007 スカイフォールのレビュー・感想・評価
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「007は時代遅れ」...課題の克服に失敗
最新作『ノータイム・トゥー・ダイ』公開を前に、クレイグ主演作を全作品、再鑑賞した。
【総評】「007は時代遅れである」という課題を設定した本作。「いかに新しい007を提案するか」が期待されたが、現代的なジェームズ・ボンド像を構築するのではなく、古風なもののよさを提示するにとどまった。中盤の悪役の登場、物語の展開、アクションギミックにおいては『ダークナイト』に多くを依存したが、テンポの良さや興奮に欠ける。「これまで確立されたボンドの魅力を継承しつつ、現代的諜報戦に落とし込む」ことに成功していない。終盤は過去の反復であり、むしろ後退している。
【あらすじ】NATO諜報部員の氏名が掲載されたリストが奪われた。
リスト奪回のため、ボンドは男を追跡し、格闘するが、味方による誤射で落下。行方不明となる。
狙撃を命じたのは、上官の「M」だった。
一命を取り留めたボンドだが、Mに対し、複雑な感情を抱く。
同じ頃、Mは引退を勧告される。
スパイという諜報のあり方は時代遅れだと、MI6は組織再編を迫られていた。
肉体的・精神的に疲弊したボンドと、時代遅れだと扱われるMを、過去の亡霊が襲う。
Mによって使い捨てにされたと恨む、元MI6部員「シルバ」が、MのPCをハッキング。
MI6のシステム内に侵入し、本部を爆破する。
諜報部員リストを盗ませたのもこの男だった。
最新のハッキング技術を有する、自らの分身と対峙しつつ、ボンドは「ダブルオー」の価値を証明する戦いに臨む。
【ポイント】OLD VS NEW/新VS旧
【解説】「007は時代遅れである」。これは単に、劇中において時代遅れ扱いされているだけではない。映画としての007の危機を表明しているのではないか。
なぜなら、007ほどリアリティに欠けるスパイはいないからだ。
公衆の面前で騒ぎを起こす人物が、隠密・機密重視の諜報活動をできるわけがない。
ジェームズ・ボンドの生態は実際のスパイ活動からかけ離れているが、大画面のアクション・女性とのロマンス・ブランド物の衣類・ワクワクするような車やガジェットによって作り上げられた、「魅力的な男性像」が、これまで観客を満足させてきた。
「007」とは、「強く、モテる、金持ちの男」という理想の男性像を提示する映画だ。
「スパイ」とは、2時間以内の起承転結に都合のよい設定に過ぎなかった。
「本物のスパイを描く必要はない。非日常によって観客を満足させる」。
これが旧来の007のスタンスだった。
伝統的007はむしろ、『インディ・ジョーンズ』のような冒険活劇に近い。
だが21世紀に突入し、スパイ映画の潮流が変わってくる。その象徴が『ボーン・アイデンティティ』(2002) だ。
「ボーン」は、格闘・アクションといった画面映えに比重を割きつつも、より現代的な工作員の姿を提示した。
特に、3作目『ボーン・アルティメイタム』(2008)の前半部、駅での戦闘は、「オペレーション」としての諜報・工作活動をよりリアルに、生き生きと伝えていた。
群衆に溶け込み、現場と作戦室とがリアルタイムに情報伝達しつつ、明確な目的のもとチーム行動する。
非常にカットの多い構成。作戦関係者は膨大な数にのぼり、主人公はその中の一個人に過ぎない。
伝統的007が体現するのは国家を代表するヒーローだが、「ボーン」が描くのは、「いち個人が、現代社会、我々の日常生活の中で、どこいるのか」ということだった。
「アルティメイタム」の舞台は現代NYをはじめとする先進国の都市部。
「非日常」を追い求め、発展途上国や高級ホテルでアクションを繰り広げる「007」とは異なる。
ボーンは、ボンドのように観光をするのではない。都市で生活をする我々の近くに溶け込んでいる。
このような「リアル」なスパイ映画の浸透によって、観客は、スパイ映画をリアリティの観点から評価するようになった。
国家安全保障上、主人公の活動はどこに位置づけられるのか?活動目的は?作戦実行手段は?チームメンバーは?一般人になりすまし、目立たずに作戦遂行できているか?
