華麗なるギャツビーのレビュー・感想・評価
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配役は良かったけど…
セレブの世界という以前に、画面がファンタジー過ぎて気になった。ギャツビーの開くパーティーや、それに集う人々などの軽薄さは分かるけど、そもそもセレブの世界にしてもウソすぎる。ギャツビーの城が「テーマパーク」と言われていたけど、そもそも映画全体が作り物に感じた。ギャツビーは生い立ちや振る舞いこそ成金だけど、精神性は他のセレブより高尚で純粋だしそれゆえに悲劇的な人間。その深みまでもが損なわれているように感じた。
ギャツビー、デイジー、ジョーダンがイメージ通りだった。トムは少し違ったけど、これはこれで良いかもしれない。
選んだ女性が悪かったのか、その時代の女性はそんなものなのか。 19...
選んだ女性が悪かったのか、その時代の女性はそんなものなのか。
1924年頃の時代背景を理解しないとわからないのかも。
とりあえず、ニュートラルな視点で見れば、旦那との話し合いの中で、間男が開き直られても…なのだが、旦那のほうも不倫しているという弱みがあったのでそこをつけば、離婚させることはできたので何がしたかったのかなという印象を受けた。
これから来る過去はやり直せるぜ。再びやってくる黄禍論♥
『フィツジェラルド』の『グレート・ギャツビー』は1925年出版なので、狂乱のアメリカ経済は継続中。この原作の凄さは、『ギャツビーの運命』を『アメリカ経済』に例えて、恐慌を予見している所だと、僕は考えられる。
さて、音楽が当時の音楽ではない。そして『ラプソディー・イン・ブルー』は1923年に初演しているので、編曲されたものがここで演奏される事は絶対に無い。
ストーリーは、ほとんど原作通りだと思う。だから、終焉を迎え『黄禍論が的中した社会』を迎えるって演出であるべきだと感じた。まぁ、現代の事を考えれば、『未来をもう戻れ無い過去』と描いているのかもしれないが。従って、音楽と衣装と髭面(何人か髭面がいた。この頃は髭は高貴な者以外はは痩せない)を除けば良い映画と言える。しかし、その点でアカデミー賞を取っている。実に笑える。
さて、純粋なアメリカ(男性)は『黄色い車』に乗って不幸を迎える。そして、乱痴気騒ぎは永遠に続くかに見えた。
さてさて、21世紀の初頭に悲劇を再び迎えるアメリカだったのだ。
タイタニックで沈んで行ったジャック・ドーソンが、鉄鋼王キャルドンの執事を従えて、ギャツビーになっているとは目を疑った♥
旧作は熱い夏を汗で描いていた。この映画は髭面は沢山出て来るが、CASTは皆綺麗キレイしている。鮮明ってリアルな部分を消去しなけりゃならない所もあるなと思った。男は少し汗かいてるね。女性はみんなツルツルでソバカス一つ無い。綺麗キレイ。
追記 結局、タイタニック何だね。
ギャツビーがこの世を去って、間もなく100年その後にまた過去がやってくるのか?
