サラの鍵のレビュー・感想・評価
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サラが鍵をかけたものは
ホロコースト関連の映画は沢山あるが近年は少々変化球気味の作品も増えた。本作もまた、そんな変化球作品だ。
ストーリーはサラを中心とした過去パートとジュリアを中心とした現代パートで構成される。
過去と現代を交互に描きながら焦点が、連行されるサラとサラの両親、納戸に閉じ込められた弟、ジュリアの妊娠、サラのその後、と変化していき、その都度面白いのだが、全体のまとまりは少々薄い。
特に軸となる最終的なメッセージがあやふやで、とらえたいように解釈できる良さはあるけれど、ただ事実だけを伝える主張のないニュース映像を観たような印象だ。
とりあえず、過去と現代があまり繋がらないことに大きな問題を感じる。
それでも、サラというキャラクターだけを見た場合、非常に興味深いものもある。
時代のうねりに飲み込まれ彼女の身近にいくつかの死があり、それはサラの非力さのせいなのかもしれないが、少なくとも彼女の過ちのせいではない。
当然、サラを責めるものはいないが、サラ本人にとってはどうだ?。あの時ああしていればあの人は死ななかった。こうしていれば死ななかったかもしれない。と、後悔を募らせる。
その後悔は次第に罪の意識として蓄積していき、サラの心を蝕んでいく。
そして、ユダヤ人であるために自らが受けた恐怖と合わさり、どれほどサラに見えない重圧としてのしかかっただろうか。
過去の出来事に対して乗り越えるべきなのかフタをするべきなのか私にはわからないが、作中で二度ほど、過去をほじくり返すな、というようなセリフが出てくるし、サラは自分の心に鍵をかけた。
少なくともフタをするかどうかの判断は本人に委ねられるべきで、他者が安易に触れていいものではないと、善意を装った第二の迫害はあるのではないかと言っているように思えた。
しかし、残された鍵で自らの扉を開けることは自由だ。
自身を責め続けたサラ
ヴェルディヴ事件について調査を始めたジャーナリストのジュリア( クリスティン・スコット・トーマス )が、少女サラ( メリュシーヌ・マイヤンス )とその家族の存在を知り、消息を辿るが…。
パリでもこのように残酷な事が行われていたとは。
サラが思わず悲鳴を上げるシーンが痛ましい。
弟を助ける為に必死で生き延びたサラでしたが、自分だけが幸せな人生を送っている事に耐えられなかったのかも知れません。
-事実を知るには代償が要る
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (字幕版)
反戦映画ではない。反体制映画と言うべきだ。
カソリック故に、フランス人の多くはユダヤ人を差別していた。映画の中で、フランス人は『知らなかった』と話を進めるが、知らないわけがない。ペタン元帥のヴィシー政権。
兎に角、話が長すぎる。主人公とサラの関係も何もなし。何をこだわっているのだろう。
原作だけが面白い。このくらい複雑になれば、文書での説明がないと、理解しがたい。一人アメリカに何故渡り、アメリカで一人なぜ死んでしまったか?原作を読めば分かるが、映画では、説明していない。ネタバレだ。
『ヴィル』と言う映画を見て、この映画を再評価したい。原作とは違うが、反ユダヤ主義を正直に告発していると再認識した。但し、今回は鑑賞していない。2024年7月5日
過去と現代が交互に描かれる。
1942年の7月、パリに住むユダヤ人の家族スタルジンスキは、ヴェロドローム・ディヴェール(ヴェルディヴ、屋内競輪場)一斉検挙の朝、パリ警察に逮捕されるが、サラが気を利かせ弟をクローゼットに隠してしまう。しかし、収容所に入れられると弟が死んでしまうかもしれない・・・誰かに鍵を渡せられれば・・・臨時収容所に入れられ、家族3人がバラバラにさせられたスタルジンスンキ。サラは高熱を出し、3日間うなされていたが、介抱してくれた女の子と一緒に脱走を企てる。パリの警官も悪い人ばかりじゃない。ジャックという警官が鉄条網を開けてくれて、2人は逃げ出したのだ。どうなる?弟のミシェール。かなり時は経っている・・・
