ソウル・サーファーのレビュー・感想・評価
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いい話でしたけど、ドラマが薄い。なんかダイジェストみたいにトントン...
いい話でしたけど、ドラマが薄い。なんかダイジェストみたいにトントンと描かれているように思えました。本人の話を聞いてみたいです。
追い求めるもの あればこそ
久しぶりに素直に感動した。
余韻も温かく力強いメッセージが残った。
片手を失った少女が早い時期から
「海に入りたい」と家族に訴えていたのには驚いた。鮫に襲われた恐怖心はトラウマになってもおかしくない。 彼女が一度は挫折しそうになりながらもサーフィンを、そう夢を諦めなかったのは寛容で信頼しあえる家族や友人の存在も大きかっただろうけど、一番はただ好きだからやる!その事に尽きたのではないかなと。。
ハワイ語の調べ♬が心地よい冒頭ー
「愛がある所が家、私にとっての家は海。血管には海水が流れ、肌に太陽の愛を感じる 」
他にも印象的なシーンに溢れている今作。
留めたくなったのは、
試練の渦中でのボランティア体験は彼女に壁を越える一歩となったのだが
「 近過ぎると見えなくなる、ならば視点を変えてみる」コーチの言葉の難しさを噛み締める場面。
終盤クライマックスは大きなスクリーンで見たかったな〜と。
サーフィンの大会での波(ウェーブ)の映像美はダイナミックなだけでない、色彩の拘りが感じられてストーリー展開も相俟って感涙してしまった。
そしてそして。終了後、リポーターの鮫に襲われてない頃に戻れるなら戻りたいか? の問いに
「過去は変えない。この貴重なチャンスを逃したくない。今は両腕で抱くより大勢の人を勇気づけられる」
そう正々堂々返した主人公の笑顔が素敵だった。
プロサーファーになる夢を実現したこのお話は実話だそうだ。
ひとつ失った。が、彼女は多くのものを得たのだろう。困難を友達にし、感謝と喜びにかえて。
誰にとってもかけがえのない人生を愛し、楽しむことをこの作品は証明してくれている。
勇気をもらえる
まずなんと言っても実話というところがいい。
親友との絆や家族との絆、そしてライバルとの絆も。何があっても諦めずポジティブでフェアな考えを持つ少女。まわりの支えがあったからこそ、あんなに立派なサーファーになれたんだと思う。
気になった場面は、ファンレターなどが届くようになってから、どうして自分はこんなに知らない人から応援されているのかと言った部分。そこが自分はすごいことをした人間ではなく、普通の人間だということを表している。
感謝の気持ちと力を与えてくれた!
まずはこの映画を見て、日常への感謝を覚えた。 両腕があるという当たり前のことは、いつ唐突に消え去るかわからない。健全な生活が送れているいまがどれだけありがたいことなのか。 それを日々胸において、一日一日を大切に生きる必要がある。それがこの体を与えてくれた神への恩返しだと思う。 今日できること、いま出来ることはいまのうちにやるべきだと改めて思わされるた。
またこの映画は逆境をポジティブに力に変える精神を教えてくれた。 過去は振り返っても変わらない。いまをどうするか、現状を理解した上でどうするかが大切かを教えてもらった。
彼女は再び人生の波に乗った
鮫に襲われ左腕を失いながらも、プロサーファーを目指して再起した少女ベサニー・ハミルトンの実話。
冒頭から、照りつける太陽、青い海、サーファー心を掻き立てる波、ピチピチの女の子たち。
家族が居て、親友が居て、波乗り大会で優勝して…序盤はどこまでも人生バラ色!