やっばり、原作は傑作なはずだ。
蜃気楼の館
20世紀アメリカ文学を代表する作家F・スコット・フィッツジェラルドの
これまた、アメリカ文学を代表する作品第2位に選ばれている
「グレート・ギャツビー」の映画化作品。
本作は2013年作品です。
監督:脚本:バズ・ラーマン。
ギャツビーをレオナルド・ディカプリオ、
彼をモデルに小説を書く隣人で友人にトビー・マグワイア、
婚約者だったが人妻となった恋人にキャリー・マリガン。
製作費が1億450万ドルと巨額で、それはそれは豪華絢爛な映画です。
バズ・ラーマン監督らしい《過剰なほどのイメージの洪水》
パーティー場面
(シャンパン、オードブル、女性たちの衣装、飾り花、
バンドマンやダンサーたち)
パイプオルガンのある教会みたいな部屋もある。
ギャツビーは高貴な家柄と匂わせているが実は密造酒で儲けた成金。
成金と言ったってロックフェラー財団みたいな規模で・・・
お金かけまくった映画だと、呆れてしまう。
ギャツビーは初恋の人・デイジー(キャリー・マリガン)には盲目で、
デイジーの幻に惑わされてる実はうぶな男。
家屋敷、プール、派手なパーティーも、すべてデイジーを手に入れるため。
デイジーの心を取り戻したギャツビーはデイジーの夫・トム(ジョエル・エガートン)
から、デイジーを合法的に奪い妻にする話し合いの席。
デイジーは激しく動揺する。
彼女はほんの火遊びか、夫への当てつけだったのでしょう。
動揺してスピード運転して飛び込んできた女(夫の愛人)を、
跳ねて殺したのも実はデイジーの運転。
トム(デイジーの夫)の入れ知恵で、ギャツビーを射殺する殺された
愛人の夫。
ギャツビーは命を落としてしまうのです。
【成り上がり男の成功と挫折の物語り】
設定は違うけれど、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」と
似通った点もあります。
人は皆、
金持ちになりたい、
有名になりたい、
美しい恋人がほしい、
そして幸せな家庭を築きたい、
そう願うけれど、
それが叶って満たされる小説は文学にも映画にも、
なり得ないでしょう。
1974年作の『華麗なるギャツビー』の主役は、ロバート・レッドフォード。
本作のディカプリオは闇を感じさせる深みがあって、
やはり千両役者でした。
しびれるほど活気ある映画
のっけから映像美に引き込まれた。映画はこうでなきゃ、とワクワク。
パーティーシーンでいきなり絶頂、お部屋をお花畑にしたシーンで大笑い等々、めくるめく展開に映画観た感100%越え!
ストーリーや細かな設定なんか関係なしに、個人的には相当好みの作品だ。これは大作でしょう。
活力源映画というか大人向けファンタジー映画というか、とにかく盛り沢山で大満足!
友よ
1920年代、ニューヨーク近郊の豪邸に集う人々の享楽の世界、富豪達の派手な生活と庶民の生活との対比が興味深い。
ニック( トビー・マグワイア )とギャッツビー( レオナルド・ディカプリオ )、二人の関係性が軸となる。
男性二人の心を捉えて離さないデイジー( キャリー・マリガン )の魅力が、今ひとつ感じられない点が惜しまれる。
ー美しきおバカさん
NHK-BSを鑑賞 (字幕版)
人妻ヒロインのキャリー・マリガンには魅せられたが、レオナルド・ディカプリオのギャッツビーに乗れず
バズ・ラーマン監督(ムーラン・ルージュ等)による2013年製作のアメリカ映画。
原題The Great Gatsby、配給ワーナー・ブラザース映画
