一命のレビュー・感想・評価
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奥行きを感じる作品
奥行き....まずは3D。
時代劇初の3Dということだが、「飛び出てくる」というよりも「奥行きを感じる」という感じ。
日本家屋独特の室内の陰影を表現するのには効果があったように感じた。
そして作品。
これはもう、何とも哀しい。
誰も救われない。
「一命を賭して」訴えた叫びも、封建の澱んだ空気の中にかき消えてしまう。
生き様は感じるところがある。
「武士」の生き様。「愛するものを守る」男の生き様。
しかし、それは時代の大きな流れの中ではあまりに非力で....。
家族の愛、武士・男の生き様、「時代」の悲劇、色々なことを考えさせられる作品だったな。
生きのびて春が訪れるのを待っていた津雲半四郎の物語り
井伊家の体面ばかりを気にする輩と,それに抗えない無言の共犯者たち.そして,全てを失った時に自分自身も刀という武士の体面を捨てきれなかったことに気づく浪人武士の半四郎.戦国から太平の世へと変化する社会の中で,こびりつく価値観や因習によって引き起こされる悲劇の物語り.
求女の無邪気だが凛とした所作が良い.美穂が持ってきてくれたまんじゅうを食べるシーンは,なんともさわやかで,うまそうである.そして,圧巻は半四郎である.死の床にある友人に障子をあけてほしいと頼まれ,豪胆にかつ無駄なく開けてみせる所作は美しい.同情を通り過ぎて嫌悪感すら抱くみすぼらしい貧しさの体現者である美穂の描写と対照される.
何人かの虚栄心とそれに物言わぬ人らによって絶望が作り出されていることを描く,胸をえぐられる作品であった.
下記から内容の詳細を含む ----------------
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戦国から太平の世に移り変わる中で,半四郎がつかえた藩は理不尽な取りつぶしにあい,半四郎は浪人武士になってしまう.取りつぶしの直後に亡くなった同じく家臣である千々岩の息子・求女(おとめ)をひきとり,自分の娘の美穂と3人で貧しい生活をする日々.
年月が経ち,求女と美穂も成長する.美穂には良家から嫁の誘いがあるが,半四郎は頑なに拒む.求女と美穂が好きあっていることを察していた半四郎は,求女に美保を嫁にもらって欲しいと頼む.「2人の気持ちが大切なんだ」と.
求女と美穂は結婚し,息子のきんごを授かり,幸せもあるが,貧しい暮らしが続く.求女は金の工面をするために学問書の手に質屋へ.しかし,学問書ではわずかな値打ちにしかなない.質屋に「刀を売ってはどうか」と打診されるが,求女は「無礼であろう」と一蹴する.
ある時,求女は,息子・金吾を医者に見せるための三両に困り,やむにやまれず井伊家を訪れ,狂言切腹におよぶ.武士としての体面が重要である井伊家は武士が狂言におよぶ流行りの風習をよしとせず,温情はない.求女が帯刀していたのはすでに刀ではなく竹光であったが,その竹光で自害を遂げる.
息子の金吾は命を落とし,美穂も求女の遺体が運ばれた夜に,切腹に使われた求女の竹光で自害する.
求女が竹光で切腹したことを聞いた半四郎は,求女が妻子のために武士の体面である刀をとうに捨てていた事に気づく.義理の息子,娘,孫,すべてをなくした半四郎.残った自分の刀.この時代で娘の恋愛結婚を積極的に認め,体面を気にせずに家族を大事にしてきた半四郎だけに,1つ残る刀は大きな悔恨である.
井伊家の体面ばかり重要な輩がいて,そのほか大勢も声をあげられない無言の共犯者である武士たち.そして,半四郎自身も刀という武士の体面を捨てきれなかったことに気づく.
戦国時代が終わり平和が続き,もはや実力で立身出世を勝ち取る武士の世界ではない.しかし,大名にめしかかえられた武士たちにとっては,いまだにそれが実力によって勝ち取ったという自負と誇りなのである.また逆に多くの浪人武士たちにとっても捨てられずにしがみつく体面なのである.それは浪人武士たちへの蔑みにもつながり,そして浪人武士たちは卑屈にもその蔑みを甘受する時代である.
