ラビット・ホールのレビュー・感想・評価
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神を信じられなくても
誰もが悪いわけではないのにお互いに傷つけあうという結構きつい映画でしたが...。
後半の、ベッカ(キッドマン)は神を信じる者を蔑視しているのだが、ベッカ本人は「科学を信じると幸せな気持ちになれる(マルチバースがあるならきっと幸せなバースもある)」と言うシーン。この逆説的なシーンにちょっと感動しました。それぞれの演技が光っていました。良い映画だと思います。
とっても優しい優しい映画だった
ラスト五分、涙が洪水のように溢れた。
山を越えた、究極の悟りのような結末が、素晴らしかった。
どん底の先の先に待っていたのが、
こんなにも静かな凪のような時間だなんて。
二人のあまりにも大人過ぎる決断に、涙が溢れる。
どうか、夕日の暖かさが、彼らの心を温めますように。
また、ポケットの石を忘れるような時間が、彼らに訪れますように。
悲しみは無くならないが変化する(セリフから)
製作というのはどんな作業なのかよくわからないが、キッドマンが製作にも関わっているという本作品。
なかなか、だった。
淡々と展開するが、子供を亡くした親の家族、近所の人、職場の同僚、被害者の会(多分)、いろんな立場の人達との関係や感情が複雑に入り乱れる。
会話の端々、目線など、細かいところに気が配られてると思った。
ただ、前情報無しで観たら、もしかしたら最初は理解出来なかったかも。汗
「事故」についてはほとんど映し出されない。
スクールバスに乗っていた男の子を見かけた時も、事故を起こした子だとは…なかなかないシチュエーションだろう。
(セッションであんなに激しいドラムを演じることになるとは想像もつかないマイルズ…モサッとした感じで一見普通過ぎて見過ごそれそうなのだが、何か特別なオーラがあったのだろうね)
公園のベンチに座る2人。
普通は感情的になりそうなものだが…あれだけ旦那さんとギクシャクしているのに、彼とは穏やかな雰囲気で。
そこがちょっと不思議だった。
もっと感情が揺さぶられる気がするけどな。
未成年が起こした事故だから?
原因が飛び出しだったから?
彼が責められるシーンは一切無い。
絵本(コミック本)を届けるためにオープンハウスに来た時の、旦那さんの反応が普通の人のものかなと思う。
卒業式に出かける彼を見かけた後に車の中で激しく泣いていたが、どういう感情の変化だったのか。
あそこでようやく吐き出したことで前に進めるようになったのか。
タイトルにあるラビット・ホール(絵を描いているシーンが好き)を描いていた少年のに事故の影響はあったのか?
気になるどころだが、私にはそれはほとんどないように見えた。
そしてそれが母親の感情を逆撫でするというわけでもなくて。
当事者(子供を亡くした人)以外には時の流れが強く影響するのかもな、と。
パラレルワールドとの結びつけはやや強引で難解な気がしたが、事故で子供を亡くした親の悲しみを丁寧に描いた、いい作品だと思った。
エリック・クラプトンTears in Heavenが頭の中で流れて止まらない…。
ミッチェル監督は、重くリアルに描かれがちなテーマを、おとぎ話のよう...
ミッチェル監督は、重くリアルに描かれがちなテーマを、おとぎ話のように、そして心に刺さるセリフを散りばめて見せてくれる。有能なセラピストみたい。
ミッチェル監督は、重くリアルに描かれがちなテーマを、おとぎ話のよう...
