「何もかも失う中での光とは」パーフェクト・センス マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
何もかも失う中での光とは
この映画の怖いところは、五感を失調する感染症がなんの前触れもなく世界に蔓延してしまうことだ。せめてもの救いは、五感のすべてが一度に奪われなかったこと。
作品では、嗅覚を奪われても、味覚を奪われても、人類はこれまで蓄積してきた知的財産によって、なんとか対応の道を探るものだと、その知恵を賛美してみせる。こちらも「なるほど」と感心して見るのだが、事はそう甘くはない。
この広い宇宙のちっぽけな星に生命が誕生したことが偶然の重なりによるものだとすれば、その生命体が生きていく上でなんらかの異常が発生することなく進化し続けることは更に奇跡といえる。たまたま人類は、何百万年もの間、何ごともなく文明を築き、それを謳歌してきた。それ故の傲りもある。まるで神のごとく振る舞う者までいる。
あって当然のごとく使ってきた五感が次々と奪われたとき、いったい人間はどうなるのか? 作品は様々な視点で、その顛末を描いてみせる。
人類の滅亡は、なにも小惑星の地球への衝突や地球外生命体による攻撃だけとは限らない。化学兵器や環境破壊など、内なる要素で簡単に滅びる可能性があると、この作品は警告する。人類のあらゆる行動が地球規模になった現代、その危険性は充分に現実味を持つ。
離れてしまった愛する者どうしが再開できるかどうか、まだ第六感が残っているが、それさえ当たっているか確認するには五感のどれかが残っていなければならない。
触覚まで失ったとしたら、すぐ隣りに愛する人がいても、その存在すら感じなくなってしまうということに考えが及ぶ。もはや完全なる孤独だ。周りに家族がいようが可愛がってきたペットがいようが、その存在をまったく意識できない世界。これはもう無の世界であって、自身の存在自体も意識できるかどうか怪しい。
そんな時を迎えようとする瞬間、手にしているのが大切な人の手であったならどんなに安心できることだろう。頬を寄せ合い、穏やかな終焉を迎えられる人は幸せだ。富と権力はなんの役にも立たない。僅かな光にもならない。