…それは突然やって来る。
あらすじは知っているので、海に入る度にいつ鮫に襲われるのか、序盤はハラハラでもある。
襲撃はほんの一瞬。
ヒヤリとすらした。
こんなトラウマがあったら、もう海に戻りたくないと思うのが普通。
だが、ベサニーは何より海を波を愛する少女。
再び海に戻る。
一度は挫折する。
以前のように波に乗れない。日常生活にも支障。
が、タイでのボランティア活動が背を押す…。
家族の存在も大きい。
常に寄り添い、明るく笑顔を絶やさず、娘を信じ、支える。
理想的な家族でもある。
そう、この映画、甘々な展開でもある。
でも、悲壮的にならず、前向きな作風が心地良い。
この手の作品にありがちなベタな恋愛要素は無く、ヒロインの再起への勇気と家族との絆に焦点を絞っているのがいい。
ライバルサーファーとの関係も嫌みに描かれていない。
サーフィンシーンはダイナミック。軽快な音楽も良い。
ズバリ、この時期見るには最適な、爽やかな好編!
挑戦こそが人生。
実話を元にした話。
主人公の生き方に、ジワリと感動する。
感動させようという物語ではなく、感動してしまう物語。
そして、海がとても綺麗に映してある映画作品。
サーフィンに興味がなくても、とても楽しめる映画。
見てよかった☆
逆境に負けそうな時に…
普通に面白かったです。
実在するサーファーの話だけあって、下手なフィクションよりも感情移入できました。
主人公の前向きな性格には、好感が持てます。
また、悲劇に見まわれても、それを支える家族がとっっっってもハートフル。
誰でも、安心して楽しめる作品に仕上がっています。
唯一、蛇足と思えたのはライバルの存在です。
心の強さを証明する映画のはずなのに、かえって主軸の感動を阻害してしまった。
スポ根風味はいらないでしょう。
色々なアングルから見るサーフィン映像が、個人的に気に入りました。
スカッとした映画が見たい方にオススメです。
見てよかったと素直に思える
自分は今受験生ですがこの映画を見て人踏ん張りする力が湧きました!
人生はサーフィンと同じ!たとえ今困難な波が押し寄せていても耐えれば次はきっといい波がくる!心に残りました!
メイキング映像や本人映像もグッときます!
「かわいそう」ではなく「強い」
感動の実話!と言いますが、無理矢理感動を押し売りされている訳ではない所がいいです。
もっとも、映画の最初の方は、あれほどの事故が起きても「サーフィン!サーフィン!」というベサニーの前向きさに違和感も覚えもした訳ですが。
映画化に当たっては色々と省略したり脚色したりもしているのだろうとは思いますが、日本人が作ったら最後のエピソードは違ったもの(例えば翌年の大会のエピソードとか)になっていそうな気もします。
その点、無理に感動を詰め込もうとせず、実話故のリアリティを感じました。
彼女の心情の紆余曲折にキリスト教的な部分が絡んで、無神論者の多い日本人には理解しづらい部分かもしれないけど、自分は素直に入って行けました。
サーフィンという競技自体は全くと言っていいほど知らないのですが、見て良かった映画だと思います。
心に残る清々しさ
公開初日にレイトショーにて鑑賞
全体の構成が素晴らしく飽きることなく夢中になって見られました。
ハワイや西海岸特融の映像美とそれに合わせた爽快なBGMに惹きつけられます。空気感、臨場感など実際に撮っておられる方のこだわりを感じます。正直この部分だけでも十分見る価値ありかと。
中盤からは本題となるベサニーの事故とそこからの彼女の奮闘劇がはじまります。本作品ではそういった逆境に苦悩する姿に対して執拗にクローズアップすることは決してしません。厳しい環境で気丈に振る舞い、何事にも前向きなベサニーを丁寧に描くことで、彼女の人間的強さをわかりやすく伝えてくれます。また、事実としてべサニーは素晴らしい家族と仲間にも恵まれていました。そこはさすがにアメリカ映画、サポートするファミリーや友人達の演出もわざとらしさがなく、見ていてとても気持ちがよい。一人の人間の無限の可能性は周囲の愛情があってはじめて育まれる。そんなメッセージを受け取りました。
事実に基づいてるんだからしょうがない
全体的に丁寧なつくりでサーフィンにさほど興味がない人でも楽しめる映画だと思う。
小道具の使い方に関心。何気ない小道具の使い方で主人公に起こる悲劇をさりげなく表現するところがうまい。
「事実に基づいた」という免罪符があるので、ご都合主義のようなシーンも目をつぶれてしまう。
映画観た帰り道はすっきりした気持ちだった。
リア充→非リア充→リア充、その事実にココロ折れそう…
何不自由無く過ごしていたところでの~ 事故とゆーか、鮫とゆーか…
リア充の娘が見舞われるにしてはサ、めっぽう不運でシャ~クに障るよね、きっと?