ミッチェル監督は、重くリアルに描かれがちなテーマを、おとぎ話のように、そして心に刺さるセリフを散りばめて見せてくれる。有能なセラピストみたい。
ポケットの小石に変わるまで
交通事故で息子を亡くした夫婦。
8ヶ月経っても二人は息子を亡くしたあの日の最中にいる。
愛らしい小さな指紋の跡すら、失神してしまう程の喪失感を伴う。
大火事に巻込まれた重傷患者のように、心の中はけたたましい火傷が巣食う。
毎日毎日、時間をやり過ごすだけで精一杯の日々。
一秒たりとも苦しみは彼らを見逃してくれない。
痛みに麻痺した心は、誰彼かまわず傷つけてしまう。
皮肉なくらいに、彼らを包む太陽や空や花々は優しく温かい。
毎日毎日積み重ね、半年、1年、3年、5年とかけ傷は乾いていく。
彼女の母親も10年前、麻薬中毒で息子を亡くした。
胸を覆いつくす重石がだんだん軽くなり、ポケットに入るまでに小さくなった。
悲しみも痛みも、息子が可愛い笑顔と共に遺してくれたから耐えられる。
加害者の学生を町で見かけて、思わず車で追いかけた。
彼は正直に誠実に事故のことを話し、その瞳は虚ろだった。
当り散らし口論できる家族がいるって安堵感を与えてくれるのだな。
二コール・キッドマンの力強く繊細な演技に揺さぶる力あり。
心が折れてしまったら
夫婦は最愛の息子を亡くし、8か月。辛くて苦しくて出口のないトンネルで立ちつくしている。家族や周りにやつ当たりしてしまう妻。救いを求めて外へ出る夫。手を取り合って前へ進めればよかったけれど、気が付けばいさかいと背中合わせの日々に。
このお話はここからがスタート。小さいことのひとつひとつを救い上げるエピソードが観ているこちら側にも身に染みる。あることがきっかけ(それは意外な事)で、ようやくかたくなな心がほぐれだす。夫も妻のかすかな変化に寄り添う。
それから…それから… なんとかなる。
夫婦役のニコール・キッドマンとアーロン・エッカートが良い。初回、鑑賞時にはもっと奥行のある設定の方が共感しやすいのに~と思ったけれど、2回目観たら、これこそが、いいんだ~と、素直に思えた。共に生きる人と観たい作品です。
悲しみは無くならない。
けれども大きな悲しみは小さくなる。
子供を事故で亡くした悲しみは自己嫌悪と
止めどない悲しさにくれるだけ。
主人公夫妻のひとつひとつの行動や、
セリフが身にしみます。
事故のシーンをわざと見せないのが
ポイント。
子供を亡くしたらどうなるのか
見せつけられた作品でした。
Mrs Dalloway へと…
不慮の事故で最愛の息子さん(4歳)を亡くされた、本来なら最も脂の乗り切った人生を謳歌していたであろう夫婦。喪失の やり切れない苦悩に まみれた再生への“終わらぬ”道のり。
『メタルヘッド』の様に Hesher に横っ面に激烈な肘鉄を喰らわされる訳も無く(笑)、肉親だか友人だか誰だか同士、思い遣りとも憎しみとも見える矛先の乱れた歪んだ感情を ぶつけ合い摩耗して行く日々。そんな中、諦めとも逃避とも掛け離れた静かなる戦いをただ ひたすらに続ける姿に思わず感服する。
自分で固結びしてしまった心を解けるのは自分自身だけであり、ひ と ま ず 手 を 触 れ た Becca の“その後”が、Mrs Dalloway へと繋がらなければ良いが……。
記憶を洗い流す浄化クリーンアップ闘争
ロマンチックな、でも悲しい過去を、どう洗い流すかの瀬戸際に
現代人のエネルギーを消化するすべを、生活の渦中であらがう
葛藤のロマン
優しい流れの上で、涙を誘う そこここの仕組みに足を取られる共感が、
命の燃え炎を持って、胸に迫るとき、
車社会という「恐竜の眠りから覚めた恐怖の存在」が飲み込むように感じられ、
逃げられない 心のしなやかさ故の、動物的強靭な反動が、ドラマチック・クライマックスである。。
秋らしい深まり
皆さん、こんにちは(いま11月8日pm3:15頃です)
自分の行動がわからないってとき、ありますよね。
常識的には変だ。
論理的にはおかしい。
でも、そうしてしまう。そういうこと、ありませんか?