ネットニュースの話題になるスパイは、「非現実的」だと相手にされない。
これからスパイ映画を作成しようとする人は、ボンドのような派手なスパイを描かない。
スパイ映画に対して問われる「リアリティ」には、また別の種類がある。
『ミュンヘン』(2005) 『裏切りのサーカス』(2010) 『誰よりも狙われた男』(2014)。
これらの作品が、ハッピーエンドでは終わらないスパイ像を提案してきた。
工作員の支払う犠牲を描く作品が、続々と好評を得るようになってきたのだ。
悪役を倒す映画だけではない。主役がモテる映画だけではない。
生活を犠牲にし、危険におかすにもかかわらず報われない人物を描く映画が評価されている。
ヒーローであるはずのバットマンすら、『ダークナイト』(2008)において、スパイ風の「リアリティ」ある自警活動を披露した。その終わり方にも若干の苦味がある。
以上のような「実際の諜報活動を目指し、決してハッピーエンドでは終わらないスパイ像」という要請は、007に対しても向けられる。
シーン1つ1つにつき、「現実的か?」「ありえない、荒唐無稽なものではないか?」という観点から作品が吟味される。
「こんなシーンはありえない」という指摘が、一般人の観客から飛んでくる。
視聴者に夢を見させればいいのではない。憧れの男性像を提示するのでもない。そういった007が要請される。
『スカイフォール』序盤に「007は時代遅れだ」という問いを自ら投げかけ、こういった要請に応えようとしたのではないのか。
「旧VS新」という構造を設け、そういった問いに対して回答するのではないのか。
「現代的ボンド像」の方向性が示されるのではないか。
『スカイフォール』を見ながら自分が期待したのはそういったことだった。
完璧なスパイである必要はない。本物のスパイを描くならば007である必要はない。
だが、これまで蓄積されてきた「007」の魅力を持ちながらも現代的活動を行うボンドが見られるのではないか、と期待したのだ。
序盤でボンドに負傷させ、失踪させ、彼の没落を印象付ける。
MI6の組織改編により、スパイの不要性を主張する。
ボンドにはMへの不信感を抱かせ、内部崩壊を促す。
Qというハイテクエンジニアが、フィジカル頼りのボンドに取って変わろうとする。
悪役の登場が、さらなる追い討ちをかける。
彼の得意とするハッキングが、フィジカル頼みのボンドを否定する。
Qによって使い捨てられたことを恨む彼が、ボンドと同じ立場で、Qへの忠誠心を揺るがす。
スパイ不要論と感情的揺さぶりを以って、007を消そうとする。
このまま007が消えてしまえば、ボンドの人生は終わる。
007の物語は終わり、続編を作ることはなくなる。
だがそれでいいのか。ボンドは戦い、勝ち残るべきではないか。
しかし007はなぜ戦うのか。何のために戦うのか。
観客は、彼の人生がまだ続いて欲しいと願うだろうか。彼の魅力とは何であろうか。
ストーリーテラーが答えを出すべき問いは、以上のようなものだった。
【オチ】ハイテクを駆使する敵に対抗し、ストーリーテラーが用意したのは「アナログなロケーション」だった。
スコットランドの一軒家。
丘陵地帯、孤立する石造りの建造物。
周囲一面が低草と岩に覆われ、ほかに人工物は見当たらない。
この「スカイフォール」がボンドの生家だ。
電気や水道が引かれているのかも定かではない。
もちろんインターネット回線など通じているはずがない。
この家には、ハッキングの対象となるドアやパイプがない。
シルバが得意とするハック能力は、この場所の攻略する役には立たない。
したがって、ここに彼をおびき寄せることができれば、フィジカルな勝負に持ち込むことができる。
この「アナログ」が、ボンドの価値を証明する場所だ。
しかしどうだろう。
「ハイテクに対抗する手段はフィジカル」なのだろうか。
「ハイテクのない場所で、フィジカル勝負に持ち込んだ」に過ぎない。
