華麗なるギャツビーのレビュー・感想・評価
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ギャッビーの悲しいまでの純愛
最初デカプリオの顔が誰かに似ていると思ったらロバート・レッドフォードだったのですね。前回の華麗なるギャッビーはレットフォードが主役でとても物悲しいけれど流れるような奥ゆかしい映画だったような気がします。今回はトビー・マグワイヤーが語り部のような役割でギャッビーを一番理解していた人物だと思います。ムーラン・リュージュの映画を作った監督の華麗な映像や音楽はインパクトがあります。上流階級まで登りつめたギャッビーは失った愛にきずかずに純愛をひとり貫く姿は悲しい。でも彼女からの連絡を信じていたのは救いだったかもしれない。
原作は読んでおくべし!!3D
フィッツジェラルド著、華麗なるギャッツビーの本を読み終わったあとは、思わず最後の言葉に胸を打たれ、人間が抱く永遠の憧れ、過去の輝きの切なさ、力強さを語りかけられました。
ただ、偉大な名作の描写を全て映画で再現するのには限界があるようでしたね。
映画のギャッツビーは、悲しいほどの執着が強調され、普通の恋する青年で地道な努力の上にあったという人間味が少し薄れていました。少し怖い人になってしまっていた感じ。同様に、デイジーも単なる悪女のように見えましたが…原作ではそんなに薄っぺらい女ではないのです。
ギャッツビーの父親を登場させたり、生い立ちシーンをもっと丁寧にしたら良かったのかも?
映画は監督お得意の、ムーランルージュっぽく、軽快なタッチで描かれていると思いました。
その為か、映画のギャッツビーはとっても惨めであり、最後のあの有名なセリフも悲しい響きしか持ちませんでした。原作を読まない人たちには、ただの悲しい映画になってしまう可能性があるなと思いました。
しかしながら、ギャッツビーは美しい恋の希望を現実にしようとした、人間の過去に挑戦した、まさに「華麗なる」人物なのです。単なる悲しい物語ではないのです。
本を読むと映画にもっともっと厚みがでて、感動も大きくなると思うのでオススメですよ。
ちなみに、カットがいちいち短いので3Dはやや疲れます。綺麗ですが。2Dでも十分だとおもいますよ!
PS ニックとジョーダンさんのシーン、もっと欲しかった〜笑
映像の綺麗さを楽しむもの!
華麗なる哀しき愛
ロバート・レッドフォード版は昔見た事あるが、正直あまり覚えていない。
なので、何の先入観もナシに一本の作品として見た。
まず、豪華絢爛な映像世界はバズ・ラーマンならでは。
前作「オーストラリア」は映像・音楽センスやユーモアに欠けたが、今回の作風は「ロミオ&ジュリエット」「ムーラン・ルージュ」に近い。前半は華やか、後半は悲劇的なのも似ている。
ラーマン節の復活は嬉しい。
昔のファンにはギャツビーはレッドフォードかもしれないが、ディカプリオもなかなかハマってた。
最近男臭い役が続き、いい面構えになったディカプリオにとって久々の本格的なラブロマンス。その昔船の鼻先で世界の王子様やってた時とは違う、大人のいい男の色気が出ていた。
失われた愛を取り戻そうとする男の狂気と哀しみも体現。
僕は昔のレオより、今のレオの方がずっと好きだ。
トビー・マグワイアは物語の語り部としての役回りをきちんとこなして好感。(レオとトビーの親友共演も何だか微笑ましい)
キャリー・マリガンは可憐だし、キャリー演じるデイジーの夫ジョエル・エドガードンの傲慢と憎悪の演技は出色。
ジョーダン役エリザベス・デビッキのクールビューティーな魅力にキャリー以上に見とれた。
毎夜毎夜、盛大なパーティーを開くギャツビー。
その動機は、たった一人の女性を振り向かせる為。
愛を上手く伝えられず、質素なお茶会も派手に飾り付ける始末。
ようやく愛が再燃したと思いきや、求め過ぎる余り、愛は遠退く…。
一見華やかに見えても、その実は背徳の極み。
地位や名誉や金を手にしても、失われた愛にもがくだけ。
当時の華と陰を、一人の男の華麗ながらも哀しき愛として描く。
その何と空虚な事。
だからなのか、映画は見映えは良くても、何か胸に迫るモノに欠けた。