現代のジュリア。妊娠について悩みつつも、自分が住む予定となっているアパートにもユダヤ人がいたことがわかる。折しもヴェルディヴについて調べていたところだったので、その部屋にはサラたちスタルジンスキの家族が住んでいたことまで掴んでいたが、両親の死亡は確認されたのに、収容所での死亡者リストにサラとミシェルの姉弟の名前が見つからないのだ。しかし、義父テザックの話を聞いて氷解する。田舎のデュフォール夫妻の親切によってスタルジンスキのアパートに戻ったサラは、大切に持っていた鍵で納戸を開け、弟ミシェルの遺体を発見する・・・これが中盤。
それからはサラの消息を辿るジュリア。秘密主義となったサラはニューヨークへ渡り、幸せな結婚をしていた。早速生まれ故郷でもあるNYに飛んだジュリアは、サラが結婚した相手の家を捜し当てるが、サラは交通事故で60年代に亡くなっていて、再婚もしていた。忘れ形見である息子にもフィレンツェにまで会いに行く。
後半はサラの過去とその後を訪ね歩くといった内容。ホロコーストの悲惨な部分はほんの触り程度なのだが、それでも逃げ出すために病気を装うために口の中を切るアンナという女性の描写が印象的だ。
サラの息子が母親がユダヤ人であることさえ知らないこと。ようやく病床にあった父親が50歳を過ぎている彼にすべてを教えてくれるのだが、歴史を封印してはならないということを静かに訴えてくる。ヴェルディヴ事件という歴史。そして、家族の忘れ去りたい過去においても、世間に訴えるため明らかにすることも大切なのだ
観るのに覚悟が必要な、そして一度観たら忘れられない作品
何度思い返しても、小さな弟を納戸で発見した時のサラの気持ちを思うと胸が締め付けられる。
サラが小さな弟を納戸に隠した時の気持ち、強制連行された後に弟が心配でたまらない気持ち、そして納戸で変わり果てた姿の弟を発見した時の気持ち。
そして、待望の妊娠が分かると同時に、自分の義父が住んでいたアパートがサラの住んでいたアパートだと、サラが変わり果てた姿の弟を発見したアパートだと知った時のジュリアの気持ち。
それぞれの気持ちが痛いほど伝わってくる、というよりも襲ってくる映画。
自分がサラだったらと思うと、自分だけが幸せに生きていくなんて耐えられない。
そして自分がジュリアだったらと思うと、望んで望んで望んでやっと授かった我が子を中絶なんてできない、ましてやサラの人生を知ってしまった後で、自らが授かった新たな生命を絶つなんて出来るわけがない。
ジュリアが(ジャーナリスト魂からか)過去に起こった惨劇から目を背けることなく、事実が明らかになるまで調べ尽くし、それによってサラの息子にも事実が伝えられ反発されるが、最後にはその事実が受け入れられ、そしてジュリアが連れていた幼子の名前が”サラ”だと分かった瞬間、観ている私たちまで言葉を失う。
そしてそのサラが無邪気に遊んでいる姿に救われる。
観るのに覚悟が必要な、そして一度観たら忘れられない作品だと思う。
良質な反戦映画
第2次世界大戦におけるナチスが行ったユダヤ人ホロコーストを知らない人は居ない。600万人の人命が失われた。実際に体験した世代は、戦後70年経ち、減少してはいるが未だに歴史的証人は存在している。ナチスドイツが人間に、一体何をしたのか、同じ時期に日本軍がどのようにして権力を我が物にしてきたのか、それでどんな歴史的汚点を作って来たのかということを、どんなに語り、表現しても表現したりない。もっと、もっと反省を込めて反戦映画が出て来なければならないと思う。
これはヴェロドローム デイヴェール事件を扱った作品。(RAFLE DU VELODROME D'HIVER)
第2次世界大戦下、ナチスドイツ占領下にあったフランス、パリで1942年7月6日にユダヤ人が大量検挙された事件を言う。ヴィシー フランス政府はナチスの要求するまま、パリとパリ郊外で1万3152人(そのうち4115人は子供)のユダヤ人を警官が検挙した。ヴェロドローム デヴェールというのは、冬季競技場の名前で、検挙されたユダヤ人は、5日間ここに閉じ込められ、屋根のない真夏の競技場で、暑さと食糧、飲料を与えられないまま人々はその後 アウシュビッツなどの東欧各地の収容所に送られた。このような過酷な扱いに、ほとんどの人は生存できなかった。