現代諜報活動の基本に通信があることを踏まえると、通信のない場所で勝ったからといってボンドの価値が証明されるとは思えない。
「生まれた場所に帰る」ことで、原点回帰を意味したのかもしれない。
あるいはボンドにスーツを着せず、一人の男としてその場に立たせることで「今までのボンドのイメージを一旦無に帰す」ことを企図したのかもしれない。
それにより、「ボンドのイメージの再構築がはじまる」ことを意味するのかもしれない。
Mという母親代わりの存在を殺し、新たな人物をMI6の長官に据えることは、「親離れ」「独り立ち」を暗示するものだったのかもしれない。
だが、「これまで構築されてきたボンドのイメージを一旦ゼロに戻す」だとか「ボンドは通信技術に長ける相手に勝利した」と宣言したところで、ボンドは現代的な諜報戦から逃れることはできない。
たまたま通信技術のない未開地で戦闘が行われただけで、今や世界中に通信網が張り巡らされている。
敵地を遠隔操作することも可能であり、何も肉体的に危害を加えるだけが敵を無力化する手段ではない。
個人、ボンドに直接攻撃を加えなくともよいし、組織のレピュテーションを下げればよい。
ボンド側の対抗手段も、そのような、遠隔的で非・物理的な攻撃に対するものだ。
あえて悪役に「ハイテク」を象徴させ、現代的なボンドに仕立て上げるのであれば、対抗手段もまた、「ボーン」風の、通信技術を用いたチーム戦であって欲しかった。
格闘シーンももちろんあっていい。ボンドが担う役割はフィジカルなものでもいい。
何も彼に「Q」のようなiTエンジニアの役割を背負わせろというのでもない。
むしろ役割分担に基づき、多くのチームメンバーが緊密に連絡を取り合い、明確な指揮系統のもとで作戦を実行する姿が見たかった。
今回のボンドは真逆だ。
ボンドとMと老人の3人だけが、役割分担もなく、情報共有もなく、指揮系統もないまま、行き当たりばったりの戦闘を行った。
一切の電子機器を廃した、素朴な抵抗が行われた。
それは爆発を伴うものではあったものの、必ずしも大画面の迫力を活かしたものではなかった。
従来のボンドと異なる。傭兵部隊との攻防でありながら、ミニマルな戦闘だった。
愛車のアストンマーチン「DB5」を最後には破壊し尽くしたのも、「ボンドは変わる」という意思表示であったのかもしれない。
だが結局、続編の、『スカイフォール』に続くサム・メンデス監督作品である『スペクター』は従来的な大迫力のアクションエンターテイメントであったし、『スカイフォール』本編自体も「ゼロに戻そう」という提案をしたのみで、新しいボンド像を展開したわけではない。
MI6の破壊も、新しい基地の設立も、芝居がかった悪役の登場も、一度捕まって脱出する展開も、彼が警官の姿をして逃げる姿も、ボンドの背後から地下鉄の車両が迫り出してくるギミックも、『ダークナイト』をあまりに参考にし過ぎており、しかし失敗している。スリリングなテンポ感、興奮において。
前半部分で「ボンドは時代遅れだ」という設定をしたはいいものの、アジアでのシーンを経て、中盤のロンドンのシーンは『ダークナイト』を参考にした独自性のないものであり、終盤部分は「古風」「素朴さ」「原始性」に回帰するのみであった。
自ら設定した課題を克服することができなかったと言える。
新しいボンド像の提案はなかった。
男はみなマザコン
ジェームズ・ボンドの特徴をよく活かして、国に対する忠誠心=Mに対する忠誠心みたいな一種のマザコンとさえ思えてしまう。一方で強敵ミスター・シルヴァ=ティアゴ・ロドリゲス(ハビエル・バルデム)にしても、MI6やMを恨み続けて復讐を図ろうとしている。元エージェントなだけにコンピュータには軽々侵入できるし、組織本部を爆破したり引っ越し先まで予測しているほど内部に精通している。入れ歯を取ったときの顔の歪みはちょっとホラー映画みたいだった。
オープニングのエピソードではパトリスという強敵もいたのだが、列車上での格闘の末、ボンドは生死をさまようほど痛手を被り、受けた銃弾の痕にはウランが検出って・・・よくぞ復活してくれたよ!ボンド最強説。試験は不合格だけどね・・・