理想の人妻ヒロインを演じたキャリー・マリガンは美しくて魅力的。ギャッツビーの大邸宅の造形や衣装、そこで繰り広げられるパーティの乱痴気ぶりもなかなか魅せるものがあった。ディカプリオの青い眼も魅力的。ただ、彼の演技の何処か大袈裟さが鼻につき、物語に十分に乗れず、リアリティ及び純愛性をあまり感じなかった。比較する意味で、ロバート・レッドフォードのギャッツビーを、是非見てみたいと思った。
製作バズ・ラーマン、キャサリン・マーティン、ダグラス・ウィック、ルーシー・フィッシャー、キャサリン・ナップマン。製作総指揮バリー・M・オズボーン、ブルース・バーマン ショーン・“ジェイ・Z”・カーター。
原作F・スコット・フィッツジェラルド、脚本バズ・ラーマン、クレイグ・ピアース(ロミオ&ジュリエット等)。
撮影サイモン・ダガン、美術及び衣装キャサリン・マーティン(オーストラリア等)、編集
マット・ビラ、ジェイソン・バランタイン、ジョナサン・レドモンド、音楽クレイグ・アームストロング(スノーデン等)。
レオナルド・ディカプリオ、トビー・マグワイ(とらわれて夏等)、キャリー・マリガン(未来を花束にして)、ジョエル・エドガート(エクソダス 神と王等)、アイラ・フィッシャー(グランド・イリュージョン)、ジェイソン・クラーク、エリザベス・デビッキ(マクベス等)。
やっぱりディカプリオ
話は単純で、主人公が好きだった女性と一緒になりたかった為に成り上がり…。ディカプリオの演技が光る映画。男性の方が純粋なのかなぁ、時代もあると思うけど女性の方がしたたかで何だかなぁ悲しいラストでした。デイジーは始めから文無しのギャッツビーには興味なかったのにね。
映像もディカプリオも綺麗でゴージャスでデイジーも可愛かった。ディカプリオって本当演技がうまいわ、今更ながら圧巻です。
儚い
デカプリオ(ギャツビー)ってなんで儚いヒーローがこんなに似合うんでしょうね、最高です。
最初はギャツビーが狙ってるのは絶対ニックだろうと思ってたけど、違った〜。なんだろう私が腐ってるだけなのかな。
ギャツビーのようなひとに一途に愛されてみたいと思うけど、普段から品行方正で穏やかなひとが急に殺人鬼みたいな顔したらドン引いてしまうデイジーの気持ちも分からんでもない、、。薄情ですけどねとても。
でも、この時代でも上流階級の女性はきっと自由に生きたいと思いつつも「女はバカでいた方がいい」と知っていたからこそ、自分の都合のいいように動いてくれる男性に付いて行くことを選んだのかなと思いました。(私は今の時代そんな風には思いませんが、劇中でデイジーが発言していたことからそれが根底にあるのではと感じました。)
割と最初から分かっていたことですよね、
ああ、デイジーって多分白黒ハッキリつけてギャツビーについていけるほどの勇気を持った強い人じゃ無いなって。
自分を魅せる術や世の中を生きていくための力を持っていたのに、デイジーとの過去に執着していたことで幸せを掴みきれませんでした。沢山の修羅場を潜っただけあって余程のことでは揺るがない精神を持っているはずなのに、大好きなデイジーのことになると子供みたいになるギャツビーは可愛くて、彼を支えたくなってしまうニックの気持ちがよく分かります。
彼にとってニックという最大の仲間を得られたことは良いことだったと思います。
映画の演出としては、音楽は有名なクラシックだけで無くビヨンセなどのpopsのアレンジ曲を混じえているので、単調な古くささも感じませんでした。
あとは、この映画の目玉とも言えるパーティのシーンですね。この時代のファッションを楽しめます。カオス。
デイジーの登場シーンもカーテンがふわふわして、天使が出てくるように綺麗でお気に入りです〜(カーテンの色を含めて全体的に白っていうのも、純粋・何も知らない→デイジーの登場にピッタリですね、、、)
物語だけでなく、映像美としてもとても楽しめた作品でした!