真正面から、人体の“欠損”ってゆー事実をクッキリ描いた凄みがあるわ。
勇気も貰えると思うんだけど、逆に一周回って、主人公と自分を比べて、
「自分はなんてダメなんだろう」って、ダウナーに入る可能性もありそうで怖いわ。
彼女ひとりの功績ではなくてサ、ワイハーという土地柄だったり、
あの家族・あの兄弟だったり、あの友人や仲間だったり、ひとつでも欠けちゃ
成せない状況なのかもしれない。
彼女を称賛こそすれど、自分には同じことなど到底無理な話だと思った。
片腕を失っても一流のサーファーになった理由
「ファミリー・ツリー」に続いてハワイを舞台にした映画「ソウル・サーファー」を観る。
ほぼ全編にわたり、ハワイの海が映し出される。
光を反射して波がうねり、風が吹きわたる。何とも気持ちがいい。
この映画の主人公ベサニー・ハミルトンは実在の人物だ。
片腕を失うというハンディキャップを乗り越えて一流のサーファーになった。
なぜ、彼女が大きな試練を克服できたのか?
まず生まれながらのサーファーであったこと。
ベサニーは、両親や二人の兄もサーファーの一家でに育つ。
歩くのを覚えるようにサーフィンに親しみ、10歳の頃には将来を期待されるサーファーになっていた。
誰よりもサーフィンを上手くなりたいという、生来の負けん気の強さ、
サーファーとして成長するという強い意志と、日々鍛錬を重ねていくという習慣が身についていたことが、最も大きい。
2つ目は、家族の愛情だ。
片腕を失い、新たな日常生活を組み立てていかなければならないベサニーのことを、
過保護にせず、彼女の意志を尊重して、
家族も新しい日常生活を作ろうとしているのが自然に伝わってくる。
ベサニーは病院を退院してすぐに海に入り、サーフィンを始めている。
家族は一緒に、サーフィンを楽しむ。
彼女はすぐに大会に出場するのだが、思うように波に乗れずに、
ライバルたちに大きな差をつけれる。
競技者の道を、一旦はあきらめ、
サーフィンから離れてボランティアなど新しい生活を始める。
家族は彼女の気持ちがサーフィンに戻るまで、待つ。
3つ目は、信仰。映画の冒頭、
サーフィンの練習を切り上げ、島の協会の礼拝に参加するシーンが描かれる、
そこでは、家族や友人、コミュニティの仲間が全員で神の前で祈りをささげ、歌を歌う。
そのような環境で彼女は育っている。ボランティアに時間を割くのも自然な行為だ。
「なぜ私にこんな試練を与えるのか」と先生に問うのだが、
先生は「この辛い経験に何か意味があると信じることが大事」と答える。
生きることについて先生とこんな会話ができるのは素晴らしいと思う。
彼女はボランティアとして、津波の被害にあったタイのプーケット島を訪れる。
そこには、津波で家族を失った人たちがいた。
ボランティアから戻った彼女は再び、サーフィンの競技者として練習に取り組み始める。
映画は、片腕を失った彼女の心の傷をことさらに強調することはしない。
むしろ淡々と競技のために、体を鍛えるところや、家での日常生活を追っていく。
主役のアナソフィア・ロブが、
負けず嫌いだが友達思いのサーファーを生き生きと演じている。
病院のベットで、サメに襲われたときに一緒にいた友人が
自分の事で心を痛めていないか案じるシーンが、
彼女の強さと優しさを表していて心に残った。
好きで好きでたまらないから。
私的にイチオシになりそうな作品で、とにかく驚いた。
ちなみにサーファーじゃない自分が、なんでこの作品に
そんな思いが入ったのかというと、身近にサーファーが
いたからなのだが、この主人公がサーフィンを心から愛し、
どんなに波が好きで好きで堪らないかが溢れ出す作りに
こちらもどうしてか…涙が溢れてきてしまったのである。
実話の映画化、しかし主人公のべサニー・ハミルトンは、
なんて愛らしく人間的にも素晴らしい女の子なんだろう。
地元や海外ではすでに有名人なのらしいが、私はまったく