上海、マカオと緊迫する場面も続くが、圧巻は廃墟マニアも大喜びしそうな長崎県・軍艦島でのシルヴァの隠れ家。さらにジェームズ・ボンドの過去にも肉薄する今作。スカイフォールの意味さえ謎めいていたが、後半にはスコットランドの故郷の地名だとわかる。Mを囮としてシルヴァをおびき出し、その間要塞と化していくのだ。
スカイフォールでは銃撃&爆破、爆破、爆破。大掛かりで金もかかってそうなのに、前作『慰めの報酬』の予算の半分なんだとか。この重厚さはやっぱり監督の腕なのだろうか、それとも重いストーリーに騙されたからなのか、アデルの主題歌が良かったことも加味して心に残るボンド作品になりそう。というか、Mはマザー?エマって誰?と、スカイフォールの番人キンケイド(アルバート・フィニー)の過去も知りたくなってくる。そしてMが・・・さらにマネーペニーが・・・と、若きQの登場以上にラストにも驚かされました。
エンタメとはかけ離れたボンド作品。そうなったのもシルヴァの目的はMを単純に殺すことにあったのではなく、“過去の罪を思い出させて”から殺すというものだったから。狂ったマザコン。そしてボンドにもそれを味わわせようと苦しめる様子。多くのエージェントを殺していく展開も、ひょっとしたら、Mを独り占めしたかったからではないのか?などと感じてしまった。
地味でシリアスなのに大好きな007
アクションましまし
終わりの始まり
ボンドはスーパーヒーローではない。
痛みを伴い過去を引きずり、やがて老いる。
そこが素晴らしい。
この辺りからダニエルクレイグ版は最後か?と言われてた
気がする。次回作スペクターで最後だと言うから
映画館に観に行ったら、また次もあるそうだ。
なので、今作からダニエルクレイグ版終盤3部作となると
思う。
M然り老いと言う言葉がキーワードになっている。
しかし、ただ老いるだけじゃなく若い世代のMI6が登場し
Qと言う相棒を得て、作品としては若返ってるから凄い。
敵も前作の小物感漂う相手じゃなくて
ハビエルバルデムだから、観ててゾクゾクする。
老いたとは言ってもバリバリ体は動いてるのでアクション
も見応え充分。
クライマックスは老人版ホームアローンって感じで
面白かった。
MはMOTHERのM。
男はいつまで経っても子ども。
ターナーとモジリアーニ
【23作目】スカイフォール
ダニエル・クレイグ版ボンド初鑑賞。思っていたより違和感も問題無く、寧ろこちらのワイルド感があるボンドの方がしっくりくる。
衝撃のイントロから、ラストまで釘付け。過激なアクションはだいぶ少なめだが、ストーリーでしっかり魅せてくれる。
紳士的で色気がある過去作からのボンドというよりは、引退間近で少し疲れが見える"過去のスパイ"の位置付け。
本作の敵シルヴァがボンドと重なる部分、スパイになる哀しい生い立ちを含めての、圧倒的なサスペンスを楽しむ形。お互いの心理戦、読み合いの脚本がとにかく秀逸で息を吐かせない。そして、驚きのラストから、次作へしっかりと"信念"も引き継がれて。
『娯楽』としても『作品』としても、物凄いクオリティの高い完成度に感服。今後の続編にも期待。
なんかスケール小さい敵だな
シルヴァが個人的な恨みでMI6を襲うのは
スケールとしては小さい気が。。。
なんか変にマザコンみたいになってるし。
個人的な趣味なんだけど草原での銃撃戦が好きじゃないんだよね。
予算の少ない映画ってイメージがあって。
せっかくの大作は敵の基地だったり、市街戦じゃないと
迫力ないよね。
最後唐突にボンドの生まれ故郷にやってくるけど
ボンドの幼少期の話を一切触れなかったのに、
故郷に戻っても感慨深いものとか一切ないよね。
なにあの管理人のおじいさん。
誰だよ!って思っちゃったよ。
タイトルにスカイフォールってつけてるんだから
スカイフォールについてもう少し触れようよ。
期待が大きすぎた
スクラップ&ビルド