人間は制御した世界に生きている。
自分を自分でコントロールして生きている。
でも、突然、そのタガが壊れてしまうってこともある。
それは予期せぬ、偶然の出来事でそうなってしまう。
ニコール・キッドマン演じるベッカは子供を交通事故で
なくしてしまった母親を演じている。
こどもの命を奪った学生との交流。
ふつうから見れば、なんてことだ!
愛するこどもの命を奪ったやつだぞ!
信じられないと思うだろう。
でも、彼もまた、その事件に傷ついていることを知り、
ベッカもなにか癒される。こころの安定を取り戻しはじめる。
あの事件を直視しはじめる。
そんなこころの闇と再生・・・それが「ラビット・ホール」
ニコール・キッドマンが押さえた演技の中で、
こころの葛藤を見事に現した映画でした。
よい映画を見た後の余韻が残りました。
キッドマンの抑制のなかに凄い気迫を感じる演技。だけど違いがわかる映画通でないと全く理解されない退屈な作品。
キッドマンの初プロデュース作品だけに、自ら主演したその演技は、抑制のなかに凄い気迫を感じさせました。スローテンポで変化の乏しい作品ながら、最後までスクリーンに釘付けとなりました。アカデミー賞主演女優賞にノミネートされただけの価値ある演技です。幼いわが子を失った母親の複雑な心情を、これほどまでに細やかに、ごく自然に演じられるものかという驚きと共に、その喪失感が胸に迫り、涙を禁じ得ないほどのものだったのです。
最近活躍する女優といえば、ナタリー・ポートマンばかり注目されてきたきらいがありました。彼女の主演した『ブラック・スワン』は確かに主演女優賞の価値ある演技でした。けれども劇的な『ブラック・スワン』に比べて、どこまでも抑制した喪失感を静かに演じる本作のほうが、演技の見せ方としては難易度は高いというべきではないでしょうか。 キッドマンの復活といってもいいぐらい、彼女の演技に賛辞を送りたいと思います。
ただ本作の前半に描かれるごくコーベット夫妻の日常が淡々と描かれるところは、耐えがたいほど緩さなのです。だから普段映画を見ない人やアクション専科の人などは、この前半で轟沈することでしょう(^^ゞ
残念ながら、本作の良さはある程度単館映画に通って、違いがわかる映画通でないと全く理解されない退屈な作品になってしまいます。けれども、身近な肉親と死別したことのある人なら、コーベット夫妻の喪失感は映画の退屈さを超えて、五感にひたひた迫るものを感じざるを得ないでしょう。ゆっくりとボディブローのように、本作は心の琴線に迫ってくるのでした。
そて物語は、妻ベッカのごくありふれた日常から始まります。ガーディニングに精を出したり、パーティをやったり、洗濯したり。後になって気がつきいたのですが、意外とこの何気ないシーンはラストの重要な伏線となっていました。当初は気にならなかったのですが、ベッカが家事に一心に打ち込む姿は、ラスト近くになってやっと明かされるひとり息子のダニーを事故で失った悲しみを忘れるためのものだったのです。
ストーリーは徐々に、コーベット夫妻の間にある確執を浮き彫りにしていきます。二人の間に何が起こったのか、この段階では伏せられています。ただ二人目の子供設けようとベッカに求める夫ハウイーの台詞におやっと感じました。そして8ヶ月も夫婦生活がないと嘆くハウイーのひと言に、8ヶ月前にきっと子供を失ったのではと暗示させてくれたのです。
その予感は二人が肉親を失った人たちのグループセラピーに参加したことで確信に変わりました。二人は大きな喪失感の中暮らしていたのです。
