「煩く託す希望の光。」ヒミズ ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
煩く託す希望の光。
ヒミズ、って何だろうと思ったらモグラのことらしい。
この監督の作品はまず私の近場にはやってこない。
名画座にもこない^^;
なので観逃すことしきり、時効警察が面白かったし
観たいなぁと思っていたら、今回はきた(喜!)
まぁ、主演の二人があんなに大きな賞をとっちゃって
その効果なんだろうとは思うけれど…。
前作でも評判の、暴力描写!気にはなったけど(汗)
まぁ~確かに至るところで壊れてはいるけど(人間達が)
この壊れっぷりを大震災後の福島に置き換えたところが
まず、凄い。
被災地をメインにするのなら普通の復興応援作品を、と
思うところが真逆の方向からスタートさせている。
だいたいここまでおかしな親がいるものだろうか?
真っ当に考えればそうなのだが、近い親はいると思う。
そして住田少年ほどではないものの、ああいう鬱積を抱え
苦しみ叫んでいる子供達もおそらくいるはずだと思う。
通り魔的に他人を襲う少年達、口々に言う台詞もリアルで
なぜそんなに腹が立つのか、世の中を壊したいのか、
自暴自棄になるまでの経緯(今回のは震災だとしても)は
おそらく多岐に及び、多分に本人の性格と、生活環境が
要因になっているはずである。
皆で復興に尽力しなければならない時に負けてしまう者。
精神を壊してしまう者。親も教師も友人も助けてはくれない。
ストレートに観せられて、こりゃ辛いぞ…とまずは思った。
しかし住田には茶沢という存在がベッタリ貼りついていた。
この(絶対いなさそうな)煩い存在が、この物語の鍵を握る。
凄惨な事件を、真面目だといわれている子供が起こした時、
真っ先にこの存在を連想する。普通なら親だが普通じゃない。
となると親友とか幼馴染み、たった一人でいいからその子の
総て(とまではいわないが)を把握できる子がいないものかと。
顔も知らない友人を増やすより大切なのはそっちの方である。
何でも話せる(話せなくても相手が理解する)、欠点を晒せる
(晒せなくても見抜かれる)、喧嘩ができる(本音で向き合える)
自分の実体そのものを理解してくれる相手。
どこかにそんな相手がいたなら、おそらく事件は起きない。
親に愛されなかった住田が心の拠り所をなくして、それでも
なんとか平静を保って生きているのは、バカみたいに懸命に
住田に貼りついてる多くの存在があったからだ。茶沢もまた、
おかしな家庭(あれもないだろ)で行き場を失った孤独な存在、
いるはずない、と思う二人の行動が妙に胸をズキズキさせる。
住田のボートハウスに住みつく震災で行き場を失った大人達、
まだ中学生の住田を「さん」付けで呼び、至る所でやたらと煩く
応援する。こんな風に住田の周りは常に煩い。誰にも相手に
されず、かまわれず、もっと常に自分の方だけ見て欲しいのに、
振り向いて欲しいのに、皆が無視するから殺す。などという
バカげた理由で無差別に人を殺した若者がいたが、そういう
彼に煩く付き纏い、その考えそのものがバカだぞ、と意見して
やれるような知り合いや友達が一人もいなかったのが哀しい。
染谷将太、演技してるの?と思えるほどいってしまった演技。
二階堂ふみは、監督に演技でなかなか褒められず、最後には
60点に限りなく近い12点。と言われたそうだが(意味不明^^;)
私が見てもなんとなく、彼女の演技には気恥ずかしさと遠慮が
見えた。完全にいってはいない、そんな感じ。
あんな状況のなかで、叫んだり殴られたり泥だらけになったり
役者も大変だったと思うが、ギリギリ沈まないで残っている
池の中の家が、そんな皆の精神状態を顕わしているようだった。
思えば震災当時、たいへんな被害に遭われた被災地の方々が、
ボランティアの人々に頭を下げ、ありがとう!頑張ります。と
笑顔で話していたのが印象深かった。
自分がギリギリのところで踏ん張っている状態でも、
他人に感謝したり、他人を思いやる心は、持てるものなのだ。
渡辺哲や、でんでんが演じるおっさんが(決して善人でないのに)
妙に説得力のあることを言い、住田に希望を託すのには泣けた。
見た目生意気で冷めている住田だが、本当なら両親に愛されて、
ごく普通に育つはずだった心根の優しい男の子だ。
(父親を殺してしまった後の驚嘆の表情でそれが分かる)
悪党退治したくても、なかなか彼にそれをさせない運もそれだ。
映画そのものが「すごくいい」わけではないが、
人間そのものの「すごくいい」部分が垣間見れてホッとした。
しかしまぁ…変わった作品だったと思う。なるほどねぇ。
(あんな親いないと思っている人ほど危なかったりして^^;反省)