半四郎は,井伊家の武士を前に,この浮き世の中で少し事が違えば,息子の求女が井伊家の家臣としてそに座っていたかもしれないと説く.それは決して自分たちの窮状を訴えたかったのではない.個人の窮状は時の運もあり仕方のないことである.しかし,多くの武士がいる中で,なぜ誰一人として求女の窮状を尋ねる者がいなかったのか,哀れを叫ぶものがいなかったのか,その事を問いただす.また,武士の体面とはもはや建前に過ぎず,守るべき誇りではないことを説く.
最後,半四郎は,武士の体面の象徴である 飾られれた「赤備えの鎧」をこわしてみせ,それを最後に観念した半四郎は切られて死ぬ.しかし「赤備えの鎧」は,井伊家の家臣たちによって繕われ,何事もなかったかのように再び飾られ,変わらない現実が続いていく.映画はここでおわる.
見終わった後,なんとも胸をえぐられ,しばらく言葉を失ってしまう映画であった.誰かと一緒に見に行ってしまうと,その後を保証できないが^^; 是非見て欲しい作品.
武士道の悲哀と理不尽さが充分に伝わってこない
長くなるので結論から言うと、市川海老蔵が若すぎる。時代考証的には孫がいてもおかしくない年齢かも知れないが、見た目が若い。海老蔵の役を役所広司がやってもいいくらいだ。いや、その方がぜったいしっくりくる。
この話は、そもそも井伊家にしてみれば迷惑な話を、狂言切腹を企てた方に感情移入させなければ成立しない難しさがある。
ところが、切腹を申し出た浪人に対し、武士として体面を計らったとする井伊家家老の言葉の方に重みを感じてしまう。それは、役所広司という俳優の実直な人柄だ。この人が言うのだから、もっともだと聞いてしまう。
海老蔵扮する浪人の、「武士としての情けはないのか」という言葉の方が、何を勝手なことをと、逆に理不尽なものに聞こえてしまう。
役所と海老蔵の声質の違いも大きい。海老蔵の声はトーンが高い。落ち着いた低い声の役所の言い分が正道に聞こえるのだ。
確かに井伊家の若い侍に情けのカケラもないのかと怒りを感じるが、そもそもの発端は当家とはまったく関係のない武士による切腹の申し出だ。
これを覆すには、それ相応の演出と演技力が必要だ。皆が皆、狂言切腹に追い込まれた浪人に無条件で同情するわけではない。なぜなら、これは武士道を描いた映画だからだ。
「武士に二言はない」という言葉があるように、一旦口に出した言葉は守らなければならないという武士社会の鉄則がある。武士たるもの、軽々しく口に出してはいけないという戒めだ。武士がたとえ狂言にしろ切腹を申し出るならば、万が一にも先方が受け入れたときのことを覚悟してコトを起こさなければならない。そもそも茶菓が出された時点で覚悟を決めなければおかしい。これは今生の別れに対する最後のおもてなしだ。
太平の世で、それも分からないほど甘ちゃんになってしまった武士を瑛太が好演している。瑛太はよかった。ホントに切腹しなければいけないと悟ったときの狼狽えぶり、竹光を無理に腹に突き立てる切腹の苦しさ、介錯を懇願する表情といい、今作でのベストキャスティングだ。
この若い武士の切羽詰まった心情、それを語るのは求女(瑛太)自身ではない。海老蔵扮する津雲半四郎の役目だ。この作品の主人公は津雲半四郎だ。
困窮する浪人の心情を訴え、それでも武士の魂を捨てずにきた男が、仕官して安泰な暮らしを貪る武士たちに、敢えて竹光で刃向かう。そこに一介の浪人の意地を見せられるかが、この作品の勝負どころだ。
そして、その前哨戦こそが前半の家老(役所)の逸話に対して切り返す、後半の半四郎(海老蔵)による身の上話なのだ。建前ばかりを重んじ虚飾された武家社会に対して、上辺だけの武士道など切り捨てるには竹光で充分だと、語らずとも分かるよう観る者に刷り込んでおくための大事な大事な前哨戦だ。
そういえば、役所と海老蔵、ふたりとも同じテレビ局で宮本武蔵を演じている。役所広司の武蔵は相手との間合いを読む野性的な精悍さがあった。やはり、役所広司を半四郎に据えた方がよかったのでは? その役所も、多少の無体さを装うべき家老の役には合わない。
求女(瑛太)と家老(役所)の立場を、それぞれが飼っていた白猫で表現した演出はイケてる。
3Dはまったく必要なし。重いメガネを掛けて観るだけのメリットがどこにあるのか?