フィッツジェラルドの名作文学の精神を、映画がそのまま表しているとしたら、皮肉というか…。
甘美で切ないおとぎ話のよう
前半はゴージャスな映像、中盤以降はストーリーにすっかり引き込まれ、エンドロールで思わず深いため息…。
3Dで鑑賞、冒頭から楽しませる気満々でした。豪華絢爛なパーティーに幻想的なシーン、美しく見応えがありました。劇場で観れて良かったです。
語り部であるニックの現在の姿から、その結末を予感させつつ物語は始まります。
1920年代、好景気に沸くニューヨークに現れた大富豪・ギャツビーとは何者なのか。
昔の恋人デイジーに少年のような一途な愛を捧げるギャツビー、変わらない愛を信じて。レオナルド・ディカプリオがエキセントリックにゴージャスに演じて良かったです。
彼は城を離れられない。それは、そこが彼の心の中だけにいる完璧なデイジーをしまいこんでおくドールハウス、最後の砦だからなのでしょうか。伸ばした手は何処にも届かなくて…痛ましいです。
それでもこの物語、誰に対しても公平に誠実に関わろうとするニックを通して語られることで、甘美で切ないおとぎ話のよう。ニックを演じたトビー・マグワイアが、温かく絶妙な名演でした。
ギャツビーの前に大人の男として立ちはだかるトムを演じたジョエル・エドガートンの、しっかりした存在感も印象的でした。はかなげな少女っぽさの中に大人の女の顔を滲ませるキャリー・マリガンも、二人の男の間で揺れるデイジーを上手く演じていたと思いました。
華麗なるギャツビー
華麗なる虚栄
1974年のロバート・レッドフォード版は見ていないので、ストーリーも、こんな内容だとは知らなかった。
第一次世界大戦後の1920年代。
アメリカ東部の上流階級社会。
豪壮な大邸宅で、毎日のように盛大で派手なパーティを開く謎の男、ジェイ・ギャツビー。
彼が何者なのか、誰も知らないが、 上流社会の人々が勝手に集まる。
そんな彼の隣の元管理人の家に住むニック。
そんなニックに、ギャツビーからパーティへの招待状が届く。
実は、貧しい育ちのギャツビー。
挫折をバネにして、貧しさから這い上がり、お金で物を言わせられるまでになる。
そんな彼の純粋な愛。
過去に執着して、夢を追う男ギャツビー。
宝石と絹で着飾った美しい女デイジー。
浮気な夫に悩むが、安定した生活は、なにがあっても手離せない。
物は充分にあれども、心は飢えている。
富豪の家に生まれ、遊び三昧の生活のデイジーの夫。
女グセの悪さが、とんでもない悲劇を生みだしても、悪びれることもない。
対岸のデイジー家の緑の光は、ギャツビーにとって何としても手に入れたいデイジーそのものだった。
ニックは、そんな彼らを憐れんでいたのだろうか。
煌びやかで、豪勢で、贅を尽くしたようなドレスに宝石、そんなパーティは、人々の空疎な心の裏返しか。
やがて来る世界恐慌をも予感させる、空虚さ・もの哀しさ。
バブルから経済危機を迎え、なお不安定な現在の日本。
似ているのが、また悲しい。
74年版より好きだ
1974年にロバート・レッドフォード主演で映画化されて有名だが、ギャツビーと上流階級の女性・デイジーとのロマンス、そしてそれにまつわる愛憎劇が絡み、大富豪ギャツビーの正体と目的が徐々に明かされていくミステリアスなストーリーと脚本がよくできた作品だった。今回も99%同じ内容だ。
観る前はこのドラマを3Dにする意味があるのか?と思っていたが、大邸宅の奥行やパーティの臨場感が素晴らしく、独特のしゃがれた低音が鳴り響く音楽と相まって豪華絢爛さが際立つ。洗練されたセットや小道具と衣装、さらに最新の映像技術で創り上げられた世界によって、ギャツビーの華麗なる仮面の引き剥がし甲斐が存分に出る。
ただ、冒頭の短いカット割りの連続とズームの多用は、映画が始まったばかりでまだ目が慣れていないこともあり、大きなスクリーンや前寄りの席では少しキツい。
今回の大きな目玉はキャスティングだ。
74年版も当時の人気俳優を使って話題をさらったが、今回の出演者のほうが総じて線が太い。
