果てなき路 : 映画評論・批評
2012年1月10日更新
2012年1月14日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
現実が真実を物語へと跳ね返すことを改めて思わせる
お正月ぼけを引きずったまま何気なくフェイス・ブックを覗いたら昨年11月末、監督モンテ・ヘルマンその人がした書き込みがあまりに興味深くてくらりときた。
「果てなき路」東京公開に向けて現代日本の精鋭監督たちから送られた問への回答を作成中(このQ&Aは劇場プログラムに掲載されるという)、IMDbで彼らの作品を調べたついでに自作のページをチェックすると評価がいまひとつだ。映画がより多くの観客の目にふれるようぜひ一票を投じて欲しい。自らそう訴える“伝説の鬼才”のしなやかで軽やかなフットワークにまず打たれ、それからその21年ぶりの長編が映画とも監督ともそんなふうに容易に“地続き”となり得る今をかたどる一作となっていることにさらにふるっとした。
卓上のPCに「果てなき路」のDVDが挿入されて始まる映画は実際、剥いても剥いても核心に至らない玉葱状の構造で古典的フィルムノワールの神髄をぶち抜きながらも監督同様しなやかに軽やかに観客めがけて迫り来る。実在の事件を素材にした映画内映画。事件で消えた宿命の女。彼女自身かもしれない主演女優――。虚実の境界を問う映画は殺しの場面でいきなりその場を撮るクルーの姿を切りとったりもしてみせる。窓辺で銃口のように構えられたキャメラのレンズがこちらを向いている。そうやって映画/物語が観客/現実へとしみ出す過程を積極的に意識させる。現実が真実を物語へと跳ね返すことを改めて思わせる。
そんなふうにぽっかりと観客の足元を侵食するノワールの宙吊りの時空。酔いつつ奇妙に醒めていくそこは映画の今を飲み込んでわなわなと素敵にスリリングだ。
(川口敦子)