偉大なるミス・キャスト
市川海老蔵という歌舞伎役者は、梨園随一の美形であることは、間違いない。高麗屋・音羽屋・中村屋・澤潟屋のどの御曹司と比べても、美形である。それは誰もが認める点である。ところが、歌舞伎用語で言うところの「口跡」が良いかと問われると、これは「良くない」ということで、これまた衆目の一致するところである。すなわち、低音で発声していても、声が裏返ったり、高音が抜けてしまって、なんとも言えず軽くなってしまうという致命的な欠陥を抱えている。
今回の作品「一命」でもこの弱点がところどころに見られ、一気に興ざめになる場面が散見された。
だれがどう考えても、半四郎は役所広司の任であろう。役所で観たかった。前作でも仲代達矢と岩下志麻が親子には思えず、今一つ入っていけない部分があったが、今回も海老蔵・瑛太・満島ひかりが親子には思えない。
3Dの必要性は感じない。ラストの雪のチラつきで「あっそうか」と思い出した。美術と照明は相変わらず良く、「13人の刺客」の前半部分を彷彿とさせた。三池監督は、屋内場面もしくは閉ざされた空間の演出は、見事だと思う。
いずれにせよ、市川海老蔵はミスキャスト。演技がくさ過ぎる。
武士とは、不自由なものでありますね。
市川海老蔵さん。瑛太さん。満島ひかりさん。
実は、私は、この3人が苦手だ(歌舞伎役者として舞台に立つ海老蔵さんは別にして)。
それでもこの作品を見に行こうと思ったのは、「一命」という題名に惹かれてのこと。
相変わらず、事前情報が少ないまま見に行ったけれど、私が想像したストーリーと大きな点で、違いはなかった。
けれど、こんなにも私を惹きつけたのは、役者さんと監督のおかげだろう。
四季折々の美しい日本。
雨、紅葉、雪、風、苔、石・・・。
大名屋敷のあらゆるところある芸術的な飾りや小道具。
行儀作法の美しさ。
それと対照的な貧しさ。
食べていけるか、食べていけないか、そんな生活の基盤の違いが、武士としての覚悟にも関わってくる。
海老蔵さんは、存在感が有り、歌舞伎で鍛えた声の出しかたが、絶妙!!
サムライとしての容姿も納得。
役所さんも、最初は良いのか、悪いのかわからない役を好演。
竹中直人さんには、もっと活躍してほしかったけれど、この内容では、出すぎず良かったのだろう。
坂本龍一さんの音楽も、出すぎず、足りなさすぎず、しっとりとして良かった。
監督は、外国人の目を気にして作られたのかな~?! なんて思う所があった。
武士道とは、窮屈なところもあるが、今の日本人に必要な点も多くあると思う。
そんなことを、思いながら劇場を後にした。
鬼気、迫る
「ゼブラーマン」などの作品で知られる三池崇史監督が、歌舞伎界のスターである市川海老蔵を主演に迎えて描く、時代劇。
テキーラがたっぷりと注がれた灰皿を、武士の魂である刀に持ち替えて挑む市川海老蔵の意欲作、いよいよ公開である。
とにかく度肝を抜く派手な戦争描写をもって、観客の賛否両論を巻き起こした三池監督の過去作「十三人の刺客」。ここで印象的だったのは、主役級の豪華俳優陣を泥だらけ、血だらけにすることでスターの個性を徹底的に打ち消してしまおうとする意図だった。「所詮、駒」と言わんばかりに武士諸々の最期を淡々と描くことで人間の悲しさ、小ささを痛切に語る非情さが強い作品である。
対して、本作である。もう、息苦しいほどに登場人物に寄り添うアップの描写で作られた家族のささやかな幸せと、悲劇。「十三人~」とは全く正反対の視点で描かれているのは明白である。
市川海老蔵と、瑛太。活躍するフィールドは違えど、それぞれに時代を代表する若手のスターのもつ輝き、滲み出る野性味がぎらぎらと光る瞳をもって強く、潔く引っ張り出される。