ディカプリオの優雅さと荒々しさを演じ分けるギャツビーはもちろんだが、キャリー・マリガンが甘味な恋のなかに女の辛さを滲み出させ、ギャツビーを憎悪するブキャナンのジョエル・エドガートンも上流階級の威厳と傲慢さを放ち風貌が安っぽくない。女性ゴルファー、ジョーダンのエリザベス・デビッキと、整備工場主の妻、マートルのアイラ・フィッシャーは対照的な美しさで魅せる。
そしてなんといってもトビー・マグワイアだ。
マグワイアが演じるのはギャツビーの隣人であり、この映画の語り部でもあるのだが、74年版よりもいっそう存在感が増し、受動的一辺倒でないところが大きい。
打算のないギャツビーに上流階級の人間とは違う魅力を感じ、徐々に彼の内面に惹かれて行くニックをマグワイアは前に出過ぎず後ろにも引かずに表現する。ギャツビーと対等といってもいい立ち位置を確保するあたり、巧い。
一途に一人の女性を愛する男のやり場のない哀しいラストが、このニックによってやや報われ溜飲が下がる。これが、たかが1%されど1%の(74年版との)違いだ。全篇を通して今作のほうが好きだ。
印象が薄い。
レオ様もう少しだけ
レッドフォードの1974年のはギャツビーの立場で観た。ミア・ファローめ、なんて勝手な女って恨めしく思った。
でも今回は気づけば、キャリー・マリガンのデイジーの立場で観ていた。
「楽しかったわ、でもそろそろ潮時ね」って。
何故だろう?
昔の恋が諦めきれず、いつか彼女を手に入れようと、がむしゃらに生きてきたギャツビー。
どんな風に彼が頑張って来たかが軽く流す程度にしか描かれないのが、とても残念。彼の物語を書くトビー・マグワイアは解るったようだが、観ている方には伝わらない。
彼の魅力。彼の野望。もっとギャツビーに肩入れさせて欲しかった。
マスコミからレオ様とはもう呼ばれなくなったディカプリオ。
だからこその演技が良い。デイジーの住む向こう岸に手を翳す背中のシーンは、脆くて切ない。
レオ様…もう少し、もう少しだけ痩せてたら…たとえデイジーは去っても、私は側にいたのだけれど。
雰囲気重視
私はこの映画の原作も読んだことがなく内容情報もCM予告以外無い状態で鑑賞しました。
やはりパーティシーンの豪華絢爛で華やかな様子は観ていてとても楽しかったのですが、予告でこの映画が気になって鑑賞した方は期待していたものとは違うのではないかなと思います。
もっとあっと驚くようなドンデン返しやミステリーチックな構成を期待するのではないかと…
あちこち気になる点やもっと掘り下げて欲しい点がありちょっとモヤモヤしました。
でもディカプリオ演じるギャツビーのミステリアスででも人間らしい性格ややコミカルで愛らしくクスッとできるシーン本当に良かったです。
パーティシーンよりも見所と言っても良い位。
もう一度じっくり観てみたいです。
ディカプリオの表情でなきゃダメかも
やっぱり映像を楽しむ映画でした。ストーリーは、様々な方が訳している超有名小説で、今回が4度目の映画化です。
しかも、このジャンルで3Dです! でもバス・ラーマン監督作品という事で納得。
超豪華な背景の中、繰り広げられる飛び出すラブストーリーになってます。
Tiffanyが〝公式ジュエリー〟となっていたり、Pradaからはドレス、Brooks Brothersからはメンズものアイテム(2,291点!)を提供してもらっているそうです。パーティーシーンは圧巻です。
そして、原作を読んだり、過去の映画化作品を観ている人が気になるシーンについては、ディカプリオは見事に劇場を静まりかえらせる名演をしています。このシーンを演じる事ができるのは、彼とジャック・ニコルソンぐらいではないでしょうか?
とにかくこれは映像を体感する映画です。(うーん、男子は退屈かもね)
バズ・ラーマンの意図は
バズ・ラーマンという監督。
「ムーラン・ルージュ」では、ニコール・キッドマンのコミカルな面と、
歌のうまさと作り物の中にある悲しさをうまく、演出していた。
「オーストラリア」では、同じくニコール・キッドマンにイギリスの貴婦人の変貌を描こうとしたが、自然や歴史の重さに押しつぶされてしまったように思う。
この「華麗なるギャツビー」は?
華美すぎる社交パーティや、でっかくて豪華すぎる自宅、
とてもエコとはいえない乗用車、虚栄に満ちたピンクスーツ
すべてが反面教師的なツールなのだ。
なんに対しての反面なのか?