映画のなかでも、警察に引き立てられた人々が、「どうしてこんなひどいことをするの?私はフランス人よ。あなたも同じフランス人なのに。」とパリ警察に抗議するシーンが出てくる。当時ヨーロッパでユダヤ人が憎まれていたとはいえ、自分たちが自国の警察官によって検挙されてホロコーストに会うなどと、夢にも思っていなかった当時の市民の姿が垣間見られる。この映画は、10歳のサラが、深夜パリ警察に連行されるシーンから始まる。
ストーリーは
1942年7月6日。
深夜、パリ警察が乱暴にドアをたたき、父親の居所を問い正す。10歳のサラは、とっさの機転で、警察は、父親と弟の男だけを連行するのかと思い、弟を子供部屋の戸棚の中に隠し外から鍵をかける。たとえ自分が連行されても取り調べだけで、すぐに家に帰れると思っていた。弟には、どんなことがあってもサラが迎えに来るまで戸棚から出てはいけない、としっかり言い聞かせた。サラと母親は外に出され、別棟に隠れていた父親と共に引き立てられた。両親とサラはジープに乗せられ、競技場に連行され、コンクリートの上で炎天下何日も留め置かれた。その間、弟のことを案じた家族は警官に、弟を見つけて連れてくるように頼み込むが、誰も聴く耳を持たない。サラは熱中症で倒れ、家族はバラバラにされて列車に乗せられ、収容所に向かった。そしてそのまま二度とサラは両親に会うことがなかった。
3日3晩高熱で苦しんだのちサラは意識を取り戻す。弟のことが気になって一時もじっとしていられないサラは、収容所の警備員に鍵を見せて必死で弟を連れてきたいと懇願する。一人の警備員が10歳の子の尋常ではない頼み方に心が傾き、収容所の鉄条網をゆるめてやる。サラは走りに走ってパリをめざす。人家をみつけて家畜小屋で眠っているところを百姓夫婦に助けられる。夫婦には息子が居たが戦場に送られていた。夫婦は、サラを不憫に思い、警察に隠れて危険を承知で自分の娘として育てる。サラのたっての願いで、夫婦はサラを連れて占領下のパリに出かける。もとサラが住んでいたアパートに着いて、サラの持っていた鍵で開けた戸棚には、、、。
2002年ヴェロドロームデヴィエール60年周年記念の5月。
新聞社に勤めるジュリアは、この事件について論評を書くように依頼される。彼女はアメリカ人だが、フランス人の夫との間に14歳の娘がいる。新たに妊娠していることがわかった。家族はパリに居を構えることになり、夫の遠い親戚からパリのアパートを貰い受けたので、改築する予定だ。アパートの寝室には古い大きな戸棚がある。
論評を書くにあたってジュリアは、その古いアパートに戦争時に住んでいたスタルズスキ一家について調べることにする。そこに住んでいたユダヤ人家族は戦時中どんな生活をしていたのか。やがてジュリアは、この家族には2人の子供が居たはずなのに、収容所で死亡した両親の記録があっても、子供達の死亡記録がないことに気がつく。夫の遠い親戚たちや公文書から、家族にいたはずのサラと言う名の子供の足跡をたどる。そしてサラが養父母に大切に育てられ、アメリカに渡り、家庭を持ったことまで調べ上げる。
サラはホロコーストを生き延びてアメリカに渡っていた。ジュリアはその足跡を追って、アメリカに飛ぶ。サラの夫は老体で死の床にいた。サラはその夫との間に息子をもうけていた。息子は幼いうちに母親を亡くしたので、サラのついての記憶がない。
ジュリアはサラの人生を追うことによって、自分の人生がサラの人生の重さに重なって、もうサラを知る前の自分に戻ることが出来なくなっていた。というお話。
才覚ある10歳の娘が最愛の弟を守ろうとして、逆に死なせてしまう。その十字架を背負ったまま戦後まで生き残ったサラが家庭を持ち、息子を育てることになるが、息子が死んだ弟の年に近付くに連れて、原罪意識から逃れられなくなっていく。
哀しい哀しい物語だ。