愛に生きた男の栄華と退廃を描く
名前だけ知っている程度の事前知識。内容については全く知りません。アマゾンプライムで鑑賞しました。
アマプラのサムネイルだけ見ると1980年代くらいのちょっと古そうな雰囲気を感じたんですが、2013年公開の映画なのでそこまで古くは無いですね。舞台が1920年代だったり昔ながらの撮影手法が取られている箇所が見受けられたりして、多分この古そうな雰囲気も映画の演出なのかなと感じました。
結論ですが、めちゃくちゃ楽しめました。今年始まったばかりですが、おそらく今年観る映画の中でも五本指に入ると確信するくらい面白かったです。謎めいた大富豪ギャツビーと、ギャツビー邸の隣に住んで彼と知り合ったニック。そして彼らを取り巻く富豪たち。全体的に豪奢で物に溢れた雰囲気がある作品ながら、描かれているのは金では埋められない人の心の空白と闇。本当に素晴らしかった。ストーリーも脚本も構成も役者も演出も、間違いなく最高峰の映画です。
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1920年代のアメリカ・ニューヨーク。小説家を目指していたが芽が出ずに、好景気の波に乗って栄えていた証券会社で働き始めたニック・キャラウェイ(トビー・マグワイア)。ニックは新興の富豪たちが屋敷を構えるウェストエッグで、ある小さな家を借りて住み始める。隣に住んでいるのは素性も仕事も謎に包まれた男、ジェイ・ギャツビー(レオナルド・ディカプリオ)。毎夜のように豪華絢爛なパーティーを開催している有名人の彼の噂をあちこちで耳にしたニックは顔も知らない隣人に思いを馳せるのだが、そんなある日、ニックのもとにギャツビーからパーティーの招待状が届くのだった。
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本作は1925年に発表された、フィッツジェラルド著の『グレート・ギャツビー』が原作になっています。アメリカ文学を代表する作品であり、モダン・ライブラリーの発表した「20世紀に描かれた最高の小説」では2位にランクインしています。日本でも数多くの翻訳本が出版されており、あの村上春樹さんの翻訳したバージョンも発売されています。誰の翻訳かによって作品の持つ繊細な描写の雰囲気が違っているらしいです。
過去にも何度も映画化されていますが、これまでの映画化は正直あまり評価は良くなかったそうです。本作が、『グレート・ギャツビー』の映画化作品の中では一番評価が高い…のかな?正直本作も映画評論家からの評価はあんまり高くないらしいんですけど、私はめちゃくちゃ感動しました。
本作のファンを公言している著名人として、オリエンタルラジオの中田敦彦さんがいらっしゃいます。彼のYouTubeチャンネルでは本作『華麗なるギャツビー』を紹介する動画があったり、一世を風靡した『パーフェクトヒューマン』のMVは本作『華麗なるギャツビー』のパーティーシーンを再現したと公言しています。ただ、彼のYouTubeの本作の紹介動画はラストのオチまでバッチリ喋ってしまってるので、ネタバレ無しで鑑賞したい方の視聴はオススメしません。本作を鑑賞後にご覧になってください。当時の時代背景や中田さんなりの考察など、見応えのある動画です。
愛のために、必死に今の地位まで上り詰めたギャツビーでしたが、最後には愛を失い、名誉を失い、そして命までも失いました。そんな彼のもとに唯一残ったのは、ニックと言うかけがえのない親友です。自分のために涙を流し、深く落ち込んでくれる友人です。そしてこの物語は、ニックから亡き親友への捧げものです。社会的には悪とされてしまったギャツビーの人生を執筆した後、タイトルに「great」と付け加える演出は溜息が零れます。素晴らしかった。
本当に良い映画でした。たくさんの人に観てもらって、感想を聞いてみたいです。
オススメです!!
生まれながらの金持ちって
成り上がりは認めないのがこの世界なのね…と、しみじみ。
生まれた時からお金があるのは先祖のおかげじゃないのか?
…と、今もお金とは縁のない自分は思っちゃうけどさ。
タイトルはずっと知ってたけど観ていなくて。
今回観て思った。
いつからレオさんは太ったのか。
じゃなくて、恰幅の良いおじさんになったなぁ、と。←違わないか
いくら財を成しても、好きな女性と一緒になれなければ虚しいだけ、かな。
毎晩毎晩、豪華絢爛なパーティーをしていても、どこか物悲しく、虚しい表情のギャッツビー。
そのパーティーシーンはどこかお伽話のよう。
ニックの取り持ちで、小ぢんまりしたニックの家で再開する2人。(このニックの家もどこかお伽話に出てくる家みたいだった)
そわそわするギャッツビーが可愛らしくて笑ってしまう。
「何か足りないものないかな?」
「花かな?」(笑)
真実を隠し、思いを成就できなかった挙句、大嘘つきのトムのせいで殺されるとはっ!