公開時、映画館でも観ていたのだが、正直あまり良い印象が残っていない、何故だったのかの思いもありBSで放送していたので録画視聴してみました。
やっぱり流行の露悪趣味が鼻につく後味の悪い映画だったと再認識。
先ず定番のアバンタイトル、トムクルーズさながらのバイク・シーン、列車の屋根での格闘と既視感満載、無駄に車を壊し過ぎるし、なんと列車までブルトーザーで破壊、普通、これだけやれば運転手は異常に気付いて列車を止めるでしょう。あげくにボンドが仲間に撃たれて河に大落下、スカイフォールとはこのことか・・、実家の地名とは知らなかった。
大体、アバンタイトルでは痛快な作戦成功の寸劇で観客のハートを掴むのだが真逆の展開、見せ場重視の従来の作風を壮大に皮肉っているのでしょうか。
流石、不死身のボンドかと思いきや復帰のボンドを総合診断、ポンコツ扱いしたかと思ったら、政府すら、時代遅れのMI6は無用の長物と全否定。Qまで世代交代の今風オタクに様変わり。
冷戦も終わり、企業マフィアもやり過ぎたからか、敵役も「ダークナイト」のノーラン監督風の病んだ異常者に衣替え。
軍艦島を模した廃墟の島でかかる音楽は洒脱でコミカルなシャルル・トレネの「ブン」、およそ似つかわしくないものをあえて持って来て、助ける約束の美女まで見殺し、監督の露悪趣味には唖然とします。
北欧風の冬のスコットランドの古い屋敷、おそらく歪んだ母子愛の顛末の舞台としておあつらえなのでしょうが「ドラゴン・タトゥーの女」のミレニアム色まで借景の感、そもそも多勢に無勢で迎え撃つ作戦にどんな勝算があったのか理解不能、案の定Mを守りきれませんでした。
唯一、心躍ったのは懐かしのアストンマーチン、007のテーマをバックに走る姿にはやられました、つくづく、私はオールド・ボンドのファンと再認識した次第。なんと、その名車もヘリの機関砲で無残に破壊、胸が痛みます。ここまでの否定づくしの流れから時代の仇花も役目を終えたかと思いきや新しい官僚丸出しのMのもと喜んで任務続行とは釈然としません・・。
かくいう私も作りはどうあれ007とつくと観られずにはいられない性分、困ったものです。
上海やマカオのシーン、 ロンドンの地下鉄でのシーン、 終盤のスコットランドの古城でのシーンなどはあまりワクワク感はなかった。 人気シリーズなのだからもっと面白い脚本を書いてほしいと願う。
BS-TBSで映画「007 スカイフォール」を見た。
8年前に劇場でも見たのだが、今回TVで放映されていた。
劇場公開日 2012年12月1日
2012年製作/143分/G/アメリカ
原題:Skyfall
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
サム・メンデス監督47才
ダニエル・クレイグ44才
ジュディ・デンチ78才
ハビエル・バルデム43才(ペネロペ・クルスの夫)
ナオミ・ハリス36才
いちばんの見どころは冒頭のオートバイでのチェイスシーン。
強い相手にてこずるジェームズ・ボンド。
最終的には逃げられてしまう。
上海やマカオのシーン、
ロンドンの地下鉄でのシーン、
終盤のスコットランドの古城でのシーンなどはあまりワクワク感はなかった。
人気シリーズなのだからもっと面白い脚本を書いてほしいと願う。
この作品でジュディ・デンチは殉職。
レイフ・ファインズが新しい「M」となる。
満足度は5点満点で3点☆☆☆です。
ジェームズ・ボンド 新起動(ジェネシス)
このタイトルはターミネーターの5作目からの言葉です。
そんなことより、現在、007 の最新作がこの冬公開予定だったというとことで、007 のダニエル・グレイヴ版を1作目から観ている最中です。
感想
ダニエル・グレイヴ版では最高傑作ではないかと思いました。いろんな名作から美味しい要素を抜き取り、往年の007 のお箱ストーリーと織り交ぜて描くその様はまさに新起動という感じ。