ホロコーストで殺された600万人の人には、600万のサラのような悲劇的な物語を抱えて死んでいったのだろう。
サラの息子は、かたくなに自分の過去に口を閉ざして、そのまま何も語ることなく亡くなった母親が、ユダヤ人だったことも、ホロコーストの生き残りだったことも知らずに成人していた。彼は母親が残した形見の宝石箱に残された鍵の意味を知らずに、ただそれを思い出として大切に持っていた。
サラの生涯を調べつくしたジュリアは、サラの人生に深くかかわるに連れ、自分が妊娠中であるにも関わらず夫と理解し合うことができなくなり別れて 一人で娘を産む。
ジュリアがサラについてのすべての物語を息子に語り聞かせたあと、息子はふと、ジュリアの赤ちゃんは何という名なの、と尋ねる。何という名前?ジュリアはしばらくためらったあと、サラという名なの。と答える。それを聞いて泣き崩れる息子とジュリアのシーンで映画が終わる。とても心に残るシーンだ。
戦争の激しい暴力にさらされて、奇跡のように生き残った生存者が、戦後しばらくして自ら命を絶った、その胸の内が哀しい。「ソフィーの選択」も同様に戦後を生き続けることができなかった男女のお話だ。人は生き延びさえすれば良いのではない。失ったものが大きすぎる。耐えられるものではない。人はそんなに強い心をもって生まれてくるわけではない。
とても哀しい良質な反戦映画だ。
過去の鍵を開けて
1942年、ナチス占領下のパリ。
10歳の少女サラは、幼い弟を納戸に隠して鍵を掛けるも、そのまま家族と共に収容所へ送られてしまう。
現代。
ジャーナリストのジュリアは、自分の住むアパートでかつて起きたユダヤ人家族の悲劇を取材する内、サラの事を知る…。
あらすじを読んだだけでも胸痛まずにはいられない。
ナチスのユダヤ人迫害によって引き起こされたある家族の悲劇。「アンネの日記」とはまた違う痛切な話だ。
ストーリー展開としては、その悲劇を機に辿る数奇な運命に焦点が当てられている。
弟を救いたい一心で収容所を脱走したサラ。親切な人の助けで家に戻るも…。
さらに取材を続けていくと、ジュリアは、夫の家族がサラの件に関わっている事を突き止める。
自らに重い十字架を背負ってしまったサラ。
事情を知る関係者はこの悲劇を秘密にする。
重く悲しい話ではあるが、過去と現在が交錯するミステリー仕立てで一気に見てしまう。
悲しみの先にある深く静かな感動は余韻が残る。
ジュリア役のクリスティン・スコット=トーマスが好演。
サラ役の女の子の瞳が忘れられない。
自分の下手な文で語るより、まずは見てほしい。
秀作!
ジワーッと感動がこみ上げます。
多くを語る必要はありません。ただただ画面を見つめ、癒やされる事の無い哀しみを共有しました。映像も脚本も過不足無く、本当に解り易い。あらすじも説明も入りません。それだけ完成度が高い作品です。クリスティン・スコット・トーマスの精神的な美しさ、大好きです。そしてエイダン・クインが出てたのです。気がつきませんでした。懐かしい‼お太りでしたが充分に魅力的‼映画にはそんな楽しみも有ります。クリスティン演じる編集者はパンドラの箱を開けてしまいました。そこから現実が様々な変化、ドラマが始まります。
後半がちょっとがっかりした・・・
主人公の生き方にがっかりした。結果的に弟を餓死させた罪に、耐え切れず自殺するのだが、逆に生きて償うべきだったと思う。子供を育てる義務を放棄するなんて、後に苦労するであろう旦那様の事も考えず、育ててくれた義理のある年老いた養父母の面倒も見ず、何て自分勝手なのだろう。結局大人に成り切れなかったんだなと、思ってしました。<ソフィ-の選択>の主人公なら、死にたい気持ちは理解できるのですが、家族や友人を犠牲にして、生き残ったのなら、もっと自分の命を大切にして欲しかった。犠牲なった人達の死が、無駄になってしまって、憤りを感じました。収容所を抜け出すシ-ンも安易だし、ゲシュタポが弟を見つけれられないはずも無い。しかも、そんなに長い期間、死体に気がつかないのも、非現実的だった。
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