トムが最後までお咎めなし、むしろ妻を許す良い旦那にまでなっちゃって。許せない〜。
(ジョージ役のジェイソン・クラーク、悪役が多いけど今回はお人好しでかわいそうな役だったな。存在感あるんだよね〜)
デイジーも可愛い顔してなかなかやってくれるじゃないか?!
せめてあの時にニックがトムの浮気を暴露して、ギャッツビーの無罪を証明でもしてくれたら多少はスカッとしたかもね。
ジャックがギャッツビーを恨んだまま、真実を知らないまま死ぬのも残念だっま。
良い意味でも悪い意味でも、ニックは良い人過ぎである。
見返りを求めない、ニックの善意。
そんな人の善意を知らずに育ったギャッツビーが悲しい。
いろいろ見逃しているのか、謎もまだあるけど、おもしろかった。
パーティーシーンが素晴らしいっ❣️
久しぶりの鑑賞。ギャツビーの最初の登場シーンが何度みてもカッコいい〜❣
あの豪邸でのハチャメチャなパーティーシーンは凄いっ華やかでクレイジーで、観ているだけで楽しめる。
ギャツビーの仕事は悪どいこともしていたようだが、苦労してあそこまで成り上がったんだから凄いことだが、お金は手に入れても、好きな人とは結ばれず、友達もいない。ニックがはじめての友達なんだろう。寂しい人生だったな。最後は結局デイジーを庇い、ひき逃げの罪を被り、人妻を誘惑したことにされ、誰一人お葬式にも来てくれない。なんか可哀想。デイジーも罪を被せたままでお葬式にも行かないなんて、ひどすぎないか?
究極の愛とは?
こちらの作品は村上春樹の訳で読んだことがありますが、映像化されているのを知り見てみることにしました。
1922年のバブリーなアメリカの様子や非常に華やかなパーティーなど、本で読んだ想像以上の映像が楽しめました。
原作はニックの語り口調ですが、本を出すていで描いていたのも違和感が無かったです。
ギャツビーがトムに生まれをバカにされキレるシーンは圧巻でした。あんなに爽やかな笑顔で登場したのに、ほっぺたブルブルさせて顔真っ赤にした男性の姿を見たら女性は引くだろうなとデイジーに同情します。
デイジーはとても薄情でその場の感情で流されやすい女性です。でも女性はみんなそんなものです。ましてや当時は自立など許されないですから、結局は夫に頼るしかないのでしょう。自分がピンチになった時に頼れて、守ってくれて、本物のお金持ちがいたらそちらに戻ってしまう。
トムと結婚したのは寂しかったから。そして彼の浮気を知り今度は元カレとヨリを戻そうとする。で、トラブルが起これば自分の有利な方につく。フラフラしているが本当にモテる女性はスキがあり、バカに見えてずる賢いんです。
そんな彼女を想い死んでいったギャツビーがとても不憫でなりません。貧しい家柄の出身で自らを神の子と思い込んだ彼は女性のずるさを知らなかったのでしょう。ただただ彼女の美しさ、家柄の良さに惹かれただけです。過去はいくらでも美しくなる。だけどもうあの輝きには戻れない。
ギャツビーは華麗な過去を、デイジーは現実的な未来をそれぞれ願っていたのでしょう。最初からすれ違っていたのがとても切ないです。
レオナルド・ディカプリオがカッコよすぎる
極貧の家から富豪へと成り上がったギャッツビーと運命(?)の相手デイジー、デイジーの従兄弟のニックの話。
ニックの言葉に耳を貸さなかったり、デイジーの立場に立たず自分の理想のみを語るギャッツビーには恋は盲目って感じです。レオ様だからすごくカッコイイし魅力的です。
デイジーという女
今回2回目の鑑賞。
前回は2013年公開当時に一度見たが何故か内容をあまり覚えていなかった
今回改めてWOWOWで放送されていたので観てみた
ギャツビーは優しく努力家で純粋にデイジーの為にお金持ちになりたくて頑張った、ニックとの友情がとても良い
