーを救世主の存在にしたてあげたのでは?
存在する事でラストシーンとの辻褄が合います。
○今後の9人のメンバーは?
正体不明の敵に先制パンチを喰らったので、本作品は9人のメンバーがバラケていたのは寧ろ自然。
続編(出るのは間違いないでしょう)は、救世主のジョーを筆頭に9人揃っての戦い(聖戦?)に期待できますね。
○最後に・・・
続編がでる事によって再評価される作りですね。
しかし、コアなマニアにしか受け入れられないハードルの高さをスタートとする展開が、興業として功を成すとは思えないのですが・・。
製作者側は熱が冷めないうちにストーリーのヒントをチラつかせる等して「もう一度観てみようかな・・」という気持ちにさせた方が次回作に繋げる為には良いと思います。
yuki hさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。
天使のたまごは見た事ないのでよく分からずです。
すいません。。
過去作品からの繋がりがあるとすれば一通り目を通してみたくなりますね。
少し気になったことがあります・・・。
石ノ森章太郎氏が生前の1997年に書いた009のイラストに「2012年GOD’S WAR」と記されていたものが先日のテレビで紹介されていました。
更に2006年に角川書店より発売されている完結編小説が「2012 009 GOD’S WAR」。
暗示の通り?今年2012年に「009 RE:CYBORG」が公開され、”聖戦”を思わせる続編が期待できる内容。。
小説も読んだことありませんが、何か関係が繋がっているのでしょうかね。
ちなみに石ノ森章太郎氏の長男の名前は丈(ジョー)らしいですね。その丈さんが完結編著者とか。
父の章太郎氏が生前に「2012年GOD’S WAR」書き残していた意思を告いだ内容なのでしょうね、きっと。
そういえば、家電量販店のパナソニックブースにて、プラズマと液晶のデモでRE:SYBOOG009が流れていました。
3Dで観た所、完全に映画館より画質は上ですね。
ヒルズのシーンでは窓に女子高生の姿が映っていませんでしたよ。やはり彼の声に関係している存在なのでしょうね。
はじめまして。IWCドッペルさんのレビューを読んで、
なる程、そういう見方もあるのか…と思いました。
そういえば、ラストシーン、フランソワーズが、バケットパン…でしたでしょうか、
包みを抱えていましたね!
なんで、水の上を歩いているんだろう…? 歩けるんだろう? …そこは、船から降りて
水の上を歩くイエス・キリストの話を、ふと思い浮かべてみたりしましたが、
まさか、そこまで、
あのラストの確か サンマルコ…って、表示が 出てたと記憶してますが、
美しい夢の様なヴェネチアの風景に、描写されていたとは、気が付きませんでした。
私の方は、化石…については、
コレ、もしかして 天野さんの『天使のたまご』も やりたかったのでは?
とか、思ったりしました。
『天使のたまご』自体、すごく メタファー的な描写で難解な作品でしたが、
あの作品も、キリスト教の奥義的な世界観を 抽象的に盛り込んでの
幻想作品として金字塔となっていますし。
そういう部分をうまく組み込んで、絡め…。
で、あの金色に輝く少女と、ジョーに寄り添う 幻の女子高生は、
『彼の声』の対極にありカツ、同じもモノの側面。
『悪魔』という表現をあえて、使っていないのは、
使うと『天使vs悪魔』の図式になってしまうので、
むしろ天使が、狂って堕天した姿のが、あの咆哮している『彼の声』なのではないか?
潜在的な人間の内の神性が、我欲に狂わされて行くみたいな…。
『 009 RE:CYBORG 』の ラストシーン
の ジェットや、ギルモア博士のセリフから、
この地球こそが、まさに奇跡の様な美しい天国の様な世界。
それを 009達は、命を懸けて守った。今度は、君たちの番だ。
君たちが、『天使のたまご』なんだよ…。と、聴衆に語りかけているのかな?…
とかいう、かなりヒネッた見方をしてしまいました…。
『天使のたまご』を観ていなければ、そんなのわからないよ…というオチ解釈だと
思うんですが、無きしも在らず…?
たぶん…『天使のたまご』を観ていた人は、アレ?…どっかで 観たぞ…って、
なるんじゃないでしょうか…。あのラストの締めは…。
あるいは、たまたまの偶然の一致でしょうか?