さすらいの女神(ディーバ)たち : 映画評論・批評
2011年8月30日更新
2011年9月24日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
生々しい息遣いとともに女性の輝きをとらえた人生賛歌
マチュー・アマルリックがこれほど大胆かつ繊細な演出力をもった映画監督であったことを知って驚きを禁じ得ない。彼が演じるのは<ニュー・バーレスク>と呼ばれるアメリカ人ダンサーたちを率いる座長ジョアキム。カリスマ的な人気を誇った元TVプロデューサーだが、不祥事で業界追放の憂き目に……。フランス各地を巡業しながらも、彼の宿願は、パリ公演によって凱旋を果たすことにあるらしい。しかし、その目論見はあえなく潰え去り、茫然自失のままに、漂泊するように旅を続ける。
かつてのフェリーニ作品を彷彿とさせる豊満で巨大なダンサーたちが愛嬌たっぷりに舞台で踊るさまが、なんともチャーミングだ。彼女たちはみな、ケバケバしいメイクを施し、贅肉がついた肌からは艶やかさもとうに失われ、下腹部のたるみ、シミ、疲弊の跡をはっきりと刻み込んでいるものの、ひとたびスポットライトを浴びた瞬間、その肉体そのものが眩いばかりに躍動し、輝きを放つのは魔法を見るようである。
一方、バックステージでは、異郷でのよるべなさ、性の渇きを抱え込む彼女たちの孤独な心象もさりげなく点描され、印象深い。アマルリックは、ほとんど演技経験がなかった彼女たちと親密な共犯関係を結ぶことで、女そのもののリアルで生々しい息遣いを画面から立ち昇らせるのだ。そういえば、ジョアキムが口説くガソリンスタンドの受付も、手酷い仕打ちをした入院しているディレクターも、この映画に登場する女性たちはすべて滋味深いエロスをたたえている。
(高崎俊夫)