劇場公開日 2011年9月3日

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監督失格 : 映画評論・批評

2011年8月30日更新

2011年9月3日よりTOHOシネマズ六本木ヒルズほかにてロードショー

凄絶な愛と死の記録に、観る者さえも正気を失う

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打ちのめされるという言葉では足りない。観る者さえも正気を失うセルフドキュメンタリーだ。起きてしまった偶然はあまりにも劇的だが、鼻白む余地などない。生々しく残酷なビデオ映像の中で、なりふり構わず自己をさらけ出す表現者の喪失と苦悶の凄まじさは、観客が安全地帯にとどまることを許さず、当事者へと変えるはずだ。

監督平野勝之が、長年にわたって撮り続けてきた女優林由美香との抜き差しならぬ関係。ビデオカメラの前で日常を晒す行為も、二人にとっては表現に違いない。情実を優先し映像に収め損ねると、女優は「監督失格だね」といさめ、その言葉に負けまいとするかのように、結果的に忌わしき日にも録画ボタンは押されていた。それから、凄絶極まりない喪の仕事が始まる。最愛の人を失った者が、立ち直るために必要な負荷。それは偶然撮ってしまった死を追体験しつつ、由美香への愛とは何だったのか、監督とは何者かと問い直し、自らのはらわたを引きずり出すようにして本作を完成させる七転八倒のもがきである。

前半部分は、平野が以前発表した作品を再編集したものだ。本作をプロデュースした庵野秀明は、自作を再構築する経験を平野に課したことになる。それは「ヱヴァ」と同じく、過去にけりを付け、悲壮を反転させて自作を乗り越える闘いだ。庵野は平野を精神的にとことん追い詰めたというが、その成果は、自己完結することなく人々に突き刺さる映像に表れている。偶発的な映像による愛と悲しみの累積が、フィクションには到達し得ない境地へいざなう。覚悟して観るがいい。どん底から這い上がる生の煌めきは、生半可な死生観など粉々に破壊するだろう。

清水節

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