存じ上げなかった。もとより彼女が人気者になったことが
片腕を失くしてからだというのだからそれもスゴイ。成績が
物語るのは、ハンデなど微塵も感じさせないライディング。
さすが両親ともにサーファーで、幼い頃から家族皆で波に
親しんできた一家というだけあり、生活の中にサーフィンが
存在する。毎日波を見て、見ては乗り、乗っては考えて、
いかにうまく乗りこなせるかを楽しむことが彼女の日常。
…しかし運命とは、本当に皮肉なものである。
私にはよく分からないが、どう考えてもバランス力が必要、
更にパドルなど、両手両腕をいかにも使うスポーツだと思う。
身体に備わってきたバランス感覚と、波乗り特有の感性を
巧く引き出すことに成功したから今の彼女があるのだと思う。
それはひとえにもふたえにも彼女を育てた両親や家族、友人
の豊かな愛情の賜物、それに感謝し、またサーフィンをする
ことに熱意を燃やす前向きな人間性にも多分に影響される。
とにかく観ていてエキサイティングな気持になれる作品だ。
思春期の女の子が、これだけの事故に遭えば心の傷は大きい。
サーファーとして大活躍を果たすはずだった、矢先の惨事。
彼女がどれほど周囲に恵まれていても、自身が相応の覚悟と
忍耐力を持ち合わせていなければ、挫折して当たり前の世界。
ところが。「好きだ」ということは、これほどまで人間を強くも
優しくもするエネルギーを生み出すということに感嘆する。
彼女がアドバイスを求めたのは、ボランティアの世界だった。
津波被害を受けた村を訪ねた彼女は、海をを怖がる地元の
子供達にサーフィンを教え始める。大丈夫。怖くないよ!は
自分への応援メッセージだったとも思える。楽しむことを
最優先に考えられるようになった彼女は、大好きな波乗りを
周囲の子供達に伝承することができるようになったのである。
…思えば彼女は、海やサメを憎んではいなかった。
比べるのはどうかと思われるかもしれないが、
日本で起きた大震災の津波被害、多くの土地や家が流されて
しまった三陸沖の住民の方々が当時インタビューに答えていた。
彼らが口にしたのは、私らは海を憎んだりしてないよ…だった。
私らの生活は海があるから成り立ってきたもの。海から沢山の
魚や海藻を獲らせてもらって生きてきたんだから、こんなことが
あっても、決して海が怖いなんて思わないよ。復興したら、
また海に帰って漁を続けるんだ…と語る姿に、TVの前で私は
涙をボロボロ流した。海が好きだから、またここに戻りたい。
自然災害とはいえ、人間には考えられない猛威力を震われて、
どこに怒りを向けたらいいのか分からない惨状でのこの言葉。
べサニーが海に向けた想いと重なる、と思った。
映画公開に向けてのインタビューで彼女がこう言っていた。
「私は片腕を失くしたことを皆に不幸だと言われるけれど、
私にとっての不幸とは一生サーフィンができないことなのよ」
映画に出られて嬉しかった、と笑う彼女が最高に美しかった。
(好きこそものの上手なれ。これからも最高のサーファーでいて)
少なくとも劇映画としては駄作
原作を忠実に再現した結果だからなのかわからないが、非常にドラマチックさに欠ける作品だった。
一応ストーリー上の起伏はあるといえばある。
たとえば序盤、サメに腕を食われた主人公が、
がんばって再び波に乗るという展開がある。(言わずもがなだが)
しかしこれが本当に、この字面通りの展開でしかない。
事故の光景がフラッシュバックすることもなくすんなり海に入り、
波にうまく乗れなくなってしまった事実も何のその、打ちひしがれる暇もなく
たゆまぬ努力でその日のうちに克服してしまう。
これで感動するのは不可能に近い。
とにかく全編に渡ってこんな調子で、物語上障害となりうるポイントは、
時には主人公の天才的頑張りで、時には納得しがたい理屈で、時にはほぼスルーされながら、なんのカタルシスもなくどんどんクリアされていってしまう。
