「思った程悪くはないが、でも突っ込みたくなるよなぁーこの脚本では・・・」ワールド・ウォー Z Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
思った程悪くはないが、でも突っ込みたくなるよなぁーこの脚本では・・・
私は大のブラピ・ファンですが、この作品の予告編を観ただけで、この映画はツマラナイ駄作だろうと思い、観る気が失せた。
今年の夏の大作映画には、本作を筆頭に、興味が持てず、どの作品も観る気がしなかった。
この現象は、私が単に歳を重ね過ぎて、流行り物に単純に追い付けず、感性が鈍ってしまったのか?それとも、ハリウッド大作がステレオタイプの作品ばかりで、飽きたのか?どちらなのかと、日々詰まらぬ事を悶々と思っていた。
しかし、映画は観てなんぼの世界なので、意を決して(大袈裟だが)観る事にした。
端から期待値ゼロの作品だったので、実際観ると、まあまあ楽しめた作品だった。
何故一般には駄作でも、予告編は通常は面白く観られる作品が多い中で、本作の予告編は駄作の映画の予感がしたのか?
それは、ブラピの役どころに問題があり、引っ掛かったのだ。
彼は、元国連でのスーパーエリート職員だった筈、その彼が現在は引退したとは言え、この世界規模で起きている、非常事態の事件を目前で体験しているのに、その原因究明と問題解決への要請の為に、今回は特例で、彼の協力要請を政府機関からオファーが来ているのだ、それでも家族を護るのが先だ?と言う彼のスタンスを前面に出した途端に、私は引いた。そこに、薄っぺらな嘘が見え、真実味が失せたからだ。
もしも、ジェリーがそれ程優秀な職員だったのならば、彼の妻も子供も、皆彼の任務の重要性を知っている。その彼の任務に誇りを持って総てを投げ打ってでも、彼に協力的になっているのが家族だ。それが出来ない一般的な幸福感を求めて生きる家族なら、もうとっくに離婚している筈なのだ。一般庶民ならいざ知らず、要職に就いた人間は一個人の自由や権利の主張は、特に、非常時にはしないのが普通なのだ。
この映画では、ブラピ演じるジェリー・レインが、国連職員時代に現実的には、どの様な仕事をしていたのか、描いていない点も、説明不足で、掘り下げていないなど突っ込みどころも満載だった。只単に、国連のエリートと言う設定だけが、ブラピに演じさせる役処として、ステイタスが有る様に見えるから、そうしたよと言わんばかりの、見え透いた設定が気持ち悪い。この世界中に広がる謎の敵の究明に挑む、彼の職務に対する、覚悟の無い妻、そんな彼女を只庇うだけの、覚悟の無いジェリーにもヒーロー性を感じられない!
しかし、この映画では、逆説的なのだが、このような非常事態には、個人の責任に於いて、個人で行動し、自らの命は自らが護るという事を描いている点には、共感を憶えた。
そして、セガンがゾンビに襲撃された時にも、素早く彼女の腕を切断した彼の素早い判断と行動力のみが、命を護っていくと言うテーマに則していて、感動したし、腕を切断された彼女が、その後もジェリーと共に、問題解決に向けて、困難を共に、行動を続けて行くと言う姿はあっぱれだ。彼女の姿の方が冷静で、クールで素晴らしい。
そして映画の初めで、マーケットで吸引機を調達後、出会った少年を家族同様に最後まで、ジェリーの妻カリンは、一緒に行動を共にし、助けていた事も素晴らしい。
映画「インポッシブル」で少年を救う様な見せかけだけの偽善が無かった点も良かった。
しかし、どんな時でも、特権階級的に、危機から護られる人や家族がいると言う現実も見られた事は、リアルで良かった。これこそが社会の真実だと思う。
ゾンビ達は、しかし、何故音に反応するのか?そして、どうして何かしらの、重篤な疾患を持った人間を透明人間の様に、スルーしてしまう、識別能力を何故持ち得たのか?
やはり、突っ込みどころの多い映画だった。
何故か、このゾンビを観ていると、「猿の惑星ジェネシス」を思い出した。そして行動のみが、己を助けると言う姿は、「ポセイドンアドベンチャー」のジーンハックマン演じる牧師の姿を想い起こしたのだった。