デイジーが最低で卑怯、子供のことを思うとそうせざるを得なかったのか、いや例えそうでも忍び悲しむし花くらい手向けるだろう、、、彼女の理想の女性像「美しくおバカ」というより、白状で自立できていなくて側だけの女、女の美しい(容姿)部分とずる賢い部分を持ち合わせた女の中の女。
ジャック、デイジー、ニックこの映画の登場人物は個性的で自分の中にとても印象に残る存在だ。
意外にオリジナル(1974年版)より良かった
この監督の「ロミオ&ジュリエット」はいまいちだったのであまり期待していなかったせいもあり、意外に良かったという感じた。個人的にはオリジナルよりも良かったと思う(オリジナルもよかったが)。
最後にニックがギャツビーに言った言葉「ジェイ、みんなクズばかりだ。君だけが価値がある。」葬式にはニック以外には誰も来なかった。結局ニックだけが唯一の友達であり、理解者だった。それを思うと、この言葉がジーンとくる。結局、ギャツビーとデイジーの恋物語というより、ギャツビーに対するニックの友情を描いたドラマだった。
過去と現在
過去をもう一度くり返すことができると、ギャツビーは豪語していたが、実際はギャツビーだけが過去の事実に縋っているだけであった。
過去の出来事って、感情もあいまって、すごく輝いていたように感じるけど、長い人生の一画として見ると、実際はちっぽけなことなんだと思った。
日々時間は進んでいくし、過去の出来事はその時点で終わっていることであるし、過去は過去現在は現在で踏ん切りをつけることが必要だなと思った。
映像の美しさとレナデルレイの曲の相性がよかった。
華麗なるレオ様・・(涙)
豪華絢爛なパーティーでしたね~!ああいう場は苦手ですが、あれだけ大勢いればみんな人のことは気にしてないから、僕みたいなのがいても浮かなくて済むかな(笑) 悲しいお話でしたね(T-T)
気持ちが3回変わった映画。
私が映画を沢山見ているわけではないことを前提に。
気持ちが3回も変わる映画に初めて出会いました!
最後にタクシーを待つというシーンがあるのですが、もうみんなにうんざりだ!と声優さんは言っているのですが、君にもねって、、解釈が異なるよこれ。みんなに向けて言っているという認識でしたが、主人公がヤケクソでエリザベスに八つ当たりしてるという解釈が良さそうですね。
お食事のシーンで上から撮っているのですが、あまりに素敵で、貴族のお食事がすごく煌びやかでした。お食事も宝石なのかな?とも思いました。笑 お食事の素敵さに心を1度奪われて、楽しくなってスーツや女性の服に注目してみました。色合いがとても綺麗でした。しかし、後半になるにつれて多くの柄がスーツからネクタイにまで行き届いているなと思いました。
<主人公ニックについて>
最初のシーンで名前を確認することができるのですが、それをするのを忘れてしまい、10何分かはこの人の名前を必死に教えて欲しい!と思いながら見てました笑
いつまでも主人公は傍観者でした。そして、主人公すらも傍観者だと思っていました。場面に変わるにつれて私は彼は傍観者にならない、当事者になるのかなと思っていました。しかしながら、デイジーに手を握られたシーンでも何もしない笑 主人公はいつだって傍観者なのです。仲介人になってみた。色んな人に関わってみた。しかしながら、その人たちの人生に彼の存在があると思うか?と言われるとないでしょうね。ギャツビーというキャラクターは偽物であり、ギャツビーを知る術もない、本人から知る必要がある。ここからギャツビー信者が遂行していきます。これは好意だとギャツビーに言ったシーンは、本心だと思います。ギャツビーは誰でも友です。神様であるギャツビーから友だと言われ、実は恋愛面で、という小学生みたいな行動をする、応援したくなっちゃったんだと思います。アナザーストーリーで監督のインタビューの翻訳を見ていました。ギャツビーがこれが好意と気づかない理由にギャツビー自身は私たち、紹介した人達ですら浅い関係ということが分かっていたんです。