なんなんだこのベストキッドからワックスを抜いたような味気ない展開は。
あとは謎の演出や人物描写もひどい。
前述の展開の中にあるシーンで、ベッドに横たわったとある人物がサメに襲われる悪夢を見て飛び起きる、というシーンがあるのだけど、普通、これは主人公にやらせるべきでしょ。
なぜ一緒に泳いでた友達の方なんだ。
べっどの足下から徐々にカメラが上がっていくという謎のタメ演出もあって、最終的に友達の顔が映った瞬間は、思わず「えっ!?」って言ってしまったわ…
それから主人公の親父。
娘を乗せた車にマスコミがハパラッチよろしく群がってきたとき、激怒した親父が車を爆走させてマスコミを引き剥がしたのはいい。
それが大した距離でもないのに何故かマスコミが追いかけてこないことも、今時どうかと思う「カシャ!カシャ!」みたいなカメラカメラしたカメラ音も、気になったがまあ許そう。
しかしそのすぐあとの別のシーンで、「マスコミの取材を受けよう」ってアンタ、一体どういう了見だ。
いくら交換条件で義手がタダでもらえるとはいえ、マスコミから娘を守ったさっきの親父とこのオッサンが、どうしても同一人物には見えない。
そもそも、娘はそんなに義手欲しがってたっけ?
ここはたとえば、娘が独断で取材を取り付けてきて、家族、主に親父に反発されつつも義手の必要性を切実に訴える、とか、いろいろ他に手はあるだろうに…。
最後に本当に一番腹が立ったボランティアのシーン。
大会で負けたショックでサーフィンを辞めかけるほど落ち込んだ主人公が、スマトラにボランティアに行く。
そこで、津波のトラウマで海に入ることはおろか、笑うことさえ出来なくなった少女と出会い、その少女を癒すことで主人公も立ち直るみたいなシーンがある。
いやいやいや、そんな波打ち際で水パチャパチャやったぐらいで、トラウマ受けた少女が海に入るわけないだろ。
入っちゃうんだけどね!
せめて主人公の天才的サーフィンテクに少女が魅了されて…とか(それもどうかと思うが)の展開の方がまだしもだよ。
正直、津波を舐めてるとしか思えない。
他にも色々あるけど長すぎるからこの辺で。
とにかく題名の通り、少なくとも劇映画としては駄作。
映画内で説得力を持たせる努力をきちんとしてないから、ただのご都合主義にしか見えない。
エンドロールで流れていた実際の映像を使って、ドキュメンタリーにした方が良かったと思う。
気持ちのいい涙
腕をサメに食べられてしまった13歳の女の子が、退院即サーフィン復帰という日本では考えられない行動をとっていたのでびっくりした。
しかも怪我をする前に地区大会まで勝ち進んでいて、腕がないのに猛特訓をして大会に出場していたのでなお魂消た。日本では大会側が出場させないだろう。そこで手加減しないライバルに「あの人は私を対等に見てくれた」と感謝する主人公のガッツにも驚いた。
しかし地区大会での惨敗に心が折れてしまうのだが、どう考えても出場したりするどころか、サーフィンが出来ているだけでも凄すぎるんだけど、彼女の目指している地平の次元が違いすぎて本当に凄い。パラリンピックではなくて、障害のない人、しかも相当な実力者に打ち勝とうとしているのだ。一点の曇りもなくサーフィンが出来ると思っていて頑張れば勝てると思っていた。ところが負けてしまったため、心が折れてしまったのだった。
そんな主人公がタイの津波被害ボランティアに行った際、それまで自分の事しか考えていなかった彼女が初めて他者のために気持ちを振るわせる場面があり、それが心の成長となり復活につながるところなどベタなのだがとても感動してしまった。
そして大会に再び出場する際の猛特訓のド根性ぶりに涙が溢れて、大会での素晴らしいパフォーマンス、友情にも感動して涙がとまらなくて困った。人を応援していて感動して泣くというとても気持ちのいい涙だった。何から何まで想像を絶する驚愕の映画だった。
