「陽を見るために」ヒミズ everglazeさんの映画レビュー(感想・評価)
陽を見るために
主人公住田は、ただ普通に暮らしたいと願う中学生ですが、平和に生きることすら出来ない劣悪な環境に置かれています。クズから産まれても、自分はクズにはなるものかと意気がっています。しかし父親を殺してからは、自身の中にも「クズ」の血が流れているのかと失望し、ヴィヨンの詩のように、見た目で善悪くらい区別出来るさと、社会の「クズ」を殺しに街へ繰り出します。
住田に好意を持ち、彼を見守る茶沢の家庭環境も同様に劣悪です。彼らの親達は、計画性がないのか、自分達の結婚生活の維持ためだけに子供を作ったのか、結婚が破綻したからお前達は要らないという、とにかく無責任な大人達です。
特に思春期では誰にでも、取り巻く大人達や社会の「クズ」な側面ばかりに目がいく時期があると思います。住田や茶沢の家庭ほど悲惨な状況でなくても、role modelとしたい人物を見つけることも、夢を描くことも難しいでしょう。けれど、夜野のように、自らの危険を顧みず影ながら若者の未来を死守したり、ホームレス仲間達のように、出来ることから助け合おうとする大人達に、見えない所も含めて支えてもらっていることや、世の中「クズ」ばかりではないという事実は、少なくとも住田の目にはなかなか映りません。また、外の世界をどんなに客観的に見ようとも、そこに必ず自身の心のフィルターがかかっていること、ヴィヨンの「唯一理解出来ない自分」の目を通して分かったつもりでいる矛盾にも気付きません。
絶望から彼が救われるのは、同世代の茶沢と同じ愛に溢れた夢を想像し、必ず立ちはだかる壁を乗り越える覚悟が出来た時です。
それまでは担任教師の「夢を持て」や母親の置き手紙の「がんばってね!」などの陳腐な言葉は、他人事のようで全く響きません。しかしラストの「頑張れ」は、障壁を覚悟した者には届くのだと思いました。
どんな絶望的な状況においても生きるために希望を作り出さなければならない、というサルトルの思想を思い出しました。
「住田、頑張れ〜!」の叫び声と共に流れる音楽は"Platoon"のテーマ曲です。被災地もそうですが、目先の利益に眩み軽率な判断で生み出された「戦場」から、本来罪を背負う必要のない若者達が抜け出すための応援歌のようでした。