アリス・クリードの失踪 : 映画評論・批評
2011年5月31日更新
2011年6月11日よりヒューマントラストシネマ有楽町ほかにてロードショー
小さなほころびから破綻を呼び込む鮮やかなストーリーテリング
登場人物は3人だけ。ということに終わってから気づいた。見ている間はそんなことを意識する暇もなく、予想外の展開と目まぐるしく変化する3人の力関係に目を奪われていたからだ。特に、冒頭の誘拐シーンは、計算され尽くしたプロの手際に惚れ惚れ。誘拐に使う車の準備から、監禁する部屋の改装、被害者の親に脅迫状を送る段取りまで、犯人2人の行動は完璧で無駄がない。言葉も交わさないから彼らの関係も分からない。
ところが、3番目の人物、被害者のアリス・クリードのキャラクターが明らかになったとたん、それまで完璧だった犯罪マニュアルに突然違和感が走った。いかにも場末の女といった雰囲気で大金持ちのお嬢様にはまったく見えないのだ。
人違いのミスを犯したのか。ひと度その疑念が頭をもたげると、リーダーらしき中年男の切れそうな危ない目つきも、若い方のおどおどと落ち着きがない態度も、全てが怪しく見えてくる。完璧な犯罪からウソと騙し合いの泥仕合へ。小さなほころびから観客の感情を突っつき、破綻を呼び込んでいく鮮やかなストーリーテリングだ。しかも、その破綻によって顕わになるのは、クライムサスペンスというより愛と性のせめぎ合いだ。加害者が悪者とは限らない。かといって被害者にも同情できない。観客としては感情の持って行き場がないのだが、娯楽サスペンスとしての面白さは極上だ。
(森山京子)