ダークナイト、ダークナイト・ライジングの様な立場的落ち込み、そして、そこからの立ち上がり。そして、無自覚な罪が産む最強の悪(ジョーカー=シルヴァ)。ラストはボンドの古郷(原点)での戦いを経ての物語的な次世代への継承。
素晴らしいと思います。何より満足なのが今作のボンドガールポジションがなんとあのMだということです。これまで、保護者の様な目で上官として主に厳しく、稀に優しく、スパイとしてのあるべき道を示してきた彼女が、まさかのボンドとの冒険の相棒役!コレは驚きました。彼女の横暴さには時々苛立ちを覚えていたので、ボンドガールらしい苦悩を観て逆に安心しました。
美術面でも時折りブレードランナーを思わせるカラフルで美しいセットが多数出てきてそこも新しいと思いました。
総評
007 らしい物語展開への原点回帰に興奮し、昨今の作風からオマージュも楽しめる美味しい作品。
前作、慰めの報酬で少し観るモチベーションが下がっていましたが、今作で一気に次作へのモチベーションが上がりました。
駄作。ちょっと酷い。
今回の007のミッションは、謎の敵に奪われた味方のリストを奪い返すこと……のはずですが。
最後までリストは奪い返せていません。
リストの無害化や回収完了の確認も行っていません。
そして、ボンドが守ると誓った人は結局守れず死んでしまいます(しかも二人とも)。
これでミッション完了と言えるのでしょうか。
謎の敵は映画が始まって早々に「唇の分厚い男」と確定したようです。
確認作業もなにもなし。ストーリーのご都合なのでしょうけど。
この「唇が分厚い男」の演技は、バットマン・ダークナイトの二番煎じにしか思えず陳腐。
このストーリーであれば、早々に登場した悪党の背後に本物の悪党の親玉がいる……というのが映画というものだと思いますが。
はっきり言って、ただただ銃器をぶっ放すだけの2時間半。
退屈な作品でした。
真のボンド・ガールは、M?
個人的に、カジノ・ロワイヤル、慰めの報酬とイマイチ好きになれてなかったMに焦点をあてた作品。そんな僕のM嫌いな気持ちを察したかのように、Mの手法に裏切られた過去があり、恨みをもつシルヴァが敵役で、かつMの悪手ともいえるような作戦判断ミスにより責任を問われる展開で進んでいく前半のストーリーは個人的に入り込みやすかったです。
そして、グレイグ・ボンドの代名詞のド迫力のアクションも健在!冒頭のラン、バイク、車、列車を織り交ぜた追跡劇で、ガッチリ心掴まれ、シルヴァの何重にも先読みした作戦行動に感心されられ、翻弄されながらも地道に徐々にシルヴァに迫るボンドとQを応援し、とずっと心動かされる展開が続き、目が離せませんでした。
そして、このQの存在がまたいい!Q役のベンウィショーが絶妙にいい感じですね。あの飄々と淡々とボンドをサポートする感じが見ていて楽しいし、ボンドとの追跡中の会話も小気味よく粋な感じがいいバディ感がありました。今後もこの2人のバディは楽しみです♬
そして、スカイフォール、ボンド生家でのシルヴァとの決戦。銃撃戦、トラップの攻防戦、最後の大炎上と、映像の迫力的にも申し分なかったし、ボンドとMの絡みもよかった。やっぱり、最後まで、ボンドがなぜMを信頼して、慕っているのかという理由は理解はできなかったけど、それでもいいんじゃないかなと感じました。一長一短で理解できるような容易い関係ではないだろうし、この2人の間に確かに信頼、敬慕があることが感じられましただけで十分です。最後の「私は1つ 正しかった。」の答えを明示しなかったのがまた粋ですね。果たしてMはなんと言いたかったのか?「ボンドを復帰させたこと」?「ボンドの作戦に乗ったこと」?はたまた「ボンドを00に採用したこと」?想像が膨らみますね♬
全然関係ないですが、途中から、シルヴァが志茂田景樹さんにしか見えなかったです(笑)
Qがサポートに入り、マニーペニーが秘書、Mが男性に変わり、ザ・007な布陣になって、次回作へのワクワクが募ります。
ところで、前作までの謎めいた黒幕ミスターホワイトはどこ行っちゃったんでしょうか?