サーフィンのダイナミックな映像を楽しみながら、ハンディに負けない人間の勇気に感動できる作品として特選します。
圧倒的な映像美と実在のプロサーファーのベサニー・ハミルトンのどんな困難にも不屈に乗り越えていった実話を元にしたヒューマンストーリーで、劇中何度となく感動した作品となりました。
不屈の精神とはよく使われる言葉。でもこの映画のモデルになったハワイ出身の世界的著名なプロサーフアーであるベサニー・ハミルトンにとって、それは余りに過酷な現実だったのです。なぜなら僅か13歳にしてサメに襲われて片腕を失っていたからでした。
ベサニーは両親に海から産まれてきたと言わしめるほど、幼女時代からサーファーを初め、天性の才能を発揮します。本作の前半は、ベサニーにとってサーフィンがどれほど人生に欠かせないものか、徹底的に描き込み、地区のサーフィン大会で優勝するところを描いて、彼女のプロサーファーとしての未来に限りない希望と光りを描きだします。
そんな希望に満ちたベサニーのサーフィンシーンをカメラは、ハワイの抜けるように透き通ったブルーを基調に、空と海と大地から俯角したワイドな視点から、スリリングに
切り取っていきます。波の下を潜り抜けるローリングスルーでは、青い波の外苑を、白いストライプが抜け出ていくような疾走感を感じさせます。
ちなみに試写を見たベサニー本人は、一部のサーフィンのシーンを納得できない箇所があったようなのです。もっといいサーフィンができるのに!と主張して、なんと映画が完成した後に、撮影隊とベサニーがタヒチに行って、本人ががスタントをやってシーンを撮り直して、ベストなサーフィンシーンを再現したそうなのです。
競技のサーフィンを知らない一般の人が見ても、「どうやって撮っているんだろう!?」と感動してしまう見事な映像でした。
また、事故を乗り越えて再び大好きなことに挑戦するストーリーは、とかく感動作に仕上げようとして情緒過多になることが多いものです。しかし本作は、ベサニーが立ち直るポイントを後半のラスト近くに置いて、抑制を利かせて淡々と描きます。前半はむしろ前途洋々の希望に満ちた事故前の描写が殆どでした。そして事故後は、ベサニーが片腕を失った日常を細かく描いて行きます。たとえ左腕一本でも服を着るのも、料理するのも、今まで当然に出来たことが出来なくなる、そんな辛さをめざとくマクナマラ監督は捉えていくのです。でもその視点は、どこまでも温かいものでした。なぜならそんな絶望感も、試練もやがて来るベサニーの歓喜のお膳立てとして、敢えて加えたものに過ぎなかったからです。
辛いのは、腕を失っただけではありませんでした。外にはいつでもマスコミが勝手に押しかけて取材しようとします。街の人からは好奇の目で見られます。何もかもが、事故の前の普通の暮らしからガラリと変わってしまいました。たから、ベサニーの投げ出したくなる気持ちはよくわかります。それでも、監督はたたみ掛けるように、ハワイ大会での惨敗ぶりを、これでもかと描き続けるのです。
それでも悲劇に負けず、夢を追いかけるベサニーのファイトはどこからわいてくるのでしょうか。
やはり大きいのは、家族の愛ですね。両親はそんな彼女をありのままに受け入れ、愛情深く包み込むのです。父親の支えは、大きかったと思います。また見知らぬ人たちからのたくさんの手紙が、ベサニーを勇気づけます。彼女は、自分がサーフィンで頑張れば、いろんな人たちに元気を与えられることに気づいていくのでした。
そして何よりもベサニーを支えたのが信仰でした。ハワイ大会で惨敗し、プロになる夢も絶たれたかと思い込み、落ち込んだベサニーは父親とのやりとりで、「なぜ神は私にこんな試練を与えるのか」と嘆きます。父親からの励ましに、どんなに展望が見えてこなくても神を信じ、神に全託し、「静かに神の声に耳を傾けてみることにしたわ」という台詞は、きっと無神論の方でもそうかもしれないと心を動かされることでしょう。
