ものすごくうるさくて、ありえないほど近い : 映画評論・批評
2012年2月14日更新
2012年2月18日より丸の内ピカデリーほかにてロードショー
遺された少年が「死」を受容するまでに必要な冒険
遺された者はどう生きるか。最悪の悲劇に立ちすくみ、それでも明日を生きていかねばならない者は、どう回復を遂げるのか。その切実なプロセスを、一人の少年の視点にただひたすら寄り添うことで、時代が求める物語に昇華させた、優しくスリリングな心のロードムービーだ。
9・11の犠牲になった父との死別。9歳の少年にとって、世界の中心を成す存在が、突然姿を消したという受け容れがたい事実だけが心を占めている。遺体すら発見されず、空っぽの棺で行われる葬儀。それをまやかしだと看破した少年は、喪の仕事すら正常に済ませられないまま、深い喪失を抱え病的なまでの悲嘆に陥っている。しかし、父のクローゼットから発見した1つの鍵と謎めくメモに、目を輝かせるのだ。ニューヨーク中の鍵穴めぐりは無謀な冒険だが、父からの声なき指令と受け取った必死の形相に、観る者はすっかり同調させられてしまう。周到に練った計画に従って歩き回る大都会の貌(かお)は、危険極まりないジャングル。そこでは、襲撃されれば破局と化す乗り物以上に、無関心を決め込む他者が恐ろしい。
マックス・フォン・シドーが演じる言葉を失った老人との出会いが、物語をふくよかにする。彼は第2次大戦中、ドイツのドレスデン無差別爆撃の遺族だ。アメリカが加害者だった惨劇を知る者を通して、作品は被害者意識という一面性を打ち消し、少年は心の友を得る。そして、少年の取り返しがつかない本当の苦悩が明かされる。
父との最期を引き延ばし、「父性」を心に染み込ませていくために必要な時間。切なく苦しく虚しい精神状態に打ち克つための、現実に最も近いファンタジーでもある。
(清水節)