ベッカは、グループセラピーの参加者が執拗に神による救いを説教してくるのがうっとうしかったようです。また息子を失って以来、信心深くなっていた母親からの信仰のすすめにも耳を貸そうとしませんでした。小地蔵は、そんなベッカに気持ちがよく分かります。人生計画には人によって敢えて大きな悲劇を予定して、遭遇してしまうこともあります。本来自分が納得して決めたのにもかかわらず、いざ経験してみると、この世に神も仏も地蔵もいるものかと怨むこころになってしまうのも無理ならずやかなと思います。そんな不幸な人を見守る地蔵としては、申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまいます。
浮き彫りにされる夫妻の確執は、男女の感覚の違いを明確にして興味深かったです。ベッカの願いは、ダニーの記憶を消し去ること。そのために自宅まで売り払おうとします。一方、ハウイーはできるだけダニーの記憶を遺したいと願っていました。女は記憶をあっさり消したがり、男は執念深くいつまでも記憶にしがみつくものなのですね。
スマホからダニーの動画をうっかりベッカが削除したことで、二人は大喧嘩に。それはふたりの関係が修復不可能なところに来ていることを予感させるものでした。子はかすがいと申します。その大切な子供を突然亡くしたとき、夫婦関係にもヒビが入ってしまうものなのでしょう。
ふたりはそれぞれ癒しを求めて秘密を持ちます。ベッカは若い高校生を見つけてストーカーまがいのことをします。若い燕をつまむのかと思いきや、この高校生、これまで決して夫妻が許すことのなかった息子をひき殺した犯人だったのです。
その高校生ジェイソンが真摯に自分の非を見つめて反省して生きているところが、ベッカにとって救いでした。そして、ジェイソンが語るパラレルワールドが、ベッカの希望を紡ぐのでした。宗教は拒絶したベッカでした。でも、この広い宇宙のどこかにダニーは生きていて、幸せに暮らしている自分が存在するパラレルワールドがあると信じると、心が解けていくのでした。
本題の『ラビット・ホール』とは、ジェイソンが描いた手書きの漫画のタイトルだったのです。その意味するところは、パラレルワールドへの入り口。決して失望の穴に落ちる意味でなかったことが意外でした。
ハウイーもまた、グループセラピーで知り合った女性と彼女が勧めるマリファナに依存するようになっていきます。セラピー出席も口実となり、二人は密会しあう関係に。
そんな夫婦の危機と喪失感を救ったのが母親のひと言でした大きな岩のような悲しみでも、やがてポケットの小石に変わるという母親の言葉には胸を打ちました。何故なら、単なる説教でなく、母親もまた息子を失った同じ立場で語ったからです。その深い悲しみを、消したくとも消せず、それでも抱きながら歩んできた母親の絞り出すような言葉は、ベッカにも喪失からの再出発できることを訴えたのです。
ラストは、都合のいいような奇跡が舞い降りるハッピーエンドを避けたのが秀逸。それでもワンショットで夫婦の再出発をポジティブに描きだすところがなかなか憎い演出でした。
デンマークのスサンネ監督作品など、これまでの喪失ものは、どこかわざとらしさが漂よいがちでした。それだけに本作の抑制の効いた演出が、見終わってからじわじわと余韻を深めてくれて、記憶に残る一本となった次第です。
夫に共感
子供を事故で失った夫婦がそれを乗り越えていく過程を描いた作品。
夫の方は死んだ息子との思い出を大事にしつつも、次の子を作ることも含めて、前向きになろうとしている一方で、妻の方は依然として悲しみに囚われたまま。しかもとても攻撃的。
そういった心境からの克服がテーマであるので、そのあたりの葛藤が延々と描かれている。
妻の気持ちもわかるのだが、やはりその後向きのままの態度には段々イライラしてくる。
夫の方に共感できるのは、やはり自分も男性だからか。
最後のパーティーのシーン、子供のいる普通の光景がこの夫婦が前に踏み出す第一歩。
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