面白いけど
カジノロワイヤルには負けるかな?
ダニエルボンド、悪くはないんだけど冗長で007としてみるとなんだかなぁなんだけど慰めの報酬よりは面白かった。
やはりハビエルの存在、不気味な悪役やらせるとたまらないね。
でもなんかちょっとオカマぽいんだよなあ
ジュディデンチお疲れ様と言うかんじ。
007はダニエル版はカジノロワイヤルでお腹いっぱいであとはおかわりしたくない状態だったが007新作ノータイムトゥダイはなかなか面白そうなので予習するつもりで鑑賞
スカイフォール気づいたら鑑賞2回目だったことにしばらく気づかなかったなぁ
コロナウイルス騒ぎで新作も11月まで延期だって。
予習早まったなあ
さてスペクター初鑑賞してみよう。
映画館で観たい~
おうち-210
ボンドガール不在?と思っていた私が間違いだった。
彼女がいた。
ラミマレ&アナ・デ・アルマスちゃん参戦により、ダニエルボンドを新作までに見返そう作戦も順調にこなしております。
新作にも登場する役柄が登場してきて、いよいよ!という感じがしますな(私的に)。
オープニングのアクションからは一転、そこからはサスペンスとドラマ。アクションを期待して見ると、オープニングが山だったかもしれない。
オープニングのミッションで心と体に傷を負い、遠くでその日暮らしをしているボンドが目にした、MI6爆破映像。
これを期に復職したボンドが出くわすのが、Mのかつての部下。
ハビバルが演じるこの悪役。スパイものにありがちなサイコさや、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズで彼自身が演じたようなコテコテの悪役ではなく、
元MI6というスマートさを残しながら不気味で、人を嘲笑っているかのような独特な雰囲気がとてもバランスがとれていて良かった。
印象的な悪役は?と聞かれて、すぐ挙がってこないかもしれないけど、作品の中の調和を乱さない悪役だった。
コイツほんとに人間なのか?と思うような上司同僚(いい意味でも悪い意味でも)は居ますが、Mは人間だった。周囲に悟られないよう苦悩していた。
私達と同じように、罪を侵し、心の中でその罪が確実に生きていた。その罪がハビバル演じるシルヴァ。
ダークサイドに堕ちた彼と、忠誠を誓うボンドとの対比が描かれている。
孤児がスパイとして育成され、慕うのがMだった。だから、シルヴァも母と呼ぶ。その母への刃の向け方が切ない。
きっと彼自身の本心がそうさせたのではなく、許せない何かを心の中で増幅してきたこれまでの思いが今回の事件。
だから、せめて母だけではなく、、、という彼の願い。
アクションももちろん見たいけど、こういった人間の心を描いたボンド作品もなかなかいいと思いました。
いやー、長文書けてホッとした(笑)
At Skyfall. 最後の一匹
「スカイフォール」って何だかカッコいい響きだけど、どんな意味があるんだろう?暗号とかかな?オープニングでのアデルの歌詞は「空が落ちる」と訳されてるな。んー、直訳。等と思って観ていたら、まさかの地名でした!!
という訳で2020年のダニエル・ボンド最終作へ向けて観直し007の第3回です。本作も面白かった!