それは一途に思いつめた昔の彼女への真実な愛だろう。
純粋で誠のあるLoveである。
だが、人間はひとっところにはいられない動物でもあるのだ。
クールに装っていたギャツビーが、堰を切ったように
その思いを発露する場面がある。
それを見た彼女が引いてしまう場面がある。
そう、愛は変質してしまうのだ、時間とともに。
3Dで見たのだが、その効果は雪のシーンにあるようだ。
スコセッシのヒューゴの時もそうだったが、ちらちら舞い散る雪が
前のほうに位置し、立体的な映像を作り出していた。
でも、雪にも豪華なパーティにも、さほどの感激は薄くなっていった。
映像・音響7点
俳優・演技7点
ストーリー5点
僕的にはどうも思い入れが入りにくかったです。
面白いけど…
800円なら見に行けばレベル。
華麗なるディカプー
監督バズ・ラーマン!と聞くと何故か身構えてしまうのは一体何なんでしょうか。あ、自分的にですけども。
地雷監督って訳ではないのだけども、ローランド・エメリッヒとかマイケル・ベイとかの、あの監督近辺に通ずる、何と言うかかんと言うか。
多分ね、大掛かりでド派手な演出というパブリックイメージだけで以ってそう思ってしまってるんですね、自分。
前作『オーストラリア』も嫌いじゃないし『ムーラン・ルージュ』も悪くなかったのだけども。
一言で言うと「少しばかり鬱陶しい作風」とでもいうか。めっちゃ失礼ですけどw
ま、でもあれですよ。凄い良かったです。『華麗なるギャツビー』。
全く内容を知らずに鑑賞したんですけども、どうもフィッツジェラルドの原作にほぼ忠実ということらしく、ああ、通りで何となく昔の人が書いたお話っぽいなあという。
どっか人間性ねじ曲がってるキャラクターが出てきて豪華絢爛!となると昔っぽいという勝手なイメージを持っておりますw(酷いイメージだけど)
で、今回もバズ・ラーマン節全開に豪華絢爛なんですけども、実はそこは物語の本懐というか、真ん中には位置していなくて、「結構なストーカー気質をお持ちの主人公ギャツビーが経歴詐称しまくって裏稼業に手を染め、大金手にしてかつて恋に落ちた恋人デイジーの自宅の対岸に城を購入して毎週セレブを呼んで飲めや歌えやのバカ騒ぎをやらかし、で、このバカ騒ぎは実はデイジーの気を惹く為であって、そして再びの邂逅から結婚しちゃってたデイジーをその旦那から略奪せしめるまでの壮大な一大プラン」という、何だか成功しがたい計画立てて一人暴走しちゃってる男の半生を彼の唯一の友人ニックのモノローグで語られていくという、まあそういうお話です。
最近のディカプーさんはこういうイタめの役やらせると最高ですな。『ジャンゴ』然り『シャッターアイランド』然り。トビー・マグワイアと二人で芸達者なベビーフェイス俳優、夢の競演ですよ。
女性陣も男性に負けず劣らず。キャリー・マリガンもエリザベス・デビッキも溜息が出るほど綺麗だったし。
グレートであり華麗なるディカプーさん劇場でした。
こんな話だったんだ…
グレート!
テーマが深くて、絶妙なストーリーだけど、映像化は難しいところがある。
映像も音楽も派手で華麗でよかった。
前半でギャツビーがデイジー(キャリー・マリガン)と再会するところが最高。
ディカプリオがうまくて感動した。
後半は、派手さも面白さも控えめになるけど、ここからがこの映画の本番だと思う。
前半の派手で華麗な映像がきいてきて、見ているとすべてが錯覚のような気がしてしょうがなかった。
夢が覚めていく感じです。
華麗な生活も、金も、愛も、夫婦も、友情も結局は錯覚かもしれない。
もしかしたら、裏切りや怒りも、単なる誤解や勘違いで、錯覚かもしれない。
そんな深いテーマを内包しながら進んでいく後半は、当然だけどストーリーが絶妙。
でも映像化はなかなか難しいところがある。
この映画でもいろいろ工夫していたけれど、表現しきれていない感じでした。
もっと諸行無常な感じを、はっきり出した方がよかったかもしれない。
結局人生が錯覚なら、ない物を欲しがる必要はない、現状で満足という錯覚をすべきかも?
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