没落武士としてつつましい生活に甘んじながらも、ささやかな幸せを噛み締めていたある家族に起こる、悲劇。大変に分かり易い物語の展開ながら、その悲劇に打ちひしがれる二人の男が見せる表情が、鬼気迫る血眼と痛み。坂本龍一の語る静かな音楽に導かれ、その静かな絶望が観客の困惑と関心を招く。ここにあるのは、誇りを吐き違えた人間への批判。悲しさ。
そう、形は違えど三池監督の冷徹なメッセージは「十三人~」と相通じるものがある。所詮、駒、なのである。
何でもありの時代劇という表現手段をもって、いかに伝えるべき言葉を描き出すか。平成の奇才、三池崇史が先陣を切って新しい時代劇の在り方の再模索が始まる、そんな期待が持てる作品だ。
哀しみの果てに。
市川海老蔵の気迫と,瑛太の優しさが良い。
それ以上に満島ひかりの存在感がスゴい。
彼女の悲愴感の体現が素晴らしいからこそ,
半四郎と求女の覚悟を際立たせていた。
痛みと哀しみを伝える場面の数々と,
鮮やかな四季の景色が
”人間の尊厳とは何か”を伝える復讐劇。
なかなか、奥が深い
「一命」を観て来ました。ちなみに観たのは3Dではなく通常版です。
やはり予告を見てのとおり、少々重たい内容でした。とてもデートで見に行く映画ではありませんヾ(^o^;)
映画の内容ですが、今を見せて過去にさかのぼっていく見せ方で、ストーリーは飲み込みやすく、ほぼ前半のあたりで先が読めてしまいます。しかしそのわかっている中で進んでいく映像の魅せ方に細かいこだわりを感じました。貧しさを強調する為のカメラワークは感心させられました。当然主人公に共感させられ、かわいそうな気持ちでいっぱいになります。現代社会でも貧しいことが罪のようなことが多々ありますが、劇中「武士も血の通うた人間であろう」というセリフにはグッとくるものがありました。
映画の中では命をかけて家族を守るという事が、言葉だけでなく本当にそうしたことが命について考えさせられます。クライマックスでは、武士の生き様というセリフが、いかに都合の良い時だけもてはやされ、実際その志をもった武士がいるのか?という矛盾を問いただす点は映画の一番の見所だと思います。ここで雪をふんだんに降らせ冬を強調します。最後の主人公の言葉に重みを持たせるために…
ラストシーンで殿から「甲冑を手入れしたのか?」という問いに、武士のご都合主義丸出しの答えにはあきれさせられる。
この映画が世界から評価されるのも、武士の生き様=日本人古来の考え方というわかりにくい構図があるからだと思います。日本人しかわからないだろうなぁって事がこの映画では沢山描かれています。日本人ってどんな人種?という問いに、これがその答えだと言っているようにも感じられる作品です。
そうそう余談なんですが、この作品の三池崇史監督とは誕生日が一緒だったりするんですよね!ちょっと共通点があるだけで、応援したくなります。今後も監督の活躍に期待してます(*⌒0⌒)b
劇場でしか体感できない逸品
小林正樹の「切腹」と比べてしまうとさすがに分が悪いが、死屍累々の邦画が量産される中、クオリティと映画館で観る意義をともなった、近頃希有な映画であることは間違いない。
何より海老蔵の存在感が素晴らしい。そしてそれを受ける役所広司の器の大きさや瑛太の熱演、満島ひかりが映画にもたらす不協和音が加わって、何とも豪華な役者のアンサンブルが心地よい。
劇場を出て、「映画を観たなぁ!」と思える1本。
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