べサニーには相談相手として、教会の活動リーダーであるサラがいました。彼女の前でべサニーはサラにも、これが神の与えた試練なの?と涙を流して苦しむをぶつけます。けれども、その後の経験を通して、サラが言う「物の見方(perspective)を変える」ことを学んでいくのです。「映画の中で、もし腕を失う前に戻れるとしたら? という記者からの質問を受けるんですけど、ベサニーは『過去は変えられないけれど周りのサポートや愛を抱えきれないほどもらっている』と答えているんですね。そんなベサニーの不屈の信仰の言葉には、個人が逆境から悟った心境が素直に語られるから感動してしまうのです。
ベサニーに決定的な立ち直りの変化を与えることになったのが、04年12月のスマトラ沖地震による津波の被害を受けたタイのプーケット島にサラと共にボランティアに出かけたことです。
教会の海外支援活動中に、独りの孤児にべサニーは出会います。その子供が、家族全員を失ったと嗚咽しながら涙を流すとき、ハッとなったべサニーは初めて、不幸に囚われていた自分の心境の間違いに気がつくのでした。孤児の涙に、呆然と立ち尽くし、涙を流すすだけの演技です。でも、その中にべサニーが立ち直るために必要な気づきや自分の運命に対する見方を変えるのに必要な全てを織り込んでしまったマクナマラ監督の演出が秀逸です。
そしてこの島で、べサニーは子供たちにサーフィンを教える喜びを見いだすのでした。
特訓を積んで迎えた全国大会の日、ベサニーはライバルと接戦を演じ、残り少ない制限時間の中で心を静かに集中させ、巨大な波をとらえるサーフィンシーンは、まさにストーリー的にも映像的にも神かがり的。見ているだけで目頭が熱くなりました。信じ抜くことで起こせる奇跡ってあるものだなと感じた次第です。
エンディングでは今もプロサーファーとして活躍するベサニー本人が、「信仰があれば、どんなことも乗り越えられる」と語りかけてきて、スクリーンに映し出されるベサニーに嘘偽りがないを、ベサニー本人の輝きが証明してくれました。
演技面では、ベサニー役のアナソフィア・ロブがひときわ輝いていました。天真爛漫で涙ひとつ見せずに試練と向き合う明るく強いヒロインを作り上げていて、好印象です。事故当時のベサニーよりは年長に見えますが、サーフィンに熱中して笑顔がはじけると、見ている方まで勇気がわいてきました。
片腕の「クロマキー合成」は素晴らしく、女優がホントに片腕ではないかと思ってしまう程に、最近の合成技術は素晴らしいと思う。
サーフィンのダイナミックな映像を楽しみながら、ハンディに負けない人間の勇気に感動できる作品として特選します。ちょっと萎えていた気持ちも、頑張ろうと肯定的な気分に変わることでしょう。
最後に、神を信じることの素晴らしさを大上段に構える作品もありますが、それより本作のような、静かに神の声に耳を傾けることをさりげなく気付かせ、予定調和にせず、感動が静かに盛り上げてくれる展開のほうが、より多くの悩める人の心を掴みやすいものだと感じました。
清々しいスポーツ作品、観て良かったです
片腕のサーファー、ベサニー・ハミルトンの実話を映画化。映画の公開楽しみでした。
清々しいスポーツ作品、観て良かったです。
家族環境もあって、幼い頃から海と向き合ってきたベサニー。幼馴染のアラナとお勉強したり、パーティーに憧れたり、子供らしい所もあって可愛いです。
厳しい試練の時、家族に見守られながら、彼女にしかできないことをつかみ取る課程に感動しました。
TVで見たご本人のインタビューが明るくて、かっこ良くて。「私がスタントの時は、腕のCG処理しなくていいのよ」なんて。
彼女たちは今20代、もちろん現在進行形。そんなところも垣間見せてくれて、心から応援したくなりました。
ハワイの海と波も主役級。いつもの通り字幕が読みやすい後ろ寄りで観ましたが、もっと波を感じられる前の方でも良かったかもなと途中で思いました。
全47件中、21~40件目を表示