今回はトルコから始まったボンドさん。その後、避暑地でやさぐれて、ロンドン、上海、マカオ、そして軍艦島っぽい何処かを経てからの再びロンドン、最後はスコットランドのスカイフォール(実際の撮影はグレンコー)でした。
本作のボンドさんはいきなりトルコで撃たれてたのでビックリ!しかも味方に。そりゃいくらボンドさんでもやさぐれますわ。完璧にスネちゃってました。それでもMI6の危機にはちゃんと戻って来るのが良い所。でも自堕落した分テスト結果はボロボロの赤点。Mの情けもあり現場復帰。
そこから大きな市場中国への目配せをちょっと感じる上海へ飛んで、マカオでボンドガール発見!と思ったらあっさり捕まっていかにも怪しげなシルヴァ登場。せっかくゲットしたボンドガールはあっさり殺されちゃうものの、見事にシルヴァを捕まえます。
やった!と思うのも束の間、シルヴァには普通に逃げられます。実は全部シルヴァの計画で、上手いこと手のひらで踊らされてたボンドさん。ロンドン地下で危機一髪になりながらもMを救って実家のスカイフォールへ帰郷。でも実はボンドさん実家嫌い。いや、わかるよ。あんな周りに家もなく、学校も遠そうだし、ましてやお店そのものが全くない立地。周りが遠すぎてどう見てもバスも通ってなさそうだし、友達を家にも呼べないしで子供だったら嫌いにもなるでしょう。
そんな嫌いな実家にあれこれ細工してシルヴァを迎え撃ち、家を爆破させたり、池に落ちたりでピンチになりながらも最終的にシルヴァを倒してMI6に返り咲く。そんなストーリーでした。
敵のシルヴァが良かったですね。マザコンっぷりが強烈ですが、見た目に反して?ボンドを手玉に取る知能犯です。ちゃんと敵が強いとストーリーが引き締まります。これまでずっと出てたMが殺られてしまったのは悲しかったですね。
Mとシルヴァの関係が物語を牽引しているのですが、それでも本作のメインはちゃんとボンドさんなんですよね。ボンドガール要素が薄かった分、終始ダニエル・ボンドを堪能する事ができました。ここまで長いシリーズでもしっかり内容もアクションも面白く作れるサム・メンデス監督ってただ者ではないと感じた一作でした。
【"007 " meets "サム・メンデス" 素晴らしきケミストリーを起こした”ダニエル・ボンド”シリーズの傑作の一つ 】
”ダニエル・ボンド”シリーズはどの作品も粒ぞろいなのは、万民が知る所だが、私が今作を愛でる理由は幾つかある。
1.傑作「カジノ・ロワイヤル」と「慰めの報酬」が連動しているのに対し、今作は単作でありながら、スケール感の大きさ、ストーリー展開の秀逸さ、今まで描かれることが少なかった”MI-6”内の人間関係も絡ませている点。
2.シルヴァを演じたハビエル・バルデムの圧倒的な存在感と酷薄に見える姿。そして、哀しき報復の理由。(一部、上記1.と被る。)
3."M"(ジュディ・デンチ)と上司ギャレス・マロリー(レイフ・ファインズ)との緊迫感溢れる関係性の描き方。(と、その後の”M”の姿)
4.今までにない位、追い詰められていく”MI-6”と、その理由。(一部、上記2.と被る。)
5.ボンドシリーズは美しき女優たちの活躍も見所なのは周知の事実だが、今作でも、哀切なセヴリン(ベレニス・マーレイ:かの美しきフランス女優に何してくれるんだ、シルヴァ!)の姿がシルヴァの酷薄さを際立たせている所及び、イヴ(ナオミ・ハリス)の成長していく姿。
6.”Q"(ベン・ウィショー)を若き、魅力あるキャラクターとして、完全復活させた点。
7.スカイフォールの守り主、キンケイド(アルバート・フィニー)の懐かしき姿と、その後スカイフォールで繰り広げられる大迫力かつ緊迫感溢れる戦闘シーンの豪快さ。(そして、少し明かされる007の過去)
8.最後に、上記を全て受け止め、演じ切ったダニエル・クレイグの姿。
そして、今作を造り上げたサム・メンデス監督の剛腕。
以上である。
<2012年12月1日 劇場にて鑑賞>
<その後、数度自宅にて鑑賞>
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