KOTOKOのレビュー・感想・評価
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Coccoの圧倒的な存在感
Cocco演じる琴子(KOTOKO)が主人公の物語。
途中で塚本晋也監督も登場する。塚本作品ではお馴染み。
大二郎に過剰な愛情を注ぐKOTOKOは、同じくKOTOKOに過剰な愛情を注ぐ田中に出会い救われる。しかし、その田中が消滅し、バランスが崩れ最後は大二郎を殺す。映画では最後大二郎は生きてたけど、あそこは死んでないとおかしい。無償の愛の結果、相手を殺すに至る。この世界の残酷な真実の1つ。大二郎が生きてたのは映画としての妥協の産物な気がする。
まぁ、ストーリーはあまり深く考えても仕方ないかな、と思う。そういう作品じゃない。
なぜ塚本監督演じる田中が途中で消えるのか?とか。
あまり必然性はない。この作品のストーリー的には。そう感じる。
とにかくCoccoの演技が凄い。
圧倒される。
演技というより、彼女の実存を見せられている感じがする。
このギリギリ世界に生かされている感じが、観ててハラハラする。
半分演技で半分実存。
存在感が半端ない。これほどの存在感を持った人は日本の役者の中にはいないんじゃないか?とさえ思う。
この作品を観た以上、別の作品の役者を観ると物足りなさを感じてしまうかもしれない。。。
それくらいの存在感だった。
私は昔からCoccoの曲が好きだ。
彼女と同世代に生きて、彼女の歌を聞けることは幸福だと感じる。
この作品を観て、その想いをさらに強くした。
生きにくいクソな社会だとは思うけど、彼女にはできるだけ長生きしてもらいたい。
そして、このクソ社内の外側にある世界の残酷さと美しさを可能な限り表現し続けてほしい、と願わずにはいられない。
coccoとkotoko
二つに見えると言っても、どちらかというと対人関係においてのみ。人から優しく声をかけられれば、もう一方の凶悪な本性みたいなものが見えるといった具合に・・・しかし、それは全て妄想のような世界。琴子は分裂症気味の統合失調症タイプなのだ。頻繁にリストカットはするし、子育てと料理など、二つのことが一度にできない。大二郎を抱きながら、フライパンで炒め物をするシーンなんて、はたから見ていて怖いぞ!
大二郎に会うために姉の住む故郷の沖縄へと出かけたときは本来の自分に戻れる琴子。その琴子が歌うのをバスの中で見かけてから、ストーカーのようにつきまとう田中。彼は小説家で憧れでもあった文学賞も受賞するほどの人物だった。何度もデートを重ねるが、自傷癖だけではなく他人をも傷つける癖のある琴子は田中の手の甲にフォークを突き刺す(笑)。それでも彼女が心配でリストカット現場へも不法侵入して助けたりする田中。一緒に住むことになっても極度のSMシーンを見せられるかのように、顔面腫れと血まみれになるほどおぞましい。さすがホラー映画監督だけはある。
ようやく大二郎を手元に置くことができるようになったのだが、そのとき田中は去っていってしまった。人の手によって殺されるという強迫観念が先走り、治ったと思っていた“二つに見える世界”が復活し、軍人によって殺される錯覚さえ覚える琴子。そして終に我が子の首に手をかけてしまい・・・気づいたときは精神病院だった。そこになんと大きくなった大二郎が面会に来てくれた。死んでなかったんだ・・・泣き崩れ、何もしゃべれない琴子。鼻水も止まらない。痛くて辛い、女の内面を描いた狂気の野心作。
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