だから、好意だと気づかなかった。主人公はここでギャツビーとの友情が出来たとそう思ったと思います。だから、最後の最後まで誰が真犯人か言わなかったし、葬式にも参加した。主人公が叫ぶシーンはまさに怒りに身を任せて殴りかかろうとしたギャツビーだと思います。主人公は、大豪邸に住んでいるトムと仲がいいままで良かった。それこそ過去は取り返せない笑 ギャツビーに加担しすぎてる。正直主人公はギャツビー信者です。最後のシーンで主人公がギャツビーのそばにいない事が気がかりです。監督のインタビューを聞き思ったことは、過去を振り返っている、考えていると思いました。ギャツビーという人間がどうしてここまで責められているのか。真実を知っている、その宿命をおったのはニックとデイジーのみですから。未公開シーンでトムがニックとデイジーを批判していることにも納得が行きます。
<ギャツビーについて>
この人害がいるから私の心情が変わった。ニックは第三者だけれど、このストーリーとしての主人公はギャツビーです。タイトルから明確ですが笑
最後の方になり、全てがデイジーのためという説明が入っていましたが、充分伝わりました。彼女に会うためのパーティ、トムに負けないような豪邸、執事の扱いも正しく、礼儀も服もきちっと。でも、デイジーを手に入れることは出来なかったし、デイジーを犯人にもしない。男ってバカ...ってこういうことか?と思いました笑
ギャツビーのデイジーの思いは重い。彼女に求めすぎだというニックの忠告に無視して、ニックを丸め込んだ。ギャツビーは自信がありすぎる。ニックもニック、丸め込まれたらダメ。そういう友情はありませんよねここに。悪いことをしてる者同士の友情、信者という名の友情、お金という名の友情。対等な相手としての友情がなかったと思います。
デイジーを迎えるために必死だったり、デイジー大好きすぎたり、雨に濡れに行ったりするシーンは思わず微笑しました。大富豪で沢山手に入れてるのに、女性はなかなか手に入らない。どうやって手に入れるんだろ?そういう映画かなと思っていたら全然違う。設定が細すぎる。好き。怒りに任せるシーンも良かったです。第三者全員がみてもイカれてるって分かる。
<トムについて>
偉そう、最悪、デイジーと別れろなど笑思っていましたが、ギャツビーと形勢逆転のシーンでなんとも言えないキャラ感あるなと思いました。上手く生きている方は結局トムでした。
超大作を見た気分です。原作を読んでみようと思います。とても内容も濃く、場面転換も早く良い映画だと思いました。
ギャツビーの【華麗な】恋人の愛し方
愛のために全てを費やしてきた主人公。その一生を当時の時代背景と上手くミックスされた作品。
最後まで恋人を守り続けたギャツビーに感激を受ける。
事実を知らない人にとっては、人妻を奪おうとし、やばい仕事に手を出し、人を殺したとなど、「華麗」とはほど遠く思われている。しかし、ギャツビー本人が殺されず生きていたとしてもそのようなことは何も気にしないだろう。彼はただ心から好きな人を愛し、幸せに暮らすことを願ってきただけだから。
殺されたあとは、死人に口無しと言われるがまま、メディアからは批評をうけ、これまでパーティに参加した人も彼を愛そうとはしなかった。でも、これこそが彼なりの彼女の愛し方なのだろうと、映画を見終わったあと考えた。
ギャツビーの登場シーンは何度見ても鳥肌がたつ。
登場前までは、謎めいた大富豪、誰も会ったことがない、スパイなだ普通の方法で富豪になったのではない、という情報が織り交ぜられていることにより、登場シーンの振り返った後の笑顔は、それらを全て忘れさせるようなパワーを持っていた。
製作陣と俳優のパワーが最